馬超が出て行った経緯を説明しようとすれば、張郃との経緯も説明せざるを得ない。
 張郃との経緯を説明するとなると、件のDVDに付いての説明はどうしても避けられなくなった。
 俺が、自演のDVDを見ているところ(実際は誓って鑑賞していた訳ではなく、驚きの余り固まっていたから反応が遅れただけの話だ)を馬超に見られてしまい、憤った馬超に押し倒され、結局上手く勃たなかったことに今度は腹を立てた馬超が家出したところまでを、なるべく主観的な感情を交えないよう淡々と話して聞かせる。
 その後も含めて洗いざらい吐き出すつもりではあったが、俺の必死の努力にも関わらずどんどん顔を強張らせていく趙雲の堪忍袋の緒が先に切れて、そこまでしか話せなかった。
 趙雲は話を聞いている間中俺を睨め付けていた。
 睫毛の先と先が触れあいそうな距離から、覗き込むように趙雲の眼を見詰め返す。
 視線で殺す、などと言うが、本当にこのままぽっくり逝ってしまいそうだった。
 冗談で済まない殺気が、趙雲の眼には篭められていた。
「……何を、しているんですか、貴方は」
 何をしているんだと言われれば、何をしているんだろう。
 俺としては、極々平和的に事を解決しようと思っていた。
 某ミュージシャンが謳うように、『戦争するよりベッドで過ごそう』を実践した……などと言うと多分に語弊があるが、陰険な観察者から体良く逃れるのにセックス一回で済むならそれで構わない、と軽く応じたのも確かだ。
 勿体ぶる程のものではないし、張郃が俺に唯一望んだことだ。互いの利害が一致した結果であって、事実あれ以来何事もなく済んでいる。
「……
 うんざりとした態で趙雲は俺の名を呼ぶ。
「……
 口付けが落とされ、俺はやや戸惑いながらも躊躇いなくそれを受けた。
 角度を変えて落とされる口付けは、明らかに俺を挑発している。
 病み上がりにも関わらず趙雲に反応する体を、俺は持て余していた。
 趙雲の指が伸びて、俺の状態を確認する。
 その指すら拒否せず、趙雲のしたいように弄らせる。
 いい加減、分かればいい。
 俺は、純情無垢な可愛い女の子達と違って、セックスすることに躊躇いのない男だ。
 少しでもいいなと思えば抱き、抱かれる、そういう節操のない男なのだ。
 趙雲や馬超が望むような、一途に相手を想い焦がれて頑なに貞操を守る、などという人間では、少なくともない。
 求められても応じられないキャパなのだと、早く気付いて欲しかった。
 直接俺のものに触れていた趙雲の指が外れ、引き抜かれる。
 俺の目の前に差し出された濡れた指を、俺は黙って咥えた。
 趙雲の顔が歪む。
 歪むが、変わらず綺麗な顔だ。
 趙雲は俺の唇をそっと押さえて、咥えさせていた指を抜き取った。
 唇に触れた指が微かに震えていたのを、俺は気付かぬ振りをした。
 力なく座り込む趙雲から、視線を外す。
 一人言のような呟きが、俺の耳に届く。
「……好きになってくれとは、言いますまい。だが」
 息を詰めるようにして途切れた声は、俺の胸を押し潰す。
「だがせめて、貴方のその……胸の内に、幾らかだけでも私を気に掛けてくれる場所を空けて欲しいと望んでは、いけないのですか」
 趙雲は、酷く傷付いているようだった。
 『どうでもいいと思っている俺』は未だ健在で、かつて曹丕を傷付けたように今また趙雲を傷付けている。
 でも、俺としたら、俺と離れて生きている方がずっとずっと幸せになれると思うのだ。
 曹丕は、俺と離れて生きることで甄姫と言う伴侶を得た。
 それこそ、何よりの証じゃないだろうか。
 俺と離れて生きていく内に、いずれ何処かの可愛い女の子と巡り合って、目に見えない深いひびにもやがてその彼女の愛情が染み込んでいって、一生を支え合って生きていこうと思うようになるのじゃないか。
 だから、俺がこうして趙雲を傷付けたとて、それはいつかいい結果を引き寄せる種になる、とか。
 趙雲の言動、態度から、趙雲が俺の心ない仕打ちに傷付き、耐え難くなって、今まさに俺から離れようとしていることを察する。
