どうしてそんな顔をしているのだ。
問い掛けようとしたを、一瞬の差で完が制した。
「タクシー、捕まったから。待たせてあるから」
言うなり、踵を返す。
それで、完全に機を逸した。
完のことは気になるが、今は陸遜をどうにかするのが先決だ。
具合が悪いのは見て取れるが、肩を貸すに掛かる負担は思ったより少ない。
こんな状態になっても、未だを気遣う陸遜の性質が痛ましかった。
もっと甘えていいと言っても、陸遜はそうすまい。
もまた、陸遜を甘えさせるだけの度量を持ち合わせていない自覚がある。
頼りないにも程がある。
こんなところで、しみじみ反省させられた。
「……行こう、陸遜」
通路から出ると、他の客の視線が痛い。
手伝おうともしない店の人間も、他の客と同様の視線を送って寄越すが、その冷たさが恨めしい反面有難くもある。
店の外に出てすぐのところで、さくらが待機していた。
「手伝いますね」
の反対側に回り込み、陸遜の腕を取ろうとして、よろりとよろける。
勢い余ったか、さくらはそのまま尻餅を着いていた。
え、と目を向けると、さくら側に陸遜の腕が伸びている。
つまり、陸遜がさくらを突き飛ばした、という状況、らしい。
あまりのことに、は愕然とする。
陸遜が、敵でもない女性を突き飛ばすという無礼を働いたという事実を、目の当たりにしてもにわかには信じ難い。
「」
呼ばれ、我に返ると、止めたタクシーの傍らで完が荷物を持って立っている。
「あ」
しかし、尻餅を着いたままのさくらを放置していいものかどうか。
戸惑うを他所に、完はタクシーに荷物を放り込むと、すたすたと歩いてくる。
「いいから」
の腕を取り、ぐいと引く。
「ちょっ……」
何故かさくらが抗議の声を上げるが、完は振り返る素振りすら見せず、と陸遜をタクシーに押し込んだ。
「出しちゃって下さい、よろしくお願いします」
ドアが閉まり、進行の勢いで体がシートに沈む。
左の角を曲がる時、完がさくらに手を差し伸べているのが見えた。
大丈夫だろうか。
取り留めもない不安が、を包む。
何か良くない予感がした。
「……で、お客さん、どうしましょう」
タクシー運転手の声に、我に返る。
ぼーっとしている場合ではなかった。隣には、未だ調子の戻らぬ陸遜がいる。
「……えっと……?」
とはいえ、出発してしまっているタクシー相手にどう指示を出したものか。
困惑するを見てか、運転手も苦笑いを見せた。
「いやね、さっきのお姉さんから、どこか休憩できる場所にって言われてるんだけど……」
休憩できる場所とやらが、公園の類でないのはさすがに分かる。
赤面して言葉を失うに、運転手は言葉を重ねた。
「うん、あの、お連れさん具合悪そうだから……休みでもやってる病院とか、探しましょうか」
は、陸遜の顔に目を遣る。
もたれるところから伝わる熱は、それこそ燃えるように熱い。
ファミレスに入る前、陸遜の体調は決して悪くなかった。
今、こんな状態になっているのは、恐らくは病気によるものではないのだ。
だからこそ、完は運転手に『休憩』できる場所を指定したのだろう。
陸遜のこの状態を鎮めるのは、にしか出来ず、更に言えば人前で出来る行為でもない。
病院で治せるものではない。
ならば、採るべき手段は一つしかない。
「……いえ、休憩できる場所に、お願いします」
自宅に戻るには、少々時間が掛かり過ぎる。
意を決したの声はぎこちなく、硬かった。
運転手は、ああとかそうとか小声で呟くと、如何にも一応念の為といった態で場所を訊ねてくる。
知る訳がない。
「お、お任せします」
顔が赤くなるのを自覚しつつ、それだけ言うのが精一杯だった。
運転手も、遂に黙った。
居心地悪い沈黙の中で、は陸遜の手を取る。
食らい付く勢いで握り返された手に、陸遜の物欲しげな視線が刺さった。
こんな顔を、人前で見せる陸遜ではない。
余程の緊急事態のせいだろうが、どうしてここまでおかしくなったのか、やはりには分からぬままだった。
タクシーは信号に捕まることもなく、滑らかに進む。
窓の外に、独特の外観を持つ建物が見え隠れし始めた。
目的地が近いことを知り、の緊張は高まるばかりだった。