私を月まで連れて行って。
あどけない、恋の願い。
「後悔しているのか?」
無言のに、馬超はやや不安を滲ませた問いかけをする。
「……んあ?」
振り返ったが、実に色気のない反応をして遣した。
馬超は眉間に皺を寄せて堪えつつ、もう一度同じ問いかけをした。
「んにゃ、腰が痛いだけ」
まったく色気のない返事に、馬超はどっと疲れを覚えた。
とすん、とがもたれかかってくる。
「後悔してるのか?」
馬超を見上げて笑みを零すに、馬超は僅かに頬を染めた。
「……しているなら、とっくにしている」
そうして、二人で笑った。
一度屋敷に戻ると、春花が目を吊り上げて待っていた。諸葛亮との約束があるから後で、と誤魔化し、湯浴みする。いつもは一人でするのだが、今日はなし崩しに春花が手伝いに入った。
「さま、私の話なんか、聞いてらっしゃらなかったんでしょう」
半ば涙声の春花に、は申し訳ない気分でいっぱいだった。
「……今度、詳しく話すけど……私、今、三人……いや四人か。好きだって、告白されてるのね」
の背を流す春花の手が止まる。
「みんな、好きなの。たぶん。だから、選べないの。抱き締められると、答えたくなっちゃうの」
「それがいけないと言うんです!」
春花が吠える。
男が寄ってくるのは仕方ない。だが、身を許すのなら、その中からちゃんと一人を選んでその人だけに許さなければ。そして、選ぶのなら身分や地位の高い、立派な男を選ばなくてはいけない。
「……えーと、前半は分かるんだけど、後半がよく分かんないんですが……」
「嫉妬と言うのは恐ろしいんです、下手に身分の低い方と結ばれると、振られた男がやっかんで何をしだすか分かりません。もし、身分が低い男が本当にさまを好きなら、いつか出世してさまを奪いにやってきます。奪いに来なければ、所詮はそれまでの男だったと言うことです」
母親の受け売りだと言うが、親の教育がいいと賞していいものなのだろうか。
「……みんな同じくらいの場合は、如何したら……」
「それはもう、一番実力がありそうな男を選ぶのに決まってます」
「……実力も同じだったら……」
「一番若い男を選ぶのです」
即答だ。よっぽど念入りに教え込まれたに違いない。
「ですから、さまは趙将軍を選ぶべきです!」
何でそうなるのか。
「だって、一番実力がおありになるじゃありませんか!」
男振りも良く、温厚で君主の信頼も厚い。何より、と春花を引き合わせてくれたのが大きいのだということだ。
「……そうだね、私も春花と出会えて、とっても嬉しいよ」
の言葉に、春花は涙を浮かべて感動した。素直ないい子だ。
趙雲か。
馬超と寝たことを知ったら、如何思うのだろうか。
身なりを整え、客としてではなく配下として登城する。共の者も付けられ、馬上に一人、緊張した。
蜀の中でも、女の配下は数が少ない。文官となればなおさら数が減る。やっていけるだろうか。
諸葛亮の執務室に赴くと、既に幾つもの竹簡が山と詰まれ、だが怯むことなく手際よく片付けていく諸葛亮の姿があった。
自分もこんな風に仕事に当たれるだろうか。
自信はなかったが、頑張ろうと思った。この国を、少しでも豊かな、優しい国にする手伝いがしたい。心からそう思えた。
「……あまり、気を張らずに。今日のところは、挨拶のみなのですから」
まるで心を読むような諸葛亮の物言いにも、もう少し慣れなければならないだろう。
は苦笑いして頭を下げた。
諸葛亮は多忙ゆえ、姜維に連れられて挨拶に回る。まずは君主たる劉備に、と言われ、は慌てた。
「え、劉備様に? 私、単なる下っ端じゃないの?」
下っ端なら、君主に目通りなどとんでもない話だ。
「今はそうかもしれませんが、丞相は力のない者を手下にはおきませんよ」
早いか遅いかの差です、と言われて、は改めて自分に寄せられる期待の重さに絶句した。
劉備の元に赴くと、傍らに尚香が立っていた。
諸葛亮の配下に加わったのだと報告がてら挨拶すると、尚香がえぇ、と大きな声を上げた。
「それなら私のところに来てくれれば良かったのに。今からでも、私のところに来てもらえないの?」
尚香は、強請るように肩を揺らす。劉備は快活な妻の可愛らしいわがままに、苦笑しつつも嬉しそうだ。
好き合っているんだな、と素直に感じる。の心境は複雑だ。
「ねぇ、駄目? 何なら、私が諸葛亮殿のところに交渉に行ってもいいのよ」
困惑したの前に、姜維がすっと割って入った。
「申し訳ありませんが、既に殿には仕事が割り振られております。どうぞ、ご容赦下さい」
姜維にしては強い物言いに、は内心驚いていた。
