張郃の戯言に付き合って時間を浪費し、散々ぱら『真面目』の『頭が固い』の囃されて、疲れ切った頃に式場に向かった。
 仕度で着替えている最中も誰はばかることなく(と言って部屋には誰も居なかったのだけれど)まじまじと観察され、鳥肌が立つような思いをした。
 張郃の目は、俺が言うのも何だけれど異常に分かり易い。
 うっとりとして、如何にも美味そうな獲物として見られていると察しが付く。
 俺の意図がどうであれ、もしも誘い掛けたならば何の躊躇いもなく乗ってきそうで、しかもその想像はやけにリアルで憂鬱になった。
 式の控え室に充てられているというフロアには既に何人かが集まっており、そこここのテーブルに腰掛けウェルカムドリンクが振舞われていた。
 普通、ウェルカムドリンクなんてものは披露宴前がせいぜいで、式の前に振舞われることは少ないと思う。
 しかしさすがに曹丕の式と言うべきか、だだっ広いフロアの片隅には重厚なたたずまいのバーカウンターが設置され、各ドリンクはカウンターに並べ置かれることもなく正装したボーイが銀盆に乗せて配り歩くという念の入れようだった。
 俺と張郃がフロアに足を踏み入れると、頃合を見てボーイがするりと近付いてくる。
「本日は真におめでとうございます。ご友人の方がいらっしゃいましたら、そちらのテーブルにご案内いたしますが」
 来る客来る客にいちいち挨拶をしているものらしい、そんなことは初めてだったので、俺は一瞬口篭った。
「有難う、ですけれど、私達は二人で結構ですよ」
 張郃が代わりに返答すると、ボーイはすぐに俺達を案内して窓際の二人席へと誘った。
「式までにはまだお時間がございます。お飲み物など如何でしょうか」
 如何と言われても、何があるかも分からない。
 俺がまごついているのを察してか、席に案内したボーイが目配せすると、今度は銀盆を携えたボーイが素早く近寄ってくる。
「お好みのお飲み物がございましたら、どうぞ」
 片膝を付いてうやうやしく銀盆を差し出すと、種類ごとに列に並べたドリンクの説明をしてくれる。
 並んでいるのはすべてカクテルで、スタンダードなものから聞いたことも無いオリジナルカクテルまで様々だ。
「もし、お好みのものがなければバーテンダーに作らせます。お申し付け下さい」
 オールフリーのウェルカムドリンクなど聞いたことが無い。
 いったい幾ら掛かるのかと考えてみるけれど、想像も付かなかった。
 折角だから、綺麗な薄緑色のグラスを選んだ。午後の陽光に透かすと、淡い緑に光が灯って美しかった。
 張郃はマティーニを選び、ボーイはしずしずと下がっていく。
「式の前から飲んでもいいもんですかね」
 ちびりと舐めると、軽やかな甘みと同時にさっぱりとした清涼感が口の中を満たす。
「飲み過ぎて箍を外し、狼藉を働くような醜い者は呼ばれておりませんよ」
 上流階級のご大層なお方々が招かれているということだろうか。
 けれど、俺が見回した限り、厳つく強面な男達がやたらと目に付く。とてもじゃないが、セレブとは言い難いようなお歴々だ。
 張郃がくすりと笑い、それで俺も不躾に辺りを見回すのをやめた。向こうからしたって、はてこいつは何者かといぶかしんでいるに違いないのだ。あまり悪目立ちするのもよろしくない。
「ほとんどが、TEAM魏の社員だそうですよ」
「……はぁ、それは」
 珍しいような気がする。
 普通、式に呼ぶのは親族友人などが主ではないだろうか。
「親族と言っても、曹丕殿の父君に当たる曹操様は元より、皆TEAM魏に所属しておりますしね」
 決して親族が仕切っている訳ではない、良い証拠に親族だろうが何だろうが、仕事をこなせない者は転属なりクビなりの処置を受けている、と聞いてもいないことを付け足される。
 張郃は、TEAM魏の『君主』たる曹操にえらく心酔しているようだ。
 俺としては、何度も繰り返すがTEAM魏と関わり合いになるつもりがないから、どうでも良かった。
「友人と言う括りで招くと、後々騒ぎになりかねませんしね。社員を中心に招くということで、納得させたようです」