 それでいいんだ、と言ったら、趙雲は怒るだろうか。
 ここで怒らせたら何にもならないので、俺は黙っていた。
 黙って、趙雲が離れていくのを待った。
 どれくらいの時が経ったのだろうか、趙雲はノロノロと立ち上がり、重い足取りで扉に向かう。
 顔も向けない趙雲の様に、俺は無言で奥歯を噛み締めた。
 これでいい。
 達成感と言うには程遠い重苦しさがあった。だが、それすら拒んでは望む結果は得られまい。
 開かれたままの扉に手を掛けた趙雲が、勢い良く扉を閉める音が室内に響き渡る。
 趙雲の肢体はそこに残っていた。
 閉じた扉の向こうに消える予定が、何か手順を間違えたかのように取り残されている。
 がちん、という鍵を掛けるような音がして、俺は我に返った。
 ような、でなく鍵を掛けたのだ。寸劇でもあるまいに、手順がどうとかいう問題じゃない。
 趙雲は密室を作ると踵を返し、俺の元に戻ってくる。と、当たり前のように俺の体を倒した。
 間髪入れずに俺のパジャマを剥ぎ取りに掛かる。俺が抵抗しようともがくと、当たり前のように殴り飛ばされた。
「どうでも、いいんでしょう? 貴方は」
 ならば、どうとでもするまでだ。
 趙雲の主張に矛盾はない。
 ないが、俺が納得できるものでもない。
 放たれる殺気は先程の比ではなく、下手に逆らえば本気で殺されるとさえ感じてしまう。
 すくむ手足を必死に繰り、趙雲から逃れようと暴れた。
 そこに、また一発食らう。
「どうでもいいんでしょう? 何故、逃げるんです」
 心底不思議そうな声音に、俺の恐怖は膨れ上がる。
「私のことなど、どうでもいいんでしょう? どうでもいい相手に何をされようが、貴方にはどうでもいいことなんでしょう? だったら、おとなしくして、せいぜいイイ声で啼いて下さい」
 そうしたら、私も早く満足するかもしれません。
 貴方に飽きて、貴方の望むとおりに離れて行くかもしれません。
 だから、
「自分でしているところ、見せて下さい」
 にっこり笑った趙雲は、腰に下げた携帯ホルダーから携帯を抜き取った。
 スライドして起動する携帯の、シャカ、という金属を擦るような音が、堪らなく気色悪く聞こえた。
 趙雲の指が携帯のキーを軽やかに押していく。
 携帯の表面に浮かんだカメラのレンズが、人間の眼のように俺を見遣る。
「さぁ、
「……それ」
 俺の声は、我ながらうんざりする程震えていたと思う。
 視界が妙に薄暗くて、気が遠くなり掛けているのが分かった。
「それ、何だよ」
 必死に舌を制御して綴った問い掛けに、趙雲は事も無げに答える。
「カメラですが?」
 趙雲の指が軽く動き、途端、如何にも嘘臭い電子シャッター音が鳴り響いた。
「貴方の悦い姿を残しておこうと思って。それだけです。貴方には、どうでもいいことなのでしょう?」
 さぁ早く、とパジャマの下を掴まれ、俺は情けなくも短い悲鳴を漏らしてしまう。
 趙雲の笑みはますます艶やかに潤んだ。
 と、階下から凄まじい勢いで駆け上がってくる足音と、直後に扉が殴打されるけたたましい音が鼓膜に響く。
「おい、趙雲、貴様、何をしている!」
「うるさい。後でお前にも代わってやる。おとなしく自慰でもして待っていろ」
 あんまりな趙雲の言い草に、馬超は度肝を抜かれたようだ。
 一瞬しんと静まり返った直後、更にけたたましく扉に悲鳴を上げさせる。
「ふざけるな、開けろ、何故鍵を閉めた、開けておくという話だったろう!!」
「状況が変わった」
 趙雲の手にある携帯カメラは、適当に俺を捉えて適当に俺を記録しているようだ。
 耳障りなシャッター音が鳴り響き、俺の神経を逆撫でする。
 苛めっ子に囲まれた苛められっ子のように、俺は情けなく半ベソを掻いていた。
 感情が泡立って、最早俺に触れることにすら飽いてしまったような趙雲の投げ遣りな態度に腹が立って、けれど結局何もできないままべそを掻いている。
「どうしたんです」
 趙雲は、ただただ容赦ない。
「早く」
 急かされても、何もできない。できる筈もない。
「どうでも、良いんでしょう?」
 俺は。
 俺は、緩々と頭を振った。
