唸るような音に促され、目を覚ました。
 サイドテーブルに並べられた携帯の一つが、マナーモードのままうわんうわんと震えていた。
 ことことと移動するそれをとっ捕まえ、出る。
 私用の携帯だったから、確認もしない。
「…………はい」
 寝惚けた声と欠伸が一緒に出た。
 最初に鼓膜を震わせたのは、苦笑いが漏らす吐息だった。
『やはり、まだ寝ておられたか。もう起きないと、間に合わないのではないですか』
 趙雲だった。
 時計を見遣ると、八時半を回ったところだった。
「……趙雲、何で俺の携帯番号知ってんの」
『貴方が寝ている間に色々ガサ入れさせていただきましたので』
 けろりとして空恐ろしいことを言う。
『鍵は、郵便受けから中に落としておきました。それを言っておかないとと思って』
 ふぅん、と俺は軽くいなした。趙雲の背後がやたらとざわめいている気がした。
「何、呑んでんの」
『新人が入ったので、その歓迎会ですよ。決算月前だと言うのに、どうにもうちは宴会好きでしてね。また、電話します』
 趙雲が電話を切ったので、ついでに登録するかと着歴を見ると、ちゃっかり登録済みだった。
 俺が寝こけている間に何してたんだ、と苦く思いつつ身を起こす。
 あれだけべたついていた体が綺麗に清められていて、さらさらと乾いた心地よい感触を覚える。
シーツも綺麗なものに取り替えられていた。
 俺は、自分の鈍さにぽかんと口を開けて呆れ返った。

 店に出て、もう何度目かになる軽い溜息を吐く。
 目敏いお姫様に見つかって、退屈してると詰られた。
「違うって、これはね、悩みから出る溜息なの」
「えー、何、悩みって」
「いや……俺、実は不感症なんじゃないかって」
 お姫様は、きゃぁっと身を仰け反らせて大喜びする。
「いや、ホントにホントに、悩んでるんだって!」
「またぁ、ってばそんなこと言ってぇ」
 お姫様と楽しく会話して、お代わりも召し上がっていただき、ついでに俺もご相伴に預かっていると、入口の方がざわめく。
「……わ、、見て見て」
 お姫様が俺の袖を引っ張り、入口に目を向けさせる。
 俺は、興味なかったのだが仕方なく振り返った。芸能人が時たま来ることがあったので、その類だと思っていたのだ。
「う」
 振り返った俺と、入口でオーナーと話をしていた趙雲との目が合った。
 気安く手を挙げてくる。
 オーナーが渋い顔をしてこちらを振り返る。
 俺は肩を竦め、同席していたお姫様はきょとんとして俺を見詰めた。

「ちょーおぉうーん……」
 前に馬超を案内した席に趙雲を座らせ、俺は精一杯厳しい顔をしてみせた。
 趙雲は動じることもなく、注文を取りに来たJにビールを頼む。さすがに手馴れているようで、馬超の時のような危なっかしさは感じなかったが、あくまでもここはホストクラブなのだ。お姫様を歓待する場所であって、男一人が気軽く入れるところじゃない。
「いや、私だとて気後れしたのですよ」
 何処がだ、と詰ると、店があるビルの前でどうしたものだかしばらく悩んだと言う。
「……何秒」
「5秒くらい……いや、4秒か」
 しれっとして答える。いいタマだ。
 ビールが届き、趙雲はビールグラスを軽く掲げてにっこりと微笑む。どちらがホストかわからない。
「如何しても、貴方にお会いしたかったので」
 携帯から店の番号を割り出し、電話して男一人でも入れるか確認したという。少し嫌そうだったのを、頼み込んで了承してもらったらしい。
 それは、暗に断られていたのではないか。
 馬超には嘘を吐いたが、男一人で入ってはいけないと決められているわけではない。そんな前例がまずないから、決まってなかっただけだ。
「貴方のご迷惑になってはいけないと思ったので」
「もう十分迷惑だよ」
 そうですか、と気にした様子もない。俺は、がっくりと肩を落とした。
「……趙雲、そんな奴だったっけか」
 俺の中の趙雲は、もっとこう何と言うか、穏やかで品のいいイメージだった。
「こんな奴でしたよ。貴方が知らなかっただけだ」
 それと言うのも、貴方が私を騙して別れたりするからだ、と軽く睨まれ、俺は肩を竦めた。
 趙雲はビールに口を付けた。慣れた呑み方だった。
「ビール、好きなんだ?」
「貴方と初めて呑んだ時の、あの味が印象が強くて。好きと言う訳ではありません」
 やっぱり、趙雲だ。
 しかし、今もやはり体に馴染んだスーツを纏っている。どうも良くわからなかった。
「説明すると、言いましたよね。ですから、説明に伺いました。貴方のことだから、どうせ私のことなど忘れて仕事に没頭していたでしょう」
 本当に、貴方という人は、小ずるいのだから。
 罵りつつも、趙雲の口元は緩い弧を描いている。嬉しくてたまらないと言う感じだ。
 俺は少し恥ずかしさを感じて、視線を俯かせた。
「……正確に言うと、私は貴方の知っている趙雲ではありません」
「は?」
 ぱっと顔を上げて聞き返す。
 趙雲は、にっこりと笑った。女だったら、速攻落ちて黙り込むかもしれない。だが、俺は女ではな
かったので、眉間に皺を寄せて話を促した。
「一番近いのは、そう、生まれ変わりという奴でしょうか」
 神秘主義の女の子が好んで使うようなフレーズを、まさか趙雲の口から聞く破目になるとは思わなかった。

