馬鹿だっていうことは分かっている。
 開き直って生きていくわけです。



 足元が覚束ないまま、廊下を行く。
 別に何をされたわけでもない、逆にこちらが奉仕させられたわけで、何でこんなに体が熱いのか理解できなかった。
 頬からして赤くなっているのが分かる。
 両手を頬に当てると、手の平に熱が移って、ほんのりと温かくなった。
 前の時も思ったが、ああいうのは飲んでしまって良いものだろうか。性病がうつるとも聞くし、あまり衛生的ではないだろう。
 しかも、今日は二人分も飲んでしまった。相手を違えての二人分である。風俗嬢でもあるまいし、胸焼けがするような気もする。
 耳元に、不意に二人の嬌声が蘇った。
 いつもはこちらが煽られていたり、無我夢中だったりであまり気がついていなかったのだが、男の喘ぎ声がこんなに耳に心地よいものだとは思わなかったのだ。あの二人が特別なのかもしれないが。
 ひょっとして、私攻めかもしれない!
 攻めの台詞ではないが、『もっと啼かしてやりてぇ』と思ってしまうのである。
 うーん、攻めでないならサドとか。でも、別に鞭とかローソクとかは興味ないんだよね。
 ただ、イイ声で啼かせてやりたい。考えるだけでぞくぞくしてくる。
 ひー、サドだー!
 自分の隠れた性癖を発見して、は馬鹿笑いしたいような壁に向かって反省したいような、とにかく落ち着かない気持ちになった。
 怪しいことこの上ない。
 百面相しているのが分かったので、さっさと屋敷に戻ろうと思った。
 諸葛亮の言葉では、しばらく屋敷に待機していろということだし、最後の休暇をゆっくり家で過ごすのも悪くない。出来れば春花を連れて、あの美味しいご飯の店にもう一度行っておきたかった。
 どんな仕事を紹介されるのか分からないから、心構えもしようがないが、例え何処かの清掃係だとしても、誠心誠意で勤め上げようと思った。
 視界が横にすべった。
 突然のことでそうとしか思えなかったのだが、実際は廊下の途中で引っ張り込まれたのである。
 暗闇の中、無理やり唇を合わせられ、舌が滑り込んでくるのを防げなかった。もがくが、手首を掴まれねじ上げられる。首を捻って唇を引き剥がそうとするのだが、器用にもこちらの動きに併せて追ってくるので、ずれることはあっても重なったままだった。
 どれくらい口付けられていたろうか。
 ようやく開放されて、息を吐く。
「……何か、生臭くね?」
 何食ったんだよ、という声で、ようやく相手が孫策だと分かった。
 相手が判明したからといって、落ち着けるものではない。相手の手が、自分の体をまさぐっているともなればなおさらだ。
「ちょっ……ちょっと、何して……」
 孫策が、悪戯っぽく笑う。顔が近くて、圧倒されてしまう。
「……触られると、気持ち良くね?」
 こうして、と尻や胸を柔らかく揉まれ、体が跳ね上がる。声を耐えたのは奇跡に近い。
 は、ここだよな、と独り言を呟きながら、孫策はの耳朶に指を這わせる。逃げても、腕の中に抱きすくめられて逃げられないようにされてしまう。
 んー、と唇を噛み締め嬌声を堪え、孫策の体を懸命に押しやる。
「んぁ?」
 孫策が手の動きを止め、の体を横抱きにして窓の側に向かう。日は既に落ち、煌々と明るい月明かりが辺りを照らしていた。
 改めて、孫策はに向き直った。その顔が、みるみる強張る。
「何だよ、お前。誰にやられた!」
 一瞬何のことだと考えて、まだ顔に痣や傷が残っていることを思い出す。うっかりにも程があった。
「誰だ。誰にやられた。俺がぶっ殺してやる」
 唸るように吐き捨てる言葉は、表情と声に似合って酷く凶暴だった。慌てたのはだ。
「ち、ちが……違うってちょっと、落ち着こうよ!」
「何が違うってんだ、お前こそ、何で落ち着いてんだよ!」
 噛み付かんばかりの勢いに、はうろたえるばかりだ。どう説明したものか。
「……いい、趙雲に聞いてきてやる」
 うわぉ。
 は頓狂な声を上げ、今にも駆け出してしまいそうな孫策に飛びついた。
「だ、だからちょっと待ってって!」
「待てるか、離せ!」
 非常手段。
 頭の中で赤くアラームが鳴り響く。仕方ない、と覚悟した。
「……っ!」
 の唇が孫策の唇のすぐ横に押し付けられ、孫策が驚いている間に誤った目測のズレを修正して重なり合った。
 唇は割合すぐに離れたが、孫策はぽかんとしてを見下ろした。
「おま……今の……」
