死んで蘇って人生やり直す。
 そこまでしなくていいこともある。



「なんか仕事下さい」
 開口一番がそれだったもので、諸葛亮は一瞬言葉を失った。
 顔に痣や膏薬をつけたの顔が痛々しい。勢い込んで唇をひん曲げているものだから、傷口が横に伸びて更に痛々しさを増していた。
 突然面会を求めてきたと思ったら、用件はこれだった。
 には、劉備から客人として蜀に迎えるよう指示が下りているので、何をせずとも生涯気楽に生きていけるはずなのだ。欲しいものがあればすぐに送り届けるようになっている。
 欲しいのが仕事となると、さて何としたものか。
 めまぐるしく思考に耽る諸葛亮の顔は、一見すると呆れて物が言えないようにしか見えない。
 も諸葛亮の見せ掛けの表情を見抜けず、顔を赤くした。
「いや、もう、色々考えたんですけど、まず何か仕事するのが一番かなぁと思って」
 恐らく昨日の死合いに影響されたものだと思うが、如何いう思考の末にその答えを得たのか、実に興味深いものだった。
「とにかく、しばらくはもう無料でもいいんで、何か! 何かお仕事下さい!」
 気合が入っている。
 諸葛亮は、手元の竹簡をくるくると回し、封をすると、の手にぽんと乗せた。
「趙将軍の所に持って行って下さい」
 ぽかんとした顔をするだったが、一転、嬉しそうな顔をして、勢い良く『はい』と叫ぶと駆け出していった。
 後姿を見送ることもなく、諸葛亮は新しい竹簡に手を伸ばした。竹簡の中身を見終わったところで、新しい竹簡を広げ、返事を書きつけていく。その手が、不意にぴたりと止まった。
『しかし、なかなか思い切ったことをなさる』
 よりにもよって己のところに駆け込んでくるとは。それがどれだけ己の身を危うくするのか分かっていないのか、それとも絶大の信頼を寄せているのか、どちらかだろうか。
 どちらにしても愚かなことである。
 をどのように使うか、諸葛亮は密かに考え始めていた。口元に淡く微笑が浮かぶ様は、悪戯を企む子供のように無邪気だった。

 突然の面会で、突然求職するのはやはりまずかったろうか。
 はそんなことを考えながら、趙雲の執務室を求めて城内をうろうろしていた。何となくは分かっているのだが、やはり薄暗いこともあって心もとない。以前勤めていた社内のように、ある程度標識のようなものがあれば別だが、さすがにそんな物はなかった。
 仕方なく、恥をかくのを覚悟で道々出会う人に道順を確認する。
 諸葛亮がもし使ってくれるとしたら、城内の作りくらいはすぐに分かるようにしておかないといけないだろう。城内勤めになるとは限らないが、は持ち前の我慢強さで何とか克服していこうと決意していた。
 趙雲の執務室を見つけると、衛兵がを認め、声を掛けてくれた。
 諸葛亮からの用事で、と言うと、少し驚いたようだったが、一人が趙雲に伺いを立てに行ってくれた。
 少し面映い感じだったが、仕事を持つことで少しでも自分の自信に繋がればいい。
 はすぐに扉の中へと招かれた。

