「さぁ、これですっかり良くなった」
 文無は額に浮かんだ汗を拭いながら、至極満足そうに立ち上がった。
 はさみで粗方刈った後、今度は毛抜きで一本一本丁寧に抜かれた。痛みはともかく掛かった時間が尋常でない。
 聞くだに苦笑もの、考えるだに重労働の『手入れ』を済ませた後、文無は小瓶を取り出しつるつるになった秘部に塗りたくる。
 ぬるぬるした感触が、柔肌を包み込んで痛みを和らげてくれるようだ。
「初めてだから、ちょっと痛かったでしょう。でも、次からはだいぶ楽になりますからね」
 足の際まで丁寧に塗り込むと、文無はほう、と溜息を吐いた。
「それにしても、まぁ、ふっくらとして美味しそうなおまんですこと。これなら、殿方が夢中になっても仕方ありませんわねぇ」
 褒められた気がしない。
 が憮然としていると、文無はからからと笑った。
「あぁ、そうか。様は、この手のことで褒められても嬉しかなかったんでしたっけね」
 嬉しくないというよりは、何を以って嬉しいと思っていいのか分からない。
 名器だとか、そういう話なのだろうとは分かるのだが、自身は今一つぴんとくるものがなかった。
「ここの具合がいいってことは、顔が綺麗の髪が綺麗の、そういうこととおんなしなんですけどねぇ。美人は飽きると言いますけれど、こちらは心掛け次第で相手の気持ちをきっちり縛れるってことで、私ゃいいと思うんですけどね」
 だから、何がいいのだ。
 益々複雑な顔になるに、文無はむず痒いのを堪えるような微妙な笑みを含んだ。
「……ま、ないよりあった方がいいのが美点て奴ですからね。私はそろそろ帰らなきゃあ。夕刻には戻ると言って、随分遅くなってしまった」
 街までは、ゆっくり行って半日の距離だ。
 日もだいぶ傾いていて、今から帰るのかとは心配になった。
「今日は泊まって、明日の朝一番で帰ったら」
 危ないからと勧めたが、文無は首を横に振った。
「明日の朝、大事な取引があるんですよ。様のお話は、私もとっても嬉しかったけれど、何せ急な話だったから色々と遣り繰りしなくちゃならなくなった。備えはしておいたつもりでしたが、いざとなると不都合があれやこれやと出てくるもので、だから私も多少は無理しなくちゃなりませんよ」
 が頭を掻くと、くつくつと笑われる。
「なぁに、楽しむことに苦労は厭いませんよ。……あたし自身、やっと望みが叶った訳ですからねぇ」
 の面倒を見たくて見たくて堪らなかった、という文無に、はやや困惑する。
 『姐さん』の話を知っているのは凌統ぐらいのもので、度を過ぎた文無の様にが気後れするのは当たり前と言えば言えた。
 文無も、はっとしたように瞬きし、適当にお茶を濁す。
「あたしは、子供が居ないからね。ようやく授かった、しかも仕込み甲斐のある女の子だって言うのにさ、おエライ仕事をなさってるばっかりにうかうか会いにも来れやしない。歯痒いったら」
 敬語を使うのを止め、わざと『当帰』の口調に戻すと、の口元に笑みが浮いた。
「初っ端から、凄い仕込でし……だった、ね」
「まだまだ、これからが本腰ですわよ」
 ぎょっとすると企み顔の文無、二人で顔を見合わせ吹き出して笑う。
 手早く衣装を纏い、片付けをして、いよいよ帰ろうという文無を見送りに行く。
「今夜は、足やおまんが少ぅし腫れるかも知れませんけど、そうしたらこのお薬を塗って下さいましね。だいぶマシになると思いますから」
 白い陶磁の小瓶を渡し、文無は去って行った。
 本当は門まで、と思っていたのだが、そんなところまで仕女を見送る主人など居ないと説教されてしまった。
 文無が廊下の角を曲がって見えなくなるまで見送ると、は静かになった室を見渡した。
 影が落ちるような感覚は、凌統が出陣した後の室の感覚と同じだ。
 文無との他愛無い遣り取りは、凌統と口で遣り合っていた感覚と良く似ている気がする。
 いつの間にか忘れていた凌統の面差が蘇り、薄らぼんやりとした胸の支えを感じて戸惑った。

 いいと言われてはいたが、やはり気になってしまった。
 思い悩んだが、思い切って行ってみることに決める。
 は、室を空けている旨を記した竹簡を扉前に下げると、まずは孫権の執務室に向かった。

