を牀に下ろすと、甘寧はそこにあった上掛けをに引っ被せ、更に掛けてあった装束を引き摺り下ろしてそれも被せる。
 他にないと見るや、自分が牀に上がっての体を抱き寄せた。
 口を結んだまま言葉を発しないは、不満顔で甘寧を睨め付ける。
 甘寧は険悪な視線をさらりと流し、鼻歌を歌いながらあやすようにの背を軽く叩いた。
 枕にした甘寧の二の腕は筋肉質で太い上に固く、お世辞にも寝心地がいいとは言えない。
 布越しにも甘寧の体温は高く、冷えた体が温まっていくのが無性に腹立たしかった。
「いいよ、もう」
「何が」
 腕の中から逃げ出そうとするが、甘寧は何でもないようにを引き戻してしまう。
「……汗臭いもん」
「臭かねぇよ、普通だろ」
 普通って何。
 暖簾に腕押ししているような虚しさに、は小さく溜息を吐いた。
「何か嫌なことでもあったか」
「ない」
「じゃ、寝ろ」
 寝ろといわれても、この状態で安眠するのはなかなか至難の業だと思う。
 再び険悪な視線を向けるに、甘寧は手を捻じ曲げて眉間をうりうりとこねくり回した。
「痛い」
「じゃぁこの皺何とかしろ、ムカつくぜ」
 ならば、とっとと宴にでも出てきたらいい。
 構ってくれなくていい、ほっといてくれ。
 ぼそぼそと吐き捨てると、甘寧の目が剣呑に細められた。
「ぶっ飛ばすぞ」
 本気としか思えない低い恫喝に、は怯えて身を縮こまらせた。
 怖くなり、体が逃げを打つのをまた引き摺り戻される。
「何かヤなことでもあったんだろうがよ。勉強なんかしてっから、つまんねぇことが気になんだろうが」
 辞めちまえ、と突拍子もないことを言い出す。
「勉強のせいじゃないよ」
「じゃ、何だよ」
 むっつりと黙りこくるの前に、脅迫するように指が伸びてくる。
「……もっと、綺麗に生まれたかった」
「何だそりゃ」
 呆れ返ったような口調に、はカチンと来るものがある。言えと言ったから言ったのに、その反応は何だ。
「ンだよ」
「もう、言わない」
 言えよ、言わないでまた揉める。
 甘寧の指が伸びてきて、は慌てて額を庇う。
「だ、だって、もっと綺麗だったらって、さ」
「だったら何だってんだ」
 もっと自信が持てたかもしれない。
「何だそりゃ」
 甘寧は呆れ返っている。
 呆れるくらいなら訊かなければいいと思うのだが、甘寧は『それで』と促すだけだ。
 が口を閉ざすと、甘寧の目がきょろりと揺れる。
「どんくらい『キレイ』なら、満足だってんだよ」
 う、と詰まる。
 指が伸びてくる。
 額を庇う。
「……だ、大喬殿とか、くらい……」
「何だお前、あんなガキみてぇのがいいってのか」
 ばっさり斬り捨てる物言いに、が憤慨する。
「ガキって。……じゃ、じゃあお頭は、どんなひとが綺麗だって言うの」
「知らね」
 は口を閉ざした。
 からかわれているのかと思った。
 甘寧がにやりと笑う。
「女なんてな、抱きたくなるかならねぇか、そんだけなんだよ」
 くつくつ笑った甘寧が、ごろりと仰向きになる。包まれていた肉の壁がなくなって、湿っぽい温もりが消えた。寒さが殊更強く感じられ、何だかもったいないことをしたような気になった。
「俺も、強くなりてぇ」
「は?」
 甘寧は、その名を知られた呉の勇将だ。突然何を言い出すのやら、さっぱり分からない。
「バーカ、もっとだ」
 空を睨む甘寧の目が、研ぎ澄まされた刃物が宿す光のようにぎらりと輝く。
「もっともっと……俺の名を聞いた連中が、ブルってションベン撒き散らすぐれぇ、強くなりてぇ」
 居もしない誰かを睨み付け、甘寧はぎしりと歯列を噛み合わせる。
 温かかった体から迸る冷たい殺気が、の体を震わせる。
 その振動に気が付いた甘寧は、ふっと殺気を緩めてを振り返った。
「お前、綺麗じゃねーか」
「はっ!?」
 驚きのあまり飛び起きるを、甘寧は不思議そうに見上げた。
「綺麗だろ?」
「……だ……は!?」
 言葉もない。
 何を言っているのかと詰ってやりたいが、甘寧はごくごく真面目な顔で首を捻っている。
「だってよ、あの趙雲とかいう優男も、姜維とかいう坊主も、お前のこと好きなんだろ?」
 綺麗だからだろうとしゃあしゃあと言って退ける甘寧に、の顔はみるみる赤くなった。
 熱あんだろ、と再び引き寄せられるが、顔が熱くてぼうっとして、抵抗するゆとりもない。じんわりと浮かぶ汗がとにかく不快だ。
「それで?」
「そ、それでって?」
「綺麗だろ、お前。後は? そんだけか?」
 言いたいことは分かるような気もするのだが、綺麗だろ、であっさり流していい話ではないと思う。
「綺麗だろ」
「いや、だから」
 抵抗を続けるに、甘寧はますます眉を顰める。
「綺麗だろ? 何だよ、不服なのかよ。綺麗なのがいいんだろ?」
「だから、だからね!」
 言われ慣れない言葉を、言うのが似合わない甘寧が吐き出す相乗効果的破壊力に、脳の芯まで煮えてしまう。嫌な汗が噴き出して、頭がくらくらした。
 唐突に体が引っくり返された。
 オセロの駒のように自然に引っくり返って、疑問に思う余地もない。
「じゃ、こうすっか? 俺が、抱きたくなる女。そんなら納得だろ?」
「じゃ、じゃじゃじゃ、じゃあって」
 心の動揺とは裏腹に、体はぴくりとも動かない。
 甘寧の顔が、ずずいと間近に迫る。
 声を伴わない悲鳴が迸り、次の瞬間胸の上にぼすんと重たいものが落ちてきた。
 いつの間にか目を閉じていたらしい、薄目を開ければ、甘寧がの胸に顔を埋めて肩を震わせている。大爆笑だ。
 カラカワレタ。
 ぴき、と青筋が立ち、くわっと目が釣り上がる。
「……あー、面っ白ぇ! 最高だ、最高!」
 甘寧は、の胸の上で遠慮もなしに笑い転げている。
「あのね」
 マット代わりにされていることが、酷く腹立たしいような気もする。が、何だか気抜けしてしまって怒るに怒れない。
「重いよ」
 それだけ文句を付けると、甘寧はすぐに脇に退いてくれた。
 顔は笑ったままだが、頬杖突いて伏し目にした顔が優しく、そのくせ男っぽくてどきりとした。
 会話が途切れ、沈黙に戸惑ったは、甘寧の横に寝転がって同じように頬杖を突く。何となく恥ずかしく、顔は見られなかった。
「……もっとね」
「ん?」
「もっと、綺麗になりたい」
 酷く恥ずかしい言葉に思えた。自分でも顔が熱くなるのが分かる。
 本当なら、素のまま綺麗になるのに越したことはない。それが出来ないから、せめて着飾りたいと思う。
 それでも戸惑うのは、それで素の自分が綺麗になれる訳ではないからだ。綺麗になったと自分を誤魔化しているような気になる。
 第一、綺麗な人が綺麗にすれば、がどれだけ努力したとて敵うはずがない。無駄な努力と思いつつ、それでも綺麗になりたいという気持ちは捨てられない。
 複雑に絡み合うジレンマが、どうしてもの憂鬱を晴らしてくれないのだ。
 でも、それでもと足掻いているのに、『着飾るな』という孫策の一言に、とても切なく悲しくなった。
「……女ってな、欲深いな」
 はぁん、と馬鹿にしたような相槌を打つ甘寧に、は頬を膨らませた。
「何よぅ、お頭だって欲が深いじゃないかさー。そんだけ強くて、何が不満なの」
「ばっか、だから言っただろ。もっと……」
 痛いところを突かれたことに気が付かず、思わず言い返しかけた甘寧はそこで口を噤んだ。
「ま、いいか」
 自分の不利を覚って流そうとする。
「後ね」
「まだあんのかよ!?」
 が続け、甘寧は仰天したように顔を上げた。
「もっと頭が良くなりたい」
「良くなりたいって。どんぐらいだよ」
 諸葛亮様くらい、と続けたに、甘寧は心底嫌な顔をした。
 女の諸葛亮なんか、話すどころか見るのも御免だと思った。

