「言葉の綾でしょう、それぐらいあり得ないと言ったまでで」
「えー……」
白熱する陸遜と、どうにもどん引きが止まらないとでくだらないやり取りをしていた時だった。
の携帯が、唸りながら震え出す。
見れば、完からのメール着信を知らせるものだった。
思わず開くが、そこに並ぶ文字の羅列に絶句する。
それらは、頭ごなしにを罵っていた。
春花から聞いた
ずいぶんじゃないか
泣かせておいて誤らないなんて
春花はかばってたけど、私は許せない
もう二度と連絡してくんな
一瞬焦り、すぐに電話を掛けようとして、やめた。
「どうしたんですか」
「……んー」
完からのメールを見せ、未だ漢字を習得しきれていない陸遜の為に、声に出して読み上げる。
陸遜の眉根が寄り、深い皺が刻まれた。
不快というより、それに近い訝しさの為だろう。
「完殿が、まさか」
が答えようとした時、再び携帯が震えた。
さくらからだった。
悩んだ末に、受信ボタンを押す。
「……もしもし」
『さん? あの、今、お姉ちゃんから連絡行きませんでしたか?』
来た。
しかし何故、それをさくらが知っているのか。
『あの、あの、お姉ちゃん、何か怒ってて……私の説明が悪かったのかもしんないですけど、何か、さんとは縁を切るとか言ってて……』
「ああ……」
こいつの仕業か、とは鼻白む。
『ほんとに、ごめんなさい。あの、ちゃんと説明しようと思ってたんですけど、お姉ちゃん聞いてくれなくって……少し、待っててもらえませんか? 絶対絶対、誤解解くので! あと、あの……』
陸遜は、今、傍に居るのか。
はちらりと隣を見遣る。
「いないけど」
ぶっきらぼうになるのを自覚しながら答えると、携帯の向こうから戸惑った風な吐息が聞こえる。
『そう……ですか……あの、後でまた、メールするので……』
「今、言えないこと?」
問い質すような声音に対し、返答はない。
短い沈黙の後、突然焦ったように声が潜められた。
『お姉ちゃ……あ、あの、すみません、後で』
通話が断ち切られ、耳障りな電子音が規則正しく響く。
とりあえず、切った。
「あのひと、ですか」
「うん」
嫌な空気が漂った。
の表情を窺っていた陸遜だったが、意を決して口を開く。
「あの、先程の完殿のめーる、ですが」
「うん、完じゃないと思う」
ぽか、と間の抜けた空気が場に満ちた。
絶句する陸遜に、は疲れたように笑うしかない。
「……うん、完がもし、ホントに私に腹立ててたとしたら、こんな誤字は絶対に使わんから」
完は、敵に回した人間に弱みを見せるのを酷く嫌う。
だからこそ、『謝らない』を『誤らない』などと送ってくる筈がない。恐らく、さくらが完を装ってメールしてきたのだろう。
証拠という程のことでもないが、先程のさくらからの電話は、いかにも完が現れたので慌てて切った風を装ってはいたが、それらしき物音は一切しなかった。
電話を掛けてくるタイミングといい、一切合財さくらの自作自演と見て間違いなかろう。
とはいえ、と、は完宛てにメールを送ってみる。
案の定、届けられなかった旨の通知が返ってきた。
無論、電話も繋がらない。
これでは、完と連絡を付けることが出来ない。
否、方法がまったくないではないのだが、それをするには若干の障害があった。
パソコンのある部屋の方を見る。
完のサイトにはメールフォームが置いてある。そこから連絡を入れるのはやぶさかでないのだが、生憎パソコンからしか見られないのだ。
先日のメール疑惑の一件以来、パソコンを立ち上げるのがどうにも億劫だった。
元々、連絡するなと言ってきたのは完の方ではあるが、こうなってみると、その理由の一つはさくらにあるような気がしてきた。
打つ手はあっても愚策ときている。
ならば、どうしたものか。
「どうしますか?」
