陸遜の淹れてくれた茶を啜り、一息吐く。
茶の香、温かさと湯気のもたらす湿り気がざわつく気持ちを落ち着かせてくれた。
いささか緩み過ぎとも言えなくもないの表情に、陸遜は苦笑を禁じ得ない。
その傍らに座すと、己の分の湯呑を手にし、玩ぶ。
「……それで」
事情を知らぬ陸遜は、話を促すことから始めた。
促されたは、もう一度茶を啜り込むと、目線を中空に投げる。
「何から、話せばいいかなぁ……」
口にするのも嫌なことばかりだ。
しかし、話さねば陸遜も思考の整理が付かないだろう。
「あの……実は、ね」
さくらに会うことは、陸遜には告げていなかった。
苦手な相手との会合を知られたくなかった、というのは建前だ。
言えば、陸遜が着いて来てしまうような気がしたのだ。
陸遜をさくらに会わせるのは、何となく嫌だった。
嫉妬だったのかもしれない。
だが、話さないことにはそれこそ始まらなかった。
「……昨日の子と、会って……」
ブログの内容も、陸遜には伝えていない。
どう説明したものか。
が口籠っていると、陸遜が口を開く。
「さくらというひとでしたら、違うと思いますよ」
「違う……」
頷き掛けただが、はたと目を見開く。
「ち、違うって、何が!?」
「ですから」
陸遜は至極冷静だ。
「さくらというひとが、馬岱殿の想い人ではないだろうと言っています」
絶句した。
どこまで知っているのか、いつ知ったのか、どうやって知ったのか。
陸遜に、臥龍の影を見た気がした。
を見ていた陸遜の口の端に、苦い微笑が浮かぶ。
「それも違います」
「え」
先を読まれる得体の知れなさに、の顔が強張る。
しばらく困ったように笑っていた陸遜だが、諦めがついたかようやく種明かしをしてくれた。
「先程、会いましたから」
「会ってた……って……あ」
理解した。
「会ってたの!?」
思わず膝立ちになるに、陸遜は逆らわず頷いた。
「が家を出た後、相談があると呼び出されまして」
愕然とする。
直後、猛然と腹が立ってきた。
代金も払わずとっとと帰っていったのは、陸遜を待たせていたからだったのか。
ぐぬぬ、と奇態なうめき声を上げていたは、そこではたと気付く。
「……呼び出されたって?」
突き出した陸遜の手の中には、携帯が握られている。
鈍く輝く赤い携帯を、はまじまじと見詰めた。
「え」
携帯に、連絡があった。
それは分かる。
――どうやって?
は、言葉もなく陸遜を見遣る。
陸遜もまた、無言で首を振った。
空気が重くなる。
陸遜の携帯番号を知っている人間は、限られている。
と持ち主たる陸遜、そして完だけだ。
前者二人から漏れたのではないとなれば、漏らしたのは必然、残る一人となる訳だ。
は、髪を掻き上げた。
漏らすの漏らさないの、これではまるで裏切り者扱いだ。
盗み見られたのかもしれないのに、決め付けは良くない。
「……えっと」
完のことは、一先ず流そう。
の考えが伝わったのか、陸遜は軽く頷く。
「呼び出されたのはいいとして、そもそも私は遠出が出来ませんので……からおけ、でしたか、最初はそこに来て欲しいとのことでしたが、場所が分かりませんので……」
の目が険しくなる。
それはそうだろう、そこ、と確かに特定こそ出来ないが、恐らくさくらが陸遜を呼び出そうとしたのは同じカラオケ店だったに違いない。
が別室に入った後、陸遜を他の部屋に連れ込めば、移動時間分も加味してゆっくり出来るという寸法だ。
ひょっとしたら、先に別室を押さえていたからこその料金踏み倒しだったのかもしれない。
二部屋分を、しかも無駄足だったのに払いたい馬鹿もいなかろう。
目に見えて怒りに燃えだすを、陸遜はやや引いたような面持ちで見詰める。
そのうち諦めたのか、一人勝手に話を進め出した。
「……それで、私が分かる場所、ということで、あの服屋の前で待ち合わせたのですが」
「あの服屋」
というと、陸遜の服を買いに行ったあそこだろうか。
一度歩いて行ったことがあるとはいえ、良く分かったなぁと感心する。
