披露宴が始まるぎりぎりまで、俺は未練がましく会場入口脇の壁にもたれて時間を潰していた。
 知り合いが誰も居ない披露宴は、実のところ初めてだ。
 普通はどうか知らないが、俺が参加した事のある披露宴はせいぜい仲が良かったバーのマスターの結婚式ぐらいで、後はホスト仲間が結婚した時に知人のレストランを借り切って内輪のパーティー開いたことがあるぐらいだ。
 ただでさえ慣れない行事で億劫なのに、友人の一人もいない披露宴、しかも主役の片方とは肉体関係があって、その上新婦とでなく新郎とで、新婦にその事実を知られているという極め付けだ。
 何と言うか、非常に憂鬱だった。
 その昔、常連客だったひとから披露宴の招待状もらった時以上に憂鬱だ。
 あの時も何だかんだ揉めたんだよなぁ、と苦い思いに耽っていると、目の前に誰かがやってきた。
 俯けていた視線を上げると、そこには張遼が立っている。
「何をなさっておられるのか」
 何と問われても困る。
 無為に時間を潰していただけだ。こういう時、せめて喫煙の習慣なりあれば、上手いこと誤魔化せたかもしれないと後悔した。
 張遼は、無言で返答しようともしない俺の手首を掴み、有無を言わせず連行しようとする。
 エラい力で引っ張られて、前のめりにつんのめった。
「じ、時間には入りますって」
 まだ十分強くらいある。
 五分切ったら入ろうと目論んでいた俺には、もう五分が長い。
「曹操様がお呼びだ」
 張遼は素っ気なく言うと、再び俺を連行しようと手を引いた。いい加減、ひっくり返りそうになる。
「? 曹操様って」
 曹丕の父親だろう。俺に何の用があると言うのか。
 それに、曹丕の父親が俺に用があるなら、向こうが出向いてくるのが筋だろう。ここは、会社ではないのだ。いくら専務とは言え、そんな傍若無人がまかり通っていいものか。
 口に出しては言えなくて、俺はそのまま連行された。

 曹操は、教会で俺を見ていたあの小柄な男だった。
 それと分かれば、あの威圧感も視線の凄みも納得した。大きなTEAMを自分の意のままに率いていると噂されるだけのことはある。
 張遼が厳かに頭を下げると、恭しげに手を掲げて労苦をねぎらう。
 これは相当なものだ。
 劉備専務がこんな態度で皆に接しているところなんか、見たことがない。あの人の周りは皆、劉備専務を敬ってはいたけれど、同じくらい慕っても居た。
 立場の上下はあっても、信頼で結ばれているのであって支配されている訳ではない。
 TEAM魏は違うのだ、と一瞬で察した。
 思い込みに過ぎないかもしれないが、少なくとも俺にはこの曹操と言う男がTEAM魏の絶対者であり、この男が居る限り他の者はその支配下に置かれるのだと思えた。
 あながち悪いことではない。トップがトップ足り得れば、その支配下にある者はトップの下で自在に動くことが出来る。
 むしろ、組織としては理想的だろう。己の役割がはっきりしている分、やらなければならないこともはっきりしてくるはずだからだ。
 ただ、と俺は思った。
 俺には向かない。
 かつて曹丕が自分の横に、TEAM魏に来いと命じて寄越したことがあったけれど、俺にはやっぱり無理だなと分かった。
 最善が必然とされるのは苦痛以外の何物でもない。
「子桓の友人だそうだな」
 唐突に言われて面食らってしまった。
 一瞬間を空けてから、はい、と頷き、慌てて祝辞を付け足した。
 曹操は人の悪い笑みを浮かべ、俺を黙ったまま睨め回す。
 居心地の悪い視線に晒され、俺は眉根を寄せる。
 親類と思しき男達も、俺を観察でもするかのようにじっと見ている。気分がいい筈もない。
「……成る程、友人か」
 意味ありげな言葉も、正直虫が好かない。
 一礼して席に向かうと、張遼が曹操に伺いを立てるように視線を向けるのが目に入った。
 曹操は鷹揚に頷き、俺は席に着くことを許されたらしい。張遼が無言のまま俺の後を着いて来る。
 馬鹿馬鹿しいな、と俺は内心溜息を吐いた。
 どれだけ凄い人なのかは知らない。だけど、俺にとっては会社の上司以前に曹丕の親父でしかない訳だし、TEAM魏の作法を俺に強要されたって困る。俺は魏の人間ではないのだ。
 無性に帰りたくなった。
 折角の休日だというのに、俺は何をしているのだろう。

