江戸時代、日本とて旅路は危険極まりなかった。しかし、何事もない場合はそれはそれは何事もなく、のんびりと、つまり昼日中から楽しんだりもしていたらしい。
道の脇にちょっと逸れて、それこそ四五メートル程行った辺りで事に及ぶということがあったとかなかったとか。
は、半ば放心したままの頭でそんな与太話を思い起こしていた。
周泰のものはまだ中でひくついている。
着衣のままで事に及んでいたから、外に、とも言えずに結局中出しを許してしまった。
この寒さにも関わらず、の体は熱く火照っている。汗も引かず、このままでは風邪を引いてしまうかも知れない。
「……っ、んぅっ……?」
達したまま動かずに居た周泰が、前触れなしに動きを再開させる。一度達ったにも関わらず硬度を失っていなかった昂ぶりに、の中が掻き回される。
与えられた水気が肉に揉み込まれ、の内側から大きな音を立てていた。
「ちょ……しゅ、たい、どの……!」
「……幼平だ……」
またか。
字は本来、姓名を口に出すことをはばかって付けられたものだ。この世界では少しばかり状況が違っているようで、割と姓名で呼ぶことの方が多い気がする。
字で呼べと請われるのは、何人目だったろう。
「……字の方が、いいん、です、か……?」
息が上がるのを制しながら、問い掛ける。
周泰が小さく頷くのを薄目で見て取り、疲れたように瞼を閉じる。
の腕が気だるげに周泰の首に絡み、自ら身を起こすことでえぐられる悦楽に漏らした声が、周泰の耳元に吹き込まれた。
「……よぅへい……」
たどたどしい、幼子のような声だった。
周泰は満足げに頷き、止めてしまった腰の動きを再開させる。
唇を噛み締めるが、隙間から零れるように意味もない声が漏れ出すのを、は他人の声のように聞いていた。
いやらしい声だった。
感じちゃってるんだなぁ、と呆れた心持ちで聞き続ける。
誰でもいい訳ではない、けれど特定の誰かでなければ駄目だということもない。
恋愛小説でありがちな、『ただ一人の男にしか身も心も感じない』という設定がどうにも信じられなくなってくる。
自分が淫乱だからだろうか。
でも、だったら。
孫堅に犯されたとしても、きっと平気でいられる。
そう思った。
三度目が済んでも、周泰はまだ何となく物足りなそうに見えた。
ただの三回ではない。抜かずの三回なのだ。
阿呆か。
思わず罵りたくなるが、息が上がってしまってもう喋るのも億劫だ。
三回だ四回だは現実的ではない、とやはり何かで読んだ気がするのだが、英雄色を好むの格言通り、が相手をしてきた男達は皆異様にタフだった。
別に『もっと』などとおねだりせずとも、さっさと次のラウンドに入ってしまう。
服を汚すのを厭って中出しを許したようなことになっているのに、気を許すと繋がった部分から周泰が放ったものが滴り落ちてくる。本末転倒だ。
また動こうとしているのを感じ、は大きく頭を振った。
不服そうにを見下ろす周泰に、はともかく一度抜けと腕を突っぱねた。
渋々といった態でから体を離し、腰を後ろに引く。
「んっ」
ぬぷぬぷとぬかるんだ音を立てて、少しずつ周泰のものが抜け出てくる。
ちら、と目を向けられるが、叱り付けるように目を鋭く細めると、周泰はまた渋々と腰を引いた。
好きで絡み付かせているのではなく、勝手に体が反応してしまうだけだ。
自分の言うことを聞かず、逆に理性を瓦解させる悦を送って寄越す厄介な部分だった。
これはいったい、長所なのか短所なのか。
どちらとも取れず、愚図愚図と出し渋っている周泰に八つ当たりした。
「ふぁっ」
ちゅぽん、と音を上げて周泰のものが抜けた途端、ぞくっとする感覚が背筋を走り抜けた。同時に体の奥から滑り落ちてくる滑りが、の尻の線に沿って零れ落ちる。
手巾を取り出し、慌てて秘部に押し当てる。
汚してしまっても服の替えがないから、非常に難儀だ。
周泰も、濡れた肉を自分の手巾で拭うと一度仕舞い込んだ。
