翌日、あれだけ何枚も記名したり判を押したりしたにも関わらず、まだ何やら足りないとかで俺は件の弁護士事務所に赴いた。
ところが、担当だと挨拶した水鏡先生は裁判所に行っていて留守だと言う。
行けと命じられただけの俺は、思い掛けない不在に困惑した。
それは相手も同じようで、電話していればそんなすれ違いはなかった筈なのにとしきりに首を傾げている。留守にするからと指示が出ていれば相応の対応も出来ようが、勿論それもなかったそうだ。
諸葛亮課長が電話に出ていて、その直後に今すぐ訪問するよう命じられた俺としては、こんな短時間で約束を忘れるような弁護士なら、もうボケが始まっているのではないかと心配になってしまう。
失礼な想像を読み取った訳でもなかろうが、受付に立ってくれた事務の男性も、水鏡先生がこんなポカをやるのは初めてだと零した。
電話で確認を取ろうと一旦事務所を出ると、廊下の隅に向かう。
窓から冬の日差しが差し込み、宙を舞う埃に反射してキラキラと光っていた。
携帯を取り出し、会社の登録を探す。
呆けていたつもりはないが、突然背中から覆い被さってくる何かにぎょっとした。
「!」
嬉しげな声は鼓膜の直近に聞こえ、すぐさま湿った温かい感触が押し付けられる。
挨拶のつもりかもしれないが、ここは日本だ。
「止めろ、張郃」
苛立って振り解こうともがくが、張郃は気にした様子もなく、振り解かれてもくれなかった。
「、ようやく敬語を止めてくれましたね!」
感嘆するように悶える張郃の声に、俺はうんざりしていた。
ここまでポジティブだと、いい加減周りに迷惑だ。
「……おい」
張郃の指が俺の前に回るに付け、無視しきれなくなって仕方なく口を開く。
「あの可愛らしい子は、お元気ですか?」
撫で回しながらにこにこと訊いてくる。前から見なければ、仲良し二人組が子供の話でもしているように聞こえるかもしれない。
「お元気だよ」
だから触るなと小声で罵ると、張郃の笑みが急に変化した。
ただにこにこ笑っていた顔が、妙に色気のある、卑猥な笑みに転じた。
「会わせて下さい、」
「嫌だね」
囁くような声が俺を誘うが、俺は微塵の譲歩も見せずきっぱりと断った。
張郃の苦笑が耳元をくすぐる。
「会わせてくれたら、今貴方が悩んでいることを一つ、解決して差し上げますから」
「会わせなくても、あんたが離れてくれたらすぐ解決するからいい」
キツイですね、とぼやく張郃は、ぼやくだけで俺から離れようとしない。
無理矢理射精させておいて、隙あらば本番をやろうとしていた奴が何言ってるか。
「……では、言い方を変えましょう。会わせてくれたら、貴方がこの事務所に来なくてもいいようにして差し上げます」
は、と息を飲み張郃を振り返る。
張郃は真顔で俺を見詰めていた。
「交換条件としては、悪くないでしょう?」
「……会わせる、だけか?」
それなら確かに悪くない。
だが、張郃は一笑に付すだけだった。
俺も併せて黙り込む。
唇が触れるような、わずか三センチ足らずの至近距離で、俺達は歪な睨み合いを続けていた。
「この間の、続きを」
折れたのは、張郃が先だった。
「貴方を抱かせて下さい、。私を受け入れ、熱で焼かれて下さい。その姿を見せてくれたら、約束を守りましょう」
俺は張郃を見詰めていた。
張郃の言葉に嘘があるのかないのか、正直見ただけでは分からない。
どれくらい見詰め続けていただろう。
俺は顔をわずかに動かし、張郃に『手付け』を払ってやった。
ホテルにでも行くかと思ったら、張郃は俺を連れて車に乗り込み、郊外のマンションへと連れ込んだ。
都心からそう離れていないにも関わらず緑が多い地区の中で、レンガを模した壁で覆われたマンションは、ヨーロッパのちょっとしたお城みたいに見えた。
訊けば、張郃の自宅だという。
エレベータに足早に駆け込むと、張郃は落ち着かなげに体を揺すった。
あまりに不似合いな余裕のなさに、俺は奇妙な生物を見る目を向ける。
「時間がないでしょう?」
それに、と張郃はやや恥ずかしげに頬を染めた。
「早く貴方を食べてしまいたくて、うずうずしているものですから」
寝言は寝て言えばいい。
エレベータが目的の階に着くと、張郃はやはり足早に廊下に出る。
鍵を開けるのも苛立たしい様子に、俺は呆れるより他なかった。
馬超や趙雲なら分かる。
けれど、張郃とは何の縁もゆかりもない筈だ。普段の楽天振りをかなぐり捨ててまで興奮する理由が分からない。
みっともないことが何よりも嫌いだろうこの男が、どうしてこれ程俺を抱きたがるのか。
呆れを通り越し、興味が出てきてしまうのが不思議だった。
鍵を開けると、ドアを大きく開いて招き入れる。
「シャワーは?」
入りながら問うと、張郃はドアの鍵を閉め直しながら答えた。
「要りません……あぁ、でも、貴方が気になさるなら、どうぞ」
「一緒に入るか?」
俺が問い掛けると、張郃は不意を突かれたように呆気にとられた。
「……時間、ないだろ?」
別に大したことではないだろうに、そんなに驚くことを言っただろうか。