 趙雲の話を要約すると、こうだ。
 蜀の五虎将軍としての趙雲は、確かに死んだ。
 この時代に生を受け、ある日突然、どうして自分は子供なのだろうと疑問に思ったのがすべての始まりだったという。まだ走ることも覚束ない趙雲は、見知らぬ両親に笑いかけられ、酷く戸惑ったという。『趙雲』としての記憶は鮮明で、疑いようもなかったからだ。
 しばらく思い悩んだ結果、趙雲はあることに思い当たった。
 きっと、会いに来たのだ。
 自分は、、つまり俺に会いに生まれ変わったのだと気が付いた。
 同じ時代に生を受けてしまえば、今度は帰れと言われたりしないだろう。そう思った瞬間、趙雲は何もかも納得した。
 何時会えるかわからない、けれど何時会っても恥ずかしくないよう、趙雲は勉学に励み体を鍛え、記憶に刷り込まれた能力が成長に併せて徐々に露出していった。特に運動で人に遅れをとったことは殆どないという。
 俺が住んでいるだろう場所は、けれど如何しても思い出せなかったそうだ。
 それはそうだ、別に電車に乗せたわけでも住所を教えてやったわけでもない。趙雲が本当に生まれ変わったとして、趙雲が知っている風景に巡り会い、俺の住んでいる場所を探し出すのは奇跡以外の何物でもない。特にこの街は、毎日のように少しずつ形を変えているのだから。
 で、自分としてはそう納得して成長していった趙雲は、やはり自分の考えでは少し納得しかねることがあると気が付いた。
 一つは、名前だった。
 生まれ変わったはずの自分が、何故生まれ変わる前と同じ名前なのか疑問に思ったという。
 もう一つは、かつて自分が仕えていた君主や同輩との再会だった。
 彼らも生まれ変わったのだとして、やはり同じ名前、同じ風貌同じ性格と言うのは、幾ら何でもおかしいのではないかと思った。その人数も尋常ではない。同輩はともかく、敵国の将達までもこぞって生まれ変わっている。しかも同じ会社に勤めているのだ。
 関羽と呂蒙が仕事の打ち合わせをしている時など、ぞっとして仕事が手につかなかったという。
 これらについては、今も説明は付かない。やはり生まれ変わりと言う言葉が一番しっくり来るのだが、それだけとも思えないでいる。
「だが」
 趙雲は締めくくりに馬鹿なことを言い出した。
「貴方と会えたのだから、もう如何でもいいことです」
 趙雲は、温くなったビールを飲み干した。
 俺は、頬が焼けるように熱くなるのを、情けなくなりながら自覚していた。
 生まれ変わってでも会いたいと求められていた、その一途さが不純な体の熱を誘発していた。
 誤魔化すように話を続ける。
「……でも、よく、俺の家がわかったな」
 玄関から飛び込んできた趙雲は、迷うことなく俺を抱きすくめた。人違いだったらどうするつもり
だったのだろう。
 趙雲は笑いながら、上着の内ポケットから折り畳まれた書類を取り出し、俺に見せてきた。
 履歴書に似ていたが、写真が貼ってないし、少し様式が違うような感じだった。
「これは、社員の個人情報を会社側が把握する為に書かせる書類です。保険証とか、給与に関する手当てとか、そういうものに使うのですが」
 個人情報なら、見たらまずいのではないかと俺は趙雲を伺った。
 趙雲は可笑しそうに笑って、ある欄を指差した。
「貴方は、いいんですよ、ほら」
 何がいいんだろうと思いつつ、趙雲の指先が指し示す文字に目を向ける。
「……あ?」
 同居人の欄に、何故か俺の名があった。
 関係に関しては未記入になっていたが、何か書こうとして迷ったような黒い点が二つ三つ残っていた。
 慌てて名前を見ると、『馬超』となっていて、俺は危うく椅子からひっくり返りそうになった。
「馬鹿でしょう」
 可笑しくてたまらぬ、と言ったように趙雲は体を揺すって笑った。
「たまたま、人事部の人間が席を外していたので、手の空いていた私が応対したのですよ。まあ、あれは私のことなど欠片も覚えていませんでしたがね。それで……この書類を書かせていた時に、貴方の名前を書き始めて、関係の所で悩み始めて。私に何と言ったか、貴方に想像がつくだろうか」
 俺は、聞きたくない気持ちでいっぱいになりながら首を横に振った。
 しかし、趙雲は俺に聞かせたくてたまらないらしい。笑い声を潜め、真面目な面持ちで姿勢を正した。
「結婚するつもりなのだが、籍は入れられぬし、何と書いたらいいのだろう」
 俺は憮然とするのを堪えきれず、趙雲は笑いを堪えきれずに机に突っ伏した。ひぃひぃ笑っている。
 笑い過ぎだろう、と文句を垂れると、趙雲は目尻の涙を拭いつつ素直に謝る。
「まぁ、つまりそれで貴方の住んでいる所が分かって、会社を抜け出して駆けつけたというわけです」
 いいのか、と職場放棄を暗に詰ると、趙雲は澄ました顔でいいんです、と答えた。
「貴方の居場所がわかったというのに、呑気に仕事などしていられるとお思いか」
 趙雲は、ビールのお代わりを強請ってきた。ついでに何か軽く食べるものが欲しいと言う。
「夜中に食うと、太るぞ」
「貴方でも、いいですよ」
 食べたい、と言っているのだろうか。
 俺は、眉間に皺を寄せて趙雲を睨むと、カウンターに向かった。
 お姫様達の好奇心に満ちた視線を、敢えて気にしないようにして歩く。
 居心地のいい店だったが、そろそろ潮時かもしれない。
 内心舌打ちしたいのを堪えて、メニューを広げる。
 少し頭に来ていたので、ビールでなくスパークリングワインを、食べ物も二三品セレクトして、俺の分も頼んだ。


  

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