約二ヶ月。
怒涛の勢いで過ぎた月日は、約半分を会社に泊まりこんでの生活となった。
甘寧とさえ、話をする余裕もなかった。お互いにへとへとに疲れて、皆に隠れてこっそりキスするのが精一杯だった。
だが、それも今日で終わりだ。
ホテルの会場を借り上げての特別セールは見事大成功を収め、商品は用意したほぼすべてが完売という最高の結果を叩き出した。
再販の問い合わせも多数舞い込み、TEAM呉は嬉しい悲鳴を上げていた。
「乾杯!」
ホテルの一室を借り切っての豪華な打ち上げでは、誰も彼もが疲労困憊で、だが明るく笑っていた。
が壁際にもたれて騒ぎを見守っていると、酔った甘寧がふらふらと近寄ってきた。
「何、こんなとこにいんだよ」
疲れたから、立ってるのもしんどいのだ。立食パーティーとは言え椅子は出してあったのだが、全体的に若いTEAMであるからか、ふざけて椅子を部屋の隅に押し込め絨毯の上に直接座り込んでいる。
一応、分別のある年頃のとしては、皆と同じように座り込む訳にはいかない。
「いいじゃねぇか、別に」
「やーだ、パンツ見えちゃうもん」
今日は接客も兼ねていたので、スーツを着てきた。深いスリットの入った短めのタイトスカートは、デザイン的にもセクシーでも気に入っていたのだが、生憎床に座り込んでいいデザインではない。
甘寧が、突然黙り込んだ。
「ん?」
上目遣いに見上げると、甘寧の喉が小さく動いたのが見えた。
「……見てぇな」
何を、と問いかけるが、本当はわかっていた。
甘寧の目が熱を帯びている。酔っているだけではない、欲情に満ちた目だった。
欲しがられている、と思うだけで、の体も熱くなる。
二ヶ月という期間は、始まったばかりの二人には長過ぎた。
言葉で打ち合わせたわけでもなく、二人はさりげなく打ち上げ会場を抜け出した。
「……どうするの」
部屋を取るわけにもいかない。一流と謳われるホテルなのだ。飛び込みで取れるホテルとは訳が違う。
甘寧は打ち上げの会場から離れると、突然の手を取って階段を駆け上り、男子トイレに飛び込んだ。
「ちょっ……」
個室に引きずり込まれ、口に手を当てられて『しー』と諌められる。
「……、ハンカチ持ってるか?」
忙しなくベルトを外す甘寧に、は呆れながらも期待で心臓の音が静まらない。
「ハンカチはともかく、ゴムは持ってないよ、さすがに」
「生でいいじゃねぇか」
ハンカチを取り出す手を止め、は甘寧に白い目を向ける。
甘寧は便器の蓋を開けて座ると、の腰を抱き寄せた。
「ガキが出来たら出来たでいいだろ。そしたら、結婚しようぜ」
「……そんなプロポーズ、ヤダ」
甘寧は意にも介さず、立ったままののスカートを上にずり上げる。
「おわ、ガーター。すげぇ。燃える」
今日のは、黒のレースのガーターベルトに同じく黒のレースのショーツを着けていた。
「……俺に見せようと思ってたとか」
含み笑いで見上げる甘寧に、は頬を染めた。
「……あ? マ、マジで?」
動揺して噛む甘寧に、はむっと唇を尖らせ、指先にショーツを引っ掛けて見せた。
誘うような仕草に、甘寧の目が釘付けになる。
「終わったら、ラブホ、誘おうかと思ってたの……だから。奮発したんだよ。結構高かったんだから」
甘寧の耳元に囁く。
「……こういうの、嫌い?」
ぷちん、と切れたように甘寧はに踊りかかった。のショーツを引き摺り下ろすと、背後から飛びつく。
が慌ててハンカチを口の中に突っ込むのと、甘寧がの中に昂ぶりを突きこんだのは、ほぼ同じタイミングだった。
男子トイレから、甘寧の先導の元脱出する。
「……声、聞かれたりしなかったかな」
「わかんね。でも、誰でもいいから聞かせてやりてぇー」
くぅー、と嬉しげに唸る甘寧に、は赤面して肩をどついてやった。
甘寧は文句を垂れたが、それすらも何処か嬉しそうだ。
も、引き結んだ唇を解いて笑った。
会場に戻ると、突然孫策がやってきて、甘寧を引き摺って壇上に駆け上がる。
マイクを握り締めると、スピーカーが悲鳴を上げるぐらいの大声で怒鳴った。
「みんな、ちゅーうもぉーくっ!!!!!」
近くに居た凌統が、耳を押さえながら『マイクいらないんじゃないか』と零したが、もまったくその通りだと思った。
