ピークを過ぎたとは言え人の絶えない通りで、流れに逆らうようにして立ち尽くす陸遜の姿は非常に目立つ。目鼻顔立ちの美しさに悲壮とも取れる表情を加味すれば、悪目立ちの度合いは遥かに増すというものだ。
 半歩下がった位置に立つからは、陸遜の顔は見えない。
 見えないが、どんな表情をしているかくらい、力の入った肩と拳の握り具合で察しが付いた。
「陸遜、あの……大丈夫……?」
 恐る恐る声を掛けると、陸遜の顔の輪郭が微かに震えた。
 大丈夫な訳はない、何と慰めるべきか考えあぐねていると、陸遜の肩が大きく揺れる。
 深い溜息を吐いたのだと、一瞬分からなかった。
「大丈夫か、とは、この場合、私がに掛けるべき言葉でしょう」
 呆れたと言わんばかりの陸遜が、半目でを睨め付ける。
 本当に仕方のないひとだ、等と呟きながら、陸遜はの手を取り直して歩き始める。しっかりとして、それでいて優しい手の力と足取りは、常の陸遜のそれだった。
 平静を取り戻したと知れるそれらの所作に、も密かに安堵する。
「貴女が絡まれたんですよ。分かってるんですか」
「あ、うん……でも、何かこう……あそこまで一途だと、圧倒されるっていうか」
 陸遜の目付きが険しくなって、は首をすくめた。
「一途と言えば、耳触りは良いでしょうけれど……」
 語尾を濁す陸遜の口調からは、やはり非難めいた色が見え隠れする。
 度を越したお人好しとでも言いたいのだろうが、としては正直な感想であるので、何とも言い返し難い。
 敢えて言うなら、だ。
「いや、うん。悪意向けられてるのは分かるし、結構腹も立ったけど……割と、あそこまで堂々とやられちゃうと、いっそ清々しいというか」
 陸遜が、感情を隠そうとする努力を完全に放棄したのが分かった。
 露骨に向けられる白い目は、直接責められるよりも尚、身の置き所がなくなる気がする。
「や、だって……珍しいよ、あそこまで出来る人って」
「感動している場合ですか」
 あぁ感動、と、納得し掛けて陸遜の白い目に出くわし、慌てて口を噤む。
 陸遜は、またも大きな溜息を吐くと、再び歩き出した。
 手は繋いだままだ。
 見捨てられてはいないんだなと、少しほっとする。
 の気持ちを読んだのか、陸遜がわずかに頭を下げる。
「……には、珍しかったのかもしれませんが……私には、うんざりする程、見飽きた手合いだったので。少々、出過ぎた真似をしてしまいました」
「あ、ううん、かばってくれて嬉しかったよ」
 と、陸遜がひっそりと微笑んだ。
 言葉が足りなかったかと慌てたが、そうではなかった。
「自分が未熟だと、改めて思い知らされます」
 非難も溜息も、もしかしたら陸遜自身に向けてのものだったのかもしれない。
 落ち込んだような陸遜の横顔に、はどうしていいのか迷い、握られた手に力を篭めた。
 陸遜の物憂げな眼がに向けられ、ふっと緩む。
「……のそういうところ、ずるいですよね」
 え、と息を飲むに、陸遜は、それまでのぼんやりとしたものとは違う、鮮明な笑みを浮かべた。
「だって、離れられなくなるでしょう……追えば逃げるくせに、背を向けると慌ててすぐにすがってくるのだから、本当に手に負えない」
 道端でとんでもないことを言う。
 が赤面すると、陸遜は笑いながら顔を寄せてきた。
 驚いて背を反らそうとするのを、陸遜の手が先回りして妨害する。
「え、ちょ」
 何をする気だと暴れそうになるのを、陸遜の指先が止めた。
 の一瞬の隙を突いて、陸遜が囁く。
「私のこと、陸遜と呼んでますよ」
「は」
 意味が分からない。
 目を瞬かせるに、陸遜は小さく肩をすくめ、声を顰める。
「……表で、私の名前を出したらいけないと、そう言っていたではありませんか」
「あ」
 の顔がみるみる青ざめる。
「わ、私、結構呼んでた?」
 思い出そうとするのだが、わずかな時間で色々あったせいか、どうもはっきりしない。
 陸遜も、申し訳なさそうに苦笑しながら首を傾げた。
 分からないらしい。
「う、あ」
 きょろきょろと辺りを見回すも、幸い達に注目していそうな人影はなかった。イベント開始直後という時間帯も良かったのかもしれない。
「……か、帰ろうか。ちょっと、今日は仕切り直そう」
「また出直すということですか?」
 陸遜の問い掛けに、はぶんぶんと首を振った。
「また同じことになったら困るよ。どっか別の、陸遜の行きたいところに連れてってあげるから」
 第一、陸遜が自分の同人誌を見付けでもしたら事だ。
 滅茶苦茶腹を立てながらもきっちり読了して、滅茶苦茶冷静に書評を付けそうな気がする。
