俺一人が悪いのかと言われれば、確かに孫策一人が悪いのではない。
 と孫策が悪いのだ。
 よって、が八つ当たりしたいと思い、無辜の人々に被害が及ばぬようにしたいとなれば、孫策に当たるしかない。
 孫策の主張を『けっ』の一音で退け、は不機嫌に食事を進める。
 先に湯を使わせてもらい、芯まで温まった体はしかしの機嫌を直すのには役に立たなかった。
 あまりにもろくでもないすれ違いのせいで、あまりにも大それたことを仕出かしてしまった。
 諸葛亮に面目ないし、呉の人々の心労を推し量れば反省して済むことではない。
 何より、周泰の進退が気懸かりだった。
 軍規違反、命令違反、反逆の疑いを含む恣意行動。ざっと並べても何らかの処罰は免れまい。
 処刑などと言う事態になったら、と考えると、の気鬱は晴れない。
 周泰は別室で接待を受けていたのだが、大喬から事の次第を聞き終えた孫策に呼ばれ、今は一緒に食事を取っていた。
 身分や地位に関係ない、無礼講に近い席であっても、周泰は頑なに臣下の礼を貫き通していた。話し掛けられなければ口を開かないし、口を開く時はきちんと箸を置いて姿勢を正してから答える。
 堅苦しい態度に、も改めてそれに準じる。
 給仕も居ない四人だけの席で、半数の人間がそれをやるもので場の空気は非常に堅い。
 元々礼儀正しい大喬も自然に合わせてしまい、孫策は不機嫌そうに眉を顰めた。
「……まぁ、とりあえずは明日からのことだよな。明日、俺も同行し」
「結構です」
 即座に却下され、孫策が喚きだす。
 堪えてきていた分遠慮がなくなったのか、好き放題に喚くので普段の二割増やかましかった。
 はつんとそっぽを向いて、ご丁寧にも指で耳栓して『聞いてません』と態度で示した。
「大喬、何か言ってやってくれよ!」
 突然話の矛先を振られ、大喬は目をぱちくりとさせた。
 箸を置き、優雅な仕草で茶碗を傾け喉を潤すと、改めて姿勢を正す。
「大姐」
「はい」
 大喬の言うことには素直に耳を貸すに、孫策は不機嫌の度合いを増していく。
「でも、孫策様の助力なしに、今回の件は丸く納められはしないと思いますが……」
 それは、違う。
 丸く納めること自体がもう既に無理無茶なのだ。
 納まらないものを無理に納めようとすれば、いずれ歪みが大きくなって破綻するだろう。
 周泰はそのことを案じて自ら泥を被ったのだし、それに甘えたのはの非だ。止めようと思えば出来た筈なのに、自分の利益を優先させてしまった。
 であればこそ、これ以上巻き込まれる者を増やしたくなかった。
 言って聞かせて、聞くタイプだろうか。
 が孫策をちらりと見ると、孫策はさも誇らしげに笑みを浮かべ、自分を指差した。
 俺に任せておけと言わんばかりの、と言うよりそう言いたいのだろう態度だった。
 駄目だな。
 情け容赦など考える余地もなく、すっぱり見切りを付ける。
 戦場ならばともかく、海千山千の孫堅相手に言い訳せねばならないのだ。喧嘩師然とした、物事は腕力で解決したい年頃の孫策はこの際もっとも当てにならない。足を引っ張るだけだ。
 酷いことを考えられているとも知らず、孫策はにこにこと笑っている。もう、納めたつもりになっているのかもしれない。
「一つ、作戦があるの」
 が重々しく口を開く。
 孫策と大喬が顔を見合わせ、周泰も顔を上げてを見る。
「ちょっと、今はまだ言えないんだけど……全部上手くまとめられる方法が、一つだけあるのね」
「何だよ」
 もったいぶらずに今言えと迫る孫策に、は深い溜息を吐いた。
「駄目、伯符はすぐ顔に出るから。これは、相手に気取られたら駄目な作戦なの。分かる?」
 の言葉に、孫策は面白くなさそうだった。しかし、本当のことだけに言い返すことが出来ない。
「大喬殿も、いいですね」
 が確認をすると、大喬も大きく頷いた。
「秘密の作戦なんですね……でも、そうしたら私は何をすればよろしいんですか?」