「……今日から、甘寧が正式に俺らTEAM呉の面子に入ることになった! 甘寧、一言っ!」
ざわ、と会場がざわめく。凌統は顔を引き攣らせていたが、他の者は概ね好意的なようだ。
孫策からマイクを受け取った甘寧は、少し照れ臭そうに頭をかいていたが、マイクを構えて会場を見回した。
「えー……今更だけどよ……改めて! よろしく、頼まあ!」
わっと会場内が盛り上がり、拍手が高波のように沸き起こった。
「あ、後。……は、俺のもんだから。手ぇ出した奴ぁコロス! いじょーう」
一瞬、会場がしんと静まり返る。
転瞬、爆発するように笑いと悲鳴が上がった。
派手に口笛や指笛が飛び交い、甘寧は照れるわけでもなくどーもどーもと手を上げて答えていた。
「……甘寧殿にも、困ったものですね」
陸遜が気の毒そうにに近付いて来る。
「酔っ払って、ふざけてるんでしょう。あまり、怒らないでやって下さい」
どう答えたものか困って考え込むを、走りこんできた甘寧が抱き締める。
「ちょっ……甘寧殿、いくら何でもやり過ぎですよ!」
陸遜が眉を吊り上げて怒鳴る。が、甘寧は一向に取り合わず、むしろ嬉しそうに笑って見せた。
「ヤり過ぎんのは、この後だぜ? な、」
「ば……馬鹿っ!」
思わず甘寧の胸を叩くは、顔を真っ赤にしている。
陸遜は二人の雰囲気を察し、呆然と立ち尽くした。
「……すまん、陸遜」
割って入るように呂蒙が現れ、気の毒そうに陸遜の肩を抱いた。
「りょっ……呂蒙課長、ご存知だったんですか!?」
「ああ、しかし……お前にはどうしても言えなくてな。すまなかった」
今度はが呆然とした。以前陸遜が言った言葉、てっきりからかわれたと思っていたのだが、どうもそうではなかったようだ。
甘寧もそれと察してを背後に引き込んだ。がるる、とまるで犬のように陸遜を威嚇している。
「そ、そんな、どうして教えてくれなかったんです! 呂蒙課長だって、私と同じ気持ちだったじゃないですか! 知ってるんですよ!」
わぁ、馬鹿もん、と呂蒙が叫び、陸遜の言葉をある意味そのまま肯定してしまった。
これには甘寧もぎょっとして固まる。
の肩をちょんちょんと突く者がいて、振り返ると凌統がそこに居た。
「……まさか、知らなかったとか?」
顔面に驚愕の文字を浮かべるは、ぶんぶんと首を縦に振った。
凌統はさも可笑しそうに笑みを浮かべ、公然の秘密だったとに告げる。
「呂蒙課長も陸遜も見え見えだったからさ、TEAM内でトトカルチョしてたくらいだったんだけど……よりにもよって大穴が来ちまうとはねぇ」
孫堅常務の一人勝ちだと凌統は肩を竦めた。
よりにもよって君主まで賭け事に参加していたとは、いや、今の問題はそこではない。
「……こうなったら、今日はとことん呑んでもらいますよ! 帰しませんからね、覚悟して下さい!」
「ば、馬鹿、俺は今日、これから……」
喚き声に振り返ると、陸遜が今にも泣き出しそうな顔をしながら甘寧の腕を掴んでいた。甘寧は必死にに助けを求めているが、が入っても泥沼が悪化するだけなのは明白だ。
凌統がさっさとを安全地域(孫堅の横)に運んでしまい、甘寧は呪詛の声を上げた。
「テメェ、凌統!!」
「ははん、勝者として、一晩くらいは敗者の泣き言に付き合ったって罰は当たんないと思うけどねぇ」
凌統は鼻で笑うと、にマティーニのグラスを渡し、嫌味っぽく乾杯をしてみせた。
の呑みかけを、今度は横に立つ孫堅が取り上げて飲み干してしまう。
「人の物となると惜しくなるな」
ほざきながらの肩を抱いてくる。
とんだセクハラだが、孫堅が甘寧の方を向いているのを見ると、甘寧をからかって楽しんでいるらしい。
「楽しみ過ぎですよ」
凌統がを抱く孫堅の手に新しいマティーニを渡し、を助け出してくれた。
が、今度はちゃっかり自分がの肩を抱いている。
甘寧は歯軋りしての元に駆け出そうとするが、陸遜が腕にぶら下がってままならない。
「馬鹿、テメェあれが見えてねぇのか!」
「今は腹立たしくて甘寧殿の顔しか目に入りません! そんなこと言って、逃がしませんよ!」
黒レースのガーターベルト付とラブホで過ごす甘い一夜がかかった甘寧は、必死の形相で陸遜を宥めにかかる。
