ピンポーン。
 チャイムの音が鳴り響く。遠慮がちに響く残響、そして。
 ピンポーン。
 空気を震わせて、また音が響く。一度だけ。立て続けに鳴らされることはない。
 鳴らしている人となりに酷くそぐわないと思った。
 思い出したように鳴らされる音に、最初は苛立ち、近所への迷惑を省みては歯噛みし、孤独でありたいと切望させられた。
 チャイムの音は、いつも二回きりだった。二回鳴らすと沈黙する。次は三十分後か、一時間後か、それくらい後になる。立ち去るわけではなく、玄関のドアの前で、居心地悪そうに立っているそうだ。管理人常駐のマンションでは近所付き合いはほとんどなく、当の管理人を通じて隣の主婦が見たという話を聞いた。苦情というほどのものではないが、警察を呼ぶ騒ぎにならないかと心配しているらしい。愛想笑いで誤魔化した。夜の11時を回れば音も止むし、諦めて帰っているようだ。けれど、次の日にはまた同じように遣って来る。
 この一週間ほどでわかったことだった。
 逆を言えば、この一週間彼は毎日同じ行動を取っていたということになる。
 時間を見て考えれば、会社が終わってからこちらに直接やって来て、が出てくるのをひたすら待っているという計算になると思われる。
 一週間同じ行動を取る、というのはなかなか難しいことだ。
 しかも、相手がこれ見よがしの居留守を使って出てこないのをただひたすら待っている、というのは精神的にも疲れることに違いない。
 電話番号も知っているはずだが、かけてはこない。チャイムを押すだけだ。
 らしくない、とは思った。
 何故なのかと考え、どうして気にする必要があるかと考えを散らす。
 時間が経つにつれ、徐々に緩くなる自分の甘さに腹が立つ。
 けれど、たった一週間とはいえ……いや、一週間という長いスパン毎日一日も欠かさずやってくる大変さをは理解できてしまう。
 それは口で言うほどたやすいことではない。
 は、重い鉄製の玄関のドアを見詰める。
 開けていいのか悪いのか、自分では判断がつかない。
 わかるのは、このままでいいはずがないということだけだった。
 チェーンは掛けていない。鍵のつまみを横から縦に直せば、戒めは解除されてしまうはずだ。
 いいのだろうか。
 しかし、考え込んでいる間に時間は11時半を過ぎていた。
 居ないかもしれない。帰っているかもしれないではないか。
 その考えは、に鍵を開けさせる勇気をもたらした。
 ドアを開ける。
 扉が少しずつ少しずつ開いていく。外廊下のコンクリ製の手すりが見えた。
 いない。
 ドアの外に立ち、そっとドアの死角側を見遣った。
 そこに、無言でを見返す長身の男が居た。
 が出てきたことに、驚いてはいないようだが、困惑しているように見える。
 一生出てこないとでも思っていたのかもしれない。
 出てこないと思っていたのに、待っていたのか?