 扉の外から伝わる殺気に、甘寧は静かに牀を抜け出した。
 勢い付いて話しこんでいたは、話し疲れて今はもうぐっすりと眠り込んでいる。
 その寝顔を見下ろして、甘寧は室を抜け出した。
 音もなく扉を開くと、そこに立っていた孫策は驚愕の面持ちで甘寧を見つめた。
「何か用か」
 気楽な物言いは常と変わりない。
 けれど、この時の孫策の神経には酷く逆撫でしてくるものだった。
 更に張り詰める殺気に、甘寧は緩く笑う。
「……退け、甘寧」
「今、寝てるからよ」
 退かぬ、と言外に突っぱねられ、孫策は思わず甘寧の首に掛かる飾り紐を掴み取った。
 甘寧の笑みは消えない。
 不敵な態度に、孫策の怒りは増していく。
「俺は、退けって言ってんだぜ」
「俺は、今、寝てるって言ってんだぜ」
 甘寧の顔から笑みが消えた。
「お前、あいつに何言った」
 はっとした孫策の手から、急速に力が抜け落ちる。
 俯いて視線を避ける孫策に、甘寧の目はひたすら冷たい。
「出直してきな」
 扉が閉められ、音が消えた。
 立ちすくむ孫策は、の室の扉にそっと触れ、泣き崩れるようにずるずると手を下ろす。
 廊下からそのまま庭に降り、暗闇が凝る木々の間に消え入った。

 甘寧はの眠る牀に戻ると、大欠伸をして再び横になる。
「ん」
 が小さく唸り、握った手を緩く蠢かした。
 甘寧はの手に手を重ね、軽く叩く。安堵したように微笑み、再び安らかな寝息を立てるに、甘寧はガキか、と呟いた。
「着飾りてぇってんなら、着飾らしてやりゃいいんだよ、なぁ」
 女ってのは面倒だ。
 あの旦那も、そこら辺がまだまだだな、と一人ごちて目を瞑った。

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