式と披露宴の間は一時間半空いていた。
 会場の都合かと思いきやそうではない。せめてそれぐらい時間を取らないと、到底受付が済ませられないと踏んだものらしい。
 早目にやって来る律儀な者も多いが、時間開始と同時に一斉に受付へ並ぶ訳だから、それ相応の手間が掛かる。
 お祝いの挨拶、祝儀袋の受け渡し、更に記帳。時間が掛からない方がおかしい。
 何でこういう時は筆なのだと決まっているのだろうか。譲歩してもせいぜいサインペンで、使い慣れている者の方が少ないだろうに。
 前の人の名前を擦らないように気を付けなくてはいけないから、余計に時間が掛かるのだ。
 曹丕はK.A.Nの、しかも中心と言っていいTEAM魏の常務を務めている。その関係か、せめて披露宴に呼ばないと角を『立てられる』人が多く、この人を呼ぶならあの人も、あの人を呼ぶならその人もと芋蔓式に増えていったとか何とか。
「曹丕だったら、面倒臭がって立食制のパーティーとかで済ませそうだけど」
 人付き合いの妙まで考えて披露宴をやるとも思えない。
 案の上、張郃は内緒だと前置きしながらも俺の言葉を肯定した。
「甄姫殿が、あまりにお悩みなのを見て取られたようで。いっそ、当日に来た者すべて受付するようにしたらどうかと仰ったそうですよ」
 張郃はくすくす笑っているが、俺は何だかげんなりした。
 本当にそんなことを言ったとは、さすがに思っていなかったのだ。
 現実問題、もし曹丕の言うやり方でやっていたら会場はパンクしていたに違いない。大挙して祝いに出向くことが、何よりの祝福の姿勢と取る者も多いのだ。
 実際、どうしても一言、直接お祝いに伺いたかったものですから、などと言えば、耳障りは悪くなかろう。
 相手が曹丕でないのなら、だが。
 曹丕はその手のおべんちゃらには飽き飽きしているし、どうもすべからく嫌悪して良いと勘違いしている節もある。
 本当にお祝いを言いに来た者の言葉も雑多な下心に紛れてしまうとしたら、気の毒な話だ。
 俺は張郃と連れ立って(張郃に引き摺られて)ラウンジでコーヒーを飲んでいた。
 受付前のロビーは既にごった返していて、並んで待つのが億劫だったのだ。
 最初の控え室も開いてはいるらしいのだが、受付を済ませた者や済ませる前の者でやはりごった返していて、何だか居心地悪くて近寄りたくなかった。名刺の交換会と化していて、名刺を持たずに来た俺としてはもしも話し掛けられたとしても非常に困る。
 受付終了間際に行っても却って混んでいそうだったから、何時に行ったものかと考え込んでいると、ふと、張郃が頬杖付いてこちらを見詰めているのに気が付いた。
 背後を覗いても誰も居ない。
 観葉植物の濃い緑の葉が隣の席との仕切りになっていたが、隣の席は空席だった。
「貴方を見ていたのですよ」
「……はぁ」
 穴が開きそうだからやめてくれとも言い難い。本当に思っていても、口に出していいことと悪いことがある。
「ああ!」
 張郃は突然、天を仰いで両手を掲げ、周りの人間がぎょっとするような恍惚とした声を上げた。
 俺も危うく手にしたコーヒーをテーブルにぶちまけそうになった。
「私の見立てに狂いはありませんでしたね! 、よくお似合いですよ!」
「……はぁ」
 度肝を抜かれた俺を意にも介さず、張郃は俺の着ているタキシードを如何に苦労してデザインしたか、如何に苦心して縫製を進めたかを熱心に語り始めた。
 デザイナーには、天性のセンスたらいう奴が必要だろうことぐらいは俺も理解しているつもりだ。
 でも、天性のセンスと引き換えに必要最低限な人間性を失うのはどうなんだろう。
 ここまで変わった男に会うことは、長年ホストをやってきた俺でも非常に稀だ。何と言ったらいいのだろうか。
 エキセントリックの一言で済ませてはいけないような男だ。
「これと言うのも、貴方がいけないのですよ!」
 びし、と指を突きつけられて、思わず仰け反る。
 コーヒーを幾らか飲んでおかなかったら、張郃苦闘の産物たるタキシードにぶっ掛けてしまっていたところだ。
「貴方がもっと早く、一年、いいえせめて半年早く私の前に現れて下さっていたら……!」
「何ですか」
 言葉を切られたので、何の気なしに促す。
 張郃は物凄く嫌そうな顔をした。