「えぇ、あの服屋です。それで、あの方が来て、そこでお話しまして」
店の前で立ち話したのかと、内心呆れる。
「……どこか移動しようって言われなかった?」
「服を見たいとお願いしまして」
前でなくて、中だった。
何でわざわざそんな、と思わないでもなかったが、敢えて口を挟むことはしない。
「適当に見ていたのですが、あの方が私に服の見立てをし始めまして。その内、店の方から声掛けられまして」
わざわざでなく、わざとだった。
最初に感じた嫌な予感は、別種の嫌な予感に転じる。
「喧嘩に、なったとか」
「いえ、そこまでは」
陸遜がふるふると首を横に振る様は、可愛らしくさえある。
「あの方が、自分は彼女だと名乗られまして。彼女というのは、恋人の名称ですよね? ですから、店の方に真偽の程を問われた際に否定したところ、幾分揉めまして」
腹の中身はどす黒い気がする。
彼女ですと名乗った途端、当の本人から否定されれば、言った側も聞いた側も相手にいい感情は持てなくなろう。
分かってやったのでなければ天然だろうが、分かってやったに違いないから腹黒いと言うのだ。
有耶無耶の内に外に出て、疲れたから帰ると切り出した陸遜に、さくらは特には引き留める様子はなく、代わりに日を改めて会って欲しいと持ち掛けたそうだ。
「時間が取れれば、ということで、そこで別れました」
「……あぁ、そう……って、あの、相談て?」
さぁ、と陸遜は首を傾げた。
「ただ、後で電話が掛かってきまして、馬岱殿の話を聞きました」
夢の話として聞いてくれと前置きした内容は、の見たブログの内容を簡略化したものだった。
「……それで?」
「つまらない話をしたと詫びられて、終わりました」
では、収穫はないに等しい。
腕組みして悩むは、ふと顔を上げる。
「……違うって、何が?」
「何がとは、何ですか……と言いたいところですが、の言いたいことは分かりますよ。何故、この話の内容であの方が馬岱殿の想い人でないと分かるのか、ということですよね」
そうなのだ。
さくらがあくまで『夢の話』としてした話で、そこで何故、さくらが馬岱の想い人でないと分かるのだ。
それ以前の問題、夢の話を夢でないと受け止めているのは何故なのだ。
「友人から聞いたの、親戚の誰それが言っていたのの話は、大概がでたらめな噂話か本人の話と相場が決まっています。第一、あの方は、いかにも自分の話でございますと言わんばかりの語り口調でしたから、あれで分からない方がおかしいですよ」
成程、よくある『私じゃなくて、友達から聞いた話なんだけど』あるいは『もし私が○○だったらどうする』等のレパートリーを駆使した話だったのだろう。
「しかも、時折涙ぐんでさえいましたから」
「あぁ……それは……うん……」
夢の話で涙ぐまれて、食い付くのは一部の異性のみだろう。
世の女性の大半は、夢の話で泣かれても、困惑するのが関の山だ。
「いやいやいや、待て。それで何で、馬岱殿の相手じゃないって分かるんさ」
ブログを読む限り、不自然な箇所は見受けられない。
さくらの口調がどうあれ、馬岱の相手ではないと断じられる要素はない筈だ。
「違いますよ、何を言ってるんですか」
「いやだから、何がどうして違うんだって」
更に問い詰めるに、陸遜は呆れたように眉を寄せる。
「違うでしょう、どう考えても、あの方は」
馬岱の好みである筈がない。
「……えー……」
どん引きである。
馬岱の好みは知らないが、蓼食う虫の例えの通り、傍から見て知れるものではない筈だ。
あれは違うと断言する理由としては、少しばかり弱いのではないか。
けれども、陸遜は譲らない。
「あの方に惚れるくらいなら、私に惚れていると言われた方が、まだ真実味があるというものです」
胸を張ってそんなことを言う。
「……えぇえー……」
どん引きにどん引きを重ねるに、陸遜の眉尻がきりりと吊り上がった。
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