孫策の走り方は、遅くはない分滅法荒い。
 戦闘時(ゲーム内の話だが)ではやや前屈みに、いつでも一撃繰り出せるような体勢を取っているのもあってか、抱えられて走っているとその荒さを身を以て知ることになる。
 癖なのか何なのか、を抱えていてさえ腕を振るのを止めない為、『振り抜く』まではいかなくとも、ゆっさゆっさと派手に揺す振られる羽目になるのだ。
 加えて、脚力の賜物か踏み締めて前へ進む時の重力が物凄い。
 飛び跳ねるかのように地面を蹴り上げるので、抑え込まれるような強い加速を感じてしまい、滅法恐ろしい。
 壊れ掛けのジェットコースターが全速力で走っているようにも思えて、必死になってしがみ付かざるを得なかった。
 よもや落としはすまいが、何せ相手は孫策だ。
 人一人抱えて全速力で走る労力の凄まじさを考えるだに、うっかり手を滑らせて……ということがないとも言い切れない。
 そんな調子で、愚痴どころか悲鳴を上げることも出来ずに運ばれた先は大喬の室だった。
 振り出しに戻るというのはこういうことを言うのか、それと分かった瞬間にが感じた脱力感は並大抵のものではない。
 出迎えてくれた大喬は、申し訳なさそうな曖昧な笑みを浮かべ、と孫策を室に招き入れる。
 室の中には、先程まではなかった湯浴みの支度が整えられていた。
 何のこっちゃ分からん、と目を瞬かせるに、大喬はおずおずながらも説明をしてくれる。
「……ごめんなさい、勝手に……とは思ったんですが、手遅れになるよりは……と思って……」
 要するに、が何らかの性病に罹患した恐れがあると聞き及んだ孫策が、すわ一大事とばかりにを連れ戻しに出たらしい。
 どうして呂蒙のところに居ると知り及んだのかは定かでないが、孫策のことだから鼻を利かせたと言われても不思議はない。大喬が案じてくれるのも、偏にに寄せる好意故の話だから、責めるつもりはなかった。
 だがしかし、である。
「……何で、湯浴み」
 何となくは分かったつもりだが、敢えて理解したくなくては疑問を口にした。
「別に、俺は構わねぇけど」
 答えになっていない答えに、は正しく答えを見出したような気がする。
 再び要約して言えば、『俺が診てやる』ということなのだろう。
 微妙な部位の話であるし、医者に不信感を持ってしまったが素直に診察に応じるつもりもなさそうだ、となれば、孫策の言い分も決して無茶とは言い切れない。
 とは言え、孫策に見せてどうなるものでもないような気もする。
 顔に感情が滲んでいたものか、大喬が慌てたように口を挟んできた。
「でも、孫策様なら、何かあったら気付けると思うんです! ね、孫策様、そうですよね!」
 大喬は必死で気付いていないのかもしれないが、内容的には実に何だかなな申し出だろう。
 孫策がの『変化』に気付けるのは、孫策がの『通常』を知っているからに他ならない。
 ならば、何故その『通常』を知っているかと言えば、それは孫策がの『通常』を見慣れているからの一言に尽きる。
 どうして見慣れているかと言えば、言わずと知れたことだった。
 とりあえず、未だ処女を守る妻が懸命に指摘することではない。
「…………」
 何とも生温い気持ちになって、は複雑な心境に陥った。
 暴れてでもこの場をやり過ごしたい気力が、みるみる減っていくのが分かってしまう。
 あー、と投げ遣りな呻き声を上げ、ぼりぼりと乱雑に頭を掻いた。
「……じゃ、ちょっと孫策殿お借りして、自分の室で……」
 言い掛けて、止める。
 大喬の顔が悲しげに歪んだからだ。
 とりたてて大喬を仲間外れにしようというつもりはない。
 無論、大喬もそう思ってくれていることだろう(と、思いたい)。
 ただ、こういうことは理屈で片付く問題ではないことを、も重々承知している。
 相談を持ち掛けられ、良かれと思ってお膳立てを整え、いざその場になって感謝されることもなくはいご苦労さんと追い払われては、割に合わないにも程がある。
「大喬には、俺の手伝いしてもらうからよ。いいだろ?」
 微妙に沈み掛けた空気を、孫策があっさり打ち払う。
「『中』だと、フツーじゃ暗くて見えねーからなぁ」
 当の本人は気付く様子もなく、たらいに溜められた湯の温度などを見始めた。