「……察しの悪い方ですね、は。わざとですか」
 まぁ、わざとだ。
 一人で盛り上がる張郃に、周りの人間がちらちらと視線を送ってくる。張郃一人で悪目立ちするのは勝手だが、俺の居ないところでやって欲しい。
 昔から、どうも変に目立つのが苦手だ。人の視線が怖いという訳ではないのだが、注目されるのが面倒で仕方ない。
 期待されるようで嫌なのかもしれない。
 俺に期待なんてするような人間には、正直ろくな奴が居ない。学生の時分に何度か告白されたことがあったが、不思議と告白の文言はお決まりだった。
 君なら、私のこと分かってくれるって思ったの。
 分かる訳がない。俺はお釈迦様か何かか。
 ありのままの私を受け止めて欲しいということらしいが、要するに相手の希望を全通しして、何でもハイハイと言うこと聞いてくれる相手が欲しいということなのだろう。
 見得の一つも張れない恋のお相手なんてぞっとしない。そんな老成した恋は、年取ってお迎えが来る前の場繋ぎで良いと思う。
 俺が断ると、彼女達は決まってこう言うのだ。
 どうして。酷い。
 理由を言っても聞く耳すら持たないし、何が酷いのかも俺には分からない。
 会ったこともなければ名前すら覚えのない相手に、恋人としてのお付き合いを強要する方が酷くないだろうか。
 彼女達はいつだって夢見がちだ。
 努力したら報われなくてはいけないと思っている。
 自分が努力したのだから、必ず報われなくてはおかしいと思っているのだ。
 報われる相手として俺をチョイスした以上、俺は『うん、嬉しいよ』と答えなくてはいけないらしい。
 勝手な話だと思う。
「……俺、断らない人間に見えますかね?」
「何の話ですか」
 張郃に聞いたって仕方ないのだ。仕方ないと思いつつ、チョイスしてしまった。
 彼女達も、こんな気持ちで俺をチョイスしたのだろうか。
 複雑な気持ちに陥りながら、張郃に簡単に事のあらましを話す。
 張郃は、あっけらかんと答えた。
「そういうことでしたら、そう見えると思いますよ」
「やっぱり」
 舌打ちの一つもしたい衝動に駆られる。
 分かってはいたが、自分でそうだろうと予想を立てるのと他人からはっきり断定されるのとでは訳が違う。
「災難だ」
 うんざりとして呟くと、張郃はにこやかに笑う。
「貴方を分かっていない子達は、皆そうでしょうね。貴方は真面目で、とりあえずお付き合いしてみようなんて思わない人だと、分かってはいると思うのですよ?」
 だから、逆に狙われるのだと張郃は断じた。
 俺なら断らない、優しく受け止めてくれるか、最高に綺麗な別れを演出してくれると見切った上で告白されているのだと明言した。
「そういう子達は、得てしてプライドばかりは無闇に高いですからね。遊ばれるような相手は選ばないし、あんな男を選ぶからなどと詰られるのはまったくもって論外なのでしょう。あくまで自分は正しく、悪いのは相手でなくてはいけない。だから、それを否定しない相手を探し出し、決め付けるのですよ。酷い、貴方は酷い、とね」
 反論しなさそうだと見当を付けた相手に対し、口に出して言うことで『事実』として『認識』する。
 それが客観的に間違っていようが、彼女達の中だけの認識だろうが、そんなことには一切関係がない。
「彼女達は、ガラスどころか張りぼての紙よりも柔なのですよ。つぎはぎだらけで、中身は空っぽで、でも本当はぎっしり何かが詰まっていると信じたいのです。だから、常に自分を糊塗してくれる相手を求めて醜く這いずり回るし、自分で糊塗したものに穴を開けるような人は敵なのですよ」
 張郃の物言いはやたらと辛辣で、俺はちょっと唖然としていた。
 熱くなっていると自分でも気が付いたのか、張郃はふと表情を緩めた。
「……その醜さに気付いてくれれば、美しくもなれましょうにねぇ」
 何となく、分かった。
 張郃も、俺と似たような経験を繰り返してきているのだろう。見た目や言動こそ常人の理解の枠を超えるが、細々とした気遣いや面倒見のいいところ、会話の豊富さ、何よりその才能に惹かれる女は少なくなさそうだ。
 けれど、それは張郃の一部であって張郃そのものではないのだ。
 俺のような、『君なら(断らなさそう)』というレベルよりも深刻かもしれない。
