無作法な周瑜、と一言で言うのは易い。
 だが、実際に目の当たりにすると目に見えない凄まじい衝撃を与えて寄越す。
 常に礼儀を忘れぬ立ち居振る舞い、時に我を忘れて憤ることはあっても、それらは大概国や他者の為の義憤であって、私情から成ることは少ない。
 赤壁の件でさえ、本当は曹操に侮られたと思ったからではなく、国の尊い犠牲として差し出される小喬の身を憂いたからこそ怒っていたのではないかと思わせる、そんな人だった。
 その周瑜が、乱暴に足を組んで杯をぐいぐいと空けている。
 口元から零れた酒を甲で拭いながら空の杯に酒を注ぎ込み、跳ねて濡れたのも厭わず、またぐっと空ける。
 その荒々しい仕草から、評される言葉はたった一つだ。
 自棄酒。
 正にその一言に尽きる。
 何度か杯を重ねた周瑜の口から、小さいながらもおくびが漏れる。
 周瑜もげっぷするんだなぁ、と、訳もなくがっかりした。
 美形はトイレに行かないと言われるように、周瑜にこの手の生理現象が備わっているとはなかなか考え難い。
 それだけ美麗な顔であり、整った肢体だった。
 杯を置くと、周瑜は濡れた唇をぐいぐいと擦る。
 気が済むまで擦って手を退けると、そこには赤く潤んだ唇が現れ、酷く扇情的に見えた。
 普段は冷静沈着な男が乱れると、著しいギャップが過剰な色気を生むものらしい。
 無駄にときめく心臓を、は気付かれぬようにそっと押さえた。
 周瑜は、とろんと据わった眼をに流し、頬杖を着く。
 唇の端に触れる小指が、無意識なのか唇の線をなぞる仕草がまた妙にいやらしかった。
 何を考えているのか読めなくて、は困惑したまま頬を赤らめた。
「……太史慈までもが、お前の毒牙に掛かったか」
 棘のある言葉には眉を顰めるが、事実と言えば事実なので反論も出来ない。
「いったい、如何な手管を弄して我が孫呉の将兵を謀るのか……諸葛亮仕込みの術でも為したか」
 東南の風の故事はあまりに有名だが、生憎に鬼道の心得など微塵もない。
 次々とへの恋情を口にする不可思議さは、こそが知りたいと念じて止まない事柄だった。
 しかし、周瑜は納得しない。
「ならば、何故だ。お前とて、不思議に思うのだろう。訊ねてみたことはないのか」
「イヤ、何度かはありますけど……」
 はぐらかされるか納得のいかない返事をされるかで、がこれぞ正しくと思えた答えを聞いた覚えはなかった。
 ではとにかくそれを言ってみろと急かされて、は何だかとんでもねぇことになってきたなと内心で愚痴を零す。
「好きだとか……分からないとか……ああ、でも、他の男が手ぇ出してるのを自分だけ諦めるのはって言ってた人も居ましたっけね」
 太史慈だ。
 そう言えば、先程はどんな用で来たのだろう。
 約束はしていなかったし、大体、とそこまで考えて不意に思い出す。
 皆がを欲しがる理由を知りたければ、訊ねて来いと言っていた。
 は行かなかった。
 いい意味でなく慌しく取り沙汰し続けていたからだが、太史慈に打ち明けられる話でもない。
 そもそも、恐らくは抱かれるだろうと分かっていての訪問は、に取っては二の足を踏まざるを得ない話だ。
 いいと言うならいいと言う奴がそうすればいい。
 私は嫌だ。
 誰彼関係なく容易に足を開き、開くのだと思われるのは御免被る。
 形の上はどうあれ、は色情狂のつもりはない。相手が誰でも構わないという無分別さを、自ら認めることは出来なかった。
 渋い顔のを鏡に映すように、周瑜もまた渋い顔をしている。
 また怒られるのかと肩をすくめると、周瑜は大きな溜息を吐いて酒を注いだ。
 既に底を尽き掛けていたと思しき酒瓶は、逆さに振っても杯の半分すら満たさない。
 未練がましく二度三度と酒瓶を振り、諦めて卓に立てる。
 杯と空いた瓶とを見比べる周瑜に、は頭を掻いて席を立つ。室の片隅から酒が入った甕を引き摺ってくると、周瑜は目を丸くした。
