揺さぶられて、は重い瞼を無理やり開けた。
 辺りはまだ真っ暗だった。
 夜が明けてないことを知った瞼が閉じようとすると、また激しく揺さぶられる。
「起きろよ、俺、もう帰るぜ」
 孫策が覗き込んでいるのが見えた。
 何で孫策がいるのか理解できず、はただぼーっとして孫策を見上げていた。
「寝ぼけてんなよ、今、湯ー持って来させっから、寝ないで待ってろよ」
 それは有難いが、何故孫策がここにいるのだ。
 えぇと、と呟いたは、突然がばっと身を起こし、孫策の頬を引っ張り上げた。
「ひて、はにふんだ」
 孫策はの指を引っぺがし、不機嫌そうにの目を覗き込んだ。
 その顔が真っ赤になっていて、孫策は思わずにやりと笑った。
「あ、お前、寝惚けてたんだろ。今、思い出したんだな?」
 嬉しそうに顔を近付けてくるのに、うるさいうるさいと喚き散らす。
「て、手でって言ったのに、手でって言ったのに!」
 喉の奥がいがらっぽい。まだそこに精液がこびりついていて、飲み込めていないのではないかとさえ思った。
「何だよ、お前がやるって言ったんだろー」
 の両手を握り締めて、孫策は嬉しそうに笑った。
 確かに、根負けしたのはの方だ。
 しかし、あれから口喧嘩して、孫策が先に折れて、それで手でいい、ということになったのだ。それを、している間中ずっと耳元に艶かしく喘ぎ、放ってから突然の裾に手を突っ込んできた。濡れているから可哀想だと言って無理やり指で達かされた挙句、声を聞いていたらまた勃ったと言って、力の抜けたのを幸いに口に突っ込まれた。
 根負けというより、なし崩しといった方がいいかもしれない。頭を抑えられて、切なく見つめられてはどうしようもなかったのだ。
「馬鹿っ! 馬鹿馬鹿、馬鹿っ!」
 孫策が唇を尖らせるが、握り締めていた手を外して鼻の頭と頭をくっつけた。
 へへ、と笑うのが無邪気で、とても大の男のする表情には見えない。他愛無く丸め込まれた気がして、しかし怒る気力もなくなって、はむっとしながらも体の力を抜いた。
 孫策がの頭をぽんぽんとはたき、耳元に口付けて立ち上がる。
 起きてろよ、と軽く手を掲げて扉を開けた孫策が、ふと立ち止まる。
「突っ込んでねぇぞ、指だけだ」
 何を言っているのだ。
 が孫策を見遣ると、扉の外に誰かいるらしい。更に首を伸ばすと、孫策の脇をすり抜けて趙雲が室に入ってくるところだった。
 げっ!
 の顔が固まる。
「……直接、に訊きます故」
 趙雲の目が険しい。は、蛇に睨まれた蛙のように汗をだらだらかいて固まっていた。
 孫策は気にした様子もなく、ふーん、そっか、と呟くと、思い出したように振り返った。
「湯、要るだろ。何時頃持ってこさせるよ」
 趙雲が『二刻もあれば』と事も無げに言葉を返し、孫策も『わかった』と頷いて出て行ってしまった。
 違うだろ、お前ら!
