「寒くない? 大丈夫です?」
「大丈夫です。お気遣いなく」
 の差し出す毛布を受け取りながら、陸遜は微笑んだ。
 片手には、に贈られた携帯を握り締めている。
 未だ使い方すら覚えていないというのに、陸遜は携帯を置こうともしない。庭に向かって縁側に腰を下ろすと、携帯片手に器用に毛布を被っている。
「じゃあ、少しの間、ごめんね」
 はい、と快い返事を返すと、陸遜は視線を手元に落とした。
 下手に通話が繋がるとまずいということで、ボタンに触れないように、と、あらかじめ完が釘を刺している。その忠告を破るつもりはまったくなさそうなのだが、手のひらに乗せ、両手で包み込むようにして優しく撫で回し続けていた。
 機嫌良さげににこにことしている顔が、年相応に幼い。
 視線に気付いた陸遜が、ふと顔を上げる。
「……大丈夫ですよ?」
「あ、うん」
 知らず知らずに、また陸遜の顔に見入っていたらしい。陸遜には、の気遣いだと受け取られたらしいのが勿怪の幸いだ。
 曖昧に誤魔化して、家の中に引っ込む。
 縁側に通じる窓を閉めると、パソコンのある部屋に入り、ふすまを閉めた。
「おか」
 畳んだ布団の脇に出来たスペースに座り込む完が、ひょいと手を挙げる。
 盆に乗せたマグカップから、わずかに湯気が立っている。横にはティーバッグの箱とポットが並んでいた。お代わり用だろう。
 陸遜には『少しの間』と言ったが、長丁場になりそうな予感がした。
 完からと二人で話がしたいと切り出され、悩んだ挙句にこういうことになった。
 二人で話す必要性は、自身も切に感じていたところだったので、提案自体に否やはない。
 最初は、近場のファミレスにでも出向こうかと考えたのだが、陸遜一人を残しておく不安がどうしても消せなかった。陸遜から言い出したこととはいえ、この寒い中で縁側に待機してもらうという扱いの悪さに申し訳なさも極まる。
 けれど、他に良い案が浮かばなかった。
 なるべく早く切り上げようと、早速本題に入ることにした。
「とりあえず、メールフォームの話だけど。外した方が、良いと思うわ」
 の相槌も待たず、完はぱっきり言い切った。
「……酷かった?」
「酷かった」
 完の頷きは、大きく深かった。
「内容、見たいならフォルダ分けしてあるけど。今は、向こうが学校か会社かに行ってんだかで多少落ち着いてるけど、夜になったら分からんよ」
 見たくはない。
 厄介な興味本位の好奇心がない訳ではないが、完への信頼が辛うじて上回っている。
 しばし考え込んだは、おもむろにマグカップに手を伸ばすと、勢いよく喉に流し込んだ。
 温く、しかし渋い紅茶の味が、の心境に良く通じている。
「サイト、閉めようかと思う」
 突然の話にさすがの完も驚いたようで、黙り込む。
 沈黙に後押しされるように、はべらべらとまくし立てた。
「ずっと、ほとんど更新もしてなかったしね。どっかで炎上してるって、それもヤだから……やり直したくなったらやり直せばいいんだし、別にデータ消える訳じゃないし、再開したらもっかい載せればいい訳だし? 今は、だから一旦閉めて、ほとぼり冷まそうかと思ってんだよね」
 口が勝手に動く。
 熱に浮かされた譫言のように、はつらつらと『サイトを閉めるべき理由』を挙げていた。
「倉庫化でいいんじゃないか」
 呟きのような完の言葉が、の『譫言』が掻き消す。
 完の冷めた声がの熱を打ち消し、勢いで浮いていた腰が、ゆるゆると落ちた。
「……そっかな」
「うん。リンクだけ削っとけ。更新停止の案内出して、それで実質倉庫化だろ」
 それでいいのだろうか。
 それだけで、いいのだろうか。
 自分は、と言うより、相手はそれで満足するだろうか。
「言っとくけど、
 釣られるように顔を上げたの目の前に、完の顔がずいっと寄る。
