完と差し向かいで呑む。
一升瓶からコップに直接注いでいる辺り、趣もへったくれもないが、気取って呑むつもりもないからこれでいい。
に起きたことは、既に話し終えている。
合槌一つ打たなかった完だが、その顔は段々と険しくなり、コップを干す速度も早くなっていった。
完の顔が赤い。
相当呑んだせいだろうが、目付きが多少据わっているくらいで、意識はしっかりしているらしい。
既に落ちた陸遜とは、大違いである。
とはいえ、恐らく陸遜のそれは狸寝入りだ。
確証はないが、たぶんそうだろう。
完の話を、敢えて聞かない振りをしている。
聞かない振りをした方がいいと読んだのだ。
おもむろに完は話し始めた。
それは、完の身の上話だった。
完の両親は、完の小さい頃に離婚したそうだ。
物心ついた時には、父親の姿はなく、代わりにさくらが居た。
とはいえ、完とさくらは実の姉妹という訳ではない。
さくらは、完の母親、その妹の娘だった。
つまりは従姉妹だ。
さくらの母親は、さくらの小さい頃に死んでいる。
男手一人での育児は無理があるということで、完の母親がさくらを預かり、養育していた。
その辺のやり取りがどのようなものだったのか、完は知らない。
とにかく理解できたのは、完はさくらに逆らうことは許されず、常に見下げられる立場で居なければならないということだった。
気が付けば、そういうことになっていた。
完が手に入れたものをさくらが取り上げるのは当たり前で、取り返すなどとんでもないことだった。
さくらがそう決めたのかも分からない。
母親も親戚も、さくらの傍若無人に微笑みこそすれ、諌めることはなかった。
どころか、完を罵り蔑む言葉はよく聞かされた。
愛想がない。
可愛げがない。
子供らしくない。
あの父親によく似ている。
だから、優しくする必要はなかったらしい。
完は、その環境に抗うのを早々に止めた。
諾々と従ったところで状況が良くなることはなかったが、抗えば抗った分だけ痛い目に遭うと学習したからだ。
おとなしくやり過ごすことこそが、最善の策だった。
見得っ張りの家系だったから、表立って陰口を叩かれるような真似はしない。
あくまで身内の中だけで、内輪の冗談で済ませられる範疇でのみ、この『遣り取り』は続けられる。
助けを求めようもない。
保護者たる大人が、完の『嘘』を潰しに掛かる。
可愛く礼儀正しいさくらが、内気で地味な完を『フォロー』する。
非力な子供では対抗しようがなかった。
内気で地味な子供は内気で地味な性格に相応しく、本の世界にのめり込む。
読み手が書き手に変わるのに、そう時間は要らなかった。
さくらは、そんな完を馬鹿にしていた。
自分はネットゲームをやっている癖に、ゲーマーと同人では天と地の開きがあるらしい。
理屈は無用だ。
さくらがそう言えばそうなる。
完の周囲に限っては、それが掟だった。
微妙な変化が生じたのは、完の創作した作品にファンが付き始めた時だ。
ある日、完が帰宅すると、さくらが完のパソコンを開いていた。
ロックしてあった筈なのに、液晶はメール画面を映している。
思わず、何をしているのかと声を荒げていた。
母親が飛んできて、有無を言わさず引っ叩く。
無論、叩いたのは完の方だ。
家の中で大声を出すな、と怒鳴る。
さくらがおざなりに完を心配してみせると、母親は笑顔を見せてさくらの心根を褒め称えた。
いつもそうだった。
さくらが言った。
『凄いね、ファンレターなんかもらえるんだね』
続けて言った。
『ねぇ、このサイト、私にくれない?』
拒否した。
母親に叱り付けられたが、それでも拒否した。
即日、メールボム同様の荒らしを受けた。
数日粘って、完は今度も諦めた。
母親のヒステリックが日に日に度を増し、創作どころか生活にも支障が出るようになって、諦めざるを得なかった。
さくらはしばらくサイトを弄っていたが、すぐに飽きる。
かと言って、サイトを返してくれることはなく、サーバーは解約されていた。
新しく作ればいいと思った。
