「あっ、馬鹿……!」
 罵りの声すら掠れている。
 尻の奥に迸る熱の感覚に、舌打ちしたい気分に駆られた。
 前に回された張郃の指が俺の先端を強く擦り上げ、遅れ馳せながら快楽を迸らせる。
 下半身に力が篭もり、抜かれぬままになっている張郃の肉から残滓を振り絞るように締め上げてしまった。
 会社をサボるつもりなど毛頭なく、懲りもせず舌を絡めてきた張郃を押し退けると、二人を繋げていた肉を乱雑に抜き取る。
 ローションや放出した精液に塗れた肉は未だわずかに怒張しており、張郃の未練がましさか回復の早さかは判断が付かないものの、とにかく元気だという素朴な感想を過らせた。
「……
 まだいいではないかと誘い掛ける張郃の指を弾き、俺は先程使ったシャワールームに向かった。

 激しい雨のような湯が、シャワーヘッドから吹き出して俺の顔や体に降り注ぐ。
 肌を打つ水滴を眺めながら、馬超のことを考えていた。
 ただ犯るだけの行為と言う奴は、こんなにも虚しいものだったのか。
 馬鹿馬鹿しいけれど、新鮮な驚きを伴う発見に、俺は軽く首を回した。
 小さく、コキ、と音がする。
 張郃の手管は慣れ切っていて、俺をして上手いと言わせるだけの技量があった。
 けれど、体は酷く疲弊していて、一度きりで懲りてしまったのだ。
 もしもこれが馬超相手だとしたら、俺はぶつくさ不平を述べつつも、再戦を望む馬超をいなせないで流されるように応じていただろう。
 馬超は、本当のところを言えば、下手だ。
 力任せに突っ込んでこようとするし、愛撫は痛みを伴うし、自分のしたいことをそのままやろうとし過ぎる。
 呆れるのは、どうも馬超自身が自分の行動を制御できないらしいことで、本人としてはもっと優しくしたいとかゆっくりしようと思っているにも関わらず、何故だか奇妙に焦って急いてしまうものらしい。
 それは馬超が抱く時でも抱かれる時でも変わりない。
 だが俺は、そんな馬超を可愛い、愛おしいと思うようになってしまっていた。
 恋は盲目と言うが、俺の場合は親の欲目に近いと思う。
 馬鹿が馬鹿過ぎて、もしか俺が見捨てたら、どうにかなってしまうんじゃないかという錯覚を刷り込まれてしまった感が強い。
 実際のところ、仮に俺が見捨てようが夜逃げしようが、馬超に何らの支障がある筈がない。
 実家は離散状態らしい(詳しいことは何も知らないけれども)とは言え、後見人として如何にも金に困っていない大叔父(かどうかも実は知らない)も鎮座ましましている訳だし、本人の能力も自分の食い扶持稼ぐくらいは充分にありそうだし、俺という同性の恋人は、むしろマイナスポイントの要因にしかならないだろう。
 では、俺が別れるなどと言い出せば、馬超は烈火の如く怒り狂い、海溝の底まで沈むぐらいには落ち込んで見せるのを想像するにやぶさかでない。
 それが一時のことで済むとは思えなかったが、前回の轍を踏まず、影も形もなくなってしまえば、如何な馬超も諦めざるを得ないのではないか。
 やがて新たな恋人と出会い、その傷を癒すのではないか。
 その方が馬超の為だと思う。
 永久に続く関係とは腐っても思わない。
 だから、もしその時がくれば、俺はそうやって馬超の前から姿を消そうと決めた。
 何でこんな時にと思わないでもなかったが、何となく今、そう決めた。

 シャワーから上がり、適当に引っ張り出したタオルで適当に体を拭う。
 髪を整えようと辺りを見回すが、どれがどれやら分からない。
 瓶やチューブに記されている文字は、あからさまに日本語でも英語でもなく、どうやらフランス語だと見当は付くものの内容まではさっぱりだ。
 仕方なくベッドのある部屋まで戻ってくると、張郃は裸のままでベッドの上に寝そべり何やら広げているようだった。
 覗きこむと、薄いスケッチブックにデッサンと思しき人物像を幾体も書き連ねている。
 荒い線ではあったけれど、不思議と俺だと見て取れた。