「お前が悪い訳じゃない。お前が何かした訳でもない。炎上ったって、しつこいのが一人居るだけで、後の連中は軒並み私怨乙で総スルーだ。荒らしなんてのは、ホントのところがどうだって、全部お前が悪いって設定してんだから、真面目に考えたって理解できる筈がない。こっちがどんだけ客観的に詳細説明してやったって、自分悪くないあいつが悪いって喚きたてんだから、本気に取るな。無理かもしれんけど、無理でもやれ」
 ぽん、と肩を叩かれ、泣きたくなってくる。
「……とりあえず今、フォームとリンク外しと、更新停止案内、纏めてやっちまえ」
「ん」
 背中を押され、パソコンに向かう。
 電源の入ったモニターには、整理されていないアイコンが並んでいる。
 その内の一つが、メールだ。
「…………」
 アイコン化されたまま、開かれていないメーラーをじっと見る。
 見るべきか、見ざるべきか。
 完が居なかったら、うじうじしながらも開いてしまうかもしれない。
 苦笑しながら、違うアイコンをクリックし、サイトのHTMLを開く。
 メールフォームの構文を消し、リンクページを削除する。
 案内文は、悩んだが簡素に、『事情により更新停止します』とだけ載せた。
 詳しい内容は、この時点になってさえ未だ知らないという、良いのか悪いのか分からない有様だ。そもそも説明しようがない。
「これでいいかな」
「いいんじゃね」
 完の肯定を受け、データの転送を選択する。
 パソコンからカチカチという硬質な音が聞こえ、画面にはデータ転送中を示す画像が表示された。
 送ったデータがきちんと反映されているか確認する為、サイトに繋ぐと、表示されたトップページに先程打ち込んだ『更新停止』の文字が鮮明に浮かび上がる。
 更新停止を自ら宣言したのだと実感が沸き上がり、何とも言えない焦燥に駆られた。
「後、余裕あったらリンク先に一応事情説明しとけ。メールボムに遭ってるから、騒ぎに巻き込みたくないんでってだけ、言っときゃいいから」
「うん……」
 雛形を作って、挨拶だけは個々のサイトに合わせて変えるといいとの完のアドバイスに従い、はキーボードに指を踊らせる。
「何か、ごめんね」
 沈黙が重く、は考えもなく口を開いた。
「ホントは、もう少し、私が何とかするべきだよね」
「いいんじゃん、何もせんで。私も、代われるもんなら誰か代わってくれんかなぁと常々思っちょるよ」
 怪しげな方言を交えながら、完は苦笑する。
「……そだ。言うの忘れてたんだけどさ」
 完が再び名前を変えるつもりだと聞いて、の指が止まる。
「え、何で? 変えたばっかじゃなかったっけ」
 突っ込みを受けて、完は難しげに眉を顰め、腕を組む。
「カンって、音に粘着されちまってなー」
 ホームページで改名した名を上げたところ、常連から早速『完さん』宛に書き込みをもらったのだそうだ。改名転居を繰り返す完ではあったが、古くからの常連はもう慣れっこと化しており、日常茶飯事と動じることもない。
 ともあれ、粘着している『クレーマー』は、その常連の書き込みに甚く反応した。
 曰く、『完さんイコール関さんで、関羽気取りに違いない』と執拗に詰られたらしい。一部の常連組が反論するも、まったく聞く耳を持たない発狂振りで、コメント欄が荒れまくったそうだ。
 再び改名すると宣言して締めてきたのが、ちょうど昨夜の話らしい。
「コメント欄、閉じちゃえば……?」
 それこそ、のサイトのメールフォームと同じではないか。
 完のサイトは、そのコメント欄以外の連絡手段はない。そこを絶ってしまえば、連絡のしようがない筈だ。
「それすっと、今度メルアドに爆撃食らうからねぇ。コメント欄開けてる限りは、構ってもらえるせいかそっちに行くし、常連以外にも改名した理由とか移転理由とか説明しないで済むしね」
 IPを露呈させるタイプのものを使ってみたり、メールアドレスを変えてみたりと色々はしてきたのだそうだ。
 だが、ある程度自衛手段を尽くした辺りであることが起こり、完は抵抗することに疲れてしまった。
