は、袋小路に押し込められていた。
 細く、一人二人が通るのがやっとな幅に室外機が点在し、雨ざらしになった雑誌が散らばっているような、道とも言えない場所だった。
 奥には別の建物が建っていて、隙間はあっても犬猫でもなければとても通れそうにない。
 出口には、先程の男達が所在無げに立っている。
 手出しされる危険はなさそうだったが、帰すつもりもないようだ。
 恐らく、さくらが来るのを待っているのだろう。
 それにしても、とは考える。
 まさかこんな時間に待ち伏せされると思わなかった。
 しかも見も知らぬ男、複数と来ている。
 さくらとどのような繋がりがあるのか分からないが、ここまで『尽くす』理由が思い浮かばない。
 ずいぶん時間が経った。
 陸遜も心配しているのではないだろうか。
 寒いわ眠いわ、荷物を下ろそうにも下ろせないわ、無論座る場所もないわで理不尽に監禁される苛立ちが募る。
 早く朝になればいい。
 朝になれば、人が通るようになるだろう。
 既に新聞配達の人が通ってもおかしくない時間である。
 さすがに、人目のあるところで騒ぎは起こせまい。
 濡れ衣を着せられる可能性もないではないが、その時はその時だ。
 今なら、何とかなる。
 早く明るくならないかと気が焦った。
 この焦りは、男達に感じる気持ちの悪さからではない。
「お待たせしちゃって、ごめんなさい!」
 心が竦む。
 会いたくない相手との再会程、嬉しくないものはない。
 男達にとびきりの笑みを浮かべたさくらは、見掛けない制服を身に纏って品を作っていた。
 殺伐としていた空気が緩むが、は逆に身を固くする。
 烏合の衆なら怖くはない。
 しかし、そこに頭が付けば話は別だ。
 その頭がさくらとなれば、に対する仕打ちは容赦のないものとなるのは必定だろう。
 男達一人一人を労っていたさくらの視線が、へと向けられる。
 意味もなく震えた。
「……さん。さくら、さんのこと、すごぉく探してたんですよ?」
 さくらの周りを男達が囲む。
 B級映画によくありがちな光景に、は何だかむず痒い気持ちに陥った。
「携帯にも出てくれないし、住所はでたらめだし……」
 住所など教えた覚えはない。
「さくらが困ってたら、みんなが力を貸してくれるって言ってくれて。さくら、すごく嬉しかったです」
 満面の笑みで男達を振り返ると、男達は照れたように頭を掻いたり赤面している。
 余程さくらに惚れ込んでいるらしい。
さん」
 さくらがの前へと進むと、男達の間から『危ない』とさくらを案じる声が上がる。
「ここだとお話しできないから、さんのお家に行きましょ?」
「嫌」
 即座に断ると、男達から放たれた殺気がに突き刺さる。
 さくらは、ひとり言のように『困ったなぁ』と呟く。
「じゃあ、警察呼ばないといけなくなっちゃう……それじゃさんも困るでしょ?」
「別に」
 言い返す度に男達が睨んでくるが、家がばれたら次に何をされるか分からない。
「警察、呼ぶなら呼べば? 私が何したか知らないけど、呼びたいんなら呼べばいいじゃない」
 が吐き捨てると、男達の一人が進み出た。
「俺、警察だから。呼ぶ必要ないよ、さくらタン」
 思わず目を剥く。
 警察のくせに、拉致監禁の真似事かと薄ら寒くなった。
 ところが、自称警察の男は、気にした風でなく胸を張る。
「お前、さくらちゃんから借りた金返せよ。犯罪だぞ」
 呆れた。
「はあ?」
 呆れ返って漏れた声は、男達の殺気という火に油を注いでしまう。
「ふざけんな」
「知らない振りしてんじゃねぇよ」
「下手な演技しやがって」
 口々に詰りだし、自分の言葉に浮かされるかのように徐々に白熱していく。
「さくらタンに謝れ!」
「土下座しろ!」
「金返せよ! 慰謝料払え!」
「保険金で支払わせんぞ!」
