差し出された服を受け取った瞬間、迸る衝撃に手を振り払う。
 驚く陸遜に、は指を押さえながら小声で詫びた。
「ごめ、ちょっと熱かった……」
 布地の部分はやや熱いと思うくらいだったのだが、うっかり触れてしまった金具は火傷しかねない程に熱かった。
 指先が、じりじりとした痛みを訴えている。
「すみません」
 申し訳なさげに頭を下げると、が落とした服を拾い上げる。
「ちょ」
 陸遜は、まさに今、の指を焼いた金具を握り込んでいた。
 既に熱は冷めたというのか、それとも、陸遜には熱くないとでもいうのか。
「……もう、大丈夫ですよ」
 陸遜の差し出す服を受け取り、恐る恐る指を伸ばす。
 確かに、金具はほんのりと温もりを感じる程度に冷めていた。
「……熱く、ないの?」
 の問いに、陸遜はこっくり頷く。
「ええ、それ程には」
 やはり、もう冷めていたのだろうか。しかしそれでは陸遜の行動が不自然だ。
 陸遜は、別の服を乾かしに掛かっている。
 無造作に開いた手のひらに、金具が乗っているのが見えた。
 そうでなくとも、服を乗せた陸遜の手とドライヤーの吹き出し口はほぼ零距離に見える。
「熱くないの?」
 思わず同じ問いを繰り返すに、陸遜は微笑んだ。
「ええ、それ程、熱くないですよ」
 熱くないと言う陸遜の顔を、はまじまじ見てしまう。
 嘘を言っているようには思えなかった。
 と、陸遜がくすくすと笑い出す。
がやるより、私がやった方が早いでしょう?」
 何と答えたものか分からない。
 陸遜も、に何を言うべきか考えているようだった。
「……は、私より、ずっと弱い存在です」
 意味が分からない。
 将たる陸遜より自分が強いとは絶対に思わないし、陸遜もそうだろう。
 それを今更告知する意図が読めず、を戸惑わせていた。
 陸遜は、不意にドライヤーのスイッチを切り、服と共に洗面台に置く。
「いえ、武術の腕とか、そういうもの以前に……そうですね、前提として、まず私が確信していることをお話しますね」
 が頷くのを見届けて、陸遜は口を開いた。
と……のこの世界の人々と私達は、異なる人間です」
 沈黙が落ちる。
「……えっと」
 それは、分かっている。
 とっくに、それこそ陸遜がそう考えるよりずっと前から、はそのことを感じていた。
 だがしかしである。
 不思議なことに、は陸遜の言葉に衝撃を受けていた。
 おかしな話だとは思う。
 持論に賛同者が現れただけの話であり、何故こんなにも驚いたのか、自身にも量り兼ねる。
 陸遜は、そんなを見て、困ったように微笑んだ。
「違います、。もっと根本的な……そうですね、人、という括りで括るにはおこがましい。それくらい、私と貴女は違う存在である……そういう、話です」
 陸遜の言葉は、意味不明に過ぎての耳を上滑りし、抜けていこうとする。
 必死に留めて反芻し、ようやく理解した、ようなつもりになった。
「ええと……地球人と宇宙人、みたいな?」
 例えが良くない。
 の自覚を、陸遜の失笑が保証した。
「ええ、まあそんなところです。根本的に、貴女と私は違う『者』ということです」
 陸遜が再びドライヤーを手に取った。
 金具に直当てするように、熱風を吹き当てる。
 時間にして一分程だったろうか、が執拗だと感じる程度には長かった。
「いいですか」
 相当熱されただろう金具を、陸遜はぎゅっと握り込む。
 悲鳴を上げたのは、の方だった。
 慌てて陸遜の腕を掴み、その手を広げさせる。
 そこに、火傷の跡はなかった。
 ずり落ちる金具がの腕に当たり、思わず振り払う。
 陸遜の肌を焼いた後、幾分かは冷めていただろうに、は熱いと感じた。
 実際、押し当てた訳でないにも関わらず、の腕には薄らと赤い跡が残っている。
 は、腕の跡から陸遜へと視線を移す。
「……熱く、ないの……?」
「はい」
 陸遜は、当然のように頷く。
 未だ信じ難い風なの疑念を打ち消すように、平然と繰り返す。
「はい、全く」
 我々は、異なる人間である。
 一笑に付されて然るべし言葉に対し、純然たる証拠がこれ以上なくあからさまに提示された。
 納得するしかないのに、どうにも受け入れ難い。
 改めて陸遜を見る。
 綺麗な顔をしていた。
 鍛え上げられた肢体は、けれどもしなやかで、汗臭さを感じさせない。
 通りすがりの女性のほとんどが、思わず振り返ってしまうような美少年だ。
 そういう意味で『違う人間』と言ってもいい。
 だが、陸遜が言っていることはそうではない。
 同じ人の形をしているだけで、生物として異なる存在なのだ、と言っている。
 生半には信じられなかった。