「あ、いえ……入ります。けれど……その、我慢が聞かなくなるやもしれませんよ?」
その時はその時だろう。
肩をすくめる俺に、何故か張郃はうろたえている。
「いえ、その。シーツの上で貴方を見たいのですよ」
シーツに拘りを見せる張郃に、俺は何のことやら分からず首を傾げた。
何処でしたって変わりはないだろう。むしろ、張郃の性格なら玄関だの台所だの、そういう馬鹿なシチュエーションに悶えそうな気がしていたので、張郃の拘りは不思議としか言いようがなかった。
「その時考えろよ」
二回犯らせてやっても良かったのだが、いいと言った瞬間では二回でとなりそうで面倒だった。一回で済むならそれに越したことはない。
シャワールームに入ると、俺は着ているものを無造作に脱ぎ捨てた。
「うわぁ」
「……」
張郃が阿呆な声を上げるので、俺は脱ぎ掛けたスラックスを膝の上で止めた。
「あぁ、すみません。先日の個室、さすがにここまで明るくなかったものですから、何だか眩く見えてしまって」
窓のない個室とは違い、曇りガラスとはいえ嫌がらせのように大きな窓がある。恐らく、開放感を重視して、間取りの広さも手伝って贅沢に設計されたのだろう。
「……脱いでいいんだよな?」
「どうぞ」
差し出された指は白くなよやかで長かった。
ぱっと見、女性の手と言っても過言ではないかもしれない。よく手入れしているのだろう。
曹丕の指も綺麗だと思うが、あれは別に手入れしているとかでなく、多分だが爪の形が良くて綺麗に見えるのだろう。
張郃のような男を相手にするのは、初めてかもしれなかった。
考え事をしながら脱ぎ、脱衣籠に畳んで仕舞う。
それを張郃が引っ張り出し、綺麗に畳み直してまた仕舞っていた。
商売で扱うものだけにか、張郃が畳むと売り物のように綺麗に整えられている。
「あんたも入るんだろ?」
「ええ、先にどうぞ」
服を着たままの張郃に、俺は何となく居心地が悪いものを感じつつ、言われるがままシャワーの下へと進んだ。
張郃の家は、トイレとバスタブが一緒に置かれたバスルームと、その横にドアのない電話ボックス型のシャワールームが付いている。
どうせ分けるならトイレを分ければいいのにと思うのだが、住んでも居ない俺が文句言える義理でもない。
シャワーのコックを捻ると、冷たい水が落ちてきて、すぐに熱い湯に変わる。
弁護士事務所に行ってシャンプーの匂いを着けて帰る訳にはいかないから、俺はボディソープを少量とって股間をのみ洗うことにした。
あまり見目の良くない光景を、背後の張郃がどう見ているかは定かでない。
泡を流すついでに、体にもシャワーを浴びて汗をざっと流す。
背後から張郃が近付いてくる気配がして、俺は何の気なしに振り返った。
張郃は、服を着たままだった。
「おい」
驚いて声を掛けるが、張郃は熱に浮かされたように俺の体を弄った。
「……あぁ……、貴方は素晴らしい……私の才をこれ程熱く滾らせたのは、貴方が初めてかもしれません」
何を言ってるんだ。
入る前に張郃が進言したとおり、張郃は迷うことなく俺のものに手を回し弄っている。
「あぁ、いやらしい肉ですね。少し触れただけでこんなになってしまうのですから。ですが、何と愛らしく美しい……」
うめきながら俺のものを擦る張郃の手管は、相当手慣れていて上手かった。
布越しに張郃のものも昂ぶっているのが分かったが、張郃がそれを出そうとしている気配はなかった。ただ俺のものを弄れるなら満足というような、偏執じみた指の動きが俺を追い詰めていく。
「出、させ、たいのか?」
「出しているところを見たいのですよ」
俺は張郃の手を押さえ、逃れるように離れた。
いぶかしげに俺を見遣る張郃に、俺は荒げた息を無理矢理整え、足を開いた。
「見たいんだろ」
俺の意図を察したか、張郃は黙って後退った。俺の全身を隈なく見る為に、ベストのポジションに着いたのだろう。
俺は無言で手を伸ばし、張郃に向かって自分のものを扱き上げた。
普段ならなかなかいけないのだが、張郃の眼前で、張郃に見られながらやっているのだと考えると、後ろめたい興奮が俺を後押ししてくれる。
「、できたら手を離していただけませんか」
無茶な注文を付ける。
俺が無言で首を振ると、張郃はしばし思案顔を見せた。
「、後ろだけで達けますか」
今度は俺が少し悩み、渋々と頷いた。
「では、馴らしも兼ねて……ね、」
張郃は、何処からかバイブを取り出すと、スキンを被せて潤滑剤と思しき瓶を逆さに向けた。
黒いバイブに半透明の白いスキンが被せられ、潤滑剤の薄いピンクがとろとろと流れていく。
「電動で、なかなか具合も良いようですよ」
誰かに使ったのか、そんなことを言いながら俺の後孔を弄繰り回す。
「仕込んでる間に出しても、知らねぇぞ」
慣れた感触に、体が期待してぶるりと震える。
「その時はその時で」
しゃあしゃあと言いのける張郃は、言い返そうとした俺の口を塞ぐかのようにバイブを突っ込んできた。
「……っ!」
唇を噛んで衝撃に耐える俺に、張郃はうっとりと見入っていた。