は誰かに揺り動かされて目を覚ました。
 体はだるく、言うことを聞かない。
 目だけで辺りを窺うと、既に身支度を整えた太史慈が牀の縁に腰掛け、を見下ろしていた。
「もう、戻らなくてはならん。辛いだろうが、一度起きてはいただけまいか」
 蹂躙したことは理解しているらしい。
 起き上がろうとするのだが、腰から下が痺れたようになって動かない。
 それでも太史慈は、水で濡らして固く絞り上げた手巾を手に取ると、を助けて起き上がらせた。
 自然な仕草での顔を拭い、首から下へと移っていく。
 自分の体を見遣ると、あちこちにつねられたような跡が残っている。昨日の時点より確実に増えていると思われた。
「もう、こんなことしませんからね」
 むっとして目を顰めると、太史慈は声もなく笑った。
「貴女が、もう誰にも……孫策殿にも触れさせぬと約定して下さるなら」
 その言葉に、『他の男が触れているものを、俺だけ諦めるなど』、と心情を吐露した太史慈の様を思い出した。
 嫌なものだろうか。
 まぁ、嫌だろう。
「努力、します」
「無理だな」
 前向きな姿勢を見せるも、太史慈に一蹴されてしまう。
「貴女が拒絶しようと、孫策殿は諦めまい」
 それもそうか。
 未だ覚醒し切っていないせいか、素直に納得してしまった。
 だが、確かに孫策は諦めまい。手酷い目に遭ったのも一度や二度ではない気がする。
「……どーして、なんでしょーねぇ」
 何故、皆がこれ程を求めるのか。諦めようとしないのか。
 対抗心からだとしても、の具合がいいにしても、それだけでは割り切れない何かがあるような気がした。
 太史慈は、の体を拭い終えるとの夜着を取り、着せ付けてくれる。
 慣れた手付きに、太史慈は意外に経験豊富なのかもしれないと思い当たった。
 抱いた女がこうして腰を抜かすことは、太史慈の落ち着いた様子からして初めてではなさそうだ。
 ならば何故、という疑問が強くなる。
「貴女は、何も分かっておられぬのだな」
 太史慈の笑みが苦笑に転じる。
「教えて差し上げても構わんが、」
 言い掛けた言葉を飲み込み、太史慈はをじっと見詰めた。
「……知りたいなら、貴女から俺を訪ねて来られるといい。そうしたら、教えて差し上げよう」
 それは。
 抱かれに来いと言っているのか。交換条件としては、はなはだ割に合わない気がした。
 太史慈がそのまま立ち去るのを、黙して見送る。
 疲れて、眠かった。
 本来であれば、この国においては太史慈のような女の抱き方が正当だろう。何度も放つのは、体の精気を衰えさせる。
 身分の高い者が妾を囲うのは、何も精力絶倫だからと言う訳ではないという説を読んだことがある。何でも、老いた男は若い女と、老いた女は若い男と情交を結ぶことにより、若さを保つことが出来るらしい。
 だから、太史慈がをのみ何度も達かせ、自分は一度きり放った。
 違うか。
 一度きりにしてくれと希ったのはの方だ。でなければ、体がもたないと思った。
 結果的には、却って酷く疲れただけだったが。
 このままだと、本気で呉のコンプリート達成しちゃうなぁ。
 眠気にかまけて危機感のないことを考える。
 そのまま眠りに落ちた。

 起きると、既に日が高く昇っていた。
 それとて、の目覚めが遅いと見て城付きの家人が起こしに来てくれたのだ。
 そうでなければ夕方まで眠っていたかもしれない。
 おさらいをする時間は到底なく、用意されていた朝食も悩みながら二口三口ほど口にした。残すのは勿体無いので、後で食べるからそのままにしておいてくれと家人に頼むと、少し呆れられてしまったようだ。構っている余裕はなかった。
 初めての会合だというのに、だらしない格好では行かれない。
 こんな時こそお母さんが居てくれたらと思う。慌てているから、髪も上手くまとまらない。
 半泣きのを見かねたらしい家人が手伝いを申し出、の数倍早く、数倍綺麗にまとめてくれた。
 礼を述べつつ、ふと思い出した。
「……これ、挿してもらえませんか」
 おずおずと差し出した細い銀の簪を見て、家人はにっこり笑う。
