淹れ立ての熱い茶を啜る。
 帰還が叶わなかったことで、再び日本茶を嗜む機会を得られたことは、大変喜ばしいと言える。
 炬燵も温い。
 古式ゆかしき日本の冬を満喫している、と言って過言ではない。
 しかし、それはあくまでの立ち位置での理屈であって、陸遜は未だ肩を落としてへこんでいた。
「……まぁ、まぁ……とりあえず、熱い内に」
 年寄り臭く茶を勧めると、陸遜は首を垂れたまま、器用に湯呑を手に取った。
 しばらく沈黙が続き、ようやく顔を上げた陸遜だったが、視線は恨みがましく裏庭へと向けられる。
「……あんまり、気にしない方が……ないんでしょ?」
 身も蓋もない言い方だったが、陸遜は素直に頷いた。
 の時もそうだったが、近くにあれば感覚で分かるものらしい。綺麗さっぱり消え去った、あの衝撃は味わった者でしか分かるまい。
 そういう意味でも、同情こそすれ、責める気になどなれなかった。
 の気持ちを知ってか知らずか、陸遜は憂鬱な視線を茶に注ぐ。
「よりにもよって」
 ぼそりと吐き出された言葉に、は苦笑を禁じ得ない。
 陸遜の心情を、これ程端的に指し示した言葉は無かったろう。
 の帰還が叶わなかったのは、趙雲馬超の両名による邪魔立ての為だったが、陸遜は無論そうではない。
 何が理由で、と考えるにやはり思い当たるのは一つしかなかった。
「……やっぱり、思い残したことがあると駄目なのかもね」
 完やさくらとの遣り取りを、半ばで放棄しての帰還である。
 陸遜ならずとも、幾らかは心残りがあって当然だ。
 の考えは、あくまで思い付きでしかないのだが、それだけに却って的を射ているとも言えた。
 他に理由がない以上、限りなく怪しいのはその点だろう。
「ですが……放置、なのですよね?」
 陸遜は不満げだが、介入していい状況にないのは目に見えている。
 何より、完が許さないだろう。
 二人して思い悩んでいると、何かが唸っているのが聞こえてくる。
「……ああ」
 思い出して、一旦炬燵から離れる。
 唸っていたのは、の携帯だった。
 さくらからのメール着信を報せていたのだ。
 そういえば、先程の電話でメールすると言っていたのを忘れていた。
 記憶の方もいい加減らしい。
 おざなりにメールを読み下していると、陸遜が気にした風にそわそわしている。
 思わず笑ってしまった。
「何ですか」
 陸遜は膨れたが、が笑ったのは、少しばかり意味が違った。
「怒らないで、とりあえず聞いてね」
 だらだらと長ったらしい、ふんだんに絵文字の使われたメールを要約する。
「完がね、さくらさんに陸遜と付き合えって、命令したんだって」
「は?」
 陸遜の声は大きくなかったが、その分怒りに満ちていた。
 怒涛の勢いで言い返そうとしたらしい口を、手のひらで制すと、は続きを読んだ。
「馬岱殿とのことをね、書いた……ブログって言うんだけど……日記っていうか、思ったことなんかを書いて、ネット……あの、パソコンで見れる奴ね、あれで公開してるのを、完が見て、それで陸遜と付き合ったらいい、お似合いだって、陸遜と約束取り付けてやるからって言われて、テンパって……混乱して、その時私からメール来たの見て、相談しようと思ったけど、どう言ったらいいのか分からなかったから、態度がおかしかったんだと。で、実は完から携帯に連絡ががんがん入ってて、止むに止まれず帰宅して、その途中でアナタを呼び出したんだと。で、会ったらアナタは意外と乗り気で」
「乗り気どころか」
 キレそうになる陸遜を再び制し、はさくらからのメールを読み返す。
「……今の説明で、分かった?」
 陸遜が、いわゆるカタカナ語をどこまで把握しているか分からなくなり、言葉を組み替えている内にもよく分からなくなってしまう。
 要するに、さくらのブログを完がこっそり読んでいて、相応しい相手が居るからそいつと付き合えと焚き付けられ、そのせいで挙動不審になってしまった、ということらしい。
 悪意を持って付け足すならば、『だから私は悪くない』だろうか。
「……念の為、申し上げておきますが」
「うん、全部嘘だね」
 一見、筋は通っているように見えるが、完がそんなことをする筈がないし、陸遜がさくらに興味がないのは言動から態度から一貫して知れる。
 何もかもが茶番だ。
「どうしますか」
 今にも火を付けに行きそうな陸遜に、は再度茶を勧めた。