 趙雲が俯いたまま筆を滑らせているのが見えた。
 今日初めて見る文官と思しき男が、に拱手の礼を取る。は慌てて礼を返した。
「諸葛亮様から、こちらを預かってまいりました」
 が緊張しながら竹簡を差し出すと、文官は恭しく頭を下げ、次いで趙雲に頭を下げて竹簡を広げた。中身を一通り見て、封をし直し、他の竹簡が乗っている棚に分別している。黒い盆が幾つかあり、竹簡が分けて置かれているので、恐らく用件の内容や重要度などで分けているのだろう。
 ふんふんと納得していると、趙雲が顔を上げて人払いを命じた。
 え、と思う間もなく文官は退室してしまい、後にはと趙雲のみが残された。
 趙雲は、大きな卓の上に乗った文箱や竹簡を横の棚に移し変えると、当たり前のようにを抱き上げて椅子に掛けなおした。
 執務室の椅子で、趙雲の膝に横抱きされている。
 おかしなシチュエーションに、はおろおろと辺りを見回した。物音一つしない。静かだ。の髪が揺れて音を立てているのが分かるくらいだ。
「……あの、子龍、私、仕事で……」
 ごにょごにょ言いながら趙雲の膝から降りようとするを、趙雲は何の気なしに引き摺り戻した。
「ちょ」
「趙将軍、だろう」
 仕事で来たというなら、役職名をつけて呼ぶのが通常だと言われ、は顔を赤くしながら頷いた。
「じゃあ、諸葛亮様、じゃなくて諸葛丞相から、って言った方がいい?」
 丞相は一人しかいないから姓をつける必要はない。
 趙雲の物言いは、ごく簡素だ。は、そっか、と頷き、小さく口の中で繰り返した。
「……何故、このようなことを?」
 『このようなこと』が何を指すのか一瞬分からなくて、は趙雲の顔を凝視した。
 の視線を受けた趙雲が、僅かに眉を顰めて赤面する。珍しい。
「……仕事のこと?」
 ようやく思い当たって訊くと、趙雲が黙って頷く。
「うーん……昨日さ……あの二人がやりあっているの見て、あー私、今何にも力ないなって思って。ただ蜀の人たちの好意に甘えて、のんべんだらりとやってるだけじゃない? せめて、何かこうさ、やれることをやって、居場所を作りたいなって、そう思って」
 必要とされたいのだ。ここで、がいて良かった、がいてくれないと困るという確固とした立場を築きたかった。
「私では駄目なのか」
 思いがけない趙雲の言葉に、は言葉を失った。
「私には、が必要だ。それでは駄目なのか」
 趙雲が突然、の体を空いた卓の上に投げ出した。まさかこの為に片付けたとも考えにくいが、綺麗に片された卓の上では、が取っ掛かりを求めても何もない。
 趙雲の体が覆い被さってくる。
 常の約束のように耳を嬲られ、ふっと息を吹きかけられると、背筋にぞわっとした感覚が広がった。
「ちょっと、ちょっと待って待って!」
 神聖な職場で、何ということをするのか。AVじゃねぇんだから、とが吠えるも、趙雲がAVの意味を知るわけもなく、結果無視された。
「ん、や……」
 声が漏れる。と、趙雲が体を起こし、との間に僅かな隙間を作った。その隙間目掛けて、冷たい空気がどっと溢れて飛び込んできた。体が冷やされ、少し冷静さを取り戻せた。
「……何すんの、もうー……」
 涙目になっているのが自分でも分かった。
 趙雲は、の様子に苦笑いして、薄く膜の張った唇の傷をそっと舐め上げた。の体がぴくりと強張る。身を緩く捻る様が、どれだけ淫猥なのかは自覚してはおるまい。
「何を言う、こんなことは日常茶飯事になるかもしれないのだぞ」
「こんなことするの、子龍だけですー!」
 ぶすっと膨れるに、趙雲はくつくつと笑った。
「馬超は?」
 途端、がうっと唸って押し黙る。孫策殿は、と重ねて言われて、は完全に口を噤んだ。
「どうして自分が好かれるかも分かっていないくせに、あちこちの男のところに出向くつもりか。いい度胸だ」
 趙雲の物言いでは、からかっているのか本気で心配しているのか判断がつかない。加えて、卓の上に押し倒されていると言う状況が、を落ち着かせてくれなかった。
 やっぱりやらしいのかもしれない。
 ふと、そんなことを考えてしまう。扉の外には衛兵がいて、光射す明るい室内でこんな風に押し倒されて、少なからず興奮している自分が情けない。
「でも」
 振り払うように、趙雲の目を見上げる。
「趙雲がいなくなっちゃったら、私、居場所がなくなっちゃう」
 死ぬ、ということではなく、例えば趙雲が心変わりをしたら、が何処かに置き去りにされることがあったら、考えられるケースは星の数ほどありそうだ。
「私、絶対なんて言葉は信じられない。人の気持ちなんてなおさらそうだと思う」
 趙雲が怒ったような顔をした。
は、私の気持ちを疑っているのか」
 趙雲が心を言葉にしてくれたのはつい先日のことだ。
 そうじゃない、そうじゃなくて、ただ安心したいのだ。己の現状が永劫に続くのだとひたむきに盲信できるほど、は幼くない。
「理解してとは言わない、けど、了承はして」
 お願いだから、と言うと、趙雲は再びの体に覆い被さった。今度は完全に力を抜いているらしく、体重をもろに掛けられて苦しくなった。
「……お前を、閉じ込めてしまいたい」
 縄で縛って首輪をして、誰の目にも触れさせないようにしてしまいたい。
 苦しげな告白に、はぎょっとした。趙雲の告白は続く。
 優しくしてやろうと思っても、すぐに惨くしてしまいたくなる。身も心もずたずたにして傷つけて、何もかも忘れて自分だけを見るようにしてしまいたい。怯えさせたくないけれど、自分の足音だけで失禁するほど恐怖させてしまいたくなる。人形のようにぼろぼろにしてしまいたい。
 何時の間にか趙雲の両腕がの背に周り、抱きすくめていた。趙雲はの胸に顔を埋め、浅く呼吸を繰り返していた。
 その体が、震えている。
 趙雲を選びかねる理由が分かった。その情が、あまりに激しすぎるのだ。
 全身肝という謂れは伊達ではない。
 のような愚鈍な、それでいて神経質な女が、趙雲の激情を受け止めきるのは心もとないのだ。
 きっと、気がつくべきところで気がつかず、気がつくべきでないところで気がついてしまう。無意識に予想がついて、逃げていたのかもしれない。
 趙雲は、激情の末に愛する相手を滅ぼしてしまう男だ。
 だが、だからこそを惹きつけ、逃げ出すことを許さない。
 趙雲のこめかみに指を這わせると、趙雲が僅かに顔を上げた。
 自分から口付けるのは、何度目だろう。
 思い出そうとしたのだが叶わなかった。頭の中に既に熱が篭り始めていたので。

