廊下に出てきたは、妙に疲れた顔をしていた。
 昨夜から緊張の連続で、ようやく事が収まって気抜けしたのだろう。
「……大殿は、何と」
 周瑜が尋ねると、は周りを見回してとりあえず移動しようと提案した。
 人に聞かせて良い話ではないらしい。
 が、周瑜達には話すつもりはあるようだ。
 の提案を受け、孫権の執務室へ移動することとなった。

 の話を受け、一気に疲れ果てた顔をしたのは周瑜だった。
 色々と気を回していたというのに、とんだ無駄足だった訳だ。馬鹿を見たとはこのことだろう。
 孫堅に支払われた報酬については、はちらとも触れず隠し通した。
 ばれたとは思わないが、孫策は野生の勘が閃いたらしく、に向けて疑り深い目を向けている。
「……あの親父が、タダでそんなことするもんかよ。、お前親父に何したんだよ」
「何って、何」
 聞き返されて、孫策はごにょごにょと口を濁した。
 大喬の手前聞き難いのだろう、不貞腐れたように口を噤んだ。
 は努めて何でもない振りを続けていたから、見切れなかったのかもしれない。この場での嘘を見切れそうな人間は周瑜ぐらいなものだが、その周瑜は疲労困憊で気が回らない。有り得ない押しの弱さで孫策は引き下がった。
「まぁ、お咎めなしで良かったってことで」
 はそう締めくくり、改めて孫権と周瑜に頭を下げた。
 孫策との多大なる勘違いとすれ違いから、一番心労を掛けたのはこの両名に違いなかった。
 ついで大喬と周泰に詫び、は頭を上げた。
「……俺には?」
 孫策が自分の顔を指差しながら身を乗り出す。
「何で」
 つれないに、孫策がまたもぎゃあぎゃあと喚きだす。
「いいから、あんたは居なかった間の仕事でも片付けなさいよ、どうせ何にもしてないんでしょうが」
 痛いところを思い切りよく抉るに、孫策は負けじと胸を張った。
「へん、俺を甘く見るんじゃねぇぜ! 俺の居ない間の仕事は、権と周瑜がちゃーんと」
「やってないぞ」
 孫策の言葉を受け、周瑜があっさりと切り返す。
 くりっと周瑜を振り返る孫策に、周瑜は止めを刺すように冷厳に繰り返した。
「やっていない、と言っている。何故私や孫権殿が君の仕事を代行しなくてはならないのだ。頼まれた覚えはないぞ」
「いや、だってよ」
 言い訳しようとする孫策を、周瑜はあくまで冷たくあしらう。
 取り付く島もない周瑜に、孫策は目標を孫権へと移し変えた。
「……なぁ、権」
「お断りいたします、兄上」
 今回の件で、孫権も執務を溜め込んでしまっている。気が動転して、とてもいつも通りに職務をこなせなかったのだ。事が無事に解決したならば、それらを早急に片してしまわなければならない。
 孫策を補佐する余裕もなければ時間もないのだ。
「わ、私がお手伝い、いたしましょうか……」
 大喬がおずおずと申し出ると、孫策は渋い顔を更に渋くした。
「だってよ、大喬。お前だって、仕事溜めちまってんだろ?」
 孫策に追従し、庇うように連れ出した大喬だ。政務にはほとんど携わらなくとも、一軍を率いている立場に変わりはない。
 しかし、大喬は孫策の考えの上をいっていた。
「いえ、私は向こうに執務を持って行きましたから……それに、皆さんにお願いして、託せるところはやっていただいてありますし」
 昨夜の大喬は、孫策と共に城に戻り、その時点でが未だ到着していないのを確認すると、まず自軍の報告を受けに副官達と会っていた。
 だから姿を見せなかったし、の帰還を知ったのは、査問が決まった後のことだった。
「ですから、お部屋に居る間はずっと残りの仕事を片付けてたんです」
 それもほとんど終わって、あとは報告書を提出して不足がないかを見てもらうだけとなっている。
「…………」
 良く出来た妻と駄目な夫を白い目で遠慮なく見比べる。
「……何だよ、
 別に、と軽く切り捨てられ、孫策はやさぐれて唇を尖らせた。
「早くしないと、正月も仕事になるぞ」
 周瑜の脅しが効いたのか、ぐだぐだしていた孫策もようやく立ち上がる。
「しかたねぇ、やるか!」
「仕方なくはないだろう。だいたい孫策、君と言う奴は……」
 周瑜が説教をしながら孫策を追い、大喬も一礼して室を出て行った。
「……俺も、軍務の処理を……」
 立ち上がる周泰に続き、もお暇しようと腰を上げた。呂蒙や甘寧達に、早く事の顛末を教えてやらねばと思い立ったのだ。
 思えば、彼らにも心配を掛けた。