 放っておくと、自称友人が引きも切らない。仕事の関係もあり、全員招くか全員招かないかの二択しかなかったそうだ。
 で、結果的に披露宴の方で『全員招く』ことにして、三百だか四百もの席数を用意することになったらしい。
 なら、一人ぐらい居なくても良いんじゃないだろうか。
 こっそりろくでもないことを考えていると、張郃がにやりと笑う。
 見抜いているぞと言わんばかりで、俺は肩をすくめた。出るには出るつもりではある。妄想ぐらいは勘弁して欲しいところだ。
「席、同じだといいですね」
 良くはないが、他に知り合いが居るとも思えない。
 一人で黙々と料理を平らげるのと、張郃に弄られるのではどちらがマシだろう。
 グラスを空けてテーブルに下ろすと、早過ぎず遅過ぎずの絶妙の間を空けてボーイがやってきた。
「お飲み物のお代わりは如何でしょうか。ノンアルコールのものやソフトドリンクもご用意できますが」
 さすがというか、ホストも目じゃない接客振りだ。現役の頃なら参考にさせてもらったかもしれないと思う程、心地良いもてなし様だった。
 何か軽いものをもう一杯、と注げると、張郃が横から口を挟んだ。
「アドニスを、私とこちらの分も」
 ボーイが頭を下げ、去っていく。
 張郃は悪戯っぽく微笑み、ぴったりでしょうと小首を傾げた。
 俺もあんたも、『美少年』て年じゃないだろう。
 突っ込むのも面倒で、俺はそっぽを向いた。

 ホテルに併設された教会は、目玉だというだけあって立派なものだった。
 白で統一された内装は、しかし光の屈折か照明の色合いのせいなのか、厳かな光に満ちて色がもたらす軽さはない。
 大きな十字架の周りには細かな彫刻が施され、太い石柱の装飾と相まって美しかった。
 黒に近い深い色合いのベンチは赤いバージンロードを際立たせ、壁際に埋め込まれるように置かれたパイプオルガンの渋い金地は目立ち過ぎもせず静かに光を弾く。
 永遠の愛を誓うに相応しい荘厳な空気が在った。
 女の子には溜まらん式場なのだろうと思って、ふと隣を見遣ると、張郃が胸の前で手を組んで目を輝かせていた。
 身長にして190を越えるだろう男がそんな真似をしても可愛くも何ともない。
 見なかったことにして目を逸らすと、張遼と目が合った。
 相変わらず物静かで近寄り難い雰囲気の男だが、その隣に隠れるようにして小柄な男がもう一人立っている。
 気が付いた途端、手のひらにじわりと汗が浮いた。
 小柄だが、その体から放たれる威圧感が物凄い。
 視線を外してくれないかと心底怯えた。
 俺の方からでは、もう外せなくなってしまっていたのだ。魅入られたように男と視線を絡ませ、立ちすくんでしまう。
 視界が、何かで急に塞がれた。

 からかうような声音は、張郃のものだった。
「私以外の人を見ているなんて、いけないひとですね」
 金縛りが解けて、俺は張郃の手を振り払った。
 顔が無意味に赤い。
 俺の手を引き、張郃はさっさと席に着く。前から三番目という位置に、その存在自体が微妙な俺が尻込みする暇もない。
 普通、前の方に座るのは親族なのではなかったか。
「もっと後ろに」
 文句を言おうとしたが、張郃は笑って遮ってしまう。
「駄目です、貴方もいい加減に理解なさい」
 何を理解する必要があるというのか。
 何処に座ろうが浮いた存在だと言うなら、とっくに理解している。
 分からないながらも分かった振りをして、俺の手首を掴んだまま離そうとしない張郃の手を振って外せと無言で訴えた。
 張郃は唇を尖らせ不満そうだったが、渋々外してくれた。
 ああ、疲れるな。
 教会と言う場所柄、溜息は控えめにせざるを得ない。
 パイプオルガンが鳴り響き、牧師が登場すると、その後ろに曹丕が着いて来る。
 白のフロックコートは真新しいが、着られている感じはまったくしない。まるで普段着のように着こなしている辺りはさすがと言うより他ないだろう。胸元の青い花が、曹丕の美々しさを一層引き立たせている。
 それにしても、全然緊張している様子がない。
 曹丕らしいのだろうが、何だかなぁとも思う。
 新婦入場の為、起立を請われた。