 陸遜は笑う。
の、属性は?」
 そんなものはない。
 遅れてきた中二病でもあるまいに、自分の属性を認識したことなどなかった。
 陸遜は笑っている。
「気味が、悪くなりましたか?」
「え」
 陸遜の笑みには、影がある。
 隠そうとして隠し切れない、不安の影だ。
 それはそうだろう、と思う。
 虎が獅子を見たとして、虎は獅子をどう思うだろうか。
 獅子は虎を見た時に、虎を何物として存在付けるだろう。
 と陸遜は、形こそ同じであれ、その資質の異なることは虎と獅子とに及ばない。
 気味が悪いとは思わなくとも、何らかの畏怖を生じて当然と、陸遜が考えてもおかしくなかった。
「うーん……」
 悩む。
「気味が悪いとは、思わないけど……」
 陸遜の緊張が高まるのを感じる。
 それで、更に悩む。
 悩んだところで状況が変わるものでもなかったから、余計に悩ましい。
 仕方なく、正直に言うことにした。
「びっくりした、かな」
 陸遜の目が丸くなる。
 繰り返すのも言い直すのもおかしな気がして、は黙り込む。
 しんと静まり返る中、陸遜はおもむろにドライヤーと服を手に取った。
 スイッチの入る硬質な音がして、ごうっと熱風が噴き出してくる。
 所在なく立ち尽くすは、陸遜の動作を見ている他ない。
 陸遜は、湿り気を帯びた服を次々に乾かしていく。
 かなりの時間、二人はそうしていた。
 最後の一枚を乾かして、陸遜はを振り返る。
「……下着は、どうしましょうか」
 ブラとショーツは、が抵抗しまくって、他の衣服とは別にしてある。
 と言って、陸遜も自分の下着を何気なく別にしていたから、ばかりが責められる謂れはない。
「いい、自分でやる」
 手を差し出すも、陸遜に譲る気配はない。
「自分でやるって」
 手を振って譲渡を促すも、陸遜はドライヤーを離さなかった。
「恥ずかしいから、自分でやるって」
 直接ドライヤーに伸ばした手は、空を切る。
 陸遜を睨め付けると、陸遜も渋い顔で口を曲げた。
「私だって、恥ずかしいですから」
 互いに顔を突き合わせ、黙り込む。
「あの、さあ、陸遜」
「何ですか」
 馬鹿馬鹿しいな、とは思う。
「自分で、自分のをやることにしたら、いいんじゃないかな」
 の提案に、陸遜の頬が赤くなった。
 想定の埒外だったらしい。
 陸遜の軍略がどれ程優れているのか、が実際を知っている訳ではないが、私生活に於いては案外間が抜けている。
「先にやっていいよ」
 が譲歩すると、陸遜はドライヤーの取っ手を向けてくる。
が先でいいですよ。私は、すぐに穿けますから」
 嫌味なのか何なのか、陸遜はそう言い捨てて洗面所を出ていった。
 恥ずかしかったのだろう。
 どれ程見た目が優れていても、どれ程強靭な体を持っていても、の知る陸遜はこんなだ。
 それは、他の武将達にも当てはまる。
――まあ、何も変わらないよね、結局。
 下された結論は、然して意表を突くものでもない。
 は下着を乾かそうとして、肝心の実物が手元にないことに気が付いた。

 呼ばれて振り返ると、当たり前だが陸遜が居た。
 問題は、陸遜がの下着を手にしていることだ。
「どうぞ」
 タオルに包んであった筈のものを剥き出しにして手渡され、黙して受け取る。
 陸遜は、至って平然とした面持ちをしている。
 けれども、口の端に堪え切れない笑みを漏らしていた。
 明らかに意趣返しだ。
 しかも、実に明後日の方向を向いた意趣返しである。
――ホントに、悪い意味でも何も変わんねぇな!
 むしろ、悪化したような気がする。
 壁の向こう側から、我慢できずに笑い出す声が聞こえてきた。
 どう意趣返し返ししてやろうかと、は腸を煮えくり返すのだった。

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