「保険金、いいねぇ。埋めちゃうかぁ?」
「何、黙ってんだよ。とりあえず土下座しろって」
「土下座しても、埋めちゃうけどネ!」
「犯さないんだ?」
「いやー、こんな女、犯す気になるかって!」
 どっと笑う。
 何がおかしいのか分からない。
「みんな、そんなに怒らないで……」
 弱々しい声が上がり、男達が我に返る。
 安堵できたものではない。
 その声が作られたものであり、男達を煽る為の演技だと分かっている。
「さくらが悪いの……大事なお金なのに貸しちゃって……でも、もう返してもらわないと、さくらが学校行けなくなっちゃうから……」
 どうやら、学費を横領したことにされているらしい。
 よくまあそんなくだらないことを思いつくなと、開いた口が塞がらない。
「みんなに迷惑掛けて、ごめんなさい……さくら、ホントは一人で何とかしなくちゃ、ダメなのに……」
 くすんくすんと啜り泣くさくらを、男達が懸命に慰め始めた。
 しばらくの間、男達にいちいち頷いて応えていたさくらは、おもむろに涙にぬれた目でを見る。
「でも、本当に、さくら困るの……お願いします、さん……さくらのお金、返して下さい」
 さくらは突然土下座した。
 は勿論、男達も止める間がない。
「……やめなよ、さくらタン!」
「さくらタンがそんなことする必要ないよ!」
「土下座すんの、あいつじゃん!!」
 そして、一度鎮静し掛けた怒りは、業火と化してに向けられる。
「さくらタンに謝れよ!!」
「ふざけた真似して、ホントに殺すぞテメェ!!」
「土下座しろ!! 土下座して、さくらタンに謝れよこのクソブス!!」
「死ねよ、ブス!! ブスブスブース!!」
 子供のような罵詈雑言は、だからこそ狂気じみて苛烈だ。
 土下座していたさくらが、抱きかかえられて通路から退き、入れ替わりに憤怒の形相をした男達が殺到する。
「死ねよ、今死ねよ!」
「死ね、死ね!!」
「死ねよ!!」
 鉤状に捻じくれた指が、手が、へと伸びてくる。
 棒立ちになったが、それらから逃れる術もない。
 頭の中が真っ白で、体が動かない。
 目を、瞑るしかなかった。
 視界が暗闇に落ちる。
 衝撃への恐怖で、体が強張った。
 が。
 何も起きない。
 痛みもない。
 触れられる気配もない。
 幾ら何でもおかしいと、恐る恐る目を開ける。
 薄目に、誰かの背中が映った。
――背中?
 飛び掛かられたというのに、何故背中を見ることになるのか。
 思い切って目を開けると、その背は見慣れた人のものだった。
「り、陸」
「陸です」
 振り返り、こっくり頷くのは間違いなく陸遜だった。
「て、え、ど、どこ、から……」
 陸遜は、黙って上を指さす。
 窓らしい窓もない、ビルとビルの隙間から、仄明るい空が見える。
「……空?」
 何故か引っくり返っている男達がどよめく。
「まあ、そんなところです」
 言うなり、陸遜が前へ向く。
 同時に、男達が怯むのが見て取れた。
 それはそうだろう、空から人が降ってきたら、普通の神経なら恐慌状態に陥ってもおかしくない。
 陥らないのがどうかしている。
「陸遜クン!」
 ハートが見えそうな浮かれた声に、男達が呆気にとられた。
「……さくらタン、あの……」
「あ、陸遜クンはぁ、無双の神コスプレイヤーなんですよ!」
 答えてはいるものの、男達の問いたいところはそこではないだろう。
 第一、陸遜は本人でコスプレしている訳ではない。
 言ったところで信用してもらえるはずもないが。
「もう、陸遜そのもので、運動神経も良くって、今ネットでも噂になってるんですよ!」
「へ、へえー……」
 男達がドン引きしているのも気付かぬようで、さくらは両手で胸を押さえて頬を染めている。
「陸遜クン、私に会いに来てくれたの……?」
