押し問答の末、結局俺は馬超の会社に行かざるを得なくなってしまった。
 会社の前でうろうろしている俺を趙雲が見つけ、事情を聞いたら馬超の同居人だったとわかり、趙雲は会社の先輩として取次ぎしてくれるという段取りである。
 何でそんなしち面倒臭いことをしなければならないのかと俺はだらだら不平を垂れ流した。
「そうしたら、馬超に貴方と一緒にいるところを見られても大丈夫になるでしょう?」
 要するに。
 趙雲は俺と知り合い以上の関係であることを、公認ならぬ『馬認』させたいらしい。
 少なくとも、俺と会っていることを隠しておきたくないと思っているようだ。
 後ろめたいからかと思えばそうではなく、何で馬超『なんか』に黙って会わなければならないのか納得がいかないのだそうだ。
「別に、貴方は奴の持ち物だというわけではないでしょう」
 それはそうだが、馬超が強硬に俺を自分の愛人だと言ってきかない点は黙っていた。余計な騒ぎになりそうだと思ったのだ。
 眠い目を擦って電車に揺られていると、目的の駅にはすぐ着いた。

 改めて会社の正面に立つと、その大きさに圧倒される。大きいなんてもんじゃない、駅前によくこれだけの建物と土地を用意できたなと感心するほど、『K.A.N』は巨大な企業だった。
 玄関は三階分が吹き抜けになっているのがガラス越しに透けて見えている。
 その中を大勢の人間が行ったり来たりしていた。スーツ姿の人間も多いが、私服の人間も割合多い。その落差の激しさが、あたかも小さな街を思わるようだった。
 俺は打ち合わせ通り趙雲に電話をかけた。
 コール三回で切る。これが合図だ。
 俺は警備員が訝しげにこちらを見ている気がして、慌てて正面玄関から少し脇に逸れた。
 と、地下駐車場の出入り口だったらしく警告音が鋭く鳴り響き、俺は慌てて後ろに後退った。
 会社勤めの人間が乗っているとは思えない、豪華な黒塗りの車が飛び出してきた。リムジンという奴だろう、誇らしげに輝くエンブレムは某外車のソレで、俺はずいぶん儲かってんだなぁと庶民的な感想を思い浮かべるに留めた。
 正面玄関前で急に止まったから、誰かを迎えに出て来たのかもしれない。地下駐車場があるんだから、わざわざこんなところに止めて待たなくても、直接乗り込めば良さそうなものだ。
 俺が何気なく玄関を見遣ると、こともあろうに馬超が飛び出してきた。
 まさか、と俺が目を見開くと、馬超は俺の姿に気付いたらしく駆け寄ってきた。
 馬超を出迎えに出てきたのではないらしい。
 俺は何となく安心して、人前にも関わらず抱きついてきた馬超を押し留めるのを忘れてしまった。
 思い切りハグされて、眉を顰めるのが精一杯だ。
、こっちだ」
 中に連れて行こうとするので、慌てて振り払おうとするが、馬超は構わず俺を引き摺って歩く。何度も言うが、馬鹿力なのだ。
「中に喫茶室があるから、コーヒーでも飲もう」
「俺、部外者だろ」
 これだけ大きい会社ならそんなものもあるのだろうが、大概の会社は部外者立ち入り禁止だろう。
 俺が難色を示すと、馬超は自信満々に笑った。
「大丈夫だ、は俺の関係者だからな」
 何が関係者だ。呆れ返って物が言えない。
 そのままずるずると引っ張られて行った。

 落ち着いた調度品とよく手入れされた植物が絶妙に配置され、各テーブルの客達が不必要に顔を合わせないようにされている。
 大企業だと、喫茶室まで金をかけて作られるらしい。
 喫茶室とは言っても普通の喫茶店とそんなに変わらない。注文する時に社員証と思しきカードを提示しているくらいしか差はない。それをカードリーダーに通して返却される。
「給料から天引きされる仕組みだ」
 馬超はカードをひらひらさせると、楽しそうに笑った。
 その顔に、嫌々働いている苦痛は感じられない。
 ただ、そわそわと誰かを待っているようではあった。