一度、と言うのも、周泰が何だか期待したような目で見ている気がしたからだ。表情はいつもと変わらないのに、どうしてかそんな風に感じる。
「ふ、服、汚れちゃうから、もう駄目。です」
まだ溢れてきている気がする。
押さえた手のひらに、じんわりと染み込んでくる湿り気の感触があった。
大量に吐き出されたのだろう、手巾に染み込んでくる湿り気は徐々にの手のひらに移ってくる。
下だけでも脱げば良かったか、と今更後悔するが、後の祭りだ。
それに、下半身晒して腹でも冷やしたり、足が攣ったりしたのでは笑い話にもならない。
終わった後のことも考えていなかった。この寒い中、泉や川で行水するのはあまりにきつ過ぎる。修験者ではないのだ。
服の裾をからげ、股間を押さえているという間抜けな姿だからか、考えていることもどうにも気抜けするようなことばかりだ。
周泰は、けれどそれどころではないだろう。命が掛かっているかもしれないのだ。
しかし、そう考えると今度は種の保存の話を思い出し、周泰がこうして自分を抱きたがるのは自分のDNAを残したいという雄の本能からなんだろうか、などと馬鹿なことを考え始めてしまう。
素直に、周泰は自分が好きで、もしかしたら死ぬかもしれない運命を前に想い人たる自分を得たいと望んで、とそこまで考えて口元が嫌そげにへの字に曲がった。
何処の昼メロですか馬鹿馬鹿しいと投遣りになる。
可愛げがないというより、偏屈なのではないかという疑いが出てきた。
この世界ではどうか知らないが、一応まだまだ売れ筋に残れる程度には若い筈だ。もう少し自信を持ってもいいのではないだろうか。
と言うか、中出しした後というのは皆さんどうしていらっしゃるのでしょうか。こんなどろどろ溢れ出してくる私のっておかしいんじゃないか? しかも、相手の前で拭いているのと変わらない訳で、これって萎えるんじゃないだろうか。萎え要素として見做して良いんじゃないだろうか。
要するに。
シリアスになり切れない体質なのだ。
事態は理解出来ても、現実味が伴わないからイマイチ実感が湧かない。実感がないからギャップに脳が逃避して、笑い話へ持ち込みグダグダにするべく暴走するのだ。
しっかりしろ、自分。
周泰に背を向け、すっかり汚れてしまったと思しき手巾を恐々外す。
ねっとりと濁ったような粘液がまとわり付いていた。見なかったことにして裏返しに畳むのだが、折り畳んだ手巾の半ば以上まで染み込んでいて、妙にベタベタする。
「……周泰殿、この辺に水って……」
ない、と首を横に振られ、はがっくりと手を着いた。
持ち歩くのも何だが、周泰の前で捨てるのもはばかられる。
「…………」
悩んだ挙句、落ちていた上掛けで包んだ。多少寒くなるが、これより他に方法が思い当たらない。鞍の下敷きにでもしておこう。
「行きましょう」
よろけつつも立ち上がるのだが、周泰は如何にも不服そうにその場に踏み留まっている。
やっぱり、まだしたいのか。
呆れを通り越して感心すらする。が、頭が痛かった。どうしたものか考え込む。
「……宿屋のある町とか、途中にないですかね」
の提案に、ようやく周泰も足の戒めを解く気になったようだ。
宿屋のある、しかし呉の本拠地からは少し離れた、いかがわしい者が泊まっても鼻薬の効く町ということでなかなか条件が厳しい。
だが、周泰は意外にも悩むことなく進路を定めた。水賊上がりの周泰は、この手の心当たりをそこそこ頭に入れているのだろう。
着いた頃には、辺りは夕闇に包まれていた。少し回り道になったそうだが、周泰に任せるしかないにはぴんと来ない。
スラムの様相を醸す狭い道の端には、うんざり顔で座り込む痩せた人間がごろごろしていた。
周泰は、そんな中を慣れた様子で馬を歩かせている。
突然、すっくと立ち上がった男がに向けて手を伸ばした、らしい。
がそれと気が付いたのは、周泰が馬の横に置いていた筈の足でその男の腕をしたたかに蹴り上げたからだ。