 男同士が納得しあっていて、まるで悪いのは一人と言わんばかりだ。
 そんなことって有りだろうか。
「に、二刻って、どれくらいなのかな?」
 時間の単位は、恐らくが知っているものとは違うのだろう。それより何より、何とかして誤魔化さないと、とは必死になった。
 険しかった趙雲の目が、ふっと緩んだ。
 も釣られて『てへっ』と笑ったが、背中には冷たい汗が流れっぱなしだ。
「……今から、私がお前を解放するまで、だな」
 分かりやすいだろう、と言われ、返事をする前に倒された。

 痛い。
 膣壁、なのだろうか、ずきずきとして、は眉を寄せた。
 朝、青年に会い、改めて謝られた。仲直りして、久方振りに仕事をしようとして、馬良に止められる。もう少し自室に篭っていてもらえないかと言われて、は青褪めた。
「く、クビですか」
 馬良には意味が通じなかったらしく、却って大袈裟に受け止められて(打ち首と勘違いしたらしい)少し騒ぎになった。
 誤解が解けた後に馬良が言うには、昨日のの話を聞いていた文官やそれを聞きつけた文官が、是非と討論させて欲しいと馬良の元に詰め掛けたのだという。
「ひぃ」
 は、甲高い悲鳴を漏らして絶句した。
 尚武を尊ぶ孫呉とて、文官を揃えていないという訳ではない。曹魏には劣るかもしれないが、かなりの文人が集まっている。そういった連中相手に討論できるか。できるわけがない。は、諸葛亮ではないのだ。
 赤壁の開戦の折、実際は孫堅の鶴の一声で呉と蜀の同盟は為ったものの、諸葛亮と呉の文官の舌戦はちゃんと執り行われていたらしい。復讐戦と意気込む者も多いそうだ。
「む、無理です、無理無理、絶対無理!」
 馬良も、さもありなん、と頷き、結局は室に戻された。孫策の失踪時も、馬良の元にいた為に『起きて仕事をしているならば』と理屈をつけて連れ出されたのだ。室にいて、上掛けの中にでも隠れてしまえば、如何な者とて早々手出しはせぬだろう、と言い含められた。
 呉に来てから、まともに仕事をした覚えがない。
 いっそ宴会部長ということにしてもらえないだろうか。仕事をした日より、宴に出ていた日の方が多いような気がした。
 気を抜いていると、股間から疼痛を感じる。
 明け方前、趙雲に指を突き入れられ、短い間に何度も達かされた。趙雲のものにも『ご奉仕』させられ、湯浴みする間も手伝いの侍女がいないのをいいことに散々嬲られてしまった。
 粘膜なんだから、もうちょっと丁寧に扱っていただきたい!
 自業自得の気もしたが、それにしても納得できない。
 趙雲は、孫策に触れさせるのは構わない、けれど仕置きはする、と訳の分からないことを最後に言った。当然、は意味が分からんと騒いだのだが、趙雲の怒った顔を見ると肩をすくめて黙るしかなかった。
 趙雲は複雑過ぎてよく分からない。孫策は、簡単過ぎてなお分からない。
 分からない男達に好きにさせている自分もよく分からない。
 痛い。
 面倒だから、もう昼寝しようと牀に上がりかけた時だった。
 誰か、扉の向こうから声を掛ける者がある。
様」
 鈴を転がすような可愛らしい声は、大喬に違いない。
 一晩孫策と過ごしていた後ろめたさもあって、は慌てた。
 どうしようかと迷うが、寝ているはずのが室にいないのはまずいだろう。
 仕方なく、扉を開けた。
「良かった、お休みになっていらっしゃるのかと」
 しまった、その手があった。
 は口の端を無理やり引き上げて、にへら、と笑って見せた。

 大喬の隣に小喬が腰掛け、むっつりと不貞腐れている。
「小喬」
 咎めるように大喬が声を掛けるのだが、小喬は拗ねたように頬を膨らませてそっぽを向く。
 いいけど。
 何しにきたんだろう、とはこっそり溜息を吐いた。
 の室に二喬揃って出向いてきた。断る理由も見つからず入室を許したのだが、椅子を勧めて座ってもらってからずっと、二人は用件を言おうともしない。
 よくよく見ていると、用があるのは小喬で大喬はその付き添いらしいのだが、小喬が口を開こうとしないので話が一向に見えない。
「小喬。いい加減にしなさい、じゃあ、私が言ってしまうわよ」
 途端に慌てて小喬が振り返る。
「駄目!」
「じゃあ、自分で言いなさい」
 お姉さん然として、大喬が命令のようなきつい口調をする。小喬も、大喬には頭が上がらないのか、に向き直り何か言いたげに口を開いた。けれど、すぐに噤んで唇を噛み締めてしまう。
 困ったように大喬は小喬を見つめた。
 だから、何しにきたんだね。
 が、手持ち無沙汰からお茶でもと立ち上がると、突然小喬が怒鳴った。
「あたし、謝んないからねっ!」
「小喬!」
 は?
 目を点にして二人を見つめると、大喬は申し訳なさそうに俯き、小喬は膨れてそっぽを向いた。
「謝……りに、来たんですか?」
 大喬が、すみません、と頭を下げるのを不思議そうにが見つめる。
「え、何でまた」
 の言葉に、今度は大喬と小喬が目を点にする。
「だ、だってこの子ったら、昨日様に恥を」
 え。
 が絶句しているのを見て、小喬はむきになって眉を吊り上げた。
「あ、あたしあたし、絶対に謝んないからね!」
「はぁ、ええ、別に……いいんじゃないスか」
 謝ってもらう覚えがない。
「ホントに、ホントに謝んないから!」
「え、あ、はい」
 謝らないと言われて、はい、分かりましたと言っているのに、小喬は『謝らない』を大連呼している。仕舞には、わっと泣き出してしまった。
「え……と……」
 私は