妙な疲労感を覚えて帰宅した。
 ぎこちない空気を感じながら、努めて何でもない風を装う。
 互いにだ。
 口数少なく、それでも最低限の会話を交わし、家事や買って来た物の整理に励む。
 見知らぬ者同士で組まされたオリエンテーションにも似た、淡々とした、それでいて緊張感を伴う時間が続いた。
 目に見えない真金のような重々しい空気が、ただでさえ感じていた疲労を更に倍増しさせていく。
 朝早かったことも、多大に影響しているに違いない。
「……伯言。私、今日ちょっと早めに休むね。先に、お風呂入るから」
 捨て台詞同然に宣言すると、は風呂場に向かう。
「はい」
 対する陸遜の返事も、至極簡素なものだ。
 陸遜は陸遜なりに、疲労を感じているのかもしれない。
 風呂場に着くと、さっさと服を脱ぎ捨て、体を簡易に洗い湯船に浸かる。
 一番風呂独特の肌を刺す熱に、は身を竦めた。
 しばらく四肢に力を込めて耐えていると、次第に湯が体に馴染んでくる。体の筋肉が緩々と弛緩していくのに任せ、はほっと息を漏らした。
 次第に意識も蕩けていく。
 と、無意識に閉じ込めていた思考までもが次々に浮かび上がってきた。
 陸遜の気持ちが、分からないではない。
 認められたいとあがくのは、にも経験があることだ。
 しかし、何を認められたいのかと問い掛けられれば、その返答に窮する。
 何でも良いとも言えるし、すべてとも言える。
 そんな曖昧な欲望だからこそ、際限がない。
 満たす為には『枠』が必要となろうが、認められたいという心の枠は、歪でしかも柔い。満たす直前で容易に破れ、あるいは膨張し、詰まるところ永遠に満たされることはないのだ。
 きっと、陸遜も同じ気持ちなのだろう。
 そんな風に推察こそするものの、だからと言ってに何が出来る訳でもない。際限がないと端から分かっているものに、延々と付き合うだけの忍耐はになかった。
 満たされないものだと分かっているからこそ、余計に踏み込めないで居るとも言える。
 どうするべきかを悩むまでにも至らない。
 今はとにかく、疲れていて眠かった。
 は、今、自分は湯船の中で寝落ちてしまわないようにするのが精一杯なのだと、無意識に己へ言い聞かせていた。

 実りのない思索を終えて、風呂から上がる。
 古い造りの家屋独特の冷気が、湯船で温まった体に襲い掛かってくるようだ。冗談抜きで早く寝てしまわないと、湯冷めしてしまいそうだった。
 急ぎ足で自室に向かうと、途中の居間には陸遜が炬燵に当たっていた。
 少し表情が強張っているように見えて、陸遜もまた、今日の遣り取りを引き摺っているのだと勘繰らせる。
 申し訳なさが後ろめたさに直結した。
 異世界で不安になっているだろう陸遜を、いの一番に考えてやれない自分が、酷く小さく思えてならなかった。
「……伯言、あの……お風呂……」
 恐る恐る切り出すと、陸遜はに頷き返す。
 すっと腕を伸ばした先に着替えが用意してあるのを見て、は微細な引っ掛かりを覚えた。
 何がどうというものでもない。
 ただ、何となくおかしいなと感じていた。
「すぐ、入ってきますので」
 去り際、陸遜がの耳にぎりぎり届くくらいの声量で囁く。
 妙に熱っぽく、掠れ気味の声が艶めいて聞こえたような気がした。
 気のせいだ。
 は、慌てて首を振って否定する。
 実際、そうして動作に示して否定しないと、頭のどこかにこびり付いてしまいそうな気がした。
 湯冷めする、と繰り返しながら、炬燵の電気を消し、自室に戻る。
 襖と向かい合って、微妙な心境に陥った。
 当たり前だが、鍵が掛けられない。
 つっかえ棒を噛ませれば、鍵の代わりにはなるかもしれないが、それを陸遜が知ればいい気はしないだろう。昨夜までは無警戒であったものを、と、どうであれ嫌な心持ちになるのは間違いない。
 鍵を掛けることは、即ち陸遜を信用していないという意思表示と同義だ。
 陸遜が入って来なければ、鍵の存在に気付くこともないだろう。