 すっとの髪に挿すと、お似合いですよ、と褒めてくれた。
 の頬が綺麗に染まり、家人は可笑しそうにくすくす笑った。
 指定された場所に向かうと、既に多くの文官達が集っていた。ずらりと並んだ長机に沿い、やはりずらりと腰掛けている。延々と続く黒い眼が、扉に立つに一点集中した。
 遅れてしまったかと慌てて頭を下げると、居並ぶ男達の一番奥で張昭が立ち上がる。
「いや、いや、今日は誰も彼もが早く集まって来おってな。お前さんが遅れた訳ではない」
 ばらされた文官達は、こぞって頭を掻いたり咳払いしたりしている。
 それでも、が一番最後だと言うことに変わりはないようだ。
「ま、招かれた身で遅くなってしまって」
 改めて頭を下げると、張昭はからからと笑った。
「そう畏まることもあるまい。こちらへお掛けなされ」
 手招きされるが、空いているのは上座付近の一席だった。
 一番先頭のお誕生日席ではないものの、その隣に当たる上席で、無論はそんな場所に座れる立場ではない。
 慌てて末席に置いてくれるよう頼み込むと、当の誕生日席の張昭は渋い顔をした。
「年寄りの隣は嫌だと仰るか」
 言葉とは裏腹に子供じみた駄々をこねられ、はうろたえた。
「み、未熟者ですがよろしくお願いします」
 思わず口走ってしまったが、まったくの嘘という訳でもない。
 海千山千のと称したのは、周瑜だったろうか。
 今のには、海よりも深く山よりも高い恐るべし集団としてしか見られなかった。

「お疲れのご様子じゃな」
 茶を淹れてくれた家人に頭を下げると、家人は不思議そうな顔をして下がっていった。
 は今、張昭に茶に招かれてその屋敷を訪れていた。
 初めて参加した文官達の会合は、想像以上に緊張し、話の半分も理解できない体たらくだった。
 責められこそしなかったが、逆に顔色が悪いと案じられ、己の不甲斐なさに恥じ入るばかりだ。
 正直に告白したに、張昭はからからと笑った。
「その様子では、まったく気が付いておらなかったようじゃな」
「は?」
 何を言われているのか分からず、は目を丸くした。
 張昭は、差し出された獲物に舌舐めずりせんばかりの喜びの表情を浮かべ、嬉々としていたぶりに掛かる。
「いつもは卓など用意せず、車座に腰掛けて手ん手に論議するのが常じゃ。それが、今日に限ってあのような卓を用意した。何故か、分かるかね?」
 分かるかと言われても、にはどうもぴんと来ない。
「……私が、参加しやすいように……ですか?」
 何か答えなければと思い付きを口にするが、やはり張昭は首を振った。
「皆が参加できるように、じゃよ。お前さんが来た日には、それぞれがそれぞれにお前さんの隣に来ようと躍起になるじゃろう。騒ぎになるのは目に見えて居るから、それで卓を用意したまでじゃ」
 だが、次には卓は用意しないという。
 何故かと問われても、考えが及ばない。
「お前さん、何度か椅子をずらしておったろ」
「あ、はい」
 隣に座っていた文官の足がの足に当たるので、狭いのかと思って椅子をずらした。それだけだ。
「それだけ、ではない」
「はぁ」
 苦虫を噛み潰したような張昭に、は首をすくめた。
「……本当に、何にも分かっておらぬのじゃなぁ。達者なのは、牀技だけと見える」
 それはそれでどうなんだ。
 嫌な物言いをする、とが顔を顰めると、張昭は表情を和ませた。
「あまり度が過ぎると、いらぬ恨みを買うことになろうて。……まぁ、それはともかく、狭いから足が当たっていたのではない、ありゃ、お前さんを誘っていたのじゃ」
「さ。そ?」
 卓がいい目隠しになるからと、こっそりを誘おうとしたものの、当の本人がまるで気付かず避けるかの如く椅子をずらす。
 周りの幾人かは気付いたし、恥を掻かされたと思い込んでも仕方がないと張昭は滔々と語る。
 んなこと言われたって。
 鈍いと定評の相手に、そんな回りくどい真似をして通じる筈がない。と、威張っても虚しかった。
「……えーっと」
 謝りに行ったところで相手が許してくれるとは思えない。恥を上塗りするだけだ。
 どうしようと思い悩むに、張昭は笑うばかりだった。
