凌統の心配を余所に、馬超は至極あっさり室から出て来た。
馬岱との意味深な雑談はそう長くは続かなかったが、暇を持て余すという程でもない。現代の単位に換算して、約十分かそこらといったところだろう。
よからぬ振舞いをするには、刹那と言っていい時間だ。
馬岱も少し驚いた顔をしている。
宣言通り、馬超が『する』と思い込んでいたのだろう。
人となりを知り置いている訳ではないが、何とも胡散臭い人物だと凌統は感じていた。
嫌味でなく、これだけの人物を補佐する立場に在るのであれば、この程度には策士然としていて然るべきだという思いからだ。
錦馬超の名は、この江東の地にも届いている。
西涼という土地には詳しくなくとも、漢の支配及ばぬ異民族がひしめき、荒涼とした大地が広がることは聞いている。
馬超とは、名目上であったにせよなかったにせよ、そんな土地を治め率いて来た男の名だ。
どこまで行っても臣の立場に甘んじるつもりの凌統には、伝承とも見紛うような名でもある。
蜀に降ったという話は知っていたから、いつかは相まみえる機に恵まれるやもしれないとは思っていたが、こんな形でとはさすがに思わない。
まして、その武の力量までも鮮烈に刷り込まれるという、ある意味最悪の出会いを経ていた。
苦手意識を持って付き合う相手の存在など、せめて一人きりに留めておいて欲しかったとは思うが、天を恨んでもこの出会いがやり直せる筈もない。
とりあえず、知人を扉一枚向こうに置いての不埒な振舞いは控えられる人物である、ということで、嫌悪の枠からはぎりぎり外れた。
「は疲れているようだ」
細く開いた扉の内側を覗き込むようにしている凌統を牽制してか、馬超は誰ともなくぽつりと呟く。
「待てと言うなら幾らも待とうが、別に室を用意してくれぬだろうか」
広間で孫堅と対峙していた時より、ずいぶんとおとなしい。
どころか、凌統を連れて船に乗っていた時よりも更におとなしく、と言うより穏やかになったように見える。
に会えて安堵したということか。
何故だか無性に面白くなく、凌統は今一度扉の内を覗き見る。
はこちらに背を向けて腰掛けていた。
顔の線は見えるが、その表情まではようとして知れない。
が、どこか疲れているように見えた。
馬超に何事か吹き込まれたのだろうか、小難しいことでも考えているかのように、卓に手を乗せてじっと動かずにいる。
「凌統殿?」
馬岱に促され、凌統は視線を外さざるを得なかった。
開いていた扉をわざと乱雑に閉めると、数瞬悩み、口を開いた。
「閂、掛けておきなよ」
はっきりとは聞こえなかったが、うん、と短い応えが返り、それを合図に凌統は扉から手を離す。
馬超、馬岱の二人を連れて行く場所の選定に悩んだが、厚かましくも馬岱が庭の散策を所望してくれた為、その案に甘んじることにした。
中庭であれば、おかしな話、屋敷の造りを探られずに済むからだ。
今は味方と言えど、いつかは必ず敵になるであろう相手を連れて、屋敷の中を馬鹿面下げてうろつくのはどうにもはばかられた。
もっとも、内密に進んでいる『遷都』の計画が済めば、屋敷の案内自体に意味はなくなる。
とは言って、ではどうぞと堂々案内するのも、下手に気付かれそうで面白くない。
そういう意味でも、馬岱の提案は渡りに船だった。
すべてを見越しての提案であれば、正直脅威に感じるが、探ったところで詮ない話だ。
馬岱の柔和な表情からその心根を読み解くには、凌統はまだまだ経験不足であった。
ただ、逆に馬超は露骨なまでに読み取りやすい。
これが演技であるというなら、凌統は、蜀との戦で命を幾つ落としても足らないだろう。
馬超は未練がましくの室を振り返り、悩ましく眉を寄せている。
馬岱曰くの『情の濃い男』が本気かどうかなど、この仕草一つで火を見るより明らかだった。
視線に気付いたのか、馬超はすっと凌統の目に己の目線を合わせて来た。
身長はほぼ変わらないから、合わせることに苦労はなかろうが、それにしてもずいぶん堂々と視線を合わせてくる。