「……何故こんなものを置いている」
「……イヤ、余ったら返してくれればいいって言われてるんですけど……」
 寝酒に一杯ずつ貰っているのだと告白すると、周瑜はを見詰めた。
 しかしその目に嫌悪の情はなく、てっきり小言の一つも食らわせられると覚悟していたは、意表を突かれて口を閉ざした。
「そう、だな。酒の一杯で深く眠れると言うなら、それも良かろう」
 ふらふら出歩くよりはずっとましだと続き、は周瑜が自分の病を知る数少ない内の一人だという事実を思い出す。
「……最近は、あんまりないみたい、ですけども」
「知っている」
 の警備を指揮しているのは周瑜だ。
 ふらふらと出歩いていたのならば、周瑜の耳に届かぬ筈はない。
 あれもこれもと、周瑜には要らぬ苦労を掛けている。
 苦い思いが過った。
「すみません」
「何を謝る」
 問われると困る。自身も何に対してとは明瞭にし難い。
 ただ、敢えて言うのであれば、周瑜に多大な気苦労を掛けている事実に対してだった。
「何だ、察してはいたのか」
 嫌味なのだろうが声に力がない。
 ほっと漏らす吐息は、むしろ安堵に近いように感じられた。
 どれだけ自分の為に気苦労を掛けているのだろう。
 改めて考えると、申し訳なさに身がすくむ思いがした。
 周瑜は、甕から酒を汲み上げると今度はちびりちびりと呑み始める。
 酒を口にしながら思考を纏めているようにも見えた。
「……お前のことは……私が不慣れなのだろう。本来であれば、然したる面倒でもない筈だ」
 自ら非を認めるような言葉は、あまりに周瑜らしくなかった。
 が驚いて上目遣いで窺っているのを、苦笑して返される。
「お前の扱いならば、恐らく孫策や甘寧の方が余程上手かろう。だが、それでは駄目だ。それだけでは、駄目なのだ」
 周瑜はを孫策の『物』にしてしまいたい。
 自身に付随する価値はなくとも、少なくとも与えられれば孫策の負を生むことはない。
 それにはの周りに群れ集う男達を一掃してやる必要があり、そうするには周瑜が事に当たるより他なく、だから周瑜はその任を引き受けることにした。
 あくまで孫策の為であり、そうしたいと念じる自分のせいである。でなければ、絶対に引き受けることはなかった面倒ごとだった。
「私は、女の扱いには長けて居らぬ」
 はぁ、と軽く聞き流し掛けたは、再び驚きに目を見張る。
 誰が、女の扱いに長けていないと?
 目を丸くしたついでに口までぽかんと開くに、周瑜はさも可笑しそうに、しかし苦笑を滲ませた。
「……お前も私をその手の輩として見ていたか。さもありなん」
 周瑜の言葉は、が聞いた言葉が夢幻の類ではなかったと証していた。
 そんな馬鹿な、と思う。
 周瑜だ。美周郎だ。武のみならず学も成し、音楽に精通し、呉の誇る色男の代名詞のような男だ。
 それが、女の扱いに長けていないとは何事か。
「長けていない、というのも口幅ったいな。慣れていない。何を考えどう感じるものなのか、正直まったく分からん」
「えええええええええ?」
 次々にとんでもないことを言い出す周瑜に、は堪えきれず珍妙な声を上げた。
 くすくすと笑い出した周瑜も、何処か自嘲しているように見えて痛々しい。
 自らの心境を、酔っているとは言えよりにもよってに吐露するものだろうか。
 疑い掛けたは、しかしだからこそ真実なのだと感じて姿勢を正した。
「あの……」
 不遜を承知で、けれどどうしても確かめられずには居れない。
「……ひょっとして、小喬殿叱ったのって……」
 叱るつもりではなく、焦ったのではないか。
 『男とて怖』いのだと周瑜は漏らした。
 極平凡に考えて、それは男も女を抱く時は怖いのだと言っていることになろう。
 更に会話の流れを考えれば、男も『初めて』女を抱く時は怖いのだと言っているのではないか。