尚香はまだ愚図愚図言っていたが、にたまに遊びに来てね、と言うと、劉備の宥めるような視線に肩を竦めておどけていた。
必ず、と尚香に返答して、退室する。廊下を抜け、人気が切れると、姜維は突然歩みを止め、を振り返った。
「出過ぎた真似をして、申し訳ありません」
何も考えていなかったは、姜維に突然謝られて逆に驚き、萎縮した。
「え、な、何で伯約……殿が謝られるんです」
「二人の時は、どうぞ伯約とお呼び捨て下さい……趙将軍や馬将軍のように」
羨望の響きがある。は、姜維が二人のいったい何を羨んでいるのか分からなかった。
姜維の手が、の頬に触れる。包み込むような温かい手が、優しく触れてくる。
「嫌なんです、貴女が行ってしまうのが」
すぐに姜維は手を離したが、の頬は赤く染まって熱くなっていた。
た、高村光太郎ですか。
恋の詩を送られたような錯覚を覚える。元の世界にいれば臭くて耐えられなかったろうが、姜維の澄んだ眼差しで見つめられながら言われると、その気がなくてもその気になってしまう。
純粋だな、この子は。
どうしていいか分からず、困って笑みを浮かべると、姜維は微笑を返しての手を取り、歩き出した。
手を繋いだまま歩く。
城の中ということもあって、は気恥ずかしさと照れ臭さに俯いた。
気疲れする挨拶回りを済ませ、姜維の見送りを受けながら帰途につく。
馬の轡を持って貰っているとは言え、一人で馬に乗るのは非常に心もとない。腰がだるく、鈍い痛みを訴えていた。
馬も、乗る練習しておかないとな。
やることが多い。溜息をついても仕方ないが、どうしても溜息が出る。
屋敷に着き、食事と湯浴みを済ませ、春花が帰っていくのを見送った。
パジャマに着替えると、途端に眠気に襲われる。寝てしまおうかと思ったのだが、少しでもと竹簡を広げると、何時の間にか熱中して読み込んでいた。
ふ、と突然視界が暗くなった。目がおかしくなったかと顔を上げると、灯りの油が切れたらしく、火が消えてしまっていた。
あちゃあ、とは首を傾げる。これでは、夜が明けるまでもう何も出来ない。手探りで扉の鍵を外し、庭の月明かりを部屋に取り込む。
誰かが立っていた。
「子龍」
趙雲だった。
何時からいたのだろう。呼びかけても、返事しなかったのかもしれない。悪いことをした、とは庭に飛び降りた。
趙雲の腕に触れると、ほんのりと冷たくなっているようだった。
「ごめんね」
「何を、謝る?」
薄く笑う趙雲を見上げる。
趙雲もまた、を見つめる。
風の音も、虫の声も聞こえない。静かだった。静か過ぎて、胸が痛い。
だから、言ってしまったのかもしれない。
「孟起と、したよ」
儀礼的な、報告めいた告白だった。
趙雲は、そうか、と答えただけだった。
の胸の中で、不安が影絵のように踊った。
これで、終わりかな。
ほっと力が抜けるような、それでいて肩に力が入るような、不可思議な感覚だった。
終わりになるのかな。
耳の中で、きぃんと耳鳴りがする。指先が震えているのが分かった。
ふ、と吐息が漏れる音がした。趙雲が笑った。
の体が、ふわりと浮いた。
横抱きに抱きかかえられ、はそのまま屋敷の中へ運ばれる。
を抱えたまま、趙雲は器用に扉を閉め、鍵を掛けた。暗い室内を、見えているかのようにすたすたと進む。
寝室に足を踏み入れると、当たり前のようにを牀の上に降ろした。
明かり取りから、月の光が零れ落ちている。
趙雲が、身に纏う鎧を脱いだ。
小さな卓と椅子に、脱いだ鎧や服が掛けられる。
そうして、やはり当たり前のようにに覆い被さってくる。
「どうして?」
倒されるのに抗わぬまま、は趙雲を見上げた。
「どうして……とは、何故?」
笑みを絶やさず、逆に問い返され、は言葉を探してうろたえた。
「だって……私、孟起としたよ」
孫策の時のように、半ば無理やりにではない。言い訳の余地もない。する気もない。は、自分の意思で馬超に体を許した。
「それは聞いたが」
だから何だ、といわんばかりの趙雲に、の困惑は深くなる。
「キスじゃないよ? したんだよ?」
きす、と呟いて、ああ、と頷く。
「キスなら、いいわけか?」
そう言われると困る。キスとセックス、確かにどう違うと言われれば、その度合いとしか言葉は見つからない。
「誰と何を何回しようと、お前は私のものだ」
物じゃないよ、と言うと、物だ、と返される。
「は全て、私の物だ」
誰が決めたんだ、と眉を顰めると、私だ、と臆面もなく答えて遣す。
「馬超にも言ったのか?」
何をと問いかけようとした口を、趙雲が塞いだ。
