時が経つにつれ興奮は醒め、代わりにとてつもない羞恥心が込み上げてくる。
一人で盛り上がって騒いで、挙句に感極まって泣き出してしまった。
いい大人のすることではない。
恥ずかしい、これは恥ずかしいと、胸の内で繰り返す。
繰り返すことで恥ずかしさに拍車が掛かるのだが、分かっていても止められない。
「……何か、馬鹿なことを考えているでしょう」
――馬鹿って言うなや、本当のこと言われると、カチンと来るわ。
自らツッコミを入れるも、思いの外衝撃がでかい。
勝手に自虐して勝手に落ち込む。
言葉に出したつもりはなかったが、何か察したらしい陸遜は、声を殺して笑っている。
いい恥さらしだ。
しかし、どうしたものだ。
抱き締めあった体勢を、如何にして崩したものか大いに悩む。
けれども、陸遜はあっさりから身を離した。
「とりあえず、これを何とかしましょうか」
これ、と落とす視線の先を追って、は今更ながらに現状を認識し、小さな悲鳴を上げた。
服を着たまま事に及んだのだ。その後、ひしとばかりに身を寄せた。
当然と言えば当然だが、手のひらは勿論、そこから迸ったと思しき胸、腹、腿から膝まで、陸遜の精で濡れている。
「ど、ど、どうしよう……」
絵に描いたような狼狽を見せるの服を、陸遜は、流れるような仕草で剥いた。
あまりに自然過ぎて、抗議の声を上げる前に体が固まっていた。
それをいいことに、陸遜は手早く作業を進めていく。
コート、デニムと続き、まくり上がったシャツに手が掛かったところで、ようやく正気を取り戻した。
「ちょ、なっ、どっ」
未だ言語中枢が回復していないらしい。
ただ、陸遜には理解してもらえたようだ。
「拭くなり洗うなりしないと、どうにもならないでしょう?」
「そ、だけどっ……」
裸にしなくてもいいだろうと思う次第だ。
「ですが、それこそすべて脱いでもらわないと……」
陸遜が、恥ずかしそうに口篭る。
「……我ながら、少し度を越してますね」
何が、とは問わない。問うつもりもない。
それこそ、広範囲に渡る飛沫の跡が雄弁に物語っていた。
「あの、でも、ガウンくらいはあると思うから、……あ、お風呂も付いてるよ。シャワー浴びたら?」
さり気なく胸を隠しながら、風呂場を探す振りをして陸遜に背を向ける。
ふわっと視界が半回転して、またも荷物の態で抱えられたことを覚った。
「一緒に入りましょう」
否定を許さぬ確とした口調で宣言されて、に口答えする元気は残っていなかった。
灯りも付けない浴室で、は陸遜と共に湯船に浸かる。
薄暗がりの中、換気扇の音だけが虚しく続く。
あまり広くない湯船のせいで、背中から抱えられるようにして身を縮込めなくてはならない。
二人共に無言だ。
未だ満ちない浴槽に、開け放った蛇口から湯が落ちていく。
生まれた波紋が膝にぶつかって、そこから新たな波紋を生むのを、はじっと見下ろしていた。
落ち着かない。
自分が裸でいることもそうだが、陸遜が裸でいることがどうにも堪らない。
背後に当たっているものが、それとはっきり分かる程に滾っている。
先程出したばかりだというのに、元気がいいと言うべきか、若いと言うべきか。
「……気になりますか」
陸遜が身を乗り出すと、腰に当たる感触が強くなる。
思い切り飛び上がってしまった。
誤魔化しようがない。
「無体なことはしません。大丈夫です、触れるだけですから」
湯に沈んでいた腕が上がり、の胸の前で緩く組まれる。
が身を固くしている本当の理由を、陸遜は知る由もなかったろう。
今、この腕がの秘部に触れれば、先刻以上に濡れていると証されてしまうだろう。
陸遜が抱きたいと望み、行動に移しさえすれば、従順に受け入れるだろうことも分かってしまったかもしれない。
して欲しい、と、体が震える。
そんなを、寒がっているとでも思ってか、陸遜はより強く抱き締める。
堂々巡りだ。
「……体調、大丈夫?」
気を紛らわせようと話し掛けると、陸遜は素直に答えた。
「はい、お陰様で」
けれども、続かない。
少しは気が逸れたものの、気まずい沈黙が落ちた。
「……どうしてか、訊かないのですか?」
どうして、とは、何だ。
訝しくなって振り返ると、そこに陸遜の顔がある。
口付けてしまいそうになって、は慌てて顔を戻した。
陸遜の苦笑が吐息を孕み、首筋に当たってこそばゆい。
下腹部が更にむずむずして、落ち着かなくなった。
「どうして、って?」
問い返すと、陸遜は再び笑う。
「は、本当に私に興味がありませんよね」
「そんなこと、ないけど」
