「それもです」
「は?」
 脱げと言われてジャケットを脱いだ。
 シャツも、と言われてシャツを脱いだ。
 アンダーシャツもだ、と言われて何となく納得し難いながらも脱いだ。
 下も、と言われて甄姫がいると抵抗したが、半ば無理矢理脱がせられた。
 靴下さえ脱がされて、パンツ一枚になった挙句に言われたのが、冒頭の台詞だ。いい加減にしろと怒り出したっておかしくはあるまい。
 けれど、張郃は俺の憤りになど構った節もなく、俺が脱がないと見るや自ら剥ぎに掛かった。
 抵抗は試みたが、どんな手管かあっという間に脱がされてしまう。
「ちょ、ちょっと……」
 部屋の中とは言え、やたらとでかい窓を遮るものは何もない。
 眼下に広がる街並みを前に、こちらは生まれたままの姿という状況は開放感よりも羞恥心を限りなく煽り立てた。
 情けないとは思うのだが、体は自然に縮こまり、手は股間を覆うように押さえている。
 そんな俺の様を、張郃は繁々と観察していた。
 手にしていた人のパンツをぽいっと投げ出すと、またつかつかと俺の元へとやって来て、俺の手首を捻って股間から引き剥がす。
「ちょっ」
「そのまま」
 無理に体を引っ張り上げ、背筋を伸ばさせると、張郃は俺の体をじろじろと不躾に見まくっている。
「この姿勢で立っていてもらえませんか。少しの間だけでも構いませんので」
「何で俺が、そんなこと」
 当然と思われる質問に、張郃は世も末と言わんばかりに深々と溜息を吐いた。
「本当に、少しで結構ですから……貴方、ホストだったのでしょう?」
 だったら尚更だ。商売道具をむやみやたらとお披露目できるものか。
 俺の主張に、張郃は成る程、と呟き、床に下ろした鞄の前へと座り込んだ。
 何をしているのかと思ったら、財布を取り出しているのを見て眩暈を覚える。
「如何ほど支払えばよろしいでしょうか」
「……もう、結構です」
 勝手にしてくれ。
 張郃は、俺の嫌味に怯むこともなく嬉しそうに笑い、本当に遠慮なく俺の体を観察し始めた。
 溜息しか出ない。
 少しだけ触らせてくれと請われ、×××に触らないなら、と注文を付ける。
 本気でどうでもよくなりつつあった。
「触りませんよ、そんなところは」
 言いながら、張郃は俺の体に手を這わせた。
 顎を取って顔の角度を変えてみたり、肩から二の腕へと指を滑らせる。胸の筋に沿って手のひらで撫でてみたり、腰の辺りを掴んでみたりと忙しない。
 少なくとも、『少し』という触り方ではなかった。
 足の甲まで撫で回すと、張郃はやっと満足したのか立ち上がった。
「分かりました」
 何が分かったのかさっぱり分からない。
 張郃は上機嫌で鼻歌なんぞ歌いながら、ハンガーラックからスーツを二着選り分け、スーツバッグの包みを剥ぐ。
 一着は限りなく黒に近いシンプルなタキシード、もう一着は一見黒に見えるが、光の反射で微細に変色する布を使用したタキシードだった。
 俺に向けてその二着を翳すと、張郃は黒い方をラックに戻してしまった。
「こちらに致しましょう!」
 俺の希望は聞く気がないらしい。
「普通、礼装ったら黒なんじゃないんですか」
 一応正論で抗ってみるが、張郃にはさっぱり通じなかった。
「そんなの、詰まらないでしょう」
 即座に却下を食らう。
 張郃は鞄の中からウィングカラーシャツ、蝶ネクタイ、靴下、エナメルの靴まで取り出してきた。でかい鞄だとは思ったが、こうなると逆によく入ったなと感心したくなる。
 鼻歌を続けながら包装を剥ぎ取っている張郃に、俺は躊躇いつつも申告する。
「……いい加減、人の下着を返しちゃもらえませんか」
 寒いし、落ち着かない。
 張郃は、不満げにええー、と返して寄越した。
「もう少しくらい、目の保養をさせて下さい」
 訳が分からん。
 ここは甄姫の部屋なのだし、いつ彼女があの扉を開けて出てくるかも知れない。素っ裸で居ろ、と言うのが酷だ。
 が。
「あら」
 蝶番が微かに軋む音と共に、部屋の主の声と思しき声がした。
「張郃殿、こちらは頼みましてよ。私はこのまま式に向かいます」
「かしこまりました」
 心配した途端、当の本人が現れた。絶句してしまう。
 裸で硬直している俺を他所に、二人の会話は続く。

 と思ったら、唐突にお鉢が回ってきた。
「……こちらを。貴方、どうせお持ちでないでしょう」
 テーブルの上に置かれたのは、祝儀袋だった。確かに持ってないし、持ち合わせもない。袱紗も添えられていて、至れり尽くせりだ。
 礼を言うような状況でもないので、頭を下げるしか出来なかった。男としてどころか、人間としても扱ってもらってないことが良く分かった。
 甄姫はそのまま出て行ってしまった。
 廊下の向こうに甄姫の姿が消えた後、ぱたん、と軽い音が響く。
「……二人きりですね」
 ふふ、と張郃が怪しい笑みを漏らす。
 ぎょっとして身を強張らせると、張郃はけたけたと笑い出した。
「冗談ですよ、じょ・う・だ・ん。……貴方はやっぱり、真面目でお堅い人柄なのですねぇ」
 からかい甲斐があると言われて喜ぶ人間が居たらお目に掛かりたい。関わり合いには、なりたくないが。
「はい、どうぞ。こちらを着けて下さい」
 張郃が差し出したのは、一瞬女物のショーツに見えた。
「……ビキニ?」
「フルバックですから、それ程気にはならないでしょう?」
 それはそうだが。
 黒ではあっても、ラメでも混ぜ込んだような光沢ある生地といい、サイドが紐状になったデザインといい、到底俺の好みではない。少なくとも下着に関しては、俺は割と普通の趣味をしていると思う。
「……俺のじゃ、まずいんですか」
 俺が穿いていたのはダークグレーのボクサーパンツだ。丈が長い訳でもなし、アウターに響くということもない。
「駄目です」
 あっさり却下された。
「何でしたら、私が穿かせて差し上げましょうか?」
 はい、とビキニを広げられる。
 本気で穿かせて差し上げる気だと悟り、俺は無言でビキニを取り上げた。
 張郃に背中を向け、急ぎ穿いていると、つまりませんねぇ等という戯言が溜息と共にほざかれる。
 魏というTEAMは、こんな奴らばかりなのだろうか。
 出来得ることなら金輪際、お付き合いは御免被りたいと思った。