 名札の置かれた席に辿り着くと、ボーイが椅子を引いてくれる。
 慣れないながらも無難に席に着くと、張遼は自分で椅子を引いて自分で座っていた。
 よく躾けられたボーイですら、張遼の威圧感には物怖じするのだろう。近寄り難いのだ。
 もっとも、張遼の方は気にした様子もない。自分のことは万事自分でしたいタイプなのかもしれなかった。
 そう言えば、初めて会った時も誰も居ないフロアに一人で戻ってきていた。定時までに仕事を終わらせるのがモットーのTEAMで、一人で居残りしているとしたら、貫き通すだけの我が張れなくてはなるまい。
 一人だけ別のことをするというのは、なかなか勇気が要ることだ。
 俺とは正反対の席に座っていた目付きの鋭い男が、俺の顔をじっと見ている。
 物怖じもしないその目線は高慢そのもので、自身に余程自信があることを指し示しているかのようだ。
 テーブルもそこそこ大きく、場がざわめいているにも関わらず男は俺に声掛けて来る。
「曹丕殿のご友人とか?」
 聞こえるように、と一応気遣ってくれているのか、怒鳴りはしないもののそこそこ大きな声だった。
 なので、俺も張り合うように大き目の声で答え、聞こえなかった時の為に首も縦に振ってみた。
「曹丕殿とはそこそこ長い付き合いだが、ご友人が居られたとは初耳だ。いつからの付き合いなのか」
 まるで、曹丕のことなら何でも知っているとでも言いたげだ。テーブルに着いた他の者達は黙っていて、少しでも男と俺の会話を邪魔するまいとしているようだった。
 このテーブルに座っているのは、俺以外はTEAM魏の人間の筈だから、一番上の役職に当たるのかも知れない。
 どう説明したものかと悩みつつ、無難に学生時代の、とだけ答えた。
「しばらくは付き合いも途絶えていたんで、それでご存じなかったんでしょう」
 俺の説明に、しかし男はどこか承服しかねるようだった。
「……お勤めはどちらなのか」
 早速困った質問が飛んできて、俺は答えあぐねた。
 正直に言ってもいいのだが、何だかこの男が騒ぎ出しそうな気がしたのだ。
 しかし、助け舟は迅速に現れた。
「司馬懿殿、あまり詮索為されませぬよう」
 張遼が割って入ってくれたのだ。
 この質問が出るのを予見していたかのような、素早いフォローだった。
 司馬懿と呼ばれた男は、一瞬ぽかんとし、しかしすぐに眉を吊り上げ怒り出した。
「詮索とは何事か。私はただ、当たり前のことを尋ねているに過ぎんではないか」
 顔を赤くして怒る司馬懿に対し、張遼はあくまで冷ややかだった。
「曹丕殿から、殿への詮索をさせぬよう言付かっております故。出自や勤め先、家族構成など、調書を取るが如くの真似をさせるなと厳命されております。ご容赦願いたい」
 調書と言われ、司馬懿がむっとして黙り込む。
 こっそり名簿を見ると、司馬懿の肩書きは総務部長となっている。
 張遼は人事部長だ。
 餅は餅屋に任せろという嫌味なのかもしれない。
 司馬懿はかなり機嫌を悪くしたらしく、隣に座った男は困惑したように肩をすくめている。
 席の空気を悪くしてしまって、何だか申し訳ない心持ちになった。
 司馬懿に向けて頭を下げたが、一度へそを曲げるとなかなか切り替えが出来ないのか、ふん、と鼻息一つであしらわれてしまった。
 仕方がないと諦めて、披露宴が始まるのを待った。