「初めてメルアド変えてみた時にさ、それでも同じIPアドレスの奴から罵詈雑言メール届いてさ。……それって、私の周りか周りと繋がってる中に『奴』が居るってことじゃん。それ分かってから、何か、どうにも疲れちゃってねー」
 完全防衛を諦め、適当に弄る方向にシフトして現在に至る、ということだった。
 手を変え形を変えて粘着されるのは初めてではないが、今相手にしているのは本当にしつこいらしい。
 にとっては、初耳の話ばかりである。
 粘着されているという話を聞いたことはあったが、今のサイトにはあまり通っていない。リア友だけに、チャットや携帯メールでやり取りするのが主だったから、そんなことになっているとは思いもよらなかった。
「……ごめん」
 が頭を下げると、その頭を叩かれ力一杯撫で回される。
「あだだだだだだだ!」
 悲鳴を上げると同時に、完の手を払い退ける。
 顔を上げると、完は晴れやかに笑っていた。
「お前がやった訳じゃないのに、何で謝る」
「……いや……だって、そんな時に、私のことでも負担掛けて……」
 姿なき誹謗者に付き纏われている時に、別件で同じような誹謗者に関わらなければならないとは、あまりに皮肉だ。など、考えるだけで気が塞いでしまいそうだった。
「いや、お前には悪いけど、ヒトに向いてる悪意なんざ割に屁の河童」
 悪意のベクトルが自分に向いているのでなければ、案外気は楽なものなのだそうだ。
「人の友達に何さらすんじゃってな、正義感も湧くしねー」
 見た感じだけかもしれないが、完の表情は穏やかで、口元は緩んでさえいる。
 ハンドルネームやホームページのアドレスには、確かに元から拘りはなかったようだが、それでも長い期間、見知らぬ赤の他人に粘着される苦労は想像を絶した。
 完は、強い人だ。
「……そんなもんか……」
「そんなもんさ」
 おざなりなの呟きにさえ、力強い肯定がされる。
 本気でそう思っている、または、そう思おうとしているのだろうと思った。
「でもさ」
 余計な御世話かもしれなかったが、言わずには居られない。
「でも、何か吐き出したかったら、その時は言ってね。聞くしか出来ないかもしれないけど、それでも良ければ、言ってね」
 完は、意表を突かれたように目を丸くする。
 けれど、次の瞬間、柔らかく微笑んだ。
「……ん、ありがと」
 やや照れを含んだ完の顔に、もくすぐったいものを感じながら頷いた。
「話変わるけど、陸遜さ」
 唐突に変わる話題に、は首を傾げる。
「陸遜? そう言えば、何か怒ってたみたいだけど。喧嘩でもしたの?」
 の疑問に、完の顔がへらっと緩む。
「……いやぁ、それがさぁ」
 始めは普通に会話をしていたのだが、ネットの粘着者に対し陸遜が『を守る』と言い出した辺りから、話がこじれたと言う。
 事が事だけに、陸遜に出来ることなど何もないのだが、(完曰く)四苦八苦しながら説明をしている内に、面白くなってしまったのだとか。
「……面白くなったって、何が」
「いや、陸遜怒らすのが。アレ、割に取り澄ましてるじゃん。でも、突くと意外に脆く本性晒すのな。で、面白くなっちゃって、弄り過ぎた」
 あはは、と笑う完に、は呆れ返っていた。
 そんな悪趣味だったとは、ついぞ知らなかったのだ。
「イヤ、イヤ、陸遜だけだよ。私だって、こんな調子に乗る程弄って楽しい相手なんて、お前くらいだもん」
「私も入るのかよ」
 おぅいと突っ込む。
 けれども、『素の陸遜がイイ』という意見には、はばかりながら同意せざるを得ない。
「……笑った顔、可愛いよね」
「あ、さっき携帯貰ってた時のな! アレ、可愛かったねぇ、久々に生で萌えた! つか、生でいいんかな? 生っちゃ生だけど」
 腐女子同士の萌え話は、声のトーンは下げつつ、会話のトーンは最高潮に萌え上がる。
 陸遜がくしゃみをしていないことを、祈るばかりだった。

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