今度は即座に言い返せた。
興味がないことは、ない。
ただ、何となく踏み込めない。
これは、誰に対してもそうな気がする。
踏み込むことで、その人の地雷を踏むのが怖い。
自身の無力を痛感しているだけに、迂闊に踏み込むことで厭われることを、何より全力でもたれ掛かられることを恐れた。
厭われれば孤独になる。
ぶら下がられれば、潰される。
恐らく、は自身で思っているよりずっと薄情なのだ。
関わることで、責められるのが辛い。怖い。
陸遜が溜息を吐き、は俯く。
「は、本当に気が小さいですね」
薄情と小心とでは、似ているようでかなり違う。
え、と顔を上げたの肩口に、陸遜が顔を埋めた。
長い睫毛が目の端に映り、どぎまぎする。
「……それだけ気が小さいのに、逃げようとしないから不思議です……貴女は、本当にどういう人なのですか」
「に、逃げてない、かな」
思い切り逃げまくっている気がするのだが、どうなのだろう。
「逃げ腰で、でも何故か踏み止まっていますよね……私のことだって、本当は放っておいてもいい筈でしたよ」
「いやでも」
それでは、陸遜がおかしくなってしまうではないか。
「嘘だと思わないんですか?」
思い掛けない言葉だった。
常に冷静な陸遜が、あれだけ取り乱した姿を見せ付けられておいて、まさか嘘を吐いているとは思わない。
「演技だった、とは思わないんですか?」
「演技だったの!?」
思わず飛び上がってしまう。
陸遜がこれ程渋い顔をしたことがあっただろうか、否ない……というくらい、渋い顔をしていた。
「えぇ、まあ分かっていましたけど、そこまで馬鹿正直でなくてもいいんですよ?」
――馬鹿って言うなやー。
弱々しい反論を、それでも口に出す勇気はなく、胸の中で叫ぶ。
陸遜は、一人話を続けた。
「どうしても嫌だったら、私のことなど放って逃げてしまえばいいんです。が責任を取る必要はないのですから」
「いや、だって」
陸遜がこちらの世界に飛ばされてしまったのは、を助けたからだ。
ならば、には陸遜を助ける義務がある。
「ありませんよ、そんなもの」
「……いや、えっと」
「ありません」
駄目押しされて、は黙らざるを得なかった。
「私が勝手にしたことです。普通は、そう取ります……嫌であれば、そういうことにして、拒絶します。そして、私に好意があるなら、ここまで躊躇はしないでしょう。もう少し、打ち解けるなり媚を売るなりする筈ですよ」
は、どちらでもない。
事が己の貞操に関わるというのに、あくまで望まれればという立ち位置を崩そうとしない。
ある意味、鋼の意志力である。
「いやいやいや」
鋼とまで言われると、さすがに言い返したくなってくる。
陸遜の溜息一つで封じられてしまったが。
「私は、恥ずかしい話ですが、未だ諦められていないのですよ」
何をだ。
「貴女と、恋をするのを、です」
「それは……」
もういい、諦めたと言ったのは、陸遜自身だ。
今更、という気持ちが強い。
「こういうことは、今更とかそういう問題ではないんです。大体、」
ちら、と目線を上に向け、深い深い溜息を吐く。
「貴女は、隙が多過ぎます」
は、自分が湯船から立ち上がっていることにようやく気が付いた。
赤面して勢いよく湯船に沈む。
湯が跳ね、起きた波が陸遜を襲った。
「……あのですね、……」
「だっ、だっ、だって、だって」
盛大に滴る水滴を払いながら、陸遜はを睨め付ける。
「そもそも、少しでも抵抗がある男と風呂に入るなんて、普通のひとはしませんから」
「だってだってだって!」
それは、陸遜が荷物扱いして連れ込んだからではないか。
――あぁ、でも、ちゃんとした抵抗はしてなかったかもしれない……。
いつの間にか、陸遜に抵抗することを忘れている。
良くない傾向だ。
否、良い傾向と言うべきか。
の葛藤を知ってか知らずか、陸遜は嘆息する。
「……私では無理だということも、分かっていますけど」
「は」
いきなり、予想を裏切る方向に話が展開した。
「は、一目会ったその時に恋に落ちて、例え途中がどれだけ波乱万丈だろうと、最初から最後まで一人を相手に破瓜まで済ませて純潔を守り、相手と共に徹頭徹尾相思相愛、並びに貞操貫き通さないと、恋とは認めないのでしょうから」
それは。
幾ら何でも、あんまりではないだろうか。
だが。
「絶句しないで下さい」
「あ、あ、うん………………」
「……だから、絶句しないで下さい」
陸遜の眉間に、不愉快を形にしたような皺が刻み込まれる。
それを目に映しながら、しかしは呆然としていた。