 が、そもそも陸遜が入って来ないのであれば、鍵を掛ける必要そのものがなくなる。
 鍵を掛けないで寝るべきか。
 けれど、もしそれで陸遜が入ってきたらと考えると、堂々巡りになって来た。
 はっとする。
 みし、と小さな音が聞こえたような気がしたのだ。
 陸遜が上がったにしても早過ぎると思うが、が悩んでいる時間はあまりないようだ。
――寝よう。
 陸遜が入っている内に寝てしまえば、仮に陸遜が入って来たとしても気が付かずに遣り過ごすことが出来る。入って来なければそれでいい訳だし、の側からわざわざ事を荒立てるようなことをしなくても良かろう。
 電気を消し、布団に潜り込む。
 横になってすぐ、みしっという音が、今度ははっきりと聞こえて来た。
 何故か心臓が大きく跳ねる。
 入っては来ない、落ち付かなくちゃと目を固く瞑り、布団を肩まで引き上げた。
 戸口の方へ背を向ける形で寝返りを打った途端、襖が開くすらりという軽い音がの耳を刺す。
 ぎく、と体が強張る。
「……もう、寝てしまったのですか」
 やはり陸遜だった。
 あまりに早い。それとも、が愚図愚図と考え込んでいたせいだろうか。
 ふすまは開けられたままだったが、居間の電気が消されたことを閉じた瞼の裏側で感じ取る。
 寝ているかどうか、確認の為に声を掛けただけかもしれない。
 淡い期待は、直進してくる陸遜の静かな足音で打ち砕かれた。
 の傍らに膝を着いた陸遜が、の顔を繁々と覗き込んでいるような気がする。
 目を開けて確認したくなるのを堪えて、目を瞑り続ける。
 と、いきなり体が引っ繰り返った。
 仰向けになると同時に、口に何かが押し込まれる。
 何と考えたくもなかったが、舌であることは確かだ。
 堪え切れなくなって目を開けると、暗がりでよく見えない中、至近にある長い睫毛だけが目に映る。
 次いで、目の周りの白い肌が艶めいているのが見えて、あぁこれはやはり陸遜だと理解した。
 理解したことで感覚が戻ったのか、濡れた髪から伝う冷たい水気に寒気を覚える。
 きゅっと目を閉じると、やはり湿り気を帯びた指がの首筋から襟元へ、するりと忍び込んできた。
 青ざめる。
 ボタンを掛けて閉じられていた筈のパジャマが、何の抵抗もなくはらりと肌蹴たからだ。
 剥き出しになった自分の胸に、部屋の冷気が突き刺さる。
 覆い隠そうにも、被っていた布団は体を引っ繰り返された時に下敷きになっていて、自身が重しになっているような有様だった。
 もがいてみるも、口腔は未だに陸遜の征服下にあり、体は陸遜の手足でしっかり抑え付けられている。
 それでももがき続けると、うが、ふがという声にならない珍妙な声に気が付いたのか、陸遜の手がぴたりと止まった。
 解放する気になったのかと思ったら、逆に顎を押さえ付けられ、口内の蹂躙が激しくなっていくだけだった。
 抵抗しようにも、細身の体からは想像も出来ない剛力で、は陸遜の行動をなすがままに受け入れざるを得ない。
 舌の上を舌が這い、撫で擦り、口蓋を舐め上げる。
 口の端から零れ落ちた唾液を音を立てて啜られ、の背筋に何とも言えない衝撃が走った。
 ふ、と暖かな吐息が触れる。
 笑われたと覚って、は怒りに目を開ける力を取り戻した。
 だが、それは一瞬のことだった。
「……ぁはっ……」
 露になった双丘の頂きを指先が掠め、その甘い感触にの声が漏れる。
 意図した動きであることは疑いようもなく、それが証拠に陸遜の指は同じような仕草を繰り返し続けた。
 掠めるだけだった指先に、次第に力が込められる。
 乳房を軽く握り込むと、先端を指の腹で転がされた。
「んっ……っ、んんっ……!」
 あっという間に固く立ち上がった朱の実を、陸遜は飽かず弄り続ける。
――嫌だ、そこばっかり……。
 頭の中を過ぎった戯言に、は愕然とする。
 して欲しいと、体が望んでいることが分かってしまった。