 そして、周瑜は過去形として口走っては居ない。語尾は濁したものの、微かに漏れた音は『い』と聞こえ、そこで途切れた。
 非常に一足飛びで短絡的な、ある意味閃きに近い推論だった。
 本当であってもなくても、周瑜にとって大変無礼な指摘だと言わざるを得ない。
 それでも、黙っていることは出来なかった。緊張して唾を飲み込み、恐る恐るの態で問う。
「小喬殿に、知られたくなかった、ん、ですか……? あの、知らないってことを……」
 の問いは、つまり、女を知らない、童貞なのではあるまいか、と暗に含めていた。
 周瑜は何も答えない。
 ただ、酔って赤くなった頬が更に赤くなり、無言ながらも饒舌に『そうだ』と言い表していた。
 絶句する。
 最早、呆れる笑えるの話ですらない。
 周瑜が、あの美周郎が未だに女を抱いたことがないと、誰が考えるだろう。
 固まってしまったを余所に、周瑜は酒をちびりと含み、まずそうに舌の上で転がしている。
 であれば、周瑜が叱ったの怒ったのの原因は、性格以前の問題だ。
 の想像でしかないが、周瑜が女を知らないという事実を知る者はほとんど、否もしかしたら皆無なのかもしれない。
――お前『も』私を『その手の輩』として見ていたか。
 これは、周瑜が自ら漏らした言葉だ。
 皆が皆、周瑜は手練だ、女の扱いには長けていると思っている、少なくとも周瑜自身はそう思われていると考えている、と見て差し支えなかろう。
 それはそうだ。とてそう思っていた。
 周瑜が何故小喬を選んだのか、ゲームをやり始めた頃はよく分からなかった。
 如何にも少女少女した小喬に、さてはロリコンなのかとあらぬ疑いを掛けたこともある。
 その内、女に慣れた周瑜だからこそ小喬の純粋さ、直向さに惹かれるようになったのだと無意識に納得するようになっていた。
 根本的に話が間違っていたのだ。
 周瑜が小喬に惹かれたのは、『女』となる前の少女めいた小喬だからこそであり、女を知らない周瑜が恋慕を寄せるに相応しい、『無垢』な相手だったからなのだろう。
 その、言い変えれば『幼い子供』である小喬に、周瑜が未だ知り得ぬ『大人の知識』が吹き込まれつつあると知れば、周瑜のみならず焦って然るべきだった。
 まして、女は周囲の者にとっくりと言い聞かされて初夜を迎える。
 男はどうか詳細は知らないが、母親が娘に教えるように、父親が息子に教えることはないらしいということだけは、何処かで読んだ。
 恥に類する行為だからだという話だが、しかし母親が娘に与える知識でも、確かとにかく男に主導させるように、と記述があったように思う。
 男の側の閨での責任は、口で言うより大変なものなのだ。
 まして周瑜のように『手馴れた』『大人の男』と見られていては、迂闊に『ここでいいのか』等と訊ねようもない。
 その日までには何とか取り繕えるだけの知識をと意を固めていた周瑜には、勘違いから成る重圧が凄みを増すような事態を、うかうかと許容できる筈がないのだ。
 恥だ、いかがわしいと高飛車に叱り付けたのも、案外それらの余裕のなさが昂じてしまったからではなかったのか。
 そう考えると如何にもすっきりと収まりが付く。
 が周瑜をちらりと見遣ると、周瑜は溜息を吐いた。
「お前の書き記したものを、見た」
 当帰が飛び込んできて、偉い剣幕で人払いを請うてきたのだそうだ。
 あれだけでも十分醜聞に繋がるだろうと、周瑜はまた溜息を吐く。
 新参の、しかも異国の文官の世話役として召し上げられた女が、職務に従事している都督の室に礼をかなぐり捨てて飛び込んできたのだ。醜聞として噂にならぬ方がおかしい。
 人払いが済むと、当帰はが書いたという竹簡を広げ、二喬が強要して書かせていると周瑜を酷く詰ったそうだ。
 周瑜もまた見覚えのある竹簡の内容に面食らい、さてはあれ程慌てふためいたのは、二喬絡みの為であったかと納得もした。
