俺が家に戻ると、馬超はぐーぐー寝ていた。
 馬超が今安らかな眠りに就いているベッドで、昨日俺は趙雲に犯されたのだ。
 そう考えると、何だか不思議な気がした。
 亭主持ちの女が、旦那が会社に行っている時に浮気すると、こんな気分になるのかな、などと、俺は馬鹿なことを考えていた。
「…………?」
 視線のむずがゆさに起こされでもしたのか、馬超が眠い目を擦りながら起き出して来た。
「悪い、起こしたか?」
 本来なら馬超が寝ていていい場所ではないので、怒りこそすれこんな風に気遣う必要はない。
 ひょっとしたら、趙雲と肌を合わせた後ろめたさが不必要なほど優しくさせるのかもしれない。
 馬鹿馬鹿しい。
 俺は上着をクローゼットの中に投げ込み、固い肌触りのシャツを脱ぎ捨てた。
 背後から回ってきた手が、俺の体をまさぐる。
「……何やってんだよ」
 馬超の唇が項の辺りを這っている。
 それに顔を顰めながら、馬超の手を振りほどこうとする。だが、馬超の馬鹿力は寝惚けていても健在で、俺はただ身動ぎするに留まっていた。
 馬超の指が俺の胸を撫で回し、浮き上がった突起を指先でこねる。
「だから、何やってんだよ」
 尻に固いものを押し付けられ、俺は憤って暴れる。朝の生理現象だけとは言い切れず、仕事と趙雲のお陰でくたくたになっていた俺は、苛立ちを押さえられなくなってきた。
、したい」
 こいつは底なしか。
 ベッドの方に引っ張られ、倒される。
 まだ穿いたままのスラックスの上から、馬超が鼻先と唇を使って俺を昂ぶらせようとするのが見えた。
「お前、今日も会社だろうが」
「あぁ、だから早く済ます」
 戯言をほざく馬超を蹴り飛ばして、俺は立ち上がった。
 すぐに身を起こして、再度俺に飛び掛ろうとする馬超をいなし、そのパジャマの下だけを引き摺り下ろした。
 昂ぶっているものに指を絡ませ、口に含む。
 布に包まれていた独特の温さと湿り気があり、先端からとろりと汁が溢れた。

 片手を馬超の尻に回し、後孔を撫で回して刺激してやると、馬超の声が段々と上擦って艶めいたものに変化した。
 指をゆっくりと忍ばせると、一瞬痛みに体を揺らしたが、堪えて俺の指を受け入れているのがわかる。
 馬超の指が俺の髪や首を撫で回し、荒く吐く息が卑猥に思えた。
 わざと音を立てて刺激してやると、馬超のものは青筋をたててぴくぴくと跳ね回る。
 突き込んだ指を柔らかく動かし、馬超のいいところを探す。
「う、あっ」
 悲鳴のような声が馬超の口から漏れ、俺はその声で確信を得、そこを強く押したり撫でたりして刺激してやる。
 馬超が追い詰められ、俺の頭を抱え込んで痙攣している。
 俺が口をすぼめて吸い上げると、馬超は呆気なく弾けて終わった。

 馬超の分だけ朝飯を作り、俺は新聞を広げた。
 朝シャワーから上がった馬超は、濡れた髪を乱雑にタオルで拭きながら、テーブルの上を見渡す。
「……は?」
 俺の前にはマグカップに注ぎ込んだコーヒーが置いてあるだけだ。
 馬超は、俺と居る時は必ず俺と一緒に食事を取ろうとする。眠っていれば起きるのを待つし、
ちょっと思い出したものを買いに出かけ、先に食べてろと言っても、必ず俺が帰るのを待って食べ始める。
 おかしな習性だと思うが、さして害もないので放っている。
「俺は、朝から高タンパク質を摂取させていただいたので、結構です」
 嫌味を篭めて言うのだが、通じなかった。
 馬超は首を傾げただけで席に着き、手を合わせてからフォークを手にした。
 こういう時、馬超の育ちの良さが垣間見える気がする。
 俺の自慢のプレーンオムレツを口に運びかけ、俺の視線に気が付いた馬超は、フォークを返して俺に向けてきた。
 口でフォークに突き刺さったオムレツを受け取って、再び視線を新聞に落とした。
 何か面白かったのか、馬超は俺が顔を上げるたびに何かを口元に運び、俺がそれを咀嚼しているのをまた嬉しそうににっこにっこして見詰めていた。
「時間、いいのか。二日目で遅刻なんて、カッコつかねえだろ」
 わざと素っ気なく言うと、馬超は頷き慌てて食べ始めた。
 みるみる内に空になっていく皿に呆れつつ、俺はこれらの皿を洗った後の今日のスケジュールを考え始めた。