 俺の存在に気が付いたらしい張郃だったが、俺に話し掛けるでなくページをめくり、まっさらな紙に俺の姿を描き続ける。
 しかも、どうもシャワーから上がった俺の姿を描き出したようで、時折俺を見ながら熱心に鉛筆を走らせていた。
 怒鳴りつけて止めさせてもいいのだが、何だか拍子抜けして立ちすくむ。
 しばらくして、張郃の鉛筆がようやく止まった。
「……あぁ、
 ぼんやりとした目で膝を崩して座り込む姿は、ちょっとばかり尋常の範疇を外れていて、何でか俺は病院の白を思い出した。
 張郃は手元のスケッチブック(よく見たらクロッキー帳だった)を放り出し、大きく溜息を吐いた。
「すみません、夢中になってしまうと、どうも駄目で」
 何が駄目なのか分からないが、俺は張郃に整髪剤を貸してくれるように頼んだ。
 張郃は自分がやると言い出したが、芸術的な髪型にまとめられても困るので、気持ちだけ有難く受け取ると言い退け、遠慮させてもらった。
 ついでにドライヤーも借り受け、元通りのスーツ姿に戻る。
 少し離れたところから、ああでもないこうでもないとぶつぶつ呟く張郃が、指を枠代わりにして俺を見ていた。
 枠に収まったまま、俺は張郃に対価を払えと切り出す。
「対価?」
 何のことや知らんとばかりに目を丸くする張郃に、弁護士事務所前でほざいた言葉を丁寧に繰り返してやった。
「あぁ、そうでしたね」
 約束すると言っておきながらすっかり忘れた風な張郃に、俺は白い目を余さず向ける。
 張郃は笑いながらしなを作って誤魔化しているようだが、身長にして190越えの男がそんな真似をしても、薄気味悪いだけだ。
 俺の険しい視線に張郃は首をすくめ、ゆったり優雅に寝そべると、悪戯っぽく俺を見上げた。
「私のせいです」
「は?」
 張郃の声は聞こえていたが、内容を把握しかねて俺は眉根を寄せた。
「いえ、ですから、私のせいなんですよ」
 しゃあしゃあと言い募る張郃に、俺は踵を返した。
 アホらしい、とんだ時間の無駄だった。
「きちんと聞かなくていいんですか、。それとも、また私に抱かれたいとでも?」
 玄関口まで届いた張郃の言葉に、俺は一瞬葛藤した。
 またぞろ訳の分からん話をされるぞという嫌悪感と、今ここで全部済ませてしまいたいという使命感がちゃんちゃんばらばらに剣を交える。
 勝ったのは、後者だった。
 無言で戻った俺に、張郃は複雑な笑みを浮かべた。
「話すと長くなるのですが」
「手短に話せよ」
 要点をのみ抽出すれば、何の問題もない。
「ですから、私のせい」
「それは要点抜き過ぎだろ」
 漫才をやっているのではないのだ。
 早くきちんと話せと言う俺に、張郃は溜息を吐いた。
「短気ですねぇ、
 そう言われ、何故かぎくりとしてしまった。
 馬超の短気が、移ったのかと思ったのだ。
 むっつり黙り込んだ俺に、張郃は事の次第を語りだした。
 いわく。
「……つまり、お前が新作のデザイン書き下ろすのに俺が欲しいだの言い出して、それを真に受けた曹操専務が指示出して、配下に俺の悪い噂流させたと。そういうことか」
「んーん、少し違いますね。曹操様はあくまで貴方を引き抜けとお命じになっただけで、その手段は配下の手に委ねられたのですよ」
 同じことだ。
 今回の一連の騒動は、どうもすべてTEAM魏の差し金だったらしい。
 張郃の気まぐれを鵜呑みにする曹操も阿呆だが、仰せのままにと動く配下も相当阿呆だろう。
「どいつだよ。俺の知ってる奴か」
 曹丕の披露宴で同席した者も何人か居る。まさか張遼とは思わないが、あの中に居た奴が俺のことを嗅ぎまわったのかもしれないと考えると、反吐が出そうだ。
「私も詳しくはないのですよ。ただ、私が貴方を欲したことから貴方にご迷惑が掛かってしまったと、今朝方ようやく知ったものですから」
「今朝方、知った?」
 そういえば、張郃は何故弁護士事務所に来ていたのだろう。
 俺は、おめでたくも偶然と取っていたけれど、考えてみれば奇妙な話だ。