 だが、正直周瑜の手には余る話だ。
 自身の諸事情もあるが、女の事情に男である周瑜が介入するのも妙な話だ。
 察したのか、すっかり吐き出して冷静になった当帰は、詰まっていた怒気が抜け落ちたかのようにしおしおとして答えた。
 別に直接どうこうして欲しい訳ではない、ただ、二喬にこんな無体な真似をさせないで欲しい。は身分も立場もある人間で、自覚がないからやっていいことと悪いことの区別が付かない。いつかは必ず教えてもらえることを、何もが横からしゃしゃり出る必要もなし、こんなものを書いていると噂に上がるのは困るのだ。
「でも」
 が割り込むと、周瑜は苦笑して抑える。
「分かっている。二喬がお前をわざわざ嵌めたりする由もないとな。……当帰は、お前のこととなるとどうも神経質になるようだ。一体、どのような縁の者なのか」
 問われても、が知り得ることは少ない。
 精々がところ、凌統と懇親で店をきっちり切り盛りする能力に長けており、を妙に気に入ってくれているということぐらいだ。
 周瑜はの返答を聞いて、軽く頷いた。
「……分かった。それではお前が戸惑うのも致し方あるまい」
 は目を瞬かせた。
 周瑜がこれ程あっさりを認めるとは信じ難かった。
「私とて、寄せられる好意が重く感じられることもある。さして詳しくもない女相手のそれは、特にな。察することは出来ずとも、想像しない訳でもないが」
 竹簡は、当帰がそのまま持ち帰ったそうだ。
 如何な周瑜と言えど渡すことは出来ないと言って、両の手で抱え込むようにして城を出たという話だった。
「……もう少し、落ち着いて話をしてみるといい。当帰も、見たところかなり興奮していたようだ。あれから上がってくる様子もないから、屋敷に篭もって落ち込んでいるのではないか」
 当帰が落ち込んでいる、と聞いて、も酷く沈む心持ちになった。
 暗く俯いた顔は、後悔に満ち満ちている。
 はおもむろに席を離れ、奥から竹簡を抱えて戻って来た。
「これ、あの話の始まりのところです」
 困惑する周瑜の手に、は竹簡を捻じ込んだ。
「内緒にして欲しい話なんですけど……大喬殿、私が居るせいだと思うんですけど、やっぱりどうしても当てられているようなところがあって。だから、下手に教えないで居ると、変に焦ったり考え過ぎておかしな方に向かっちゃいそうなんですよ」
 生理現象にいちいち脅えたり、自分はおかしくないか、人と違ってたりはしないかと、晴れない不安に駆られている。
 だからこそ、教えるならば今がいい。お牀入りが決まってからなどと、悠長にしている場合ではないと思う。
「それに、本当ならこの手の知識って、黙ってても端々から漏れるもんだと思うんですよ、普通。けど、大喬殿、よっぽど大事にされてるみたいでホントに何にもご存じないんです」
 無知も過ぎれば毒となる。
 そのせいで傷付いたり不信を根付かせることこそ愚行だ。
 時を待てという当帰らと、現実に相談を持ち掛けられて反応を見ているとでは、温度差が生じて当たり前だった。
「私は、さっきも言ったけど、大喬殿に怖いとか嫌だとか思って欲しくないんです。その為の心構えを作る手伝いをしてあげたい。だから、とりあえずこれ、検閲して下さい」
 通して読んで、それでも駄目なら別の手を考える。
「……止めるつもりはないのか」
「ないです。ごめんなさい」
 大喬は、今知りたがっている。それはが孫策に抱かれているからに他ならない。の存在そのものが原因なのだ。
「居なくなる訳にもいかないし……だからって、実演してみせる訳にもいかないでしょう」
 周瑜の顔が真っ赤に染まる。
 言葉の選択を誤ったと気付いたは、遅れ馳せながら赤面し、申し訳ありませんと頭を下げた。

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