作って、秘密にしていればいい。
けれども、完の新しいサイトはすぐに見付かってしまう。
ペンネームで検索され、検索除けしていなかったサイトのリンクでバレたらしい。
笑いながらそれを告げたさくらは、再びサイトを譲渡するよう宣言した。
完に拒否権はない。
今度は、ペンネームを変えた。
作品も一から作り直し、メールアドレスも変えた。
すぐに見付かった。
懲りないね、と笑われた。
何度となく繰り返し、理由が判明した。
完の同人友達が、さくらと通じていたのだ。
パソコンのパスワード割れも、サーバーの解約も、その友人の入れ知恵だったようだ。
検索除けしていなかったサイトは、わざわざ偽装の為に作成したらしい。
道理で見付かるのが早かった訳だ。
検索に引っ掛かったのではなく、完が作った端から密告されていたのだから、当たり前だ。
嫌になった。
一人暮らしをしようとしても、母親が邪魔をする。
育ててやった恩を返せと、家事のほとんどを任されていた。
完が居なくては、家が成り立たないような有様だった。
さくらがやる筈もなし、ならば他にやる者はない。
諦めた。
もう慣れた。
完が筆を折らなかった理由は、自分でも分からないと言う。
即売会に出るようになったのは、この時期だ。
家に居たくなかっただけだが、本を作るのは思いの外楽しかった。
と知り合ったのも、この頃だ。
初めて顔を合わせた時の表情は覚えているのに、打ち解けた理由は覚えていない。
ネットカフェを主な作業場にしていた完だったが、何かの拍子でに誘われ、一人暮らしのの家で、共に修羅場を過ごすようになった。
本名すら知らない相手と話しているというのに、は屈託なく笑い、ネタを作り、膨らませて盛り上がる。
パソコンを弄らせるのに抵抗も見せず、不安を覚えてさり気なく訊ねてみれば、『別に構わない』とあっさりした返事があった。
完が悪いことをする筈がないと、何故かに断言されてしまった。
嬉しかった。
楽しかった。
欲が出た。
秘密の通帳を作り、隠れて節約、単発のバイトを繰り返し、細々と金を貯めた。
その内、の傍らに趙雲が現れ、陸遜が現れた。
さくらの目が、に向いた。
きっかけは偶然でも、途中からは意識的に向けさせた。
その隙に、完は行動を起こす。
貯めた金を使って部屋を借り、置いて行けない荷物を少しずつ運び出す。
残したくないもの、行方を追えるようなものは全て処分した。
使っていた携帯をさくらと母親に奪われたのを契機に、新しい携帯を買う。
今までの携帯は母親が管理していたから、さくらに献上して当然だと言われたからだ。
二台買い、一台を秘密の携帯として用意する。
これで準備は整った。
完は親戚宅に向かい、さくらのことを注進した。
恋人のいる男にちょっかいを出している。
その為に、些か外聞のよろしくない行動をしている。
このままでは、問題になる。
醜聞になる。
自尊心の強い一族は震え上がった。
出張に出ていたさくらの父親に連絡し、すぐに戻って娘を何とかしろとどやしつけた。
「あのおっさん、警察に『娘は少し問題がある』とか言ったんだろ? よく言うわ」
さくらは正常であり、おかしいのは完だ。
彼らはそう言い続け、完はそう言われ続けてきた。
第三者が入って、その構図は崩れた。
崩壊は更に大きく広がっていくだろう。
呆気なさ過ぎて、腹が立つ。
だが、完はこれで自由になった。
混乱が納まらぬ内に、悠々と逃げ出せる。
「……お前のこと利用したんだ。切ってくれて、全然構わんよ」
話の締めに、完が呟く。
「その態度がむかつくわ、ぼけぇ」
は一升瓶を構え、完のコップに日本酒を足す。
溢れる程に注いでやる。
慌てる完に、は吐き捨てた。
「悪いと思ってんなら、埋め合わせしろ。体で払え。愛あるご奉仕を要求する」
がば、と陸遜が起き上がった。
と完の視線を受けて、はっと我に返ったらしい陸遜は、何事もなかったかのように横になろうとする。
「「ちょ、待て」」
綺麗にハモり、思わず顔を見合わせた完とは、同時に笑い出した。