 矛盾だな、とは思った。
「これ」
 ずい、と手にしたビニール袋を押し付けてきた。
 受け取らずに、訝しげな目を向けた。
「……何?」
「弁当。腹、減ってっかもしれねぇと思って」
 何時買ってきたんだろう、と考え込む。が黙って受け取ると、背を向けて階段の方に歩き出した。
「自分のは?」
「帰って、適当に食う」
 足を止めずに、少しだけ振り返って言葉を返してくる。
 はパジャマにサンダル履きのまま、後を追った。夜の外廊下に、木のサンダルのかこかこという間抜けな音が響く。
 足が止まり、を振り返る。
「……何してんだよ」
 何をしているんだろう。言われてみれば、確かにその通りだ。
 呆然と立ち尽くすに、ようやく強張った表情が緩んで、けれどその顔は泣き笑いにしか見えなかった。
「……ったく、しょうがねぇなぁ、サンは」
 甘寧はの手を取り、廊下をゆっくりと戻った。

 が手を握ったまま玄関に上がる。三和土で足を止める甘寧がストッパーになり、は軽く後ろに引き戻された。
「……上がるわけに、いかねーだろ?」
「どうして」
 甘寧が困惑しているのがわかる。どうしてって、と口の中で呟いているのがに聞こえた。
「俺、アンタに酷いことしたし」
 書庫で無理矢理体を繋げられた。嫌だと言っているのに、中で出されて、抱き締められて、酷いと言えば酷いことかもしれない。
 だが、それはもう張遼にされたことだ。一日も置かず、それどころか数時間では張遼を許してしまった。甘寧だけは許せないということはあるまい。
 しかし、は甘寧に抱かれた後、そのまま何も言わずに早退した。そして、会社を無断欠勤している。
「……呂蒙のおっさんには、ホントのこと話した。アンタのこと、どうこうって言うのはぼやかしたけど、けど、おっさんも薄々察したみたいで、だから、電話しねぇって言ってた。アンタが自分で踏ん切りつけるまで、待ってるってよ」
 それを伝えに、一週間通ったのだろうか。電話一本で済む話であって、甘寧がわざわざ伝えることではないだろう。呂蒙がかけてくれば、とて出ないわけはないのだ。
 実際、張遼にはその日の内に電話をした。
 考えさせて欲しいと切り出すと、張遼は少し黙った後、尋ね返してきた。
『何を考えたいと仰るのか』
 なにもかもだ。自分の気持ちから、張遼や甘寧の気持ち、立場や仕事のこと、生活のこともなにもかも。
 色々、全部ですと曖昧な言葉でしか返せなかった。何と説明していいかわからなかったからだ。
 張遼はただ、左様か、とだけ答えた。
 長い間二人で沈黙して、からそれじゃ、と切り出して切った。
 張遼とはそれきり連絡をとっていない。
「甘寧は?」
 え、と上目遣いに見上げる甘寧の表情が、叱られた子供のようだった。
「甘寧は、何しに来たの。お弁当渡しに来たの? それとも、呂蒙課長の言葉を伝えに来たの? わざわざ一週間も掛けて、居留守使ってる女のとこに」
 甘寧の唇が、わずかに震えた。
 の言葉に傷ついているのかもしれない。
「……違ーよ」
「じゃあ、何。私が心配で来てくれたの?」
 そうだとしたら、とんだ偽善だ。今すぐ帰ってもらって構わない、と思った。
 の手から力が抜け、甘寧の手は支えを失ってぶらりと宙に揺れた。
「それも、違ぇ」
「じゃあ何」
 甘寧はまた俯いた。は、苛々として甘寧を見下ろす。
「アンタに、会いたかったんだ……俺が」
 ぼそりと呟いた言葉は、重くて息苦しかった。
 は甘寧を睨めつけていた。しばらくして、その目から涙が溢れて頬を伝う。
 沈黙に更に重く圧し掛かるような涙だった。
 甘寧は、突然靴を脱いで玄関に上がった。
 を胸の中に抱きこめる。
「俺、アンタをいいようにして、滅茶苦茶する、馬鹿でヒデェ奴だから。嫌になって、当然、だよな。わかってんだ、でもよ……」
 緩くもがくに、甘寧はぼそぼそと呟く。
「……これだって、アンタの意思じゃなくて、俺が無理矢理してるだけだから、よ……アンタ、俺のこと怒鳴っていいし、殴ったってなんだっていいんだぜ。俺が全部、悪いんだからよ」
 そんな言い訳はいらない。