 お偉い立場にある筈だが、何の気なしに甕の湯を足してみたり何だりしているところを見ると、割と庶民派なのかもしれない。
 大喬も、そんな孫策を止める様子もないから、これが当たり前なのだろう。
 妙にほのぼのとした場面に遭遇するに到り、から毒気という毒気が抜け落ちた。
 もうどうにでもしてくれと、端的に言えば投げ遣りな心持ちに陥ったのである。
「準備出来たぞ」
 得意げにを招く孫策には重い腰を上げた。
 そして、たらいの縁に手を掛けてにこにこしている孫策に、軽く膝蹴りかまして『出て行け』と有無を言わせぬ主張の実力行使を敢行した。

 孫策はともかく、さすがに室の主たる大喬を追い出す訳にも行かず、は案じたように大喬をちら見する。
 大喬は、気にした様子もなくにこりと微笑み返した。
 手伝う気満々らしい大喬に、は気付かれぬよう小さな溜息を吐く。
 毎度の話、あの大喬に湯浴みの手伝いをさせるのもアレだが、自分の裸身を大喬に見られるのが嫌だという思いが、どうしてもある。
 大喬の体は小柄だが、その分少女特有の瑞々しい色香に満ちている。
 大人になっては決して取り戻せぬであろう一種独特の潤いは、大喬の美しさそのものだった。
 細い手足と華奢な作りの体の持ち主に、原稿と徹夜に塗れて荒みきった体を晒すのは、どうにもはばかられて仕方がない。
「……一人で入ったら、駄目ですかね」
 恐る恐るの申し出は、やはり予想通りの悲しげな表情を引き出した。
 手伝ってくれようとする気持ちは有難いが、こうなるとしんどくもなる。
 は指先でこめかみをごりごり掻くと、諦めて正直に申し出ることにした。
「いやその、スタイル……あの、体、体付きに、正直自信が……あの、大喬殿みたいに綺麗じゃないもんで、ちょっと……その、見られるのが恥ずかしい、ん、ですね」
「え」
 大喬の目が丸くなる。
 それはそうかもしれない、強制だったかどうかはさておき、の着替えも何度か手伝ってくれたことがある大喬であれば、今更の一語に尽きる話だ。
 だが、にしてみれば、一応下着をつけての着替えと全裸の湯浴みとでは、埋めようのない隔たりがある。
 まして、後程御開帳することが決まっている身の上ともなれば、せめて身を清める間は一人でゆっくりしながら気を鎮めたい。
 説明しようにも下世話になってしまいそうで、は察して欲しいオーラを全身から迸らせた。
「……分かりました。そうですよね」
 心持ち頬を赤らめて、大喬が頷く。
 ほっとしたの手を取り、大喬は大きく頷いた。
「じゃあ、私も一緒に入りますから。それなら、大丈夫ですよね!」
 ちっとも大丈夫じゃない。
 顔面蒼白になるを余所に、大喬は手際良く身に付けたものを脱ぎ捨て始めた。
 見られるのが嫌、を、一方的に見られるのが嫌なのだと解釈したものか。
 誤解も甚だしいが、目前で露になっていく白い肌に、はぎょっとしつつも目を離せなくなる。
 本当につるつるで、染み一つない、赤子のような肌だった。
 赤子と違うのは、柔らかさより滑らかさが際立つことか。
 ふに、というよりはつる、と、例えは何だがPP加工した表紙のようだ。
 光を弾くのは脂の乗りのせいだろうが、若さの証のようにも見えて何とも眩い。
――つか、脂の乗りとか言っちゃう辺りが、ひがみっぽくてイヤンな感じ。
 内心で自分ツッコミ入れている間に、大喬はすっかり脱いでしまっていた。
 大喬は、次はだと言わんばかりにじっと見詰めてくる。
 こんな状態では、脱がない方が悪いようで、は泣く泣く襟に手を掛けた。
 しかし、よく考えてみたら、性病がうつるかもしれないから一人で入るとでも言い訳すれば良かったのだ。
 大喬が脱ぎ終えた後になって思い付いてもまったく意味がないのだが、の機転の利かなさ加減だけはくっきりはっきり示された訳で、自虐の要因となるには十分足り得る。
 馬鹿馬鹿、私の馬鹿とツッコミ入れながら、渋々最後の下着を下ろす。
「さ、大姐」
 気にしてないのか、気にしない振りをしてくれているのか、大喬は極自然にを手招く。
 たらい自体は、二人で入るには少々手狭で、それ故か大喬はのみをたらいの中へと導こうとしていた。
「……あの、ホントに病気だったら困るから、入るなら大喬殿が先に……」
 詳しくないからこそ不確かなことは出来ない。