 それまで黙っていた孫権が、不意にを引き留めた。
「文人達との論議に備え、勉強するよう命じられていただろう。良い書簡がある。持っていくといい」
 返事も待たず奥に進む孫権に、はどうしたものかと足を止める。
「……呂蒙殿には、俺から伝えて置こう……」
「あ、でも」
 出来れば自分の口から直に、と思ったのだが、先に伝えてもらう分には構わないかと思い直した。
 後で訪ねることを添えて伝言してくれるように頼むと、周泰は快く頷いた。
 周泰を見送ると、孫権が消えた室の奥へと向かう。
 壁と言う壁に備え付けられた棚に、ぎっしりと竹簡が詰まれていた。孫権が如何に勤勉に修めたのかを表しているかのようだ。
 ほへ、と竹簡の壁を見回すに、更に奥から声が掛かる。
 呼ばれるまま奥へと進むと、梯子に乗った孫権が幾つかの竹簡を確かめているところだった。
 が見ていると、孫権は幾つかの竹簡を抱えて梯子から下りてくる。
「孟子荀子辺りは目を通しておくといい。どうせ知らぬと思われていようから、少しは目にもの見せてやれ」
 孫権の激励(らしい)を受けて、は神妙に頷いた。
 竹簡を受け取ろうとして手を差し出すと、孫権の手から竹簡ががらがらと音を立てて落ちた。
 渡し損ねたのかと慌てて屈むと、強張った声が空から降ってきた。
「父と、寝たか」
 はっとする間こそあれ、逃げ出す余裕は到底なかった。
 床に転がされ圧し掛かられてしまうと、は身動きすら取れなくなる。
「そ、孫権様」
 薄暗い室の上の方に、明かり取りと換気を兼ねた窓が見える。
 そこから差し込む光は、まだ明るい時間なのだとにはっきりと教えてくれていた。
 それだけに、現実味がない。
 何もかもが見え過ぎて、例えば孫権の表情一つ取り零すことなく目に映る。
 白昼夢に陥ったような錯覚に、は抵抗もせずに目を瞬かせていた。
 裾長の装束がたくし上げられる。足に冷たい空気が染み込む。
 コマ送りを見ているようで、やはり目の前で広がる光景が信じられなかった。
「濡れているな」
 下着越しになぞられて、腰が弾かれるように引ける。
「……我々が廊下に出ている時、中で何をしていた」
 口付けていた。
 孫堅と、舌を絡めた深い口付けを交わしていた。
 禁忌めいた倒錯に悦が際立ち、体を燻らせたまま解放され、皆と話をしていたのだ。
 記憶がの熱を増幅させる。
 責められるように問われることで、体が燃え立っていた。
 ひちゃ、と小さな音が大きな愉悦を誘う。
 声を上げると、外に聞こえると冷淡に忠告された。
「私は、それでも構わんが」
 言うなり、孫権の舌が差し込まれる。柔らかく濡れた感触が膣口を撫で回し、時に突付いていく。
 声を封じることで快楽が体の中で反響し、増幅されていくようだった。
「……んっ、んぅっ、……んんっ……」
 逃げられないように手首を掴まれている。
 その手を逆に握り締め、悦をひたすら堪えた。
「んんっ!!」
 舌が朱玉を執拗に弄び始め、は足を跳ね上げた。
 上がった足を孫権は軽くいなして肩と背中に乗せてしまう。
「ん、ん、だっ……駄目、駄目っ!」
「聞かれるぞ」
 限界に悲鳴を上げれば、孫権が冷たく切り捨てる。
 体を引き攣らせて堪えるのだが、目尻からじわりと涙が浮き上がった。

 孫権が体を起こした。
 達するには、孫権の舌遣いは緩過ぎる。
 荒く息を吐くに、孫権は自身の欲望を取り出した。
「……これが欲しいか、
 息を飲む。
 ごくっ、と喉が鳴って、恥ずかしさに顔を赤らめた。
「欲しいのだな」
「……淫乱、ですから、どうせ」
 父たる孫堅と関係したことも、孫権にはお見通しなのだろう。それと知ってやっていると言うなら、から言うべきことなど何もない。
「そんなことを聞いているのではない、私は」
 、と呼び掛ける声は熱くて切ない。
「……私は、お前にとって抱きたい男か、
 意表を突かれる。
 孫権の問いに、は愕然としていた。
 誰でもいい訳ではない。それだけは、が譲れないことだった。
 傍から見れば誰彼構わず『咥え込んでいる』と思われるだろうし、そうとしか見えなくても仕方がないと諦めている。実際にそうとしか見えないだろうことは、もよく分かっていた。
 それを孫権は否定した。
 私を抱きたいと思ってくれるか、と。
 純粋に、驚いていた。
 言わずに置く心の鬱屈を読み取られること程、に衝撃を与えその殻を突き破る刃はない。
 易々と心に侵入されると、は途端に弱くなる。
 まさか孫権にと侮っていた節があるだけに、の動揺は激しかった。
 あ、とかう、とか口篭り、顔を真っ赤にしてしまったに今度は孫権が戸惑った。
 可笑しなことを言ってしまったかと赤面した孫権の手を、の手がもぞもぞと蠢いて引き寄せる。
 目を逸らして何か考えていたが、ふっと目を合わせてきた。
 初めて見る目の色だった。
「……字で、呼んでいいですか」
 何を言いたいのか、よく分からなかった。
 それでも強く頷くと、の唇が微かな吐息を漏らす。
「……ちゅ……仲謀……」
 躊躇いがちに、けれどこれまでになく愛おしさが篭められた声だった。
 脳髄を焼かれるような衝撃と狂ったように脈打つ心臓が、孫権をこれ以上はなく昂ぶらせていく。
「……!」
 寝そべったままのを無理矢理抱き起こし、その体を抱く。
 甘やかな吐息が孫権の熱を更に昂ぶらせた。
、わ、私を、私を受け入れてくれ」
 興奮からどもる舌に恥じ入りつつ、けれど孫権は遮二無二を抱き締めた。
 呼吸の間が空き、は孫権に抱かれたままぽつりと呟く。
「どうしたい、ですか」
 極端に狭くなった視界で、孫権は抱き起こしたの体を再び乱暴に横たわらせた。
 孫権がの上に身を乗り出すと、は自ら膝を寛げ孫権を受け入れる。
 取るものも取り敢えず昂ぶりを押し当てると、の腕が孫権の背に回った。
 押し込むたびに嬌声が漏れ、孫権を煽り立てた。
「……仲謀、凄い、熱い……!」
 の中こそ熱く滾っている。
 口には出さず、ただ夢中で掻き抱いた。

 孫権は、の中で果てた。

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