「えぇ、密告メールが届きまして。メールアドレスはフリーのものでしたし、名誉毀損の類ではありませんので警察も動きません。調べようはあるのですが、そこまでしても仕方ありませんし」
 何となく、読めてきた。
「曹操様には私からご報告申し上げまして、これでは逆効果でしょうと涙ながらに訴えて参りましたから、直に騒ぎも治まりましょう。告訴の手続きを続けていただいても結構ですが、競い合っても同会社、恐らくは貴方の上の方が動いてなし崩しになかったものになるでしょうね」
 まぁ、そうだろう。
 そも、俺があの弁護士事務所を訪れたのも、帰社が遅くなる旨快諾してくれたのも、同じ人の謀なのだろうから。
 俺が溜息を吐くと、張郃はいそいそとクロッキー帳を拾い上げた。
、話しながらスケッチしていても構わないでしょう?」
「いいけど……」
 俺は髪に手をやった。
 いつもと違う、少し強めの髪の感触に、限りない違和感を感じる。
「お前は、何で俺にちょっかい掛けようと思った訳?」
 新作のデザイン書き下ろす。
 それで何で俺が引っ張り出されなければいけないのかが理解できない。
 曹操率いるTEAM魏と言えば、やり手揃いで有名だ。無能は元より、やる気のない者、腰掛けの類は一切合切お断り、K.A.Nに居るのは結構だが、TEAM魏に居てもらっては困ると目前で宣告された等々、その手の武勇伝には数える暇がない。
 チーフデザイナーが欲しがっているというだけで、他TEAMの社員をそこから追い出させ自TEAMに組み入れようと画策するなど、有り得るのだろうか。
「ですから、曹操様も私の主張をお認めになったのですよ。何せ、面談は既に終わっておりましたし、話も楽に進められて」
「いや、だからさ。入力書類書きが主な仕事の、事務のぺーぺーを欲しがる理由が分からねぇって」
 投げ遣りになる言葉遣いに、張郃の目が丸くなる。
 ……という訳ではなかった。
「事務の貴方が欲しい訳がないでしょう」
 あっさり否認されてしまった。
 それはそうだが、何となく傷付いたような心持ちになった。人の気持ちと言うのは、複雑怪奇だ。
「私とて、そこまで職務に私事を持ち込むつもりはありませんし……第一、曹操様がお許しになりませんよ。あの方は、そういう類には事の外厳しくていらっしゃるのですよ」
 つまり、お気に入りをお気に入りだという理由だけで手元に置くような真似が、許されるTEAMではないということか。
 普通の会社なら、人事部に働きかけて反りの合わない奴を飛ばすの、可愛がっている部下をいいポストに付けるだのは思っている以上に自然に行われているらしい。
 それもその筈で、お気に入りであればその行動も自然に良く見えるのが道理で、やはり人間である以上そういった判断能力はどうしても鈍る。
 だが、もしその類の越権行為が一切許されないとなれば、TEAM魏がK.A.N随一のTEAMにのし上がった由縁は、案外そんなところにあるのかもしれない。
 徹底した適材適所、利己的ともいえる能力管理は、他のTEAMでは考えも及ばないことだろう。
 だが、張郃が欲しいと言い、曹操が魏に入れても良いと認めた俺の能力とは、ではいったい何なのだろう。
「未だ分からないのですか? 貴方は存外、鈍い方なのですねぇ」
 馬超や趙雲にも言われた気がするが、鈍いというよりどうでもいいのだ。
 張郃にしてみれば、それこそどうでも良かったろうが。
 早く言えと急かすと、張郃は仕方ない人だというように苦笑いを浮かべる。
「モデルですよ、。貴方をモデルに、新作のイメージを書き下ろしたいのです……否、貴方が私に、神の啓示を承る巫女の如くにインスピレーションを与えて下さるのですよ、!」
 俺は、ぽかんと口を開いた。
「……? 何処へ行くんです、
 張郃の声を顧みることもなく、玄関目指して突き進む。
 馬鹿馬鹿しくて、やっていられなかった。

  

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