 泣いちゃうどころの騒ぎでなくなりそうだ。
 この場合、泣くのは無論陸遜でなく、書き手の方なのだが。
 想像に難くなく、それだけに恐ろしい。
「……どこでもいいのですか」
 当の本人は至って呑気である。
「いいから、早く帰ろ」
 今度は、が溜息を吐く番だった。

 駅に来ると、人の数は格段に増えていた。
 ほとんどが来たばかりの、イベントに向かう人の群れだったが、ちらほらと帰宅の途に付いているらしい人も見受けられる。
 は駅の隅に陣取ると、ICカードを取り出し、陸遜に用意していた分を渡す。
 行きでも説明はしてあったが、念の為の再確認である。
 下手にもたついてトラブルに巻き込まれると、後が面倒なのは確実だ。
 ないとは思うが、何となく厄日めいた因縁を感じて、念押ししてみた次第である。
「えぇと、あの機械の右手側、印の付いたところにこの牌を押し当てればいいのですよね」
「うん、でも、軽くでいいからね。ピッて音がしたら、戸が開く仕掛けになってるから、開かなかったらもう一度、それ当ててみてね」
 大丈夫そうだと安心した時、陸遜の視線がどこかに向けられていることに気付いた。
 釣られて辿り、硬直する。
 そこには、何故か完が居た。
 完の方もと陸遜に気付いたらしく、かなり驚いた顔をしている。
 うろたえて逸らしたらしい視線の先から、一人の女の子がぴょいと顔を出した。
 完の顔とこちらを見比べて、不意にこちらに向かってすたすたと歩いて来る。
「……完さん、の、お友達ですか?」
「え……え、と、まぁ……」
 戸惑うとは正反対に、にこにこと笑い掛けてくる。
 変に詮索されている感じはなく、シンプルながら清潔感のある女の子らしい服装と相まって、悪い印象はない。
「もう、帰られるんですか?」
「あ、えっと」
 どうしたものかと完を見遣ると、何とも言えない顔をしている。
 女の子は、完を振り返って小さく手を振ると、に向き直った。
「私達も、ちょうど帰るところなんです。良かったら、ご一緒しませんか?」
「あ、でも」
 完からは、しばらく連絡しないようにと指示が出されている。
 理由は未だ定かでないが、連絡を取るなと言う完と一緒に帰るのは、果たしてアリなのか。
「お姉ちゃん、いいよねぇ?」
 いきなり女の子が叫んだ。
 声量はそれ程でもないが、良く通る声のせいか何人かが振り返る。
 それを見た女の子は、我に返ったか顔を赤らめて、恥ずかしそうに口元を押さえた。
「お姉ちゃん?」
 思わず聞き返すと、女の子は少し動揺したようだった。
「えっと……あの……私は、そう呼んでて、いつもは、人前ではそう呼ばないように言われてるんですけど、つい……」
 ごめんなさいと頭を下げる女の子の向こうで、完が渋い顔を見せている。
 何が何だか分からず、は陸遜を振り返った。
「……いえ、」
「いいよ」
 恐らく断りの文句を述べようとした陸遜に、カートを引きながら歩いて来た完が割り込んできた。
「途中まで、一緒に帰ろう」
 どうも、完の態度がおかしい。
 不穏な空気に、は尻の座りの悪さを感じる。
「……あの、都合悪いなら、いいよ……?」
 控えめに遠慮すると、女の子は無邪気に笑った。
「いえ、こちらは全然。あ、良かったら、食事、ご一緒しませんか? この後、ランチに行こうって、おね……完さんと、話してたんです」
 女の子は、ごめんね、と完を拝む。
 対して、完は憮然とした表情を崩さなかった。
 何かおかしい。
 愛想がいいとは決して言えない完だったが、ここまでむっつりしているところは見たことがない。
 が戸惑っていると、完は、不意に溜息を吐いた。
「……ごめん。ちょっと、嫌なことあって、スペース引き上げてきたもんだから」
 完の言葉に、女の子がしゅんと肩を落とす。
 本当に、何が何だか分からない。
 応じるにも断るにも気が引ける状況だった。
 いつもであれば即断即決の完が動かないこともあり、微妙な空気が流れる。
「あ、あの……私、こういう者です」
 女の子が名刺を差し出した。
 まずに、次いで陸遜に渡す。
 一時期流行ったなぁと思いつつ、名刺に目を落としてはっとした。
 角の丸い桜色の名刺に、青みがかった緑色の文字で大きく刷られていたのは、『春花』という二文字の名だった。
 脳裏に浮かぶ懐かしい愛らしい影に、は我知らず微笑みを浮かべていた。

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