 何も聞かされないでは動きようがない。
「作戦指示は、後で分かるように手配します。……そう、周泰殿の馬の鞍に指示書を隠しておきますから、伯符と大喬殿は三日……五日後に出立していただけますか」
 が提案してきた作戦に、孫策は興が乗ってきたようだ。目を輝かせ、拳をぶん、と振るった。
「面白ぇ! よっし、五日後に出立すればいいんだな!」
「……でも、五日も遅れて大丈夫なのでしょうか……」
 孫策と違って、大喬は心配そうだ。不安げにを見ている。
「すぐさま処罰という訳にはいかないと思いますよ。何も言い残さずに出て来た訳ですし、私は臥龍の珠として変な下地が出来てますからね、思わせぶりに振舞えば、多少の時間稼ぎは出来ますよ」
 他国の文官の処罰ともなれば、詮議は必要不可欠となる。そちらに気取られてもらった方が、後からやってくる孫策と大喬が動きやすくなるから、とは説明した。
「そうでしょうか……」
「人の心理なんてそんなもんです。のらりくらり逃げられれば、何としてでもと躍起になるもんですよ」
 の言に、何故か孫策が激しく同意する。
 何だか妙に失礼な気配を感じるものの、話が進まないので敢えて無視した。
「私と周泰殿は、明日の朝一番で発ちます。それで、どうも私のことが噂になってしまっているらしいんですよ。帰りは、あまり他人の家に厄介にならないようにしたいんで、申し訳ないんですけど帰りの食料を分けていただきたいんです。お願いできますか」
「分かりました」
 大喬がにっこりと微笑み、では早速と手配に向かう。
 話がまとまり、は再び箸を取った。
 孫策は、ご馳走は無理だと言っていたが、の前に並べられた料理の品々は、皆どれも手が込んでいて味も美味かった。
 運動後の空腹も手伝って、の箸はいつも以上に進む。
 食べておかねば、帰りの道程で身が持たない。
 少なくとも、街中で周泰が捕縛される事態だけは避けたかった。
 無言でもくもくと口を動かしていると、孫策が、やたらとちらちらこちらを見ているのに気が付いた。
 アイコンタクトか。
 孫策が何を求めているのか分かって、の目が据わる。
 宥めようとばかりにへらっと笑うのがまた、苛付きを増長させた。
 明日の朝一番で発つと言っているのに、こうも露骨に誘いかけられては気が削がれる。
 大体、今回のすれ違いとて分かってしまえば馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 抱けと命じたと聞かされたくらいで傷付くと言うのなら、もうとっくに傷付きまくりでこの世を儚んでいるだろう。処女強姦だの3Pだの、どんだけやってんだよと腹が立つ。
 と考えていたら、本当に腹が立ってきた。
「しないよ」
 がちゃん、と乱暴に箸を置く。
 周泰が何事かと目を向け、孫策は焦って指を口に当て、しーっ、しーっと大騒ぎしている。
 部下の前で誘い掛けるのが恥ずかしいのなら、最初から誘うな、阿呆。
 段々腹が立ってきて、は置いてあった徳利に手を伸ばした。

 酔い潰れた成果もあってか、孫策が夜這いに来ることもなく、は朝までぐっすりと眠った。
 出立を見送る孫策の目は酷く恨みがましいものだったが、は知ったことかと打っ遣った。
 荷が増えたことで馬を一頭付けてもらったが、は相変わらず周泰と同乗を余儀なくされた。盗賊に襲撃されでもし、下手に別れる羽目にならぬようにということらしく、孫策もこの点に関しては文句を言わなかった。
 周泰を信頼しているのかもしれない。
 本当のところを知ったら目を剥くぞ、と思いながら、は周泰と大喬宅を後にした。

 家屋敷の影が見えなくなり、木々の隙間を縫うように出来た道を行く。人目につかないようにしているのだろう。
 恐らく行きとは違う道にが辺りを見回していると、不意に背中の辺りを掴まれた。
 何、と悲鳴を上げる間もない。
 周泰の背に張り付いていたは、易々と引っ繰り返されて周泰の前に座らされていた。
