力で示す愛など、認められない。
力でしか示せない愛があるのも、事実なのだが。
馬超がの屋敷に乗り付けると、警備の兵が馬超の行く手を遮った。
「どけ」
唸るような低い声は、猛悪な獣を思わせて他者を圧倒する。隊長格の男が進み出て、馬超に静止を希う。だが、馬超は一睨みで一蹴すると、なお門内に馬を進めようとした。
「お、お待ち下さい!」
か細くも必死な響きの声に、一同がしんと静まり返る。
「あの、あの、とりあえず中に、あの、どうぞ、ご案内いたしますから」
春花だ。がたがたと震えながら、馬上の馬超を見上げている。
少し、熱が冷めた。
冷めてみると、いつもよりしょんぼりとした春花の様子にも気がつくことが出来た。
「どうかしたのか」
先立って馬超を案内していた春花が振り返り、またしょんぼりと俯く。
「……さまが、出てきて下さらないんです」
私ではどうしようもなくて、将軍様でしたら何とかしていただけるのではないかと思って。
馬超は、口元を引き締めた。
何だ。何があった。
まだ会う前から、馬超の胸騒ぎは止まらなかった。
の部屋の前に立つと、春花は下がらせた。不安げに馬超を見上げていた春花だったが、お茶を用意しておきますから、何かあったらお申し付け下さいと言って下がっていった。
春花の気配が完全に消えてから、馬超は改めての室に向き直った。
「」
声をかける。返答はない。再度声をかける。
「」
やはり、返答はない。
だが、気配があった。微かに足音が聞こえる。よろめいているような、力のない足音だ。
何があった。
馬超は己の焦りを必死に押し隠し、再度呼びかけた。
「、俺だ。開けてくれ」
扉の前に、がいる。だが、扉を開ける気配はない。
「……開けねば、押し破る。開けろ、」
返答はない。
馬超は、数歩下がった。廊下の端ぎりぎりに構えると、槍を扉に向け、意識を集中させる。
きぃ。
かすれた音を立てて、扉が開いた。が立っていた。苦く笑っている。
「子供」
泣きそうな声は、馬超の抱擁ですぐに塞がれた。
の体に残された『異変』は、あまりにも大胆に、ごく当たり前にそこにあった。
首筋から鎖骨の上にまで散った赤いあざは、おそらく掻き合わされた寝着に隠された部分にも残されているのだろう。
「……子龍か」
煮える油のような嫉妬が胸を焦がす。
だが、は困惑したように首を振った。
違うと言うならば、相手は誰なのか。まさか。
「……孫策か。あの、男なのか」
が馬超の顔を見上げ、俯く。乾いた笑いが零れたが、すぐに消えた。
「何だかね」
ぽつりと呟くと、ゆるゆると首を振る。
「ホントに、何がいいんだかね」
馬超の理性の箍が、弾けて飛んだ。
そこから先は、馬超もよく覚えていない。
ただ、隣室の牀に引き摺り込んで、の寝着を左右に割った。高い音と共に白絹が裂け、白い肌に幾つも残った赤い痕が、馬超の悋気を煽りに煽る。
むしゃぶりついて、歯を立てると、背が弓形に反って悲鳴を上げた。
うるさい、と平手で叩くと、の顔は敷布に沈み黒い髪がぱっと散った。
膝を割って股間を晒すと、甘いような生臭いような匂いが馬超の鼻をくすぐった。
朝から出てこないというから、情交の跡もそのままなのだろう。
カッとして、指を突き込むと、再び悲鳴が上がる。うるさい。平手。乾いた音がする。
の腹の上で、水が撥ねた。それが馬超自身の涙だと、馬超は気がついていない。
己の分身を下帯から引き摺り出し、の入口に押し当てる。
は抵抗しない。抵抗する気力を失っているのかもしれない。
入れようと、馬超がもがく。だが、力なく項垂れたままの肉棒は、乾いた入口には受け入れられずにいた。
己の手で扱き、何とか勃てようとするのだが、焦れば焦るほど項垂れたものは力を失い、縮こまっていく。
「くそ……」
吐き捨てるような声は、やり場のない憤りに満ちていた。
「くそ!」
の胸に顔を埋め、馬超はひたすらに己を押し込めた。
ぬるりとした何かが鼻に触れ、ようやく馬超は常の視界を取り戻した。
「……あ」
被ったままの兜がの柔肌を傷つけ、血を流させていた。
振り仰げば、が悲しげに馬超を見ていた。唇が切れて、やはり血が滴っている。切り口は青く、痛々しいあざになっていた。
「」
愕然として、馬超は己の所業に打ち震える。
の両腕が、馬超の頭を掻き抱いた。
「ごめんね」
何を謝ることがあろうか。
傷つけたのは、馬超の方なのだ。が謝る必要などない。
「ごめんね」
ぱたぱたと、涙が零れ落ちてくる。緩く身を起こし、馬超の体をしっかと抱き締めるに、馬超は声もなく泣き、両の腕に力を篭めて抱き返した。
の両の頬が腫れて、おたふくのようになったのはそれからしばらくのことだ。
散々泣いたので、瞼も腫れている。
馬超の目から見ても、百年の恋も冷めるような体たらくだ。原因の半分は、少なくとも馬超なのだが。
「何で孟起は腫れないの。私より結構泣いてたのに」
むーっと膨れている。
正気に返れば辺りは酷い有様で、春花を呼ぶに呼べない。頬を冷やす水さえ運べないので、は腫れた頬に手を当てて、気持ちだけでもと冷やしていた。
