会いたいんだけど。
 そう言われて、はすぐに返した。
「あ、うん、分かった。どこにする? うち?」
 完は、しばらく口籠っていた。

 何故黙ったのだろうか。
 後ろめたいことでもあるのだろうか。
 携帯を切った後、は不安になった。
 陸遜に訊ねられ、夜に完が来ること、どこにするか訊いた時、完が少し黙っていたことを教えた。
「何でかな。何か言い方とか、まずかったと思う?」
 が問うと、陸遜は苦笑を漏らした。
「そこまであからさまに信用されてしまうと、誰でも皆、多少は後ろめたくなると思いますよ」
 信用というか、単に知りたいだけだ、と思う。
 今回の騒動、完が何も知らないということはない。
 だからこそ、家に行くと言われたら否はないのだ。
 訳知り顔の陸遜に、無性に反論したい気持ちにさせられる。
「でも、伯符だったら、訊きもしないんじゃない?」
 陸遜は黙り、そして重々しく口を開いた。
は、孫策殿を基として世の物事を考えるつもりですか?」
 幾らなんでも失礼だ。
 だが、的を射ているだけに否定はし難い。
「まぁ、あの、伯符はあれだ、置いといて、ね?」
 完から話をしたい旨を説明すると、陸遜は溜息を吐いた。
「それは、完殿が素直に話してくれるという信頼あってのことでしょう?」
「あぁ……まあ、そう……かもだけど……」
 が口籠ると、陸遜は再び溜息を吐いた。
「……は、もう少し何というか、アレですね」
 失礼だ。
 不満が顔に出ていたものか、陸遜は笑った。
「目が覚めてしまったようですから、いつもの特訓をしてしまいましょうか」
 笑って、鬼のようなことを言う。
 この鬼の恐ろしいところは、決して冗談を言わないところだ。
「嘘だよね?」
 念を押す。
「嘘ではありませんよ?」
 押し返された。
 腹の底から嫌がってみせるも、陸遜には通じない。
 笑顔で引き摺り起こされ、テレビが起動する。
 鬼だと思った。
「何か失礼なことを考えているでしょう」
 は、勿論否定した。
 即座にバレた。