 駆け寄ろうとするが、男達が尻餅を着いているせいで近付くに近付けないようだ。
 さくらに憎々しげに睨み付けられて呆然としている男達が、いっそ哀れだった。
さん、ここ、騒がしいから、やっぱりさんのお家に行きましょう? ちゃんと話せば、分かってもらえると思うんです」
「は?」
 話が飛びまくるせいで、意味が分からない。
 さくらは気にせず進める。
さんには申し訳ないですけど、私は陸遜クンのこと、本気で愛してるんです……だから、ちゃんとお話しして、分かって欲しいんです!」
 鳥肌が立った。
 はずっと、さくらは嘘を吐いているのだと思っていた。
 そうではない。
 さくらは本気だ。
 本気で、自分の嘘を真実だと認識しているのだ。
 よろけたを、陸遜が抱き留める。
 さくらの目が涙で潤んだ。
「どうして……」
 傷付き、悲しんでいる表情で、陸遜を見詰める。
 ふと気が付いた風に首を振って、微笑む。
 分かっていると言わんばかりに大きく頷くと、哀れみの視線をに向けた。
 今、さくらの中で、新しい設定が作られたのだ。
 そして、即座にそれを事実と認識しているのだろう。
 気持ち悪い。
 湧き上がる吐き気を堪える。
「ちょっと、ここで何してるの」
 声が掛かる。
「やべ……」
 男達が慌てふためき、起き上がろうともがく。
 建物の影から、警官が顔を見せた。
「お巡りさん!」
 さくらが叫び、しがみつく。
「え、ちょちょ、ちょっと!」
「助けて下さい、陸遜クンが、あのひとに!」
 指さされ、警官がと陸遜を見遣る。
 を背中に庇う陸遜に、警官は困惑顔だ。
「……えっと……あのひとって……」
「あの女です! 私のお金を盗ったんです! 捕まえて!」
 盗ったと聞いた警官の顔色が一瞬変わるが、辺りを見回し再び困惑顔に戻った。
「えっと、あなたは学生さん? なのかな?」
「はい、大学生です」
 警官が首を傾げる。
 平日の夜明け前という時間帯、制服を着た大学生の足元に、尻餅を着いて今にも逃げ出そうとしている男達が居り、袋小路にカップルを押し込めているという状況だ。
 そのカップルを示し、『助けて』『金を盗られた』では、さすがに理解できないに違いない。
「え、あの、お金を盗られた? の? あの女性に?」
「学費なんです、返してもらわないと困るんです」
 泣き出したさくらを前に、警官がに目線を送る。
 首を振って応えると、男達が騒ぎ出した。
「嘘だ」
「さくらタンの学費、盗ったんだろ!」
「返してやれよ!」
「……え、おたくら、こちらの学生さんのお友達なの?」
 警官が待ったを掛けると、男達が答える。
「さくらタンは、俺達のアイドルなんです」
「それを、この女がさくらタンの学費盗ったから、俺達が……」
「は? ……えっと、今の話は本当?」
 困惑した警官がに話を振るも、とて濡れ衣だとしか分からない。
「いやあの、私、その子の携帯とメルアドしか知らないです……」
 それで学費など、どうやって盗めるというのか。
 しかし、さくらは大声で泣き出した。
「嘘! 私の学費、盗ったじゃない! 返して、あれは、私が一生懸命貯めたお金なの!」
 わんわん泣き出したさくらを、警官は見るからに持て余している。
「それだったら、まず、盗られた時の状況をね……」
「酷い! お巡りさん、私を信じてくれないんですか! 監察に訴えてやる!」
 収拾がつかない。
 応援に来たのか、警官が二人、新たに駆けつけてきた。
 その後ろから、背広姿の男性が姿を現す。
「すみません、あの……」
 男性の顔を見た途端、さくらは警官を押し退け飛び付いた。
「パパ! みんなが私を虐めるの!!」
 本気で何だか分からない。
 混乱が続いていた。

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