 道々、孫権の不機嫌の理由を考えてみる。
 思い当たる節はなかった。
 しかし、何かしてしまったのだろうとは思う。他事でに八つ当たる人でもない。
 直情な性格の孫権は、それ故に察しの悪いに腹を立てることはしばしばだ。だが、きちんと話をすれば分からぬでもないというのが、の孫権に対する評価だ。
 執務室は人の気配もなく、既に私室に移動したようだった。
 時間も時間だからと少し躊躇うが、行くとは言ってあったし、行かないで昨夜の孫堅のようになられても困る。
 良く似た親子だから笑うに笑えず、は思い切って孫権の私室のある方へと足を向けた。
 途中、廊下に立つ衛兵が、の姿を見てぎょっとする。
 やはりまずかったかと思いつつ、孫権に会いたいことを申し出た。
「い、今は……およしになった方が」
 妙におどおどする衛兵に、は首を傾げる。
 のことは見知ってくれているようだが、今はやめておけとは一体どういう意味なのか。また、尚武を尊ぶ呉の兵らしくもないはっきりしない口振りに、の疑問は深まるばかりだった。
様!」
 通りすがりの女官が、金切り声を上げる。
 怒られるのかと思いきや、涙目で縋られた。
「まぁまぁ、良く察して下さいました。今、お呼びに上がろうと思っていたところでしたのよ」
 これまた見知らぬ女官に、は訳も分からぬままに引っ張られた。
 ずんずんと進む女官の力は、外見にそぐわずかなり強い。
 問い掛ける間もなく孫権の室に連れて来られ、中からの応えがあるや否や押し込まれてしまった。
 何なんだ。
 背後を振り返るの鼻が、強い酒精の香りを嗅ぎ当てた。
 中に向き直ると、酒の瓶がごろごろと転がっている。卓の上に置かれた酒肴にはほとんど手が付けられた様子がない。
 椅子は蹴倒され、床に零れた酒の染みが落ちている。悪い酒の呑み方の見本のようだ。
 背後の扉が叩かれ、が出ると先程の女官が立っていた。
「これを」
 酒が入っていると思しき瓶を渡され、深々と拱手の礼を取られる。
 思わず頭を下げ返すと、上げた時にはもう閉められていた。
 本気で何なんだ。
 詳細を訊ねる暇もない。
「……おい!!」
 突然怒鳴られ、肝がすくむ。
「何をしている、早くしろ!!」
 声は間違いなく孫権なのだが、酔っているのかどうもべらんめぇ調だ。
 が恐る恐る続きの間へと顔を出すと、孫権はだらしなく牀に寝そべったまま手だけをぶんぶんと振り回している。
「早くしろと言っているのが、分からぬのか!!」
「いや、えと、わ、分かりました」
 小走りして孫権の元に駆け寄ると、酒瓶を差し出す。
 口の部分を豪快に握った孫権は、澱んだ眼をふっとに合わせた。
「……
「はぁ」
 途端、孫権はそれまでの暴れ振りが嘘のように静まり、気まずそうに牀の上に胡坐を掻いた。
「……いいと、言った筈だぞ」
 ぽつりと呟かれた言葉は、の予想通り異様に酒臭い匂いを纏っている。やはり先程の瓶は、孫権が一人で空けたものらしい。どれだけ呑んだのだろうと呆れる。
「でも、伺いますって言いましたし」
 言いながら孫権の抱える瓶に手を伸ばす。
「何をする」
「いや、幾らなんでも呑み過ぎじゃないですか」
 おとなしくはなったが、未だ呑む気で居るらしい。の手を避け、届かないようにとてか自分の傍らに抱え込んでいる。
「一体、どうなさったんですか」
 呑まずに居られない事態でも起こったのだろうか。
 自分が関係しているなら話せと暗に勧めるに、孫権はわずかに口を尖らせた。
 やっぱ、私関連なのか?
 廊下でも悩んで、結局答えを見つけられぬままで居る。
 孫権に訊ねるしかないかと思い悩んでいると、孫権は抱えていた酒瓶を離した。
 お、とが酒瓶に気を取られている隙に、孫権の手が素早くを捉え、腕の中に引き寄せる。
 弾みで倒れた酒瓶から、どくどくと鈍い音を立てて酒が零れ落ちいく。
「ちょ、孫権様、お酒!」
 の声は聞こえている筈なのだが、孫権は顔色一つ変えない。
 腕を伸ばして酒瓶を立たせようとすると、逃れようとしていると勘違いでもしたのか孫権の腕に力が篭もる。
「ぐ」
 鯖折りされての息が詰まる。
 何なんだーっ!?