 信じられない、というように、指で唇をなぞる。その仕草が羞恥を煽り、は顔を赤くしてそっぽを向いた。
「……あー……少しは、落ち着いた?」
 孫策は腕組みして考えている。
 おいおい、考えるようなことかよ、と突っ込みたくなった。
 ふいっと孫策がを見つめ、やはり眉が顰められる。慌てて二の腕の辺りを掴むが、孫策が駆け出すことはなかった。
「……誰がやったんだよ」
 不貞腐れている。言っていいものか悩み、孫策の視線の険しさに負けた。
「……孟起。昨日、白風が相手した……って、ごらぁ!」
 名前を出した途端、猛然と駆け出そうとするのでしがみついて留める。
 何と言う鶏頭なのか。鶏は三歩歩けば物を忘れるというが、歩いてもいないので鶏以下だ。
「離せ、あいつぶっ飛ばしてやる!」
 がるる、と本当に唸り声を上げているので、頭が痛い。
「何言ってんの……原因は白風でしょうが」
 馬超がを叩いたのは、やるせなさ故の衝動だった。はそう思ったし、馬超も反省している。とっくに終わった話で、今更孫策がしゃしゃり出てくるようなことではないのだ。
「第一、昨日のどつきあいはコレの後の話だからね。とっくに遣り合ってるじゃん」
 痣があると思しき場所を指差しながら言うと、孫策は踏ん反り返って言い返してくる。
「そんなんなってるって分かってたら、ちゃんと本気でやってぶちのめしてたぜ」
 あんなの、俺の本気の半分だぜー、と嘯く。馬超が聞いたら『俺は十分の一も実力を発揮しておらん』と騒ぎそうだ。
 ある意味、この二人は似たもの同士なのだ。性格こそ違うが、国の跡継ぎという生まれ、思い込んだら命がけなところ、武力に己のすべてを託しているところ……本当に似ているところが多い。言葉にすれば怒りだしそうだったので、言わなかった。
「何だかな。つか、私、昨日見に行ってたんだよ。気がつかなかったくせに」
 あん、と虚を突かれた孫策が目を丸くする。
「何だ、来てたのかよ……全然気がつかなかったぜ」
 俺、かっこ良かったろ? と胸を張る。
 何と言うマイペースなのだ。それでいて憎めない。孫策を慕う人間が多いのも頷ける。
 溜息が出た。
「……じゃあ、私帰るから」
「何処へ」
 間髪入れず孫策が問うてくる。呆れて振り返ると、孫策が本気で訊いてきているのが分かり、更に呆れさせられた。
「屋敷に決まってんでしょうがよ」
 手をぶらぶら振りながら、室を出ようとすると後ろから引っ張られた。
「ここにいろよ」
「何でだよ」
 今度は、が間髪入れずに問い返す。漫才のようだ。
「……そしたら、夜うなされても、俺がついててやれるだろ」
 な、と笑いかけられる。この時点ではまったく下心が感じられないから、この男は性質が悪いというのだ。
「……あのさ。あれね、治っちゃったみたいよ」
 へ、と孫策が間抜けな声を出す。
 治ったかどうかは確証がない。だが、昨日は久方振りに夢を見ず、朝までぐっすり眠ることが出来た。
 馬超の槍の穂先がきらめくのを、恐ろしいとは思わなかった。
 たぶん、もうあの夢を見なくなるだろう……見ても、おそらく時々になり、回数も減り、いつかは記憶に埋没していくのだと思えた。
「だから、白風はもう、私の為に心配してくれなくて良いんだよ」
 ありがとうね、と頭を下げ、礼を言う。
 上げた視線の先で、孫策が複雑な顔をしているのが見えた。
 何か言おうかと思ったが、また余計なことを言ってしまいそうだった。口を噤んで、もう一度頭を下げた。背中を向けて立ち去ろうとした時、太い腕に囚われた。
「……ちょ……」
「違ぇっつってんだろ」
 いつもの軽口ではない、静かで重い声だった。この声の時の孫策は、危ないのだ。分かりやすいだけに、恐怖した。
「お前の為に心配してんじゃねぇ、俺が心配したくてしてんだ。お前馬鹿だし、よく泣くし、だから俺の手元に置いといて、俺が安心してぇんだ」
 苦しいぐらいに抱き締められて、耳元で切々とした告白をされる。
 眩暈がしそうだ。
「俺と来い、。お前が自分で行くって言ってくれれば、俺もすげぇ嬉しい。でも、もしお前が行かねぇって言うんなら、俺はお前を力尽くで連れてく」
 俺と行くって言え、
 答えがどうあれ、結果は変わらないと平気で嘯く孫策が怖かった。なのに、心の何処かでは痺れるような幸福感がある。自分でも訳が分からなかった。
 マ、マゾなのかな。
 焦るあまり、おかしなことまで考え始めた。
「だ、だめ、駄目だよ、あの、だって私、しちゃってるし」
 何を言ってんの―――!