 甘寧は、ただ、泣きだしたを放っておくのがたまらなくなっただけだ。それの何が悪いというのだ。悪いというなら、ドアを開けたこそが悪い。
 甘寧が、諦めをつけようとして通っていたのだと察しはついていた。閉ざされたドアに絶望しようとして通ってきているのだろうと、何故かわかってしまった。
 今日でもう来なくなるかもしれない、と不安に苛まれたのはの方だ。
 見捨てられるのを恐れていた。
 待っていてくれる人を待っていたのかもしれない。
 今となっては、もうよくわからない。
 ドアを開けて、立っていたのは甘寧だった。これが張遼でも、はきっと同じように部屋へ上げようとしただろう。
 だが、立っていたのは甘寧だったのだ。
「だから、アンタは、泣かなくていいんだ……全部、俺が悪ぃんだから」
 馬鹿、とは甘寧の肩を拳で叩いた。
 何度も叩いて、よろける甘寧の首に飛びつき、無理矢理キスした。
 ぎょっとして目を剥く甘寧を、は涙で潤んだ目で睨む。
 腹がたって仕方なかった。
 たぶん、自分に対してだろう。
 甘寧は、戸惑いながらもを抱き寄せ、そっと唇を吸った。
「……俺で、いいのかよ」
 どうしても確認せずにはおられない、と言った態で甘寧がを覗き込む。
 は首を振った。
「わかんない。わかんないの、でも、ドアを開けて、立ってたのは甘寧だったんだもん……」
 甘寧にしがみ付き、その背に爪を立てる。
 悪い夢を見て、脅えて母親にすがる子供のようなの姿に、甘寧は困惑を振り切り再度その体を抱く腕に力を篭めた。
 舌を絡めて、互いに吸い上げる。外れては再び唇を寄せ、重ね、まるで犯すように乱暴に交わすキスは、二人の息をかき乱していく。
 どさ、と小さな音がして、二人とも我に返った。
 甘寧が持ってきた弁当の袋が、いまだに律儀に持っていたの手から滑り落ちた音だった。
 息が上がって、まるで全力疾走したかのように鼓動が早く鳴り響き、全身から汗が噴き出している。
 細身のジーンズを穿いていたため、甘寧の前は隠しようもなく、完全に猛っているのがよくわかった。
 が指を伸ばすと、甘寧の肩が揺れる。
「……ね、出して」
 言うなりは膝を着き、甘寧のものにジーンズの上から口付けた。
 何をしようとしているのか察して、甘寧は片眉を吊り上げる。
「……きたねぇぞ」
 しかし、言葉ではそう言いつつも、甘寧はおとなしくジッパーを下げ、下着の中から昂ぶりを解放する。
 の舌が甘寧の昂ぶりに触れ、ゆっくりと舐め上げた。
「……どうしたらいいか、教えてね」
「何だ、したことねぇのかよ」
 が自信なさげに切り出し、甘寧を驚かせた。自分から跪いたもので、てっきり慣れているのかと思ったのだ。
「何回かは……あるけど……いいのか悪いのか、よくわかんなかったから……」
 先端に舌を押し当てると、甘寧の顎が上がる。
「……ん……口ン中、入れてくれ……」
 が先端を含むと、甘寧の喉から小さな嬌声が漏れた。
「舌で、こするみたいにしてくれ……ん、そう……んな感じで……」
 甘寧の声が上擦る。指先での耳や髪を優しく撫でた。
「……咥えたまま、頭振れるか。腰振るみたいに」
 えっと、と少し考えながらが頭を前後に振る。
 口を離した。
「なんか、馬鹿みたいなんだけど」
 互いに顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
 甘寧がしゃがみ、と目線を合わす。
「俺は、すげぇ気持ちよかったけどな……結構、傍から見りゃ馬鹿みたいなんかもな、こーゆーの」
 甘寧の言うとおり、みっともないことなのかもしれない。裸になって、普段誰にも見せないところを晒すのだから、少なくとも恥ずかしいことではある。
「……どうする、馬鹿みたいだからやめっか?」
 甘寧の目が笑っている。やめる気などないのだろうに、良く言う。
 は立ち上がり、甘寧に背を向けると、パジャマの下を下着ごと脱ぎ捨てた。
 背後でごくりと唾を飲み込む音がする。
 の背中から手が回ってきて、パジャマのボタンを外し始めた。
「このまんま、挿れられそう、な」
 甘寧の指が繁みを掻き分け、秘裂の潤いを確かめる。とろりとした感触に、甘寧の声も笑みを含む。