 張郃が、突然くすくすと笑い出した。
 深刻な話になったと思っていただけに意表を突かれ、俺はきょとんと素の顔を晒した。
「貴方を分かっている人達は、きっと強引に貴方を得てしまうのでしょうね。貴方は、何しろ真面目で頑なな人ですから」
 ずばりと言い当てられて、俺は口篭ってしまった。
 『馬超』然り、馬超然り。
 趙雲や曹丕とて、皆似たり寄ったりだ。
 どうも俺は、鍵を掛けたドアを蹴破って押し入ってくるような不埒者に弱いらしい。女だったら今頃、莫大な借金でも押し付けられて首括るしかなくなっているかもしれない。
「そんな、渋い顔をして考えるようなことではないでしょう」
 張郃はコーヒーを煽った。
 俺も真似てコーヒーを煽る。
「……そんな不埒者達は、どうしても貴方が欲しいと言って聞かない人達なのでしょうから。貴方には迷惑かもしれませんが、きっととても、とても貴方を好きなのでしょう」
 私もそんな目眩くような恋の相手と巡り会いたい、と張郃が喚く。
 その一言さえなかったら、俺も少しは張郃を尊敬したかもしれない。

 やや人気がまばらになった受付で、祝辞と祝儀袋を渡して記帳を済ませる。
 代わりに、席次表やらが入った手提げ袋をもらった。
 会場はもう開放されているらしく、開け放たれた扉の向こうは席を探す人で賑わっている。
 俺と張郃は、人の居ない壁際に寄って先に席を確認することにした。何せ人数が半端ない。中に入ってからうろついたのでは、手間が掛かり過ぎる。
「……あぁ」
 張郃が嘆くように天を仰ぐ。
 いちいち鼻に付く身振りは何とかならないものだろうか。
 とはいえ、なんとなく親近感を覚えた張郃と席が離れたのは痛い気がする。
 敢えて新郎新婦の縁故では分けなかったようだが、俺はどちらかと言えば曹丕の関係者として扱われたようだ。
何せ、俺の席のすぐ後ろが曹丕の親族だ。
 ちょっとばかり憂鬱になった。
 席次表を眺めていると、あることに気が付いた。
 俺の肩書きは、新郎友人になっていた。
 それはいい。他に書きようもなかったろう。
 他に、新郎友人が居ないのだ。俺以外には、それこそただの一人も居ない。
 会社名役職名の方が通じがいいというのも分からないでもない。名刺交換会と化していた控え室を見れば、こちらの方が手間もないだろう。
 俺がTEAM蜀の人間だからだろうか。
 仲が悪いと評判のTEAM同士らしいから、それを記載するのが躊躇われたのだろうか。表記したとして、ただの平社員だから見栄えも悪かろう。
 色々考えてはみるのだが、どうもしっくり来ない。
 ついでに言えば、俺の隣が張遼なのもしっくり来ない。
 曹丕と再会したあの時、張遼は俺を曹丕の居る常務室に突き飛ばしやがったのだ。
 他に知っている人間の名はなく、それが俺を憂鬱にさせた。
 張郃は、小さく鼻を鳴らして苦笑いした。
「おやおや、張遼部長を貴方の横に置くとは。曹丕殿は、余程貴方のことが大切なのですね」
「は?」
 顔を上げると、張郃は張遼の名を差し、張遼が曹丕の護衛のような役を仰せ付かっているのだと明かした。
「誰に」
 それなら、張遼が曹丕のマンションを知っていたのも気安く中をうろついていたのも納得が行く。
 だが、仰せ付かっていると言うことは誰かに命令されているということだろう。
「勿論、この方ですよ」
 張郃の指が、張遼の名から俺の席を通って更に下の『新郎父 曹操』という文字に行き当たる。
「曹丕殿のお父上であり、TEAM魏を束ねる『君主』でもあらせられます」
 君主とは、TEAMを持つ専務職を揶揄した言葉だ。TEAMによっては専務でないこともあるが、専務が君主をやっているTEAMは大概、会社の一つも形成できる程にでかい。
 K.A.Nの中でも特に大きいTEAMは三つあって、俺の所属しているTEAM蜀、TEAM呉、そして社内でも最も大きいTEAM魏だ。
 俺の席は、その君主の席からそれ程離れて居なかった。
 TEAM蜀の人間が紛れていると分かったら、披露宴の間中睨まれるに違いない。
 張郃ではないが、俺も天を仰いで嘆息した。

 

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