 趙雲は決して許してはくれない。
「今更、何を言ってるんですか」
 さぁ、早く、と俺の手を取り、引く。
 俺は駄々っ子のように後退り、頭を振るばかりだ。
 胸が痛くて、辛くなった。
 あの日からずっと、俺の中にわだかまったままになっていた言葉が、思い出したように出口を求めて暴れていた。
 言いたくなかった。
 だから、言わないできた。
 俺がどうでもいいんじゃない、お前達が。
 趙雲の目が丸く見開かれる。
!!」
 絶叫と共にドアが開く。
 正確には、壊れる。
 かつて扉だった板ごと転がり込んで来た馬超はきっと、趙雲に力一杯抱き締められている俺を目の当たりにしたことだろう。
「……なっ……!」
 絶句した馬超に、趙雲の非情な言葉が投げ掛けられる。
「すっ込んで居ろ」
「……なっ……!」
 再び絶句した馬超を他所に、趙雲は俺をぎゅっと抱き締める。
 まるで、欲しくて堪らなかった宝物をようやく手にした子供のように、加減を忘れて物凄い力で抱き締めてくる。
「……な、お前……趙雲っ!!」
 馬超の声が震えている。パニック起こして、ヒステリーになり掛けているのだろう。
 それでも、趙雲は俺を放さない。
 殺気は嘘のように消え失せて、代わりに押し付けがましいくらいの歓喜に溢れて、俺までむせ返りそうだった。
「……貴方が、好きだ、。愛おしくて、堪らない。
 趙雲は一度俺を解放すると、すぐさま俺を捉えて深く口付けてくる。
 馬超が三度目の絶句と共に殺気を迸らせるのを感じながら、俺は自己嫌悪の渦に呑まれて何も考えられなくなっていた。
 俺自身も、半ば忘れ掛けていた感情だった。
 根底には常にあったのだろうが、見ないようにしてきた感情だった。
 俺自身、曹丕の言うとおり万事『どうでもいい』人間だ。それは、間違いない。
 期待することはいけないことだと、そういう風に覚え、教え込まれて生きてきた人間だ。
 他人にすがるとろくなことにならない。
 家族でさえも他人だと理解できて、それで何で赤の他人にすがれるだろう。
 だから、どうでもいいと流すことで上手く他人も、俺自身も流してきた。
 下らないことをしていると分かっていたけれど、それでもどうしても誰かに依存するのは怖かった。
 もし、そんな相手を作ったとして、その相手が俺をどうでもいいと思ったとしたら。
 どうしたらいい。
 俺にとってはどうでもよくない相手から、どうでもいいと流される。
 どうしていいか、分からない。
 たくさん持っているところから一つ二つ零れるのとは訳が違う、俺の手には本当に何もなくて、そこに偶然手に入れた一つ二つを大事に抱えて、けれどそれがするりと抜け落ちてまた零になる。
 ぞっとした。
――だったら、ずっと零のままの方がいい。
 目指す場所も繋ぐ紐もないまま、ゆらゆら漂ってそのまま野垂れ死んでしまいたい。
 そうしたら、ずっと零で居られる。
 誰かに繋がれることは、イコールでそいつが俺に繋がれることだ。
 俺は、俺自身のぐだぐだな、まるで固まり切っていないゼリーみたいな俺を知っている。
 繋がれることは苦痛じゃない。
 だが、俺に繋がれた奴はぐずぐずの俺を苦痛に感じる筈だ。
 最初は良くても、いずれは必ず。
――だったら、ずっと零のままの方がいい。
 俺がどうでもいいんじゃない、お前達が俺をどうでもいいと思う日が来るのが嫌なんだ。
 いつか必ず来るだろうその日に、俺が打ちひしがれると分かり切っているのが嫌なんだ。
 認めてしまった感情に、俺がこれ程凹んでいるにも関わらず、趙雲は俺をペットにした子猫か何かのように可愛い可愛いと頬擦りしている。
 腹が立って、恥ずかしくて、情けなくて、俺の中はてんやわんやだった。
 趙雲の肩越しに見える馬超を、勢いこれ以上はない不機嫌に睨む。
 馬超が打ちひしがれたように眉尻を下げて俺を見詰め返し、その目が涙で潤んでいるのを見て、俺は投げ遣りに笑った。
 笑うしかなかった。

 

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