 自分で突っ込みを入れるが、時すでに遅し。
「……何を、したって?」
 孫策の声がやたらと恐ろしい。言葉が勝手に口から漏れ出て行く。
「いや、あの、だから、さっきね」
「さっき、何をしたって」
 いや、だから、あのね、としどろもどろになる。何を言おうとしているのか自分でも分からない。孫策が早く言えと急かす。
「あの……だから、口……」
 口ィ、と孫策が繰り返す。あうあうと舌が回らぬを他所に、孫策は何事か考え、突然口元をばしんと叩いた。わかったらしい。
「おっ……お前、お前なあ!」
 絶句している。
 それはそうだろう。趙雲や馬超のものを含んだ唇を舐めてしまったと聞かされたのだから、気分は良くないに決まっている。
 しかも、一度目は自業自得とは言え、二度目はにされているのだから、嫌で当たり前だ。
「……何、お前、口でとかって……平気なのかよ」
 孫策の顔を見られない。平気なのかと言われれば微妙だが、平気じゃなかったというにはあまりに熱を入れて事に当たってしまった。
 舌の上に肉塊の感触が残っている。口中で跳ね上がる熱い肉に、奇妙な恍惚と愛しさを覚えた。
 指先で唇を辿っている。舌がちらりと覗き、その指に触れた。まだ執着が残っていて、己の指を代用に見立ててしまったかのようだ。
 正気に返ってすぐに引っ込めたが、無意識の艶めいた仕草が羞恥を煽る。
 煽られたのは、だけではなかった。
「……俺のも、しろよ」
 お。
「お、俺のもって」
「だから、口で。俺のも、して」
 は脱兎の如く逃げ出そうとするが、孫策の腕が逃すわけもない。
「だ、だ、駄目! 無理! できない!」
「何で、駄目で無理なんだよ。したんだろ。飲んだんだろ」
 それはそうですが!
 孫策の腕が急に緩んで、を開放した。
 はその機を逃さず、部屋の扉にすがり付いて、孫策を伺う。
 振り向いた先で、するすると服を脱いでいる孫策の姿が目に入った。
 な、何ぃ―――!
 驚愕しているを他所に、孫策は下半身だけすっぱりと脱ぎ捨てると、床に腰を下ろして足を広げる。下手なヌード写真集より威力がでかい。
 でかいがしかし、笑顔で来い来いと手招きするので、妙に緊張感がない。
 ギャップが激しくて、混乱する。
 扉は目の前だ。開けて出れば、孫策は追っかけては来ないだろう。何せ下半身すっぽんぽんなんだから。
 だが、孫策はが出て行くとは微塵も思っていないらしい。笑っている。
 その笑みがいつもより艶やかで、卑猥だ。
 こんな顔もするのか。
 どきどきする。やばい。
「か、帰るよ」
 孫策はただ笑っている。
「帰るよ、ホントに帰るからね!」
「やれるもんならやってみろ、追っかけるぜ」
 げ、と呻く。やりかねないと思った。
「来い、
 どうしてこいつらはこう、強引なのか。
 そして自分も、何でこう弱気なのか。
 ひーん、と泣きながら固まっていると、孫策が大股で近寄ってくる。
「ここでするか? 外に聞こえて、結構燃えるかもな」
 勘弁してくれぇ、と呻くと、抱え上げられて室の奥まで連れて行かれる。を降ろすと、孫策は再び床に腰を降ろした。
「ここなら、いいだろ?」
 孫策の足の間に連れてこられ、間近に昂ぶりを見せ付けられる。
「だ……駄目だって、私……」
「んだよ、さっきやったっつってただろ……相手は趙雲か?」
 う、と口篭る。
「じゃなきゃ、あの馬超とか言う奴か?」
 ぐ、と呻く。
「まさか、二人相手ってことはねぇよな?」
 もう、声もない。孫策はどう受け取ったのか、の頭の後ろに手をかけ、股間に押し付ける。
「早く」
 笑みを含んだ、それでいて熱っぽい声だった。
 ああ、もう、馬鹿だ。
 は目を閉じると、覚悟して舌を出した。
「……ん」
 微かな喘ぎ声が上がる。女のものとは違う、低くて掠れた声だ。
 いい加減、顎がだるいのに……。
 勝手に熱くなる体に、やはり自分は淫乱なのかと思い知らされるだった。

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