 重たげな扉が開き、美しい花嫁の姿を恭しく人々に公開する。
 幅広のレースが施されたベールは花嫁の顔を隠してしまっていたが、艶やかに輝きその神秘性を増させている。
 ドレスは部屋に置かれていたものとは違って、ビスチェタイプのマーメイドラインだった。後ろに長くトレーンを引き摺っているのを、金髪碧眼の可愛らしい男の子と女の子がその裾を持ち甄姫の歩みを手伝っている。
 なだらかに流れるようなキャスケードブーケはバラや蘭、デルフィニウムの白と青をバランスよく配置している。華やかで気高く、甄姫に相応しかった。
 バージンロードの上をゆっくりと歩いていく花嫁は、何故か父親を伴っていなかった。
 不思議に思うものの、むしろそうして一人で歩む甄姫の姿は麗艶だった。
 曹丕が甄姫の傍らに寄り添い、賛美歌が朗々と流れる。
 単純なメロディーは仲間内の結婚式で慣れたもので、歌詞カードがあれば大抵何のこともなく歌えてしまう。
 牧師に促され皆が腰掛ける音に紛れ、張郃が『美しい歌声でしたね』と囁きかけてきた。
 有難うとでも言えばいいのだろうか。困惑したまま軽く無視する。
 式が進み、誓いの言葉と指輪の交換が済むと、誓いの口付けが交わされる。
 曹丕が甄姫のベールを捲り上げると、上気した頬の甄姫の顔が見えた。
 その目に涙が滲んでいる。本当に嬉しいのだろう、その目は曹丕にひたと向けられていた。
 口付けは、当然のように唇に落とされた。新婦新郎共に何の迷いもない。
 婚姻の成立が告げられ、再び賛美歌が教会に響き渡る。
 パイプオルガンの重厚な調べが二人の門出を祝福する中、新郎新婦は腕を組んで退場していく。
 参列者が起立して見送る中、曹丕が阿呆な真似をしてくれた。
 俺の顔を凝視したのだ。
 振り返らなくては見えなくなるぎりぎりまで、曹丕は俺の顔を見詰め続けた。
 許されるなら、俺は怒号をもって曹丕を打ちのめしただろう。
 バージンロードは席と席の間に設えられているのだから、当然参列者の中には曹丕の不可思議な視線に気付いた者がそれなり数居り、更にその内の何人かは曹丕が俺を見詰めていたことに敏く気が付いていた。
 その中には、先程の小柄な男も含まれていた。俺とほぼ対面に座っていたから、俺の顔を凝視するのに不都合もない。
 うわぁ。
 言い訳しようもなくて、俺は苦い顔をして俯いた。
 その俺に、張郃が耳打ちする。
「ね?」
 何が、ね、だ。
 どうも、張郃は曹丕が俺をガン見することを予見して席の位置取りを決めたようだ。少しでも見詰められる時間を減らそうと工夫してくれたのだろうが、俺に分かる筈がない。
 非常識な人間には非常識な人間の心情が理解できても、こちらは生憎ただの人だ。庶民なのだ。今日、改めて思い知らされた。
 曹丕が何を考え、何を仕出かすなんてことは俺には理解の範疇外だ。
 何も出来ないし、しようもない。
 ぐだぐだ思い悩んでいる内に外に出ろと促され、教会の前に並ばされる。
 フラワーシャワーでもやるのかと思ったら、何だか違う。三つ四つと手の内に押し込まれた薄いレース状の小袋は、複雑に織り込まれそれ自体が小さな花のようだ。その中に何か小さなものが入っている。
「パールシャワーですよ」
「ぱーるしゃわー」
 あまり聞き覚えのない言葉に首を傾げる。
「真珠を頭から降り注がれると幸せになれるという話だそうです。花嫁が出てきたら、投げて下さい」
 花や米の代わりに真珠を投げるのだと思えばいい、と続けられ、俺は絶句した。
「え、じゃあ」
 この中には。
「勿論、真珠が入ってますよ」
 事もなげに答える張郃に、俺は眉の根を顰めた。
 どうしたと問われる。
「……痛く、ないだろか、と」
 ぼそりと呟いた俺の言葉に、張郃が高らかな笑い声を上げた。
 周囲から注視される中、式場の人間が合図をする。
 扉が開かれ、新郎新婦が姿を見せた途端、歓喜の声が沸き上がる。
 青空の下、真珠を仕込んだレースの白い花が舞い上がった。

  

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