 盛大な拍手と共に新郎新婦が入場する。
 収容された客の数も相当なので、拍手の音量も相当だ。
 でも、今度は部屋に飾っていたウェディングドレスに着替えて出てきた甄姫の美しさは、この拍手の音量に相応しいものだった。
 わざわざ着替えなくても、とも思ったが、あの長いトレーンを引き摺って広い会場を移動するのは至難の業だったのだろう。どうしてもあの長い裾を引き摺ってみたかったという、女心なのかもしれない。
 男の俺にはよく分からないが。
 しかし、人数も豪勢なら会場も豪華、司会者はテレビでお馴染みのニュースでメインキャスターを勤めているアナウンサーだわ、メインゲストは某経済界の首領と呼ばれるおっさんだわ、ピアノに弦楽器の生演奏、ゴスペル、著名なソムリエがうろつき希望の酒を振舞う演出、ウェディングケーキの代わりだと言うシャンパンタワーはどうやってグラスを積んだのか問い詰めたい程の高さで、何から何まで感心すると言うより呆れる他なかった。
 人数が多くても決して退屈などさせるものかと言う意地みたいなものが透けて見えて、恐らくこれらはすべて甄姫のプロデュースによるものだろうと想像がつく。
 もう二度と披露宴たら言うものには出なくて良いと思った。ありとあらゆる演出のオンパレードで、げっぷが出そうだ。
 祝辞や乾杯が済むと、食事が始まる。
 程なくして、甄姫はお色直しの為に退場した。
 届けられた電報の一部が紹介される。司会者の前に山積みになった電報は、よくよく見るとその脇に置かれた台の上にも詰まれていて、一体何十通送られてきたのか想像も付かない。
 壇上に一人残された曹丕は、電報の内容を聞いている風でもなくグラスを傾けている。
 会場に居る人々も似たようなものだ。てんでバラバラに飲み食いに勤しんでいる。
 司会が一部祝電を読み終え、しばらくご歓談下さいなどとアナウンスを流さなくても、本当に皆好き勝手に話し込んでいた。
 こんなものなんだろうか。
 普通の披露宴にもろくに出たことがない俺が言うのも何だが、仲間内のパーティーの時の方がもう少しお祝いしているという実感が強かった。
 ただ集まってご馳走を食っているようなフロアの様は、俺にはどうしても異様に見える。
 また曹丕に視線を戻すが、曹丕はやはり一人で、特に何の疑問も抱いていないようだった。
 俺だけなのだろうか。
 席を立つと、張遼がいぶかしげに俺を見上げる。
 トイレにでも立つのかと思ったようだが、俺は扉ではなく壇上の方へ向かった。
 曹丕はすぐに俺に気が付いて、視線を向けてきた。
「よ」
 俺が軽く手を掲げると、曹丕は皮肉げに口元を歪める。
 新郎新婦の席は多くの花で飾り立てられ、そのテーブルの大きさも物凄かった。大人でも十人は余裕で座れるのではないだろうか。
「おめでと」
 我ながらおざなりだなぁと思うのだが、どう言っていいか分からない。
 ただ、単純に祝ってやりたかったという、それだけだった。
「座るか」
「は?」
 曹丕は、隣の席を指差した。
 座れる訳がない。お色直しで空けている甄姫の、新婦の席ではないか。
 呆れた顔を見せると、曹丕は小さく笑った。回って来いと手招きするので、言われるがままに曹丕の隣に回りこむ。
 途中、ボーイがシャンパングラスの乗った銀盆を差し出してきたので、二つもらった。
 一つを曹丕に差し出すと、曹丕は礼も言わずに自然に受け取る。
 何でか勢いでグラスを合わせた。
 ガラス独特の澄んだ音が響く。
「暇そうな顔、してたぞ」
「暇だ。仕方ない」
 緊張と言う言葉とは、曹丕は無縁らしい。
「お前の式だろうに」
「やれと言われて仕方なくやっているだけだ。やらずに済むなら、やらなかった」
 そういうもんなのだろうか。よく分からない。
 祝いの言葉を掛けたかっただけで、それももう達成してしまった。話すこともないのだが、曹丕が暇そうなので何だか立ち去り難かった。
 俺が曹丕と話し込んでいても、誰もやって来ない。最初の一人になるきっかけを掴みあぐねているのだとしたら、俺がこうしてきっかけを作った。タイミングを見て誰か来ても良さそうなものなのだが。
 壇上からは会場が一望できる。
 人ごみになっている席があると思えば、そこはあの曹操専務の席だった。
 誰が主役なのだか、知れたものではない。
「構わん」
 曹丕は、薄っすらと笑っていた。
「元より承知の上だ」
 会場に居るほとんどが誰を目当てにやって来ているのか、曹丕はとっくに気が付いていた。
 甄姫も、結局は自分の為と言うより曹孟徳の名を穢すまいと必死に披露宴の演出をしていたのだと言う。
 俺は胸糞悪いものを感じ、そしてそれを隠すことが出来なかった。
 嫌悪を露にする俺に、曹丕はやはり笑ってみせる。
「……今度、ちゃんとお祝いやってやろうか」
 金はないから、盛大なご馳走やら演出は出来ない。
 けれど、こんな披露宴よりは幾らかマシな祝いの席にしてやれる。
 少なくとも、俺は曹丕と甄姫の結婚をちゃんと祝ってやるつもりだからだ。こんな、仕事の延長などではなく、本当におめでとうと言ってもらえる席には出来る。
 妙に急きたてられて漏らした言葉に、曹丕はしばし何かを考え込んでいるようだった。
「……お前は馬鹿だな、
 どういう意味だ。
 むっとすると、曹丕は長い前髪をかき上げた。
 そのまま目元を覆ってしまったからよく見えないが、苦笑いをしているように思えた。
「ビーフシチュー」
「は?」
 俺が作ったビーフシチューが食べたいと言う。
「……そんなんで、いいのか?」
 曹丕や甄姫が満足できるような店は、実際ほとんどないだろう。俺自身も知らないし、きっと値段も馬鹿みたいな金額に違いない。
 馬超辺りならどこか知っているだろうかと思って、後で聞いてみるつもりでいたのだが、まさか自分の手料理を強請られるとは思いも寄らなかった。
「食べ損ねたからな」
 曹丕の言葉に、単に以前来訪を断った嫌がらせのつもりなのだろうかと疑ってしまう。
 甄姫のお色直しが終わったとアナウンスが入り、俺は慌てて席に戻った。
 戻り掛け、指先に掠めた曹丕の指の感触が、妙に熱くて胸がざわついた。

 

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