信義偽らざるを証そうという場でもあるまいに、常日頃こんな案配なのだろうか。
真面目に過ぎて、凌統からすれば少々重い。
一度しっかり合わせられてしまったものを、無理なく外すのは難しそうだ。
見詰めていたのはこちらからだったから、非は凌統にこそある。
とにかく詫びて、許してもらうより他なさそうだ。
頭を下げるべく顎を引き掛けた凌統を、馬超の一言が引き止めた。
「お前も、と寝たのか」
ぽかん、とするより他ない。
何をかいわんや、とばかりに目を剥く凌統に、馬岱が堪え切れずに笑い出した。
「……こ、これは失礼……いや、申し訳ない」
謝りながらも喉をくつくつ鳴らす馬岱に、馬超が顔を赤くする。
「従兄上、さすがにそれは、無礼というものでしょう。申し訳ありません、凌統殿。従兄は、少々舞い上がっているようです」
「舞い上がってなど、居らん」
ぶすくれて唇を曲げるも、端正な面立ちを損ねることはない。
錦と冠されるだけあって、馬超の凛々しさはその辺の男と比べ物にもならなかった。
美周郎を抱える呉に在る凌統だが、馬超の艶やかさは周瑜のそれとはまた異なっている。西方の血を引いてでもいるのだろうか、整っていながら地味にまとまることなく、ぱっと目を引く華やかさがある。
こんな男がを追い掛け回しているのかと思うと、不思議でたまらなかった。
「貴様」
その馬超にずずいと迫られて、凌統は軽く肩をすくめる。
「何故、と親しげな口を聞く」
「……いや、まぁ……」
馬岱がなだめて馬超を下がらせ、間近に迫っていた顔が離れていった。
ほっとして軽い溜息を吐くと、凌統は頭を掻く。
何故と言われて、こうと言い返すだけの明瞭な理由は思い当たらない。
強いて挙げるとするならば、凌統の気質との性格故だろう。
思えば、最初からそうだったような気がするし、それが自然だったような気がする。
最初は単なるお付きの女として出会っていたのを、次会った時に正式な使者様でございますと切り替えるには、凌統もも不器用過ぎた。
どう言ったものだか悩む凌統に、馬岱が素早く付け足して寄越す。
「良いではありませんか、従兄上。見知らぬ土地に在ってもそこに友が居てくれるのであれば、殿もさぞ心強いことでしょう」
友。
言い得て妙な言葉ではあったが、凌統の耳には馴染まなかった。
それがどうしてなのか、やはり凌統には説明し難い。
凌統の知らぬ男達の口から、凌統の知らぬが語られる。
たったそれだけのことが何故こんなにも不快なのか、どうしても分からなかった。
扉の外から一行が移動するのを、は微かな音を拾うことで聞き分けていた。
どうやら遠くに行ったらしいと知れると、ほっとして体から力が抜けてしまう。
凌統が入ってきたらどうしようかと思っていたのだが、一応とは言え客人の手前、遠慮したらしい。
声掛けられた時は思わず裏声になってしまったが、返事も『うん』の一言で済ませたのが幸いしたか、凌統はそのまま行ってしまった。
妙に聡い凌統のことだから、ひょっとしたら何がしか気付いていたのかもしれないが、本当のところがどうなのかまでは、にも知りようがない。
いずれにせよ、申し訳なさで自己嫌悪に陥りそうだ。
閂を掛けろと言われたことを思い出し、重い腰を上げる。
比喩でなく重かった。
じんわりと染み出すものを感じて、その嫌悪感に眉を顰める。
馬超の放ったものだ。
壁一枚隔てただけの至近距離で『行為』に及んでしまったことに、は勢いこの世のすべてに謝罪したい気持ちに駆られる。
室に入った後、馬超は続きの奥の間に入ると、物も言わずにの着ている服の裾をたくし上げた。
何の前置きもなく下半身を晒されて、感情が沸き上がる以前に驚愕して真っ白になってしまった。
更に馬超は、迷いなくの下着を引き摺り下ろし、隠されていた秘部を露にする。
あわあわするばかりで悲鳴の一つも上げられなかったが、とにかく何とかしなければの一念で振り返り、馬超の顔を直視する羽目になった。