 趙雲かな、と何となく思った。そう言えば、趙雲はどうしたのだろう。
「……何で俺が会社の前に居るってわかった?」
 名前を出すのはまだ早いと思って、俺はさりげなく聞き取り調査を開始した。
 馬超は、一度目は俺の言葉を聞いていなかったらしくきょとんとし、再度繰り返した言葉でようやく返答した。
「趙雲が……あ、俺のいる部署の人間なんだが、と友達なんだってな」
 凄い偶然だな、と笑う馬超に、俺も併せて無理矢理笑った。そういうことになったらしい。
「そう、で、その趙雲が、お前が下に居るって教えてくれてな。出て来た」
「……趙雲は?」
 俺が尋ねると、どうも出ようとした矢先に得意先からの電話に捕まったらしく、それで馬超に迎えに来させたらしい。
 となると、詳しい『設定』は馬超も知らないとみていいだろう。電話の合間にそれほど細かい話ができたとは思えない。
「趙雲とは、何時から?」
「結構、前。最近は全然会ってなかったけど、こないだ会って、それで」
 嘘は、ついてない。本当のことでもなかったが。
 しかし、馬超は俺の説明に納得したらしく後はもう興味を失くしたようにまた落ち着きなくそわそわし始めた。
 俺は届けられたコーヒーを啜りながら、時計に目をやった。もうそろそろ五時になる。
「馬超、コレ」
 鍵を差し出すと、馬超の目が点になる。慌ててスーツのポケットをごそごそやり始めた。
「何処にあった?」
 やはり自分のだと確認すると、馬超は恥ずかしそうに鍵を手に取った。
「家」
 嘘じゃない。『趙雲から家にいる時預かった』の略だ。
「……落としたか知らんが、覚えがないな。昨夜はだいぶ呑んだし……そう言えば、朝もが見送ってくれたから鍵は使わなかったな」
 では、趙雲に送ってこられたことも覚えていないのかもしれない。呆れて馬超を見遣ると、馬超は肩を竦めて不貞腐れたように俺を見上げた。鍵を失くしたことを詰られているとでも勘違いしたのだろう。
「じゃ、俺帰るわ」
 今帰れば、少しは眠れる。朝から馬超のお守りはするわ趙雲に苛まれるわで、くたくただった。
 と、何故か馬超が慌てて俺の手を掴む。
「も、もう少し、。もう来る筈だ」
「来るって」
 趙雲なら、別に今顔を合わせる必要もない。むしろ合わさずに済むなら、そちらの方が有り難かった。
「とにかく、もう少しだけ座っててくれ」
 あまりに必死な様子に、俺は嫌な予感を覚えた。馬超が趙雲と俺をここまで会わせたい理由がないし、と言って趙雲との関係がバレたという感じでもない。
 ということは、来るのは趙雲じゃない。
「……帰る」
 馬超の一瞬の隙を突いて振り払うと、俺は踵を返した。
 その進路方向に、温厚な微笑を浮かべた男が立っていた。
「遅れてしまって、申し訳ない。馬超、こちらが例の?」
だ」
 ほっとしたような馬超の様子に、何故だか無性に腹が立つ。
 不機嫌を露にする俺の手を、馬超は改めてしっかりと掴み隣に座らせてしまう。さっきまで俺が
座っていた席にその男が座り、コーヒーを三つ注文した。
 しっかり俺の分まで頼まれてしまったことで、俺は諦めの境地に追い込まれた。体から力を抜くと、馬超は様子を伺うように俺の顔を覗き込む。鬱陶しくて視線を逸らした。
「……申し訳ないんですが、俺にはまったく事情が見えてないんですが」
、こちらは」
 馬超が口を開きかけるのを睨むことで制して、俺は視線を戻した。
 白い肌に黒々とした目だ。よく見れば物憂げにも見える。温厚な微笑が寂しげにも見えるから不思議だ。こういう人は、その気になれれば物凄いホストになる。
 逸材だな、とこっそり思っていると、コーヒーが届いた。
 空になったカップは片付けられ、仕切り直しと言う空気が強くなる。
「申し遅れた、私は劉備。このK.A.Nで、TEAM蜀を取り仕切っている」
 チーム?