 この方が視界が良くなるので文句はないが、もう少し何とかならんかったものか。
 が振り返ろうとすると、肩口に周泰の顔が寄せられる。驚いたのもあるが、迂闊に振り返ると周泰とキスすることになってしまうので、は慌てて顔を前に戻した。
「……嘘だろう……」
「…………」
 周泰の問い掛けは非常に簡素で、かつ的確だった。
 素っ恍けても良かったが、唯一当事者から外しようがない周泰にそれをやるのは気が引けた。
「……はい、嘘です」
 孫策が同行すれば、話が大きくなるのは目に見えていた。だから、どうしても一緒に帰る訳には行かなかったのだ。五日も猶予があれば、万事やり手の孫堅のことだから、その間に迅速に処理してくれることだろう。
 最悪の場合を回避する為にも、これ以上は話をややこしくできない。
 孫堅は、何度もに執着して見せた。求婚も、冗談だったとしてもしてきたぐらいだから、それなりに本気なのだと思う……思いたい。
 でなければ、の取引条件にはならない。
 誘え誑せと命じてきたのは孫堅の方だ。ならば、気兼ねなく誑し込ませていただこう。
 は、孫堅に体を開く覚悟でいた。
 出来ることと言えば、それぐらいしかない。
 こんな茶番に周泰を巻き込んだ責任は、が尽くせる手を尽くして尚足りない程に重い。
 周泰だけでなく、孫権の為にも、それぐらいはして当たり前だと思う。
「……っ!?」
 突然、耳の縁に生温いものが触れた。
 びくっと体が跳ね上がるのを、周泰の手が強く押し留める。その手が胸乳や腿を弄るのを、は麻痺した感覚で見下ろした。
 何してんだ、この人。
 耳を食まれ、体が竦み上がる。
 麻痺が解け、代わりに淫猥な欲が頭をもたげた。
 嫌でない自分に、ほとほと呆れ返る。
 が意識を散らしている間にも、周泰はその手の動きを止めようとしない。肌蹴た襟元から手を差し込まれ、直接胸の先端に触れられて体がしなる。
 すぐに堅く勃ち上がるのを、周泰は指の先で執拗に押し潰した。
「ちょ……ちょっと、周泰殿!?」
 何とか止めさせようとして、逆に押さえ込まれるように髪に顔を埋められた。周泰の吐息が頭皮を直にくすぐる。息が荒いのは、周泰が昂ぶっている証に思えた。
 周泰程の男が、常の冷静さを取り崩して昂ぶっている。それも、自分を対象にして。
 そう考えると、不思議に体の反応が過敏になった。周泰の手に自分の手を重ねているが、ただ添えているだけと変わらない。
「周泰殿……な、何なんです」
 急激な変化に、しかし感情は付いて来れずにいる。何が何でも周泰に問い掛けねばという使命感で、は周泰に詰め寄った。
 周泰は手を止め、代わりにを背中から抱き込んだ。
「……最後になるかもしれん……」
 これきり得る機会を失うかもしれない。
 自分が死ぬか、が幽閉されるか、それは分からない。いずれにせよ、周泰がに触れるのはこれが最後となる可能性が高かった。
 周泰はそう考え、堪らなくなったのだろう。かつて約束を違えられ、触れることを許されぬまま果ててしまったひとの記憶が蘇ったのかもしれない。
 周泰の感情が、恋情なのか代用なのか、には分からなかった。
 だが、今周泰が求めている体は、間違いなくのものだ。
「……私、孫権様とも、伯符とか、他の男の人にだって、抱かれてたりしますけど」
 周泰は無言だった。何を今更、と言いたげに見えた。
 それもそうかもしれない。周泰のかつての想い人は娼婦だった。娼婦というものがどんなものかを理解した今、しかし周泰の恋情は深く厚く募っている。
「……馬の上では、ちょっと」
 の言葉に、周泰は馬の進路を道から逸らせた。茂みの奥へ、がさがさと乗り入れていく。
 昼日中からという倫理観より、寒くないかどうかの方が少し心配だった。

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