 どう感染するのか分からない以上、同じ湯を使うのもまずい気がした。大喬が先に入るのであれば、一応その問題も解決する。
 の言葉に、大喬はしばし考え込んだようだが、素直に応じて湯に足を踏み入れた。
「私の知ってる話だと、他人に裸見せたりするの、あんまり良くないって聞いてるんですけども」
 大喬の背に湯を掛けてやりながら、手持無沙汰に話し掛ける。
 熱かったのか、少し肩をすくませるように身を縮めた大喬は、湯を馴染ませるように肌に刷り込みながら言葉を返す。
「それは、他人でしたらそうですけど……背中を流すのに侍女に手伝ってもらうとか、そういうことは普通にありますし、家族や本当に仲のいいお友達とか、一緒に水浴びすることはありますよ」
 いつも教えてもらっている側としては、立場を逆転して教えられることが嬉しいのか、大喬は珍しく饒舌に語り続ける。
「それに、下着を付けていても、やっぱり着替えの時は裸に近い格好になりますし……それから、お嫁入りする時など、色々と『お作法』を教えていただく時、も、やっぱり……その、裸になることがあると……」
 お嫁入りする時の『作法』云々の件で、大喬は妙に恥ずかしげに顔を赤らめた。
 最初は良く分からなかっただが、それでああ、と思い付く。
 以前から何度か大喬に請われていた『お牀入り』の話のことだろう。
 そう言えば、初夜に母親だかが牀の傍に貼り付いて、『きちんと出来ているかどうか』を見張る風習さえあると聞いた。
 であれば、湯浴みを共にすることなど、そもそも大したことではないのかもしれない。
 むやみに肌を露出してはならない、と言うのであれば、甘寧辺りはどうにもなるまい。
 マナーが各階層で異なる場合があるが、肌の露出云々もその『差異』に当てはまる話なのかもしれなかった。これだけ大きな国の中で、異民族も入り込んできて、単なる生活を共にする集団として纏まる数ともなれば、更に大きく数を増そう。それらが複雑に混じり合い絡み合う国の習慣を、一年二年で覚えようというのが土台無理な話と言い切って良い。何となく、で通じる漠然とした感覚は、生まれ育って来て初めて体得できるものなのだ。
 ある程度育って、自国の常識を染み込ませた後では、理解するのも容易ではない。
 通りで、諸葛亮が教えようとしてくれない筈だ。
「……大姐?」
 いつの間にか考え込んでいたらしい、大喬に声を掛けられて我に返る。
 大喬は立ち上がり、今度はの番と促した。
「え、もう?」
「私、結構長い間入らせていただきましたよ?」
 聞けば、はずっと大喬の背中を流していたのだという。
 ご丁寧に濡れた布巾を使い、強くもなく弱くもなくの絶妙な力加減で、しかも一箇所に留まらずごしごし擦っていたらしい。
 それでは大喬も気付くまいし、も無意識ながらの行動にただただ驚くばかりだった。
 意外と器用なのかと変に悩み出した時、外からの目隠し用に置かれていた衝立が、がたんと短く大きく揺れる。
「おい、まだ……」
 覗き込んだ孫策の目が、真ん丸く見開かれる。
 も驚いたが、大喬の驚愕は更に凄まじかったようだ。
「きゃあっっっ!!」
 甲高い悲鳴と共に、湯が宙を舞う。
 ばしゃっ、と結構な量の湯をモロに浴びたと思しき孫策が、けったいな声を上げて衝立の向こうに引っ繰り返った(腰を打ちつけるような音で分かった)。
「出て行って下さいっ!!」
「わ、悪ぃ、大喬、ごめん、な」
 弱々しい声がおろおろしながら遠ざかっていく。
 普段の様からは想像も付かない気弱な孫策の逃げっぷりに、は呆気に取られてしまった。
 また、大喬が孫策に対して腹を立てることがあるなど、想像だにしていなかっただけに、凄まじい動揺に見舞われた。
 大喬は、ぽかんとしたまま固まっているを見て我に返ったか、一気に顔を赤くしてぱっと伏せる。
「……大喬殿でも、伯符、怒ることがあんですねぇ……」
「あ、当たり前、ですっ!! そんなの、私だって普通に、怒りますから!!」
 茫洋とした感想に、大喬は赤面したまま強い口調で言い返してくる。
 確かにそうなのだが、そして今まさに目の前でその光景に出くわした訳だが、未だに信じ難い。
 ほへぇ、と間抜けな感嘆を漏らすを、大喬は力尽くでたらいの中へと引き摺りこんだ。

← 戻る ・ 進む→

Cut INDEXへ →
TAROTシリーズ分岐へ →