 何のことかわからず隣の馬超を振り返る。が、説明は劉備さんがしてくれた。
「この会社は少し独特の形式で業務に当たっていて……そう、TEAMという会社が寄り集まってK.A.Nという企業ができている、と言えばわかりやすいだろうか」
 なるほど。
 これだけ巨大な企業だと、そういう形態の方が案外やりやすいのかも知れない。俺は会社勤めしたことはなかったのでよくわからなかったが、想像でいいならそう思う。
「……じゃ、劉備さんはそのTEAMの責任者の一人なんですね」
 言うなれば社長だ。
 その社長が、俺に何の用なんだろう。
 と、馬超が俺の手を掴んだ。
。劉備殿は俺の父親とも親しかった人でな、俺の就職にも何くれとなく世話を焼いてくれた」
「……ふぅん」
 それ以上何も言いようがない。俺が『その節は』等と礼を言うのもおかしな話だし、そも俺とは何も関係ないではないか。
 俺の反応をもどかしいとでも思ったのか、馬超はますます力を篭めて俺の手を握る。
「だから、だから。ここに勤めるといい」
 は?
 いきなり話が飛んで、俺は頭の中が真っ白になった。勤めるといいって、この喫茶室の話か。
 それとも、まさか。
 救いを求めるように劉備さんを振り返ると、劉備さんはまるで仏のような慈愛に満ちた目で俺を見詰めた。
殿さえ良ければ、私は何時でも歓迎しよう」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 俺の慌てぶりに二人は首を傾げる。傾げられても困るのだ。
「別に俺は再就職先を求めに来たんじゃないんです、ただコイツが鍵を忘れたから届けに来ただけで」
 劉備さんが馬超に目を向けると、馬超はこっくり頷いた。が、余計なことをぺらぺら喋りだす。
「こいつは今、ホストをやっているんだ。俺は、それを辞めさせたい。だから、劉備殿にお願いしているのだ」
「バッ……」
 決してこんな所で胸張って言える職業ではないと思う。最近は認識が変わってきているようだが、俺は下手に面白がって受容されるより放っておいて欲しい方だ。女の子を食い物にしているホストも居ないではない。夢なんだ、ちゃんと虚構だと認識して欲しいと思ってしまうのだ。
 正義感とかではなく、単に俺の罪悪感の問題かもしれない。それこそ夢と現実をごっちゃにさせるような、程度の低い仕事をしたくないというあからさまな虚栄心もあるだろう。
 羞恥する俺を、劉備さんはやはり優しい眼差しで見詰める。
「ホスト、というとどうしても夜の仕事になるのだろう。きつい仕事ではないかと思うのだが……店を持つとか、何か夢でもあるのだろうか?」
「……いえ……」
 ただ単に自分に向いていると思ってやっているだけだ。正直、やりたいと意気込んでやっているわけではない。
 劉備さんは、何か考えるように目を伏せ、すぐに上げた。
「私は、実を言うとホストと言う職業は詳しくない。けれど、接客業の一つだと言うことくらいはわかっているつもりだ。我が蜀の主力商品は、中高年以上を対象にしたものが多い。乱暴な話かもしれないが、君の接客のスキルは我が蜀の力になると、私は思う」
「ちょっ、ちょっと待って下さい」
「いや、すまないが最後まで言わせて欲しい。我が蜀は、こう言っては何だが人に向けてアピールすることのできる人間は少ない。皆、真面目で勤勉なのだが、それだけではいけないのだ。ただでさえ複雑極まりない、人生の機微を極めた年代の心を掴むのは難題なのだ。ここら辺りで、何か新しい切り口で物事を考えられる人間が欲しい。これは、私の切実な願いだった。だからもし、殿さえ良ければ私は」
「いや、ですから!」
 俺は職を求めに来たわけではないのだ。そんな風にまくしたてられても困る。
 困惑しているのが伝わったのか、劉備さんは少し恥ずかしそうに顔を赤くした。色が白いからよくわかる。
「も、申し訳なかった……しかし、私は何時でも歓迎する。そのことを、どうか覚えていてもらいたい」
 劉備さんは、ふと時計を見て慌てて立ち上がった。
「すまないが、この後会議が入っている。これにて失礼するが、話の続きはまたいずれ」
 いずれ、また?
 冗談じゃない、この場できちんと諦めてもらわねばと慌てて声掛けるが、劉備さんは急いでいて聞こえなかったらしく、さっさと走って行ってしまった。
「忙しいからな、大徳殿は」
 他人事のようにしゃあしゃあとしている馬超に、俺は思い切り冷たい視線を向けた。
 誰が原因だと思っている。
「なあ、。ここはやりがいのある職場だぞ」
 そんなことを言う。
 こいつの為にやきもきしたのがアホみたいだ。
 馬鹿馬鹿しくなって、コーヒーを一気に煽る。
 劉備さんに熱気を吸い取られでもしてしまったのか、冷めて、冷たくなってしまっていた。


  

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