「笑い事じゃないんですけど」
「まぁ、笑い事ではないな」
 そう言いつつも笑い続ける張昭に、は唇を尖らせて不貞腐れる。張昭もようやく笑いを納めた。
「お前さん、もう少しその辺の手管を覚えんとな。そちらの方はてんで疎いと来ておる。上手いあしらい方を覚えんと、恨みつらみが募って大事になるぞ」
 んなこと言われたって。
 張昭の要求はハードルが高過ぎる。
 こちらの世界に来てからというもの、恋愛に関しては世界記録級の手管を要求されるようになった。元の世界では極平凡なOLをやっていたに、何をどうしろと言うのか。
 勉強しろと言われても教材もないような分野だけに、も困り果てている。
「そもそも、面白がって押しかけてくるような人達にどんな対応しろって言うんです」
「面白がって?」
 突然、張昭は真顔に戻る。
 あまりの変わり身の早さに、はとんでもない失言をしたかと青褪めた。
 けれど、心当たりはない。
 張昭はしばらくの間をじっと見詰めていたが、不意に深々と溜息を吐いた。
「何と言う女じゃ、男心を弄びおって」
「はぁ!?」
 それは言い過ぎというものだろう。
 は、自分こそが遊ばれていて、良いようにあしらわれていると思っている。面白がられておもちゃにされて、挙句に言われる言葉がそれでは救いがない。
 しかし張昭は、を懇々と諭した。
「いいかね。お前さんとこに押しかける連中は、確かにお前さんに振られるのを覚悟して出向いておるとも。じゃが、それでいい気持ちになる筈もなかろ。良くて仕方がない、悪ければ何とつれない女かと歯噛みして恨むじゃろうて。きっかけが何であれ、お前さん恋しさに出向くことには変わりない。一夜の情とて情けは情け、それが分からぬでは早晩お前さんを巡って刃傷沙汰になろうよ」
 刃傷沙汰ならまだ可愛い、お家騒動になる可能性とて十二分にある。
 張昭の言葉に、は口をあんぐりと開いた。
 大袈裟に過ぎる。
「何を言うか、大殿と若殿がお前さんを巡って言い争っていたこと、お前さんとて覚えているじゃろう」
 忘れたとは言わさぬといわんばかりの口振りでを詰る。
 それは確かにそうかもしれないが、だがあれは、いつものじゃれ合いの延長ではないか。
「何がじゃれ合いなものか」
 張昭の顔はますます渋くなる。
「何故今、若殿がお前さんの隣に居ないか考えたことはないのかね」
「だっ……それは、練兵で」
 張昭は大きく頭を振った。救い難いと嘆いているようだった。
「お前さんが誰も選んでないのは、儂にはよう分かっておるよ。選べないと言うならそれも良かろう、じゃが、選べないのでなく選ばないのだと思われても、それは致し方ないと覚悟をせねば」
「いや、あの、だって、私、私ですよ?」
 焦りから訳の分からないことを口走るが、張昭はの言わんとするところを聡く読み取ってくれた。
「お前さんが自分を卑下するのはお前さんの勝手じゃ。それと同じで、男達がお前さんを祭り上げるのも男達の勝手じゃろ?」
 言い返そうとして振り上げたの拳が、中空でぴたりと止まり、やがてのろのろと落ちていく。
 だが、ならばどうしたらいい。
「法則を、きちんと作ってやることじゃな。そして、相手に納得をさせる。相手にするのは誰で、相手にしないのは誰、そしてそれは何故なのか、はっきり理由を付けることじゃ」
 最低限、それは死守すべき礼儀と言う名の取り決めだと張昭は言い切った。
 そんなものなのだろうか。
 恋愛というのは、もっと清くて正しいものかと思っていた。こんな生臭い、どろどろして現実味あるものでいいのだろうか。
「男と女の話など、生臭くて当然よ。それが分からぬ内はまだ青い、青い」
 笑い出した張昭に、はほっと気が緩むのを感じた。
 何であれ、この老人にはよく助けられている。呂蒙が学びの師なら、張昭は人生の師とも仰ぐ人だろう。
「で」
「で?」
「儂の相手はいつしてもらえるのじゃな」
 それはいいから。
 がっくりと肩を落としたの耳に、張昭の笑い声が響いていた。

← 戻る ・ 進む→

Cut INDEXへ →
TAROTシリーズ分岐へ →