 緑茶には鎮静作用があると聞いたことがあるが、その効能が真実であることを祈るばかりだ。
「うん、逆に考えるとね、これはますます放置した方がいいって気になった」
 陸遜の眉間に皺が寄る。
「結局、放置ですか……」
 憤懣やるかたない陸遜の気持ちも分からないでもないが、こればかりは仕方がない。
 積極的に絡んでくるのでなければ、放置しておくのが一番いい。
 何と言っても、さくらはこの家を知らない。
 メールの通りに完が一枚噛んでいるのであれば話は別だが、絶対に違うと確信を得た以上、放置以上の良策はなかった。
「うん、でさ、あんまり外にも出ない方がいいね」
 陸遜は答えなかった。
 理由を訊ねるまでもないからだろう。
 趙雲に横恋慕した女性は、この近辺をうろついたことがあるらしい。
 それと同じに、陸遜が指定した服屋を頼りに、さくらが近所をうろつく可能性はないではない。
 のこのこ出歩いて、発見された上に尾行されては事だ。
「そこまでするでしょうか……」
「しないとは言い切れない」
 本人がしなくても、友人知人を動員されたら敵わない。
 写真がなくとも、もしもあのイベントで陸遜を見掛けていたとしたらどうだ。ゴミ処理のおじさんの頬を染めさせるぐらいだ、記憶に焼き付いていてもおかしくない。
 だいたい、イベント中は陸遜と行動を共にしていたが、あの雑踏の中の話である。率直に言って、盗撮されてないとは限らないではないか。
 何と言っても、完の携帯から陸遜の電話番号をゲットするようなひとである。用心するに越したことはないだろう。
「食料は、配達してくれるサービスもあるしさ。籠城ったって、兵糧攻めになる心配はないよ」
 籠城だの兵糧攻めだのが良かったのか、陸遜の意識が上手く逸れた。
「便利、なのですね」
「うん、便利便利。でさ、折角家に居るんだから、陸遜の勉強とか、したいことしようよ」
 逸れた意識を戻すまいと、は慎重に餌を撒く。
 撒き過ぎては逆に用心されるかと、内心はらはらしていた。
「ぱんが焼きたいです! あの、ぱんけーきというのを是非とも!」
 大丈夫だった。
「あー……パンケーキのが、パン焼くより簡単……じゃないかな?」
「何を仰いますか、あれはあれで、奥が深いのです。いいですか? そもそも、一口にぱんけーきと言っても、粉の種類から数多あり……」
 何がそこまで陸遜を駆り立てるのだろうか。
 焼くからだろうか。
 そんなことをぼんやり考えながら、は突然始まった陸遜のパンケーキ講座を聞き流すことに専念した。

 陸遜には言えなかったが、さくらのメールには未だ続きがあった。
 一つは、陸遜から告白されたということ。
 これは、あからさまに嘘だと分かる。
 ただ、馬鹿正直に伝えれば、如何なでも陸遜を押さえられなくなるから言わなかったまでだ。
 清廉潔白な陸遜の性格からいって、下卑た嘘を吹き込むこと自体、許し難い所業に違いない。
 もう一つは、にまた会って欲しいということだった。
 会って、何を吹き込もうというのかは分からない。
 けれども、さくらに対する印象が、嫌悪を過ぎて危険だと感じられるまでになった今、微塵も会おうという気にはなれなかった。
 陸遜が陸遜であるが故に、告白したというのは嘘だと分かったが、もしこれが陸遜でなく、どこかで知り合っただけの彼氏だったとしたら、は酷く動揺したに違いない。
 手慣れた感じがして、とにかく嫌なのだ。
 遣り口が稚拙な分、妙に執念じみている辺りも恐い。
 携帯の設定を弄り、さくらのメールをフォルダ分けされるようにした。
 電話は、着信音を消すことで対応するしかない。
 着信拒否すれば、さくらの執念に燃料を投入してしまいそうな気がしたのだ。
 何かあれば、完から動きを見せるだろう。
 安全地帯に引きこもって静観する立場はもどかしいが、そうすると決めたのはである。
 陸遜を巻き込まないようにという理由が、例え建前であったとしても、守るものがあるのだから守らなければならない。
――って、こうやってぐちゃぐちゃ考えちゃってる辺りが、既に駄目だね。
 は、頭の上まで布団をたくし上げ、強く目を閉じた。
 朝になったら、陸遜と何をするか相談する。
 今やれるのは眠ることと、何度も自分に言い聞かせていた。

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