突如として決定した武闘会に、宴の間は沸きに沸いた。
 どうでもいいが(良くはないが)、またもや優勝賞品はだと決まっているようで、本人の意志不在のままに進む流れは正に激流の如しだ。
 恐らく、的廬ですらこの流れは渡り果せまい。
 元々、には良からぬ噂(向こうとしては良い噂なのかもしれない)が流れて居り、本気見栄張りの差は在れど、と一度『お手合わせ』願いたいとのたまう者は少なくなかった。
 この大会で勝ちさえ拾えば念願叶うやもしれぬとあって、その気のある者達の意気は高い。
 そうでなくとも、尚武を尊ぶお国柄にある呉の話、蜀からの刺客(ではないのだが)を交えての武闘と言うこともあり、鎮まって居ろと言うのが土台無理な相談だった。
 席は最早乱れに乱れ、何が何だか分からない。
 然して狭い場所ではなかった筈だが、武将文官、家人までもが入り乱れ、手が付けられない有様だった。
 ひょいとの隣に並んだ孫策が、その手を引いて前に進む。
 出し抜けに馬超の隣に椅子を並べると、そこにを座らせた。
 孫策の思わぬ行動に、見ていた何人かは少なからず衝撃を覚えたようだ。
 しかし、を挟んで馬超と反対隣に腰掛けるのを見届けるに及び、却って『らしい』と安堵される。
 当の孫策は、馬超の渋面も何のそので、越しに酌をしようと酒瓶を傾けている。
 むっつりしながらそれを受け、一気にあおると、今度は馬超が返杯を向けた。
 仲がいいのか悪いのか、この二人に限っては表情からは読み取れない。
 がついつい馬岱の方へと顔を向けるも、頭の天辺をがっしり掴まれ抑え込まれてしまった。
 抑え込んだのは、馬超だった。
「何だ、お前は」
 何だと言われても、何なんだ。
 のいぶかしげな視線を受けて、馬超は口をへの字に曲げる。
 言わねば分からぬかと低く恫喝されるも、言われなければ分からない状況だ。
「……お前、先刻よりずっと岱を見ているだろう」
「あ、それは俺も思ったぜ」
 いきなり息を合わせた二人に両隣から責められ、は冷や汗を流す。
 何故馬岱を見ていたかまでには気の回らない馬鹿共に、どう説明したものか頭が痛かった。
 眉間に皺を刻むを余所に、馬超と孫策は杯を交わし合う。
 畜生、こいつら実は物凄く仲良しなんじゃね? とが疑問に思い始めた頃、横合いから助け船が出た。
 孫堅だった。
「武闘会の話なぞ、ついぞ聞いた覚えがない。余程私的な大会だったのか?」
 そこまで話が伝わっていないのか、と、は逆に驚かされる。
 考えてみれば、如何に良い試合だったとは言え呉の後継ぎが負けたことには変わりない。
 直に見て居たのならばともかく、話を聞いただけではその事実にのみこだわって、要らぬ口を叩く者も居ないとは限るまい。
 先程の孫権を見れば明らかで、それがただの杞憂でないとは言い切れない。
 は咄嗟に、ならば『虎』のことも、という邪な思いに囚われた。
 そして、すぐにそんな自分に恥じ入る。
 孫策の場合と、自分の場合とでは話の質が異なり過ぎる。
 第一、それ程恥じ入る位であれば、星彩にもっと必死に真剣に口止めを請うべきだったろう。
 手紙は、書いた。
 書いたことで免罪符のように思いこもうとしていたが、実際は免罪のめの字にも程遠い。
 それは、どうにも回りくどい、分かり難いものだった。
 何度も書き直して書き直して、自身もこれでは決して伝わるまいと心を凝らせるような手紙だ。
 曰く、伝えたいことがある。直接言わなくてはいけないことだが、正直言いたいことではない。噂を耳にして嫌な思いをするかもしれないが、もし聞いてくれるなら、会えた時にきちんと説明するから、と、こんな具合だ。
 手紙を出したのはそれなり前の話だし、噂話を耳にしていれば、の言い訳など文字通り聞く耳もあるまい。
 だが、本人を前にして言い訳せずには居れず、にも拘わらず未だに言えない自分が居る。
 一体、馬超は知っているのか居ないのか。
 居るなら居る、居ないならば居ないで、の対応も変えなくてはならない。
 しかし、そんなことを考えるに付け、は未だ自分が馬超に嫌われたくないと思っているのだということに気付いてしまう。
 卑怯だ、と自分を罵りたくなる。
 同時に、可哀想に、と甘やかしたくもなる。