 悲鳴を上げるも、呼吸もままならない状態では声にもならない。
 首筋に埋めた孫権から、微かに息が吹きかけられてぞわぞわする。
「ひゃ」
 鯖折りに専念していた腕の片方から、不意に力が抜けた。
 抜けたはいいが、その手はの尻をさわさわと撫で回している。
「ちょ」
 幾分か楽にはなったが、新たな魔の手の登場にはどうしたものかと混乱していた。
 孫権がその気になったのは分かった。
 だが、今日はまずい。
 文無によってつるつるにされてしまった恥丘を見たら、孫権がどんな邪推をするかしれない。
 それこその邪推だとしても、恥ずかしいから見せたくないという気持ちに変わりはなかった。
「今日は、今日は駄目です」
 何とか逃れようと身を捩ると、天地が引っ繰り返って大きく弾む。
 軽々と押し倒されたのだと分かり、自分の非力と相手の馬鹿力の差を文字通り痛い程実感した。
「何故、今日はいかぬ」
「……いやその」
 それを説明したくないから、嫌だといっているのだ。
 だが、孫権の目に浮かぶどす黒いものに圧倒されて声が出ない。
 押し黙ってしまったに、孫権は唇の片端を引き攣らせて笑みを作った。
「父と、寝たか」
「そっ」
 寝たことは、ある。
 孫権も、それを承知した筈だった。何を今更と、怒りと羞恥が綯い交ぜになる。
「寝て、当帰を雇い入れたか」
「は?」
 思い掛けない言葉に、の口から頓狂な音が漏れる。
 孫権の動きが止まった。
「……寝て、請うたのだ。そうなのだろう」
「な、な、な、何、を?」
 以前に一度、確かに孫堅と寝た。周泰の無罪放免を請うべく力を貸せと願い出て、その代償として足を開いた。
 それは間違いない。
 だが、それきりだ。
 孫権の目が、を探るように覗き込んでくる。
「き、昨日今日とかいう話とか、です?」
 何をどう訊ねれば良いのか見当が付かず、はとにかくとばかりに孫権に質問を重ねる。
「取引とか、そういうのは何にもしてません、よ?」
 孫権の眉間に皺が浮き、悩ましげに視線を彷徨わせる。
 どういうことかといぶかしんでいるようだが、こそそれを聞きたいぐらいだ。
 ぽて、と孫権の体が落ちてくる。
 膝は入れてくれているようだが、そこそこ重い。
「……周兄が、駄目だと……私の命であっても、こればかりは駄目だと……それも、かなりお怒りのご様子で……だから、私も詫びて、お前にも……詫びる機を、見計らって……」
 眠りに落ちていくような、微かな声だった。
 も、少しずつではあったが合点が行き始めていた。
 孫権が下した命では駄目だと跳ね付けられたのに、孫堅が下した命は即日断行という有様だ。例え君主と息子とは言え臣下の差があるとは言え、面白い訳がない。
 その上、間に入っていた周瑜が手のひら返したように否を是とすれば、孫権の怒りに油を注ぐようなものだ。
 恥を掻いたと荒れたとしても、何の不思議もないことだった。
「……おか……当帰さ……当帰のことは少し事情が有って、だから、孫権様が荒れる必要はないんですよ」
 とて詳しい事情は知らないが、孫堅の『持病』の為に幾分か掛けられた迷惑代の代わりなのだろうと踏んでいる。
 恐らくは、内部の事情に聡い黄蓋が、商人何するものぞとごり押ししたに違いない。命を下したのは孫堅だが、実際を取り仕切ったのは黄蓋だと思う。
 思い込みかもしれないが、周瑜はともかく黄蓋はそういうことをしてしまいそうな印象が強い。
「私もちょっと、ちゃんとは知らないんですけど……何でしたら、明日にでも確かめに」

 孫権が唐突に割り込んでくる。
「何故、嫌だ。私が受け入れられなくなったか。嫌になったか」
 孫権の腕がの衣を剥ぎに掛かる。
 思わず抵抗すれば、それが気に入らないとばかりに強引に乱暴になっていく。
「いや、そうじゃなくて……そ、そうじゃなくって!」
 非力ながら必死に抵抗するが、衣は呆気なく緩み引き剥がされる。
 暴かれた肌に、孫権の視線が突き刺さった。
 何処を見ているかなど一目瞭然で、は顔を強張らせる。
 ふっとの目を見上げる孫権の目が、獰猛に歪んだような気がした。

← 戻る ・ 進む→

Cut INDEXへ →
TAROTシリーズ分岐へ →