 馬超が突然来訪し、不躾に趙雲の卓の前まで歩み寄った。
 趙雲は涼しげな顔で竹簡に目を伏せている。
「……昨日は、来なかったようだな」
 趙雲の返答はない。馬超もまた、おざなりな返答など期待してなかった。
「奴は、相当遣るぞ」
「そのようだな」
 相変わらず竹簡を見たまま、趙雲は言葉を続けた。
「小覇王の異名は噂だけのものではないと言うことだろう。それにしても、よくあのようなことを思い切ったな」
 馬超は、口をへの字にして口篭った。
に、会ったか」
「会った。あれは、お前の所業か」
 馬超は無言で肯定する。酷いことをしたと、自覚もあった。
「気にするな」
 趙雲は、本当に気にした様子もなく簡単に馬超を慰めた。馬超の癪に障ったようで、歯軋りの低い音が趙雲の耳に届いた。趙雲はしごく冷静に、竹簡を降ろして馬超に向き直った。
「私なら、きっともっと惨い目にあわせている。あの程度なら、まだ優しいものだ」
 馬超は、ぎょっとして趙雲を見つめた。視線が合うのを嫌ってか、趙雲はすぐ顔を伏せた。
 険しい目で趙雲を見ていた馬超だったが、これだけは言っておかねば、というように重々しく口を開いた。
「……とにかく、を呉にやることだけは」
「ああ、防がねばならんな……一時、休戦と言うことか」
 休戦も何も、お前は俺と同じ場には決して来ぬではないか、と馬超が揶揄すると、趙雲は愉快そうに笑った。
「では、今度私と一手交えるか」
「望むところよ。……今度、を連れ出しても構わぬか」
 馬超の申し出に、趙雲が不思議そうに顔を向けると、馬超は顔を少し赤らめて目を逸らした。
「……お前がに遣したあの娘、俺を間夫扱いするのだぞ。先日の一件で、また一段と俺を見る目が険しい。やり難くて仕方ないわ」
「馬岱殿のことは、大層見栄えのよい殿方と褒めていたのだがな。どうやら、人を見る目は確からしい」
 ぬかせ、と馬超は悪態を吐いて、ふっと肩の力を抜いた。
「どうした」
「……いや……何でもない」
 薄く笑んだ顔は、趙雲から見ても惚れ惚れとするほど男らしく、好ましかった。
「ではな。邪魔をした」
「ああ、いや」
 馬超が去ると、趙雲は竹簡を置いて卓の下を覗き込んだ。
 が、小さくうずくまっている。顔が、見事に赤い。
「大丈夫か」
「……大丈夫っていうか……仕舞ってよ……」
 卓の下から、がっくりと力なく這いずり出てきたに、趙雲は首を傾げた。
 は、首傾げてんじゃねぇと凄む。顔が赤いので迫力はなかった。
「もう、孟起がいる間ずっと真ん前にあったんだよ? 足が邪魔で身動き取れないし、どうしようかと思ったよ!」
 小声で怒鳴るに、趙雲は薄く笑った。
「……咥えていれば見えなかったろう」
 が絶句するのを、趙雲はくつくつと笑いながら見つめた。
「続き」
 甘えるように強請る趙雲に、はじと目で険しい視線を送る。趙雲はまったく動じない。
 やがて諦めたが、膝をついた。顔を伏せるの髪を、悪戯するように撫でる。温かい口中に冷えかけた肉棒が包まれる。どうしようもなく、甘く息が漏れた。
「今度、馬超にもしてやるといい」
 誤魔化すように囁くと、は口に含んだまま、上目遣いに趙雲を睨む。
 その顔がまた卑猥で可愛らしく、趙雲はまた甘い溜息を吐いた。

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