 タキシードを着込むと、張郃は俺の周りをぐるぐると回った。
 満足そうに頷くと、また脱げという。
 げんなりした顔を見せると、裾上げをするのだと笑われた。
 そう言えば、裾処理がされておらず、ひらひらとした布地を踏ん付けている状態だ。
 張郃は俺の足元に屈むと、手早く裾を折り曲げて待ち針で留める。デザイナーというだけあって、手馴れていた。
 俺がスラックスを脱いで渡すと、張郃は鞄の中から裁縫道具を取り出し、手早く裾上げを始める。
 あっという間の早業だった。
 両裾を縫い上げてしまうと、今度は小さなアイロンを取り出し、当て布を被せて綺麗にプレスする。
 本当に、何が何処まで入っているか知れない鞄だ。
 それが済むと、俺を振り返って手招いた。
「私達はまだ時間がありますから、それまでは着替えておいでになると良いでしょう」
 皺になってしまうからと言われ、俺も素直に従った。
 張郃は、やはり着替えている間中も俺をじろじろと睨め回す。何が楽しいのか知れなくて、気持ち悪いぐらいだ。落ち着かなくて嫌になるが、ひょっとしたら張郃はその手合いの趣味の持ち主なのかもしれない。何せ、いきなりキスしてくるぐらいだ。そうでない方がおかしい。
「私の着替えを取ってきます。、ルームサービスでコーヒーを頼んでおいてくれませんか」
 甄姫の部屋なのに、勝手に注文していいのか。
 俺の疑問に、張郃は微笑みで答える。
「あの方は、そんなことは気になさいませんよ。私の分と貴方の分。よろしいですね」
 オートロックだから、一人が残っていないと入れなくなる。
 自分が戻ってきたら開けてくれと言い残し、張郃は車に置いてきたと言う自分のタキシードを取りに行ってしまった。
 一人で残されて、今更ながらに疲れ切っていることに気付かされる。
 よくよく考えると、俺の周囲を取り巻く人間はえらくマイペースな人間ばかりになっていた。振り回されて、心の安らぐ暇がない。
 くだらないことを考える暇がないとも言えたが、前の自分はもう少しのんびりしていたように思う。
 ふと、前の自分というものがよく思い出せなくなっていることに気が付いた。
 『馬超』と出会う前の俺は、何を考え、何を思って生きていただろう。
 何も考えていなかったからかもしれない、と思った。
 何も考えていなかったから、何も思い出せないのだ。
 では、今はどうだろう。
 今の俺は。
 顔が焼ける。
 一瞬過った阿呆な考えを振り切り、俺はルームサービスの電話を掛けた。
 コーヒーを二つ、張郃の命令どおりに注文すると、テーブルの上に残された甄姫の食べ残しを片付ける。
 ワゴンに乗せて置けばいいか、と皿やグラスを手に取ると、テーブルの隅に甄姫が置いていった祝儀袋が目に入った。
 手に取ると、わずかながらに重みを感じる。
 金糸銀糸で飾り立てられた祝儀袋は、厚みのある和紙で仕立てられていて見るからに豪華そのものだ。
 曹丕程の立場ともなれば、突然祝儀を渡さなくてはいけないこともあるだろうから、甄姫も常にこの手の備えをしているのだろう。
 中身をどれくらい入れたらいいだろうか。
 財布の手持ちは心許なかったが、一応生活費兼ねて五万程度は入っていた筈だ。
 帰りの電車賃はカードで何とかなるから、手痛いけれども全額突っ込んでしまおうか。
 でなければ、曹丕という奴に対しての祝儀の額には到底似つかわしくなさそうだった。
 要は気持ちの筈だが、殊、曹丕に関しては気持ちなんて甘い言葉は通用しそうにない。
 よし、と中袋を取り出す。
 何故か重い。厚みもあって、どうやら中身は既に詰め込まれているようだ。
 どういうことだと袋に目を遣る。
 『金参拾萬円也』と記されていた。
 目を疑った。
 もう一度、目をよく瞬かせてまじまじと見る。
 しかし、黒々とした墨で記された文字は変わらず『金参拾萬円也』と記されている。
 誰かと何かで間違えたのか。
 咄嗟にそう思い付き、中袋を引っ繰り返す。
 そこには、俺の名前と住所が細い手で記されていた。何度見ても、やはり俺の名前で住所だ。
 表書きも、やはりそうだった。俺の名前が綺麗に記されている。
 では、やはり手違いでも勘違いでもなく、甄姫は徹頭徹尾俺に三十万出させるつもりでこの祝儀袋を用意した、ということになる。
 嫌がらせか。
 俺は眉間に深い皺を刻み付け、この祝儀袋を如何にすべしか悩み続けた。

  

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