外に出ると、ねっとりと重く熱い空気が体を取り巻いた。
深夜だと言うのに相変わらずの雑踏だった。
当たり前だが手も繋がず、隣り合わせで歩くこともない俺と馬超は、傍から見たら赤の他人に見えるかもしれない。
体だけは猿みたいに飽きもせず何度も繋いだけれど、和姦だなどとは一度も思ったことがない。
本気で抗えば、俺だって男なのだから押し退けることも出来たのじゃないだろうか。
何だかんだ言って、結局俺は馬超を許していたような気がする。
女が、駄目な男に貢ぐ感覚と言うのはこんなもんだろうか。
俺でなければ駄目なんだと馬超は騒ぎ、俺はうかうかとそれにはまってしまっているような気になった。
アホか。
あまりのうっかり振りに、自分で自分が情けなくなる。
本当に、今別れた方が馬超の為なんじゃないだろうか。
馬超は、何でか『馬超』の記憶を持ち合わせていて、それに振り回されているだけのような気がする。いいところのお坊ちゃんが、何でこんな道を踏み外すようなことになるのか。
ここは、年上としてきっちり諭してやる方がいいのかもしれない。
俺が後ろを振り返ると、馬超は立ち止まって何処かを見ていた。
人通りが切れた場所だったから良かったようなものの、そうでなければ迷子になっていたかもしれない。
手がかかる、と馬超に近付くと、馬超はようやく俺の存在を思い出したように目を瞬かせた。
「……、あそこに行こう」
あそこ、と馬超の視線を辿ると、闇夜の中に小さく灯りが点っているのが見える。
ラブホの看板だった。
少し外れた場所にあって、通の間じゃ隠れた穴場的ホテルなのだとか言う話だが、それより俺が気になったのは、そこは俺が『馬超』を連れて行ったホテルだということだった。
「……やだよ、何でホテルなんか」
行きたきゃ一人で行って来いと背を向けると、腕を取られて逆方向に引き摺られる。
「おい」
「行く」
発情したのだろうか、それにしたって家に帰ればいいだけの話で、どうしてホテルに寄らなくてはいけないのかさっぱり分からない。
「ば……おい、金のムダだろ。言っただろう、俺、今月の給料やばいんだって」
言ってしまうと、貯金は『馬超』と趙雲の為に使ってしまってすっからかんなのだ。割れたガラス代やがんがん回したクーラーの電気代なども合わせると、今月は相当な貧乏暮らしを覚悟しなければならない。無駄金は、一円だって使いたくないというのが本音だ。
「俺が払う」
横暴な物の言いように腹が立って、俺は足に力を入れて馬超の行進を妨げた。
前だけを見ていた馬超の目が、ようやく俺に向けられた。
また、泣きそうな目をしている。
何なんだ、と溜息を吐くと、馬超が突然飛び掛ってきた。
薄汚いビルの裏側で、男二人が抱きあっている。二丁目か、と嘲笑いたくなったが、馬超に対してではなく自分に対してだ。
「……俺が、お前の馬超だ。どうして認めてくれない。どうしたらいい」
ぐいぐいと力いっぱい抱き締められる。体中の骨がみしみし言いそうだ。
俺は、馬超がまだそのことに拘っていたことに驚き、息を飲んだ。
膨れた肺が押し潰されて、悲鳴を上げそうになる。
初めて出会った、それでいいじゃないかと俺は思う。
馬超には、それがどうしても納得できなかったらしい。
重なるところはあっても、俺にとっては馬超は馬超でしかない。
大学生の、何処かのお坊ちゃんらしい、金銭感覚にルーズで甘ったれな男。
どうして『馬超』と、西涼の錦と同じに出来るというのか。
『馬超』は誇り高い男だった。弱さを見せるのが苦手で、俺にだけ、不器用に甘えかかってきた。義理堅くて、俺に体を差し出すことで俺と対等であろうとする、どうにも救い難い馬鹿だった。
俺の中の『馬超』に収まることが馬超にとってどんな意味があるのかは分からない。
けれど、どうしてもそうでなくてはいけないと馬超は俺に縋りついてくる。
堂々巡りだ、とまた思った。
苦しい呼吸の中、俺は星も見えない空を見上げた。
「……俺が、抱けばいい?」
弾かれたように馬超が顔を上げた。
きつかった抱擁も解かれ、服がごわごわとしながら戻っていく。
「俺がお前を抱けばいい? そうしたら、お前、満足すんのか?」
解決法はまったく見出せなかった。