長く深い口付けだった。息が上がってしまう。趙雲の手が、のパジャマのボタンにかかる。昨夜の馬超の指より、比較しようもないくらい素早かった。
ズボンは履いていなかった。上着だけで、膝まで届く長さだったので、ネグリジェのように使っていたのだ。
趙雲の指がの下着を引き摺り下ろし、腰に回した腕がの体を軽々と浮かして袖を抜いてしまう。
全裸にされても、まだ趙雲の意図が分からなかった。
するのだろうか。でも、孟起としたのに。
意識が、徐々に朦朧となる。
趙雲の舌と指が、体の隅々を撫でていく。温かい、から熱い、に変化していく体に、は戸惑った。
「何で、こんなことするんだろう」
疑問は、言葉となって自然に口から零れていた。
足を広げて、人に見せられない隠された部分を晒す。温い汁を滴らせて、ぬめる肉を繋げ悦を貪りあう。
子供が欲しいからではないだろう。少なくとも、今の自分達は。
「繋ぎたいからだろう」
あっさりと答える趙雲に、は指を伸ばした。乱れて落ちた髪を撫で、耳に掛ける。はらりと落ちるのをまたすくい、耳にかける。落ちる。すくう。
「どうして?」
趙雲の手が、の指を捉えて口付ける。
「……何でも、言葉や理屈に直そうとするな」
直せないものを直そうとするから、歪む。捕らえきれなくなる。分からなくなる。
人は、言葉に直せない。それくらいなら、争いなど起きなくなるだろう。
「嫌か、嫌ではないか、それだけでいい。は、私に抱かれるのは嫌なのか」
の目が、惑う。
「でも、私、孟起と」
「そんなことは聞いていない」
趙雲がに口付ける。舌を絡めて、唾液を啜りあう。
「……嫌か、嫌ではないか。」
趙雲の指が、静かに、執拗にの肌を這う。手の平で乳を包み、暖めるように撫でさする。
心地よかった。
「……嫌じゃ、ない」
趙雲の唇が、の耳を甘く食む。良い反応を返すので、趙雲は笑った。
眦に涙が浮く。趙雲は、それすら口で吸い上げた。
「……気持ちいい」
そうか、とだけ趙雲は返した。
口元に微笑が浮いたのを、は不思議な気持ちで見つめた。
「子龍、何考えてるかよく分からない」
綺麗な顔の線を辿る。眉、鼻梁、頬骨と指を滑らすと、趙雲の目が細められた。
「お前を愛している」
触れるだけの口付けの後、趙雲の指がの秘部に伸びた。小さな水音が響く。音を楽しむように指が戯れに動き、潤いを促した。は恥ずかしくて、目を固く閉じて耐えた。
恥ずかしいのに、気持ちいい。不条理だ。
「」
趙雲の声に、は閉じた目を開けた。趙雲の目が近い。
おずおずと膝を広げる。趙雲は微動だにしない。さらに足を開く。少しずつ、少しずつ。
もう開けない、というところまで来て、ようやく趙雲が動いた。
昂ぶっているのが目に入った。顔を逸らして避ける。
「」
趙雲は許さなかった。再び促す声に、は視線を戻した。
趙雲の昂ぶりが、の秘部に押し当てられている。
少し先端が沈んだ。突然痛みが走った。きしむような痛みだ。
「……痛むのか」
「ちょっとだけ……おかしいかな」
不安が顔に出たのか、趙雲が笑う。
「おかしくはないだろう。まだ、体が馴染んでいないのだな」
ゆっくりするから、と告げられて、少し安心した。
挿入が始まり、約束どおりゆっくりな動きに、痛みも耐えがたいものではなくなった。
だが、腰骨がみしみしと軋んでいるような錯覚がある。壊れてしまうのではないか、と思うと恐怖が湧く。
「大丈夫だ。力を抜け」
頷くが、上手くできない。趙雲が苦笑いして、にそっと口付けた。
「……一気に、挿れてしまおう。その方が良さそうだ」
頑張る、と答えると、趙雲がさもおかしそうに笑った。
の膝を押さえると、趙雲は腰を浮かせて半腰で立ち上がり、呼吸を整えた。
「……ウッ……」
噛み締めた歯の間から、低く唸るような声が漏れた。
ずるり、という音と共に、軋む痛みが全身に走り、心臓が悲鳴を上げた。
体の中に異物がある。痛みに呼吸が止まる。
「、息を吐け。体から力を抜かねば、なお辛いぞ」
息をしようと心掛ければ、今度は弾むように早くなる。
繋がったところがずきずきと痛む。気を失うほどではないが、痛いものは痛い。
趙雲は、を見下ろしながらじっと堪えている。皮膚に汗が浮いている。
「……趙雲も、痛い……?」
趙雲が笑う。痛いのではなく、辛いのだと言って、の髪を梳いた。
「の中が締め付けるから」
何を言って。
の顔が赤くなり、次いで笑った。趙雲も、に合わせて笑う。
「動くぞ」
頑張る、と答えると、だから、と言って趙雲が笑い崩れる。
「……が、愛おしい」
好きだ、と言われて、うん、と答える。
それでいいのだと分かった。