 またフォークが突き出されているのかと顔を上げれば、馬超のどアップがそこにあった。
 軽く唇を触れ合わせ、馬超が『美味かった』と笑って立ち去る後姿を見送った。
 朝飯のことだよな、と馬鹿みたいな確認をし、俺は柄にもない恥ずかしい遣り取りを思い返して赤面した。

 昼まで寝ようと横になったのだが、目覚ましのアラームが鳴る前に俺は目を覚ました。
 何で目を覚ましたんだろうと時計を置いてあるサイドテーブルを振り返ろうとして、何かに頭をぶつけた。痛くはなかったが、それなり固い感触だった。
 白いワイシャツのボタンが目に入った。
 え、と視線を上に向けると、趙雲が笑って見下ろしていた。
「寝てていいですよ。まだ、11時ですし」
 いいと言われても、この状況で寝ていられるわけがない。俺はすぐに覚醒し、趙雲の下から抜け出すように移動して座り込んだ。
「……趙雲、何処から入った?」
「玄関からですよ」
 鍵を、掛け忘れたのだろうか。
 いや、そんな筈はない。馬超を見送った後、確かに鍵を掛けた記憶がある。
「……合鍵、作った、のか?」
「はい」
 こともなげに頷く趙雲に、俺はぞっとした。
「……つったって、だってお前」
「いけませんか」
 もごもごとみっともなく舌の回らない俺の言葉を、趙雲は薄紙を裂くようにぴしりと切り捨てる。
 他人の家の合鍵を、何の了承もなく作っていいわけがない。それぐらいわからない趙雲でもあるまい。
 だが、趙雲のいつもの無表情に憤りめいたものを感じ、俺は言葉を失った。
 怒っていいのは俺だろう。馬超といい、趙雲といい、どうしてこうも常識がないのか。
「……普通は、そうなんじゃないのか」
「では、馬超は」
 ちょうど思い浮かべた名前を趙雲に指摘され、俺はびっくりして口篭った。
 その沈黙をどう捉えたのか、趙雲は俺にキスをすると、その勢いで押し倒してきた。
 ウエストのゴムを越えて滑り込んでくる手が、俺のものを柔々と揉みしだく。
 煽ろうとしているのが見え見えなキスに、俺は目を白黒させた。
 何だってこう、突然なんだ。
 腹が立つと、意外に冷静になってきた。
 趙雲の首に手を回し、唇を押し付ける。足を大きく開き、趙雲の体を引き寄せた。
 バランスを崩し、俺の上に雪崩れてくる趙雲を、俺は受け止め抱き締めた。
「何、怒ってんだよ趙雲」
 泣き崩れる子供にそうするように、とんとんと背中を叩きあやしてやる。
「怒ってなど」
「いるだろうよ」
 言い返そうとする趙雲の言葉に、俺は言葉をおっ被せた。完全に、立場逆転である。
「また仕事、抜け出してきたのか? 何かあったとかか? 嫌な上司に苛められたとか」
 呆気に取られた後、ぷ、と吹き出した趙雲が、肩を震わせて笑い出した。
 何かおかしなことを言ったかと考えるが、別に思い当たらない。
 やがて趙雲は俺の手の中から起き上がり、改めて俺に口付けてきた。
 偶然かもしれないが、それは朝、馬超が俺に口付けてきたのと角度も柔らかさも同じものだった。
 身を引いた趙雲が、柔らかく笑う。
「実は、会社に一人、嫌な奴がいまして」
 ふうん、と俺は曖昧に頷き、趙雲に話の続きを促した。
「仕事が出来ないくせに偉そうに踏ん反り返っているし、教えてやっても偉そうに頷いているし、先輩に対する礼儀はないし、他の上司とも初日から衝突するし、呑み会の時は隣に居合わせただけの私に、延々と恋人の自慢話をし続けるし、酔って絡むし、酔い潰れるし」
 いちいちそれらに頷いて、俺は心から趙雲に同情した。
「大変だなぁ、趙雲。生まれ変わってからも、馬超の世話か」
「えぇ、まったくうんざりですよ」
 そして俺達は顔を見合わせ、しばし相手を伺った後、盛大に笑い転げた。
 笑い過ぎて息が苦しくなって、目から涙が溢れても尚笑い続け、腹の底から愉快になって俺は趙雲を抱き締めた。
 喉の奥から、ひーひーと息が漏れている。
 相変わらずな馬超、想像通りの馬超が不貞腐れてこちらを見詰めているのを想像し、俺はまた吹き出した。
 未だ笑っている俺に比べて、趙雲はやっと一心地着いたようだ。俺の腹に頭を乗せて、目を閉じた。
 俺はなるべく腹筋を使わないようにしながら、趙雲の頭を撫でてやる。
 そうやっていると、俺もようやく落ち着いた。緩い空気が流れ、カーテンの隙間から差し込む昼の日差しも、夏の勢いを失って穏やかだった。
「……これからも、時々来ても、いいですか」
 趙雲が呟くように問いかけてきた。
 何気なさを装って、顔もこちらに向けてこない。それでも、俺の腰にしがみつく手が、緊張で強張っているのを俺は知っていた。
「いいよ」
 俺も何気なさを装って、何でもないように答える。
 趙雲の肩から力が抜けて、俺の腹に趙雲の重みが伝わってくる。
 そんなに不安だったのだろうか。
「ただし、店にはもう来んなよ。お前らのせいで仲間内に変な噂立てられるし、居辛いったらねーって。後、勝手に家に入ってくんな。せめて、俺を起こせ。普通にだ」
 お前、さっき何しようとしてたんだよと問い詰めると、キスです、と当たり前のように返ってきた。
 ホントにお前らは馬鹿だ。同レベルだ。
 言ったら怒るに決まっているから、言わないが。