「ここで挿れても、いいか」
 は背後を振り返る。
 決して広くはない築25年の賃貸マンションだ。機密性は良くそこそこ防音も良かったが、さすがに玄関先で大声を出せば、誰かに聞かれるかもしれない。
「……うん」
 背徳感はそのまま興奮に繋がり、は甘寧に腰を押し付けて強請った。
 甘寧は焦らすようにの膣に指を一本突きこみ、激しく突き上げた。
「っ、やっ」
 さすがに物足りずに足で締め付けるが、角度を自在に変えては中をゆるくひっかかれ、は甘寧の手管に翻弄される。
「……んん、や、お願い……」
「ん?」
 素知らぬふりで甘寧が促すと、は甘寧の昂ぶりを手の平で撫で回す。今度は甘寧が呻き声を上げた。
「こっち、こっちにして」
 甘寧の指が引き抜かれ、代わりに昂ぶりが押し当てられる。その質量と熱に、は思わず感嘆の吐息を漏らした。
「いくぜ、サン」
 が少し躊躇いを見せ、甘寧はそれを目敏く目に留めた。
「……やっぱ、嫌か?」
 強張った甘寧の声に、は頭を横に振った。
「……って、呼んで」
 あ、と甘寧が声を漏らす。その頬が朱に染まった。
「……お、おぅ、わかった……あー、と、その……いくぜ、あの…………」
 こくりと頷くと、の項が露になった。
 吸い寄せられるようにキスして、甘寧はを一気に貫いた。

 甘寧が達した跡が、背中から重力に従って腰に落ちていく。
 自身の淫水がビニールクロスの床を汚していたから、どのみち掃除しなければなるまい。
 甘寧はボックスティッシュを取ると、の背中をざっと拭き、己のものも軽く拭き取った。
「……膝、痛い」
「あぁ、悪ぃ」
 固い床に膝を着いていたせいで、手はともかく膝がじぃんと痺れたようになっていた。
「布団、行くか」
「……まだするの?」
 けだるげなに、甘寧の頬が染まる。
「……俺、まだ全然足りねー……」
 が苦笑する。裸のまま、よろよろと立ち上がると、寝室に向かう。その後姿を、甘寧は少し眩しそうに見詰めた。
 甘寧がを追って寝室に入ると、はレターケースの奥から何かを引っ張り出してきた。
「これ」
「……何だ、コレ」
「コンドーム。やっぱり、不安だから」
 フィルムのかかったままの箱は手付かずだったが、前の男の存在を匂わせて甘寧は少し不機嫌になった。
「いらね、生のがイイ」
「駄目。着けて。……着けてくれたら、あの、何回してもいいから……」
 の声は、徐々に尻つぼみに小さくなっていく。
 甘寧は、俯いたの手から無言で箱を取り上げ、フィルム包装を剥ぎ取った。
「……着ければ、いいんだな?」
 こくり、と頷くをベッドに横たえさせると、甘寧はコンドームの箱を開け逆さにして勢い良く振る。中身を全部出してしまった。どさどさと頭の横に降ってきたコンドームの個包装に、はぎょっとして甘寧を見上げる。
「ひーふーみー……12個か。じゃ、12回やれんな」
「はぁ!?」
 が思わず声をひっくり返すと、甘寧は口の端をにやりと歪めて笑う。
「着けたら、何回してもいいんだろ?」
 不意に笑みが消え、甘寧の体がを包む。
「……俺、頑張るから……目一杯、やれるだけやるから、さ」
 不謹慎な意味ではなく、そうやってを愛するという誓いなのだと、声の調子で知れた。
「……うん……」
 は、一途に思ってくれる甘寧に、自分も気持ちを引き締めなければと改めて誓った。
 張遼の顔が閉じた瞼の裏側に映り、はっとして目を開ける。
「どした?」
 甘寧が不思議そうに覗き込んでくる。
 はなんでもない、と首を振った。
「……早くしないと、12回終わんないよ」
 軽く微笑むと、甘寧も笑みを零す。
「いいんだな、俺、マジで犯るからな」
 どうせそんなにできる訳がない、とは余裕の笑みを浮かべた。
 甘寧は、の笑みをどう受け止めたのか、耳元にそっと囁いた。
「俺、最高で14回したことあっから。覚悟しろよ、二三日は便所にも行けねぇようになっからな」
 え、ちょっと、と体を起こそうとしたは、甘寧に圧し掛かられてそのまま一夜を明かす破目になった。


  

人間関係シリーズ INDEXへ
長編夢小説TOPへ