俺から馬超を、形だけでも『愛する』ことで馬超が満足できるなら、俺は馬超を抱いてもいいと思った。
だが。
「……嫌だ」
嫌悪感も露に、馬超は俺の申し出を蹴った。
「が、俺をちゃんと俺だと認めればいい。そうしたら、満足する」
たったそれだけのことなのに、如何してしてくれないんだと馬超はごねた。
だから、俺にはそれは出来ない。無理なのだ。どうしてもどうしても重ならないから、初めて会ったことにしようと言っているのに。
「認めるだけだ、ただそれだけだろう! 何故無理なんだ、どうして!」
子供が駄々をこねるように喚く馬超に、俺は眉を顰めて険の篭った視線を向ける。
「……分かった、認める。お前が俺の馬超だ」
一瞬、馬超は驚いたように目を見張り、言葉を失くして立ち尽くした。
お望み通り『認めて』やった。喜べばいいだろう、さぁ早く。納得して、満足して、家に帰って二度と俺の前に現れるな。
馬超の目から音もなく涙が零れるのを、俺はうんざりとしながら眺めた。
「……口ばっかで認めたって、お前納得しないだろうよ」
これで分かったろ、と肩を竦めると、不意打ちで馬超の手荒い口付けが飛んできた。
熱と共に唇の肉が裂け、歯と歯がぶつかる無粋な音が神経を叩き、シャツをぐしゃぐしゃにされながら口付けが続く。
下手糞というか、ここまで来ると体罰だ。
わざと力を抜くと、馬超の口付けはすぐ止んで、俺の肩に口を押し当てて声を殺したまま号泣した。
子供だ。子供が、思い通りにならないと言って駄々をこね泣き喚いている、あれと一緒だ。
ホストはやっているが、保父になったつもりは毛頭ない。
しがみ付いてくる馬超の体を引き剥がし、唇を合わせた。
驚く馬超の体が固まる。
唇を戦慄かせ、舌をゆっくりと差し入れると、表面を使って馬超の口腔を念入りに犯す。
腰が引けて逃げようとするのを両手で固定して、舌を吸い上げたり絡めたりしてひたすら馬超を煽る。
離す時も、突然ではなくゆっくりと名残惜しいかのように少しずつ離す。
馬超の口の端から唾液が滴り落ちるのを、舌の先で舐め取ると、馬超がびくりと体を竦ませた。
「……キスっていうのは、こうやるんだよ」
ちったぁ学習しろ、と肩を押して離れる。
馬超は、ふらりとよろけてビルの壁にもたれかかった。
そのままずるずると崩れ落ちていくのを、俺は呆気に取られて見ていた。
馬超の側に屈みこむと、唇を押さえて顔を赤く染めている。
膝は可哀想なぐらいがたがたと震え、まるで初夜を迎える処女のような有様だった。
俺は腕を伸ばして馬超の股間を掴んだ。
それと分かるほど膨張したものは、俺の手の感触だけで勢い良く跳ね上がった。
布地に擦られた感触が衝撃をもたらしたのか、馬超の全身はびくんと跳ね上がり、ご丁寧にも短い艶やかな悲鳴を漏らした。
家まで歩くのもしんどそうだ。
と言って、さすがにここで抜いてやるわけにもいかない。
「……ホントに手間かかるな、お前」
呆れた俺の声が癪に障ったのか、馬超は憎々しげに俺を見上げたが、口も聞けないような有様
だった。
「ホテル代、お前が出せよ」
何処ぞのヒモのような台詞を吐くと、俺は最初とは逆に馬超の手を引いてホテルに向かう。
暴れはしない代わりに乗り気にもならないまま、馬超は俺に引かれてとぼとぼと歩き出す。腰がゆらゆらと揺れているのが可哀想なような、笑い飛ばしてやりたくなるような、良く分からない衝動を俺に与えた。
「可愛いな、馬超」
結局どちらでもなく、感想をそのまま述べるに止めたのだが、馬超は短く呻くと突然その場にしゃがみ込んだ。
何をしているのかと振り返った俺に、顔を真っ赤にしてうずくまる馬超の、涙目が飛び込んできた。
「……え、まさかだろ、お前……」
俺の手を振り解こうとがむしゃらにもがく馬超に、俺は『まさか』がまさかでなかったことを知った。
声で、言葉で達くなんて、どういうことだ。
女でなくてもこんなことがあるのかと、俺は呆然と馬超を見下ろした。
とにかく、本当にこのままでは家にも帰れなくなったわけだ。
俺は自分の羽織っていたジャケットを馬超に渡し、濡れて滲みになりはじめた股間を隠させると、渋る馬超をホテルに連れ込んだ。
まずは洗濯をしなければなるまい。
続