陸遜の問いを受け、は首をひねる。
諸葛亮であればいざ知らず、起死回生の秘策など容易く思い付くものでもない。
「放置」
ぽつ、と呟いた言葉の意味を、陸遜はすぐには理解できないようだった。
「……ほ、放置? で、いいのですか?」
いいも悪いもなく、下手に手を打てばドツボにはまりそうな以上、何もしない方がマシというだけの話だ。
「相手の目的も、よく分からないし」
「分からないと言いますが……」
不満げな陸遜に、は苦笑する。
さくらの目的は明々白々だ。
を貶める。
単純過ぎて、気持ち悪い程だ。
分からないというより、理解出来ないと言った方が正しい。
それに、完が唯々諾々とさくらに従っているのも分からない。
お姉ちゃんと呼んではいたが、本当の姉妹とは聞いてないし、そうは見えなかった。
何か弱みでも握られているのかとも考えるが、完の弱みとやらに心当たりがない以上、が迂闊にしゃしゃり出ていい筈もない。
なるようになれと、無責任ではあるが放置しておくのが最も良策であろう。
陸遜からすれば打つ手数多かもしれないが、札のない勝負の危うさを、は良く知っている。
――。
蘇る声に、背筋に走るものがある。
それは嫌悪ではなく、背徳を帯びた快楽の記憶が為す刺激だった。
「……?」
呼ばれて我に返ったは、必要以上に慌ててしまう。
何を考えていたかなど、言える訳がない。
だが、一度思い出してしまうと、記憶は鮮明に蘇るばかりだ。
周泰の命乞いの為、孫堅に体を許したことがある。
あくまで取引の態を為していた筈が、強い酒に酔うかのように溺れ、浸った。
他の男達とは違う、の自我を奪わぬ遣り口は、それ故に記憶に焼き付いて今尚新しい。
「……疲れたし、ちょっとお風呂行ってくるね」
これ以上取り繕う自信もなく、結論は出したということで、はその場を逃げ出した。
シャワーを浴びながら、溜息を吐く。
流れ落ちる湯を見詰め、割れては戻る細い水筋の行く先を追う。
足の付け根から落ち行く先に指を伸ばせば、思った以上に濡れた感触があった。
触れた途端、腰が引ける。
記憶の中の指に促され、もう一度指を伸ばすと、全身が震える。
――昨日の今日、なのにな……。
何かに付けを煽ろうとする陸遜に、流されまいと心掛けるあまりか、自分ですることはほとんどなかった。
いつの間にか欲求不満に陥っていたのか、指の動きを止められない。
――……少しだけ。
隣り合わせの部屋では、薄い壁の頼りなさが気に掛かって、こんな真似は到底出来ない。
今だけ、ほんの少しの間であれば、陸遜に気付かれることもなく済むだろう。
いわゆる『おかず』には事欠かない。
自重する余裕はなかった。
耳に残る欲情した声を思い出しながら、敏感になった秘玉に触れ、撫でる。
これならすぐ、と、目を閉じた。
背中から冷気が飛び掛かる。
一瞬で正気に戻り、振り返ると陸遜が居た。
「ちょ」
そういえば、鍵を掛けた記憶がない。
油断していたにも程がある。
赤面するより早く、陸遜が抱きすくめてきた。
「り、陸遜、ちょ、何して」
泡を吹いて暴れるも、陸遜を振り解くに至らない。
出したままのシャワーが、陸遜の服を濡らしていく。
「誰を」
不意に口を開いた陸遜は、その一言を吐き出してすぐ、また口を閉ざした。
も、何も言えなくなった。
誰を、とは、『誰を思い出して(して)いたのか』と問うているのだろうが、答えられる訳もなく、答えられたいとも思ってはないだろう。
傷付けてしまった。
「……陸遜」
何と言っていいか分からずにいるに、陸遜は首を振った。
無性に込み上げるものがある。
強引に腕を押し退け、振り返ると、逆に腕を絡めて引き寄せる。
「え、あの」
裸の胸に押し付けられて、陸遜が目を白黒させている。
構わず、力いっぱい抱き締めた。