「……痛むか」
恐る恐る馬超が覗き込むが、は顔を見られるのを嫌ってそっぽを向く。
寝着もずたずたで、敷布を被っているような具合だ。動くと肩から布が外れ、白い肌がちらりと覗く。
馬超は慌てて視線を外す。さっきまでぴくりともしていなかった愚息が、今更ながらに力を得ているのが腹立たしい。
「……俺が、水をもらってこよう」
いいよ、とは言うが、一緒にいると情けなさと申し訳なさが馬超を責め立てる。
立ち上がって扉を開けると、春花が茶器を携え立っていた。
春花は、ちょうどよく開いた扉に驚き、馬超に向かって微笑み、中を覗いて青褪めた。
馬超が反射的に口を塞がなければ、春花の悲鳴が四五軒先にまで轟いたことだろう。
今度は春花がぐしぐしと泣いている。
「あんまりです」
の着替えを運び、傷の手当てをし、腫れた頬と目を濡れた布で押さえながら、ずっと同じ言葉を繰り返していた。
「あんまりです」
馬超は居心地悪そうに室の隅に立っており、は何と言って春花を慰めたものかと悩んでいた。
「あんまりです、さまがお可哀想です、男の人って、何て勝手なんですか」
いやそれは、とが遮ろうとすると、春花はきっとを睨みつけ、ぼろぼろと大粒の涙を零した。
「さまもさまです、何で怒らないんですか、怒るべきです」
後はあんまりですを繰り返し、ぐしぐしと泣いている。
困って馬超に目を向けるが、馬超は春花の言うところの『勝手な男の人』の代表格で、馬超の方こそ何とかして欲しかった。
「……あんまり泣くと、目が溶けちゃうよー」
がおざなりに声を掛けつつ春花の頭を撫でると、春花は怒ったように顔をくしゃくしゃにして、何か言いかけたが声が詰まって何も言えず……結局想いを示すために、体ごと飛びついてきた。
馬超の兜がつけた傷が痛んだが、は我慢して春花を受け止める。
「お茶、淹れ直してくれる? 熱いのが飲みたい。そのまま温めてくれればいいから」
しばらく春花の髪を撫でていたが、がそっと声をかけると、春花は涙に濡れた瞳を上げて立ち上がった。
春花は馬超とを見比べ、不安そうに逡巡していたが、こくりと頷き冷めた茶器と一緒に出て行った。
沈黙が落ちた。
「わ……悪かった、な……」
ごにょごにょと口篭る馬超に、は苦笑いを返した。
「いいよ、私も、泣いてすっきりしたし……つか、原因私だしねー」
馬超の元によろよろと歩み寄るを、馬超は抱き締めた。
は馬超を抱き返し、その胸元に顔を埋めた。
「鎧で冷やせば良かったねー」
冷たいのが気持ちいいらしく、はじっとしていた。
馬超がの髪をすく。汗と脂でやや重くなった髪は、馬超の指に絡みつくようでぞくぞくとした。
「……私、昨日、子龍に決めようって思ったんだよ」
馬超の指が一瞬止まり、また髪をすく。
「白風……孫策のことね。孫策が来て、そういうことになって。私、ちゃんと抵抗できなくて。初めてだって分かったら、やめてくれたのね。でも、私が騒いだから、警備の人が来ちゃって。……そしたら」
趙雲がいた。そう告げると、馬超の指がぴたりと止まった。
「何だ、それは」
じわりと怒りが滲む馬超の口調に、は顔を上げて笑いかける。怒らないで、と言われているようで、馬超は眉根を寄せるに留めた。
「……わかんないけどね。子龍には、子龍なりの考え方が……あるんだと、思うけどさ……」
分かんなくなっちゃったよ、と苦く笑うを、馬超は抱き締めた。
「俺を選べ」
「……だから……選ぶとか、そういうんじゃなくて」
「黙れ、いいから俺を選べ」
馬超の腕は力強くを抱き締め、の揺れる気持ちをしっかりと支えようとしているかのようだった。
「選ぶ権利なんか、私にあるのかな……」
程度の女は、蜀でも呉でも、ごろごろしているはずだ。何でまた、こんな逆ハーレムみたいなことになるのか、には理解できない。しかも、三者が三者とも中原で名を馳せる
武将なのだ。女など選り取り見取り、あちらから引きも切らないはずだ。
「……本当に、どうしようもなく馬鹿な女だな……」
手ばかり掛かる、理屈ばかりで頭が悪いと悪口雑言を並べ立てるので、がむっとして睨むと、馬超が思いがけず優しく笑う。
「……あのさぁ、孟起。自覚ないかもしれないけど、あんた、結構かっこいいんだよ。女にだって、絶対もてるんだよ」
「そうか、では、お前ももう少し有難がれ」
馬超は顔を下げかけて、の唇の傷に目を顰めた。の、ようやく腫れの引き始めた頬を包み、額を合わせる。
「……時間をやる。お前が、選べ。俺はお前が好きだ」
誰を選ぼうと、お前が好きだ。
自分を甘やかすだけの都合のいい言葉を、何故馬超は言ってくれるのだろうか。
「お前が、馬鹿だからだ」
だから諦めきれない、いい加減に分かれと馬超は笑う。
「……キスしてもいい?」
きす、と馬超が呟き、ああ、と笑う。
唇を触れさせるだけの口付けは、ひたすらに甘かった。
「また、腫れたか?」
馬超の手が、を鎧に押し付ける。
「冷やしておけ」
鎧はもう温くなっていたが、は黙って馬超に抱かれていた。
その胸の奥底で、馬超が決意していることにも気付けないでいた。