発情、と言うと聞こえは悪いが、この時の馬超は正にそんな顔をしていた。
眼は熱く潤み、薄く開いた唇からは極短い間隔で吐息が漏れ、頬は刷いたように紅潮している。
したい、と、口に出すまでもなく露骨に求められているのが分かって、は掛けるべき言葉を完全に見失った。
「あ」
ひちゃり、と濡れた音を立てて熱いものが押し当てられる。
既に先走りの露が溢れでもしたのだろう、の方は未だその気になるまでに至っていないのに、ぬるぬると滑っているのを感じる。
声が漏れたと同時に、は自らの口を塞いでいた。
外に居る二人に知られてはまずいからという当然の反応ではあったが、馬超の方はそうは取らなかったようだ。
嬉しげに微笑み、愛おしげに目を細める。
そうではないと否定するのは容易かったが、それは馬超の気持ちを蔑にするに等しい。
少なくともはそう感じて、それが故に口を閉ざした。
、と馬超は声もなく囁く。
吐息で形成される自分の名が、あまりにも艶やかに麗しく耳に響く。
背骨の中心にぞくぞくとした快楽が走り、馬超の指がの秘肉を割るのを止められなかった。
表面上は乾いた肉の奥は、とろりと潤んでいる。
指先からそれを感じ取ったか、馬超の笑みは深くなった。
恥じ入る間もなく、押し入って来る圧力に悲鳴を堪える。
耐え難そうだと見切ったか、馬超の手がの口元に回る。
そうして口を塞がれることで、外に人が居ることを嫌でも思い起こさせられた。
羞恥からか興奮からか、の内側は馬超を強く締め上げる。
離れていた期間がそうさせるのか、馬超のものが酷く大きくまた凶暴に感じられて、そのこともまたに要らぬ力を加えさせていた。
背中から張り付くようにしてを抱き締めている馬超の体が、びくびくと跳ね上がる。
互いが互いを刺激して、ひたすらに激しく狂おしく昂っていく。
短く吐き出される息が、の髪を揺らしていた。
「……っ、……っ、………………っ!!」
馬超は声もなく達した。
の体を強く抱き込み、己が身の内に押し込めるように掻き抱いている。
まるで、荒々しい愛撫を受けているような錯覚を覚えて、は身震いして耐えた。
体の内側に放出される熱い感触と脈動は、かなり長い間続いた。
萎れる肉の感触すら生々しい。
吐き出し切ったことで力が抜けたか、馬超の指先からも力が抜け、の髪に顔を埋めるようにして荒い息を吐いている。
腰を打ち付けることもなく、ただ挿れるだけで馬超は果てた。
一人勝手と取れなくもないが、も馬超の脈動に緩いながら達してしまい、思考は痺れて停止している。
震える肌から察したのだろうか、伺うようにしての顔を覗き込んだ馬超は、ほっとしたかのように小さな溜息を吐いて、をきつく抱き締めた。
話したいことがあるのに、言葉にならない。
痺れた舌を必死に御そうとするの努力も虚しく、馬超は覆っていた手を外すとすぐ、唇で覆い直した。
舌は容易く絡め取られ、吸われ、痺れどころか麻痺したように動かなくなってしまった。
触れ合いがもたらす享楽だけは鮮烈に伝わって来るもので、尚更性質が悪い。
栓をするように押し込まれていた肉が抜け落ち、それが止めとなっては崩れ落ちる。
馬超はそんなを難なく受け止め、抱え上げて椅子に運んだ。
互いに、服はほとんど乱れても居ない。
気持ち程度にの襟を直すと、馬超も軽く身支度を整え出て行った。
結局、会話らしい会話は皆無だったと言っていい。
あっという間の出来事だった。
は、細く長く息を吐き出すと、気合いを入れて一歩を踏み出す。
多少よろけはしたが、室内を歩く分には差し障りはないようだ。
扉は凌統が閉めてくれていたから、閂を掛けるだけでいい。
閂は横にずらすだけの作りだったから、今のでもそれ程苦労せずに済んだ。
が、やはり腰に力が入ることで、馬超の放ったものが溢れ出してきてしまう。
何となく悲しくなって、涙が滲むのを袖で乱暴に拭った。
後始末もしなくてはならないが、今は無性に横になりたかった。
用があれば誰か迎えに来るだろうと投げ遣りに考えて、は牀へと向かうのだった。