 潔さと浅ましさに挟まれて、は胸が締め付けられる思いだ。
「顔色、悪ぃな」
 びくん、と肩が跳ね上がる。
 悪い夢でも見たかのように、は小さいながらも荒い息を継いだ。
 孫策は心配そうに眉尻を下げ、馬超もおよそ似たようなものだ。
「もう、室戻って休めよ」
 頭を撫でる孫策の手が、暖かくて心地よい。
 でも、と孫堅を振り返ると、孫堅は軽く頭を振ってのなけなしの負けん気を挫く。
「無理をしてどうというものでもあるまい。幸いと言ってはおかしいが、場もこんな有様だ。気にせず、早く休むと良い」
 同盟国君主直々に勧められては、としても拒み続けていいものではない。
 気持ちを有難く受け取ることにして、は席を立つ。
 当たり前のように孫策が立ち、馬超は視線を俯かせた。
「……何してんだよ」
 馬超が顔を上げると、孫策は呆れたように馬超を見下ろしていた。
「お前も、来るんだよ。当たり前だろ?」
 何やってんだと言わんばかりに引っ張り上げられ、馬超は面喰ったように瞬きを繰り返す。
「では、僭越ながら私が従兄の代理を引き受けましょう」
 やや驚いていたらしい孫堅も、先に我に返った馬岱の名乗りを受け頷いて許可を示す。
 馬岱が馬超の席に腰掛け、孫策を先頭に馬超とはその後を追った。
 気付いた者達は怪訝な顔をして孫策達を見るのだが、見ていない者達に引っ張り込まれて会話に戻っていく。
 適当にやり過ごしながら宴の広間を抜け出ると、孫策はそこで足を止めた。
、戻り道、分かるよな」
 くいっと親指で室の方向を指す孫策に、心許ないながらは頷く。
「じゃあ、俺は戻るからな」
 え、と首を傾げるに、孫策はにっかりと笑う。
「俺が居ない間に、馬岱の奴に好き勝手吹き込まれても困るしな」
「だって、私、馬超の室が何処か、知らないよ」
 慌てるに、孫策はしかめっ面を向ける。
「……察しろよ、馬鹿」
 二人きりにしてやる、と暗に言っているのだと、はやっとのことで気が付いた。
 渋面を一転おどけた笑みに変え、孫策は馬超に向き直る。
「ま、俺が負けたのは嘘じゃねぇもんな。今夜一晩くらい、貸してやらぁ」
「俺が勝ったのだから俺のものだと言っているだろう」
 ふん、と鼻息の荒い馬超も、どこか柔らかな笑みを浮かべている。
 宴の間に戻っていく孫策を見送り、は馬超と顔を見合わせた。
 馬超の目が近くに在る。
 澄んだ、綺麗な眼だった。
 泣きたくなる。
「言いたいことが……言わなくちゃいけないことが、あるんだけど」
 口は、思っていたよりずっと素直に動いた。
 しかし、その口は馬超によって封じられる。
「室で聞く」
 唇に触れた指先の冷たさが、の芯に沁み込んだ。
 強く握り込んで血の気なくしていたのだろうと、何故かすぐに分かった。
 の口を封じた手は、滑り落ちるようにの手を取り、握り締める。
 強い手の力は、けれどが痛みを感じないようにという気遣いの為か、強過ぎるということもない。
 常にを愛しもうとする馬超の気遣いに、泣き出したい心境に駆られた。
 言おう。
 正直に、ありのままに、告白しよう。
 それでどうなろうと、それは馬超のせいではない。
 概要も定かでないぼやけた手紙を出しただけで、やるべきことはしたとばかりに逃げに徹し続けたが悪い。
 決意を固め、は一歩を踏み出した。

 凌統は、騒ぎの中で一人静かに杯を傾けていた。
 武闘会と聞いて、特に反対するつもりはない。
 そんな半端な立ち位置を守っているのは、どうやら凌統だけのようだった。
 凌統以外の者達は、程度の差こそあれ乗り気なようで、苦り顔の周瑜と頭痛を堪える呂蒙、一部困惑顔の文官達が目立つ程度だ。
 早くも優勝者の予想に盛り上がっている者も居るくらいで、この様子では周瑜辺りが苦言を呈したところで、今更治まりようがなさそうだった。
 何と言っても君主が言いだしっぺであることだし、政情的に一時の安定を見る今という機を見ても、生半なことでは反論する材料すら見付けだすのに難儀しよう。
 やって無駄な抗議なら、しない方が幾分マシだと思った。
 それよりも、と、凌統は上座に視線を向ける。
 孫堅の隣に堂々と腰掛け、他国の君主相手に怖気付きもせず渡り合っている。
 その落ち着きようが、無性に小憎たらしく感じられた。