もんどり打って引っくり返る男を一瞥すらせず、周泰は何事もなかったように馬の歩みを進めた。
――怖ぇ。
これまで、周泰が水賊上がりだということがどうも信じられずに居ただが、今の周泰を見る限り、賊の荒っぽい気性をまま残していることが知れる。
改めて辺りを見回すと、道端に座り込む人々は周泰の視界から隠れるように身を縮こまらせていた。圧倒されているのだ。
周泰の腕の中に在りながら、は道端の人々に習うように肩をすぼめて俯いた。
ようやく辿り着いた宿屋に入ると、周泰は進んで宿の交渉に立った。
周泰と負けず劣らずのぼそぼそとした低い声で、宿の主人が応対している。
膨らんだ小袋を投げ出して、交渉は成立したらしい。
周泰は部屋の鍵らしきものを手に、みしりときしむ階段を登り始めた。
置いていかれては敵わないと、も急ぎ後を追う。
扉には何も記されていないが、周泰は一番奥から三番目の扉前に立ち、開けた。を招き入れると、中から鍵を掛ける。
素っ気ないが、思ったよりもこざっぱりとしている内装に、はほっと安堵した。
埃の積もった、蜘蛛の巣が張られたような部屋を想像していたのだが、普通の宿と大差ない。
「周泰殿」
先程の手巾を洗う為の水をもらえないかと振り返ると、周泰はやたらと怖い顔をして立っていた。
え、と思わず後退るを捕らえ、そのまま牀に投げ出す。
弾む体が沈まぬ内に、周泰が覆い被さってきた。
――や、犯る気だ。それも、物凄く犯る気だ。
主従共々、回数に制限ないのか。
おかしな共通点に、は艶っぽい気分を感じる間もなく昼間の続きに突入した。
眠りに就いたの髪を、周泰は飽くことなく梳いていた。
周泰は既に身を清め、元の通りに装束を着込んでいたが、は周泰に晒した裸体のまま、困憊し切って眠っている。
時期柄とは言え上掛けは備わっていない。
の着ていた装束を被せ、その代わりとしている。
はみ出した四肢が隠された裸体を際立たせ、あれ程抱いたにも関わらず再び滾る血を覚える。
上掛けを取ってこようかと考えている時、不意に感じた気配に周泰は暁を構えた。
「……周泰様」
その声は、聞き覚えがあった。
「ただ、聞いていただけるだけで構いませぬ。……様を、都へお返し願いたいのです」
そのように命じられてきたと、かつて周泰から想い人を奪い去った、凌統の馴染みたる宿屋の主は告げた。
「今、この場でお名前は申し上げられませなんだが、悪いようにはせぬと仰っておいでです。まずは私どもの宿にて落ち合うお約束になっております。どうか……」
周泰は無言を守った。
誰の指図か分からぬ以上、おめおめと付き従う訳にはいかない。あの男がどうしてこの宿を突き止めたのかは分からないが、同じ宿の主として、先程の主人と何処かで通じていたのやも知れぬと思うと舌打ちしたい気分になる。
不気味な薄気味悪さを感じ、周泰はどうしても従おうとは思えなかった。
「周泰様……」
返事がないのに焦れたか、宿屋の主の声は切羽詰っていく。
それでも周泰は答えない。暁を構え、その鯉口を音もなく切った。
「様を、あいつの二の舞にさせる気なのか」
周泰の動きが止まる。
構えは微細にぶれていて、主・孫権が自慢する程の心技一体の切れ味は出せなくなっていた。
命を託し続けた構えである。周泰にはすぐに分かった。
構えを解くと、それと気付いたのか扉の向こうの張り詰めた気も、わずかながらに緩まっていく。
「覚えておいでか、あの娼館のあった場所を。あそこで私は宿を構えております。……無事のご到着を、お待ち申し上げております」
人の目を避けておいでなさい、と言い残し、主の気配は遠ざかって行った。
気配が完全に消えるまで、周泰は暁から手を離せなかった。
ようやく離した時には、周泰の手のひらは脂汗に塗れていた。
戦場でもなかなか味わうことのない緊迫に、周泰は未だ自分があの男を酷く憎んでいることを自覚した。
牀の縁に腰を下ろし、眠り続けるの髪を再び手櫛で梳いていく。
が目覚める様子はなかった。