 そんな自分が、浅ましくて恥ずかしい。
 何の前触れ(なかったとは決して言えないが)もなく始まった前戯に、どうしても抗わなくてはともう一度もがく。
 頭を遮二無二振って陸遜の口付けから逃れると、当たり前のように陸遜の口が追って来て、また塞ぐ。
 また逃れ、捕らわれ、逃れ、塞がれる。
 繰り返すばかりで、の抵抗が実を結ぶことはなかった。
 それでも、抗うことを止められない。

 ついに焦れたか、陸遜がの名を呼んだ。
 息も絶え絶えに体力を削られていたではあったが、遂に訪れた機を逃す程愚かでもない。
「……陸、そ……」
 名を呼び返そうとした瞬間、耳朶から全身を貫く快楽が駆け抜けた。
 陸遜の舌が、の耳深くに差し込まれたのだ。
 鳥肌立つ程の快楽に、の体が跳ねる。
「ここが、お好きですか」
 吐息交じりに吹き込まれる囁きにさえ、は体を大きく引き攣らせる。
 濡れた耳に吹き掛けられる息が、過敏になったの神経を犯すのだ。
 弱いと見るや、陸遜は早かった。
 逃れようとするの動きを軽くいなし、耳を愛撫しやすいように横抱きに抱え、舌と唇で柔く執拗に舐め上げる。跳ね上がる脚は陸遜の足に絡み取られ、空いた指はの胸乳を抱いて、好き勝手に蠢いた。
「あっ、あ……やっ……や、だっ……」
 見る見る内に体から力が抜け落ち、自由になった手は役に立つことなく、抗うどころか促しているかのように陸遜のそれに添えられている。
 気が付かない内にパジャマのズボンは腿の下までずり下げられていて、薄地のショーツ一枚越しに陸遜の腰が密着していた。
 胸を弄っていた陸遜の手が、そのショーツの下へと潜り込んでいく。
 熱く湿った茂みを掻き分ける指に、は一際大きな声を上げた。
「やだ、駄目、駄目っ!」
 思い出したかのように腕が伸び、陸遜の手を戒める。
「……どうしてですか。もう、こんなに……」
 不服気な陸遜に、は首を横に振って否定を示す。
 ともかく、陸遜を受け入れる訳にはいかなかった。
「何故です」
 陸遜の目が険しくなる。
 ぐっと押し付けられた陸遜の腰の辺りに、昂るものを感じる。
 表情にこそ見せていないが、陸遜自身も切羽詰まって来ているのが感じられた。
「……私は、決してを失望させません。誰よりも、を満足させてみせます。だから……」
 否、だからこそ、受け入れられない。
 小さな棘が刺さったような感覚が、に理性を捨てさせなかった。
 それが何かは分からない。
 だが、それは流していいものでは絶対にないという確信があった。
「わ、私は、私から『させたこと』、ない、よ?」
 口から飛び出した言葉は、もよく理解できていない、その場任せの一言だった。
 にも関わらず、陸遜の動きが止まる。
 歯が痛い幼子のような顔を見せたかと思うと、唐突にはっとして、呆然とを見下ろす。
 その間に、は剥がされたパジャマの前身を掻き合わせ、必死に息を整えた。
「……あの……」
 のろのろと、陸遜が身を起こす。
「……申し訳ありません……お休み、なさい……」
 覚えたばかりの挨拶を残し、陸遜はよろよろとした足取りで部屋を出る。
 閉じられた襖の音に、まるで催眠術が溶けたかのように、の体から力が抜けた。
――び、び、びっくりした……!
 体の表面に、ざわざわとした感触が鮮明に残されている。特に、弄り回された胸乳の先端は、痛い程にしこっていた。
 急ぎ布団を引っ張り上げ、その中へ潜り込む。
 空間から遮断されたことで、の動揺は一応の納まりを見せた。
 そっと股間に手を伸ばす。
――うわ……。
 自分でもどん引きする程、そこはじっとり濡れていた。
 陸遜が自分の『技』にやたら自信を見せていたのも頷けない話ではない。
 うろたえている癖に妙に冷静な自分が居ることに気付いて、恥ずかしさと残された悦の火照りに、は顔を赤らめた。

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