 趙雲に呼ばれて我に返ると、キーホルダーの着いた鍵が差し出された。
 何処かで見たような、と首を捻る。
「馬超に、返しておいて下さい」
 あぁ、と俺は理解した。これは、馬超が持っているうちの鍵だ。通りで見たことがあるはずだ。
 酔い潰れて送った時、うっかり持って帰ってきてしまったという。
「趙雲が返せばいいじゃないか」
「嫌です。第一、どうしてここがわかったか、説明が思いつきません。ここがわかりにくいのは、が一番よくわかっているでしょう」
 細い路地をくねくねと入り込んだ先にうちはある。
「お陰で、合鍵作れたんですけどね。とにかく、が返して下さい」
 口を聞くのも嫌だなどと我がままを言う。話を聞いた限りでは、趙雲が馬超の指導役のようなのだが、なんとも大人気ない話だ。
「返せったって……俺、今日も店があるし……第一、会社が何処にあるか知らない」
 近くですよ、と趙雲がポケットから名刺を取り出した。
「ここから電車で四〜五駅、車なら十分か二十分で着きますよ。そこに電話をくれたら、私が手配しますから。何時くらいに来られそうですか。予定を空けておきます」
 趙雲の言葉は、俺の耳にはやたらと遠くに感じられた。
 白い角い名刺には、『K.A.N』と……馬超の親父さんが乗っ取りに遭い、自殺するというところまで追い詰められた、馬超にとっては親の敵でしかないはずの企業の名前が載っていた。


  

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