 夜遅くになって、完がやってきた。
 何故か玄関からでなく、裏の窓ガラスを叩いての登場だった。
「……どした」
 が呆れると、完は落ち着かなげに後ろを振り返る。
「後着けられたら、事だから。たぶん、大丈夫だけど」
 の家の造りの場合、不用心に玄関を開けると相手に雪崩れ込まれる危険性がある。
 窓ガラスも大差ないと思うが、外が確認できるだけマシ、と完は考えたらしい。
「何かあった?」
 無意味な用心深さに、思わず呆れる。
「いや、その、何つーか。私も、今日までに色々把握したことがあったっつーか」
 靴を脱ぎながらもごもごと口籠る完に、は首を傾げた。
 完が手にした靴を受け取ろうとすると、完は手を振ってそのまま上がり込む。
 陸遜を見付けると、軽く手を上げた。
 無言で頭を下げる陸遜を背に、完は玄関へと向かう。
「……お疲れのようですね」
 言われても、そうなのかと驚くばかりだ。
 いつもと何ら変わらぬ様子に見えたが、陸遜には違って見えるらしい。
 ひょっとして完の身にも、何かあったのか。
 見知らぬ男達に囲まれたことを思い出す。
 体格こそあちらの将兵には及ばないものの、異性に囲まれ、いわれのない罵詈雑言を浴びせられる恐怖は侮り難い。
 もしも完が同じ目に遭っていたらと考えると、胃の辺りが縮むような気がした。
「……どした」
 戻ってきた完に訊かれ、は涙ぐんでいる自分に気付く。
「そんなに怖い思いしたんか」
「いや、いや、まあ怖かったけど」
 そうではなくて、と説明し掛けただが、それより早く、完が頭を下げていた。
「ごめん」
 深い深い謝罪の礼に、は混乱して泡を吹く。
「え、いや、だって完は悪くない……」
「いや」
 完が頭を上げた。
「身内の不祥事だし、正直、迷惑掛けるのは分かってた」
 さくらは、完を『お姉ちゃん』と呼んでいた。
 ならば、やはり完はさくらの姉に当たるのだろうか。
 疑問渦巻く脳内を見透かされたように、完は苦笑し、座っていいかと問うた。
 慌てて炬燵を勧めると、完はコートを脱ぎ捨て、肩に掛けていたやけに大きいバッグを下ろす。
「……コップ貸してもらえる?」
 ジュースでも買ってきたのかと思ったら、そうではなかった。
 鞄の底から完が取り出したのは、ガラスの艶も艶めかしい、剥き出しの一升瓶だった。
 目を丸くするに、完は小さく首を傾げた。
「悪い、呑まんと上手く話せる自信がない」
 酒の力を借りさせてくれと、またも頭を下げられて、も駄目とは言えなくなった。
 ただただ珍しく、完の話というのが少しばかり怖くなった。
「私もいただけますか」
「おい、未成年」
 陸遜が要らぬ嘴を突っ込んでくるのへ、急降下でツッコミを入れる。
 だが、陸遜の方が上手だった。
「誰が未成年ですか」
「…………」
 何も言えない。
 公式設定上では、確か十七とあった気がするが、本人にとぼけられてはこちらに確たる証もない。
 そもそも、成長自体が止まっているような世界の住人に、年齢確認しようというのが無茶な話なのかもしれない。
 そっとコップを差し出すと、陸遜は勝ち誇ったようにコップを宙に掲げて見せた。
 本当は本当に未成年なのではないだろうか。
 腹立たしい気もするにはしたが、仕方がないので水に流した。
 結局、天板にはコップが三つ、横一列に並べられる。
 端から順に一升瓶の酒を注ぐと、微かに金色の光が揺れた。
「完と酒は、珍しいね」
 打ち上げで呑むこともあったが、周囲に合わせてせいぜいビールかカクテルが関の山だ。
 日本酒を呑むこと自体は好きなのだが、二人で居るのは飲み会よりも修羅場の場合が多かった。
「……私、本気で呑むと口が軽くなるんだ」
 だから嫌だった、とポツリ呟く完の様は、どことなく寂しげでどことなく悔しそうだった。
 何故だかは知らない。
「とりま、そっちの話から聞いてもいいか。その間に、ウォームアップしとくから」
 助走なしには切り出せない話。
 いったい、何を話されるのだろう。
 一瞬過った不安の影を、は見なかったことにした。
「私、今、陸遜先生のダンス教室に入門してるんだけどさ」
 切り出した言葉に、完は目を瞬かせた。
「……何だ、それ」
 完の強張った表情が緩み、笑いに転じる。
 その目元には涙が滲んでいたが、泣き笑いでも笑顔は笑顔である。
 合わせて笑ったは、気配を感じて目線を向ける。
 そこに、口の端を引き攣らせた陸遜の笑みがあった。
 引き攣っていても、笑顔は笑顔、と、言い切るにはの根性はあまりに足りない。
 釣られて引き攣り笑顔を浮かべるを、陸遜の顔と見比べていた完が腰を浮かした。
「完……」
「いや、おつまみ忘れてた……」
 すーっと立ち去る完の背中を、は首を伸ばして追っていた。
 天板をコツコツ叩く音がして、それが自分を呼んでいる音だと気が付いていても、気付かぬ振りをしたかった。
 許されないと分かっていても、どうしても振り返りたくない。
、今振り返らないと、酷いですよ」
 振り返った。
 何をされるのかと怯えるの前から、コップが消える。
 あっと思う間もなく、コップの中身は陸遜に干された。
「ちょっ……!!」
 ぷは、といい声を上げる陸遜は、指先で酒の滴を拭う。
「今振り返らないと、酷いと言いました」
「コンマ何秒の誤差も許されないとか、鬼か!」
 が詰るも、陸遜は動じない。
「その言葉、もう今朝方頂戴してますから」
「鬼! 悪魔!」
 最初の一杯を奪われて、はぎゃあぎゃあ騒ぎまくる。
 完が戻ってきた。
「……お前ら、人が席を外したんだから、何か色っぽいこととかしてろよ」
 呆れながら炬燵に入り直した完は、鞄の中から乾き物の袋を取り出す。
「おつまみ取りに行ったんじゃないのかよ!」
「いや、勝手知ったる他人の家とは言えなー、さすがに勝手に漁れないしなー」
「人んちの和は乱してんじゃん! 乱しまくってんじゃん!」
「いえ、乱してるのはですから」
 陸遜の冷たい言葉に、は天板に倒れ伏す。
 聞きたくないな、と考えていた。
 聞かなければならないのも、分かっていた。

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