「……なぁ、また今度にしておこうぜ。そーだ、今日はお前ぇ、おっさんと呑んどけ。敗者同士、しっぽり語り合えよ、な?」
「私は未成年です! そこまで仰るなら、甘寧殿に私の代わりに呑んでいただきましょう! さ、行きますよ!」
孫策が面白がって乱入し、甘寧をしっかり拉致してしまった。呆れ顔の周瑜と苦笑した太史慈が続き、楽しい二次会会場を予約する電話の遣り取りが聞こえてきた。
甘寧の色気のない悲鳴がこだましたが、ガタイのいい男達に取り囲まれ、を呼ぶ声は小さくなっていった。
「あーあ……」
は溜息を吐いた。
あれでは、今日の約束は無理だろう。
見せられただけでもヨシとするか、とは気持ちを切り替えた。
中締めの挨拶に壇上に立った孫堅に視線を向ける。
これでしばらく、少しは暇になるだろう。時間はまだあるのだ。
それに、やらねばならないことがまだ最後に一つ、残っている。
ちょうどいい。
は、酔いが一気に引いていくのを感じていた。
二次会の誘いを年の功で上手に断り、帰路を辿る。
駅のタクシー乗り場には長い列が出来ていて、乗るのは憚られた。
歩いても30分とかからないのだし、とは行列から離れて歩き出した。人気のない道は、寒さも手伝って空気が心地よい。
家でかけるよりは、とは携帯を取り出した。
名前のない、番号だけの登録を呼び出すと、指が微かに震えた。
発信ボタンを押すと、小さくコール音が響く。
きっかり2回のコールで、張遼が出た。
『はい』
やや低い声が耳元に響く。
は、息を飲んだ。
「……私です」
張遼は無言だ。
「……考えて……決めました…………私、甘寧を選びます」
『それが、貴女の答えか』
張遼の声に、胸が詰まる。
「はい」
声の震えが伝わらないよう、極力押さえて短い返事を返す。
『……左様か』
「……はい」
数瞬の沈黙の後、携帯越しにふっと短い溜息が聞こえた。
心臓が跳ね上がって、泣き出したくなった。
『承知した』
ぷつ、と断ち切られる音がし、後は電子音のツー、ツーという音だけが聞こえていた。
終わった。
思ったよりずっとあっさりと、簡単に済んだ。
は震える手で携帯を切ると、鞄の中に押しこむ。
吐いた息が、白く染まった。もうすぐ冬なのだろう。
何度も深呼吸を繰り返すと、痺れていたような感覚が元に戻ってきた。
これでいい。これで。
は重い足を引き摺りながら、自宅のあるマンションへの道を辿った。
暗い夜道を歩き続けて、やっとマンションの入り口にある街灯が見えてきた。
ほっとして足を速めると、暗がりに人が立っているのが見えた。
少し驚き、自然避けるように斜めに移動すると、人影は直接の方に歩いてきた。
「……どうして」
人影は、張遼だった。今さっき別れを告げた相手の登場に、は戸惑い、うろたえた。
「……わ、私、決めたって……貴方だって、わかったって言ってくれたじゃないですか!」
責めるように叫んでしまう。本当はこんなことを言いたくなかった。しかし、張遼の意図がまったく読めず、恐怖に駆られたには喚くしかできることがなかった。
「貴女の考えは確かに『承知』した……だが、『納得』したわけではない」
「そんな」
の目の前に張遼が立ち塞がる。
こんなに大きな人だったろうか。こんなに威圧感のある人だったろうか。
は鞄を胸に抱き、ぎゅっと握り締めた。鞄を自分に見立て、必死に守ろうとしているようだった。
「……貴女こそ、本当にきちんと『考え』られたのか」
張遼の言葉に眉を顰める。
どういう意味だ。
「ホテルの男子トイレで、獣のように交わる……それが貴女の『考え方』ならば、私も少し考えを改めねばなるまい」
「!」
屈辱で顔が焼けた。甘寧との早急な昇華を、張遼に覗き見られたような気がした。
何か罵ってやりたかったが、怒りのあまり言葉が見つからない。
「……失礼します」
張遼の脇をすり抜け、マンションに向かう。
もう、会うこともないだろう。会っても、他人以上に他人だ。
とん。
軽い音と共に、強い電撃のようなショックが体を突き抜けた。
みるみるぼやける視界に、張遼の顔が映る。
何をしたの。
声は出せなかった。
力の抜けた体が重力に引かれ、地面にぶつかる、と思ったが、ぶつかる前に意識は飛んだ。
は張遼に捕らえられた。
続