 当帰の言葉が本当だとするならば、あの馬岱こその相手として相応しいことになる。
 誰がの相手に納まろうが、そんなことは知ったことではない。
 が、そんな気持ちとは裏腹に、凌統の胸の内は荒んでいくばかりだ。
 が宴の間に姿を現した時から、視線で縋るのは常に馬岱だった。
 これまでであれば凌統がその役を担っていただろうに、馬岱が現れてからというもの、の縋る先はすっかり馬岱になり変わっていた。
 の面倒を見て来たのは自分だという自負がある分、その為しようは凌統をそれなり傷付ける。
 馬岱さえ居ればお前は用なしと、突き付けられた思いがするのだ。
「よぅ、何、冴えない面してんだ」
 酒と興奮に酔った、今一番見たくない顔がそこにあった。
 無言で目を逸らすも、いつもなら癇に触って怒鳴りつけて来る男がにやにや笑うばかりだ。
「……何か、用かよ」
 投げ遣りに吐き捨てると、甘寧はにやりと嫌味な笑みを浮かべた。
「ずいぶん不機嫌じゃねぇか。そんなにあの女犯られるのが面白くねぇってか」
 ここ最近を振り返っても、最もの近くに居たのは凌統だ。
 甘寧はその辺りを何か邪推しているのかもしれないが、とにかくその言い草が気に入らない。
 下からすくい上げるように睨み付けている凌統に、甘寧は肩をすくめた。
「まあ、そんな怖い顔すんなよ。せいぜい、優しくしてやるからよ」
 凌統の動きが止まる。
 甘寧が何を言っているのか、分からなかったのだ。
 と言うより、あまりにくだらな過ぎて理解できなかったと言うべきかもしれない。
 話の流れで言っても、甘寧が優しくしてやるつもりの相手はなのだろう。
 いくら何でも、自分だとは思わない。
「……あんた、まさか優勝できるつもりなのか」
「あ? つもりも何も、俺より強い奴なんざ居る訳ねぇだろ!」
 自信満々の甘寧に、凌統は薄ら笑いを浮かべる。
「あぁ、まぁ、あんたの狭ぁーい天下では、そうなってるかもしれないけどね」
「……あ? てめぇ、そりゃ、どう言う意味だ!」
 どうもこうもない。
 呉の中で、確かに甘寧は強い方かもしれないが、最強と認められている訳ではない。
 孫策始め、強者と呼ぶに相応しい男など幾らでも居合わせている。
 それに、と凌統はあの日のことを思い出す。
 ただ一騎で突入し、あっという間に戦況を引っ繰り返したあの凄まじい武を見た後では、甘寧の武など霞も同然だ。
 黙りこくる凌統に、甘寧は再びにやにやと笑い出す。
「はぁーん、分かったぜ。さてはお前ぇ、俺に恐れをなしたな」
「……はぁ?」
 甘寧はすこぶる機嫌良さそうに、ひらひらと手を振って寄越す。
「いーって、いーって。俺の相手を務めるにゃ、お前ぇにはちっと荷が重いかもしんねぇよな。まっ、当たっちまったらそん時は手加減してやるし、お前ぇも精々気張って掛かってこいよ」
「はぁ!? 手加減してもらう理由もいわれもないっての! 冗談は頭の中だけにしときなよ!」
「あぁ!? 何だテメェ、何なら今ここで勝負してやってもいいんだぜ!?」
「望むところだっての!!」
 たちまち上がる怒声と破壊音に、止める者あり、囃し立てる者ありで場は一気に盛り上がる。
 孫堅と馬岱は、離れているのをいいことに席を立つことはなく、遠巻きに高みの見物を決め込んでいた。
「いつも、こうなのですか」
「大概はそうかもしれんな」
 馬岱はわずかな間を空けて、再び孫堅に問い掛ける。
殿にも、そうなのですか」
 それまでは、打てば響く鐘の音の如くに返答を続けていた孫堅が、不意に黙る。
 馬岱からの追及はなかった。
 ややもして、何事もなかったかのように武闘会の話に戻る。
 予選や本戦の仕組みに付いて語っていた馬岱が、一瞬沈黙した。
 孫堅が視線を送って水を向けると、馬岱は子供のように頑是ない顔でにっこり笑う。
「私も参加して、よろしいでしょうか?」
 孫堅は、杯の酒を傾けた。
「……俺も、出るつもりなのだが」
 馬岱は笑みを崩さない。
「どうぞ?」
「…………」
 簡潔かつ明瞭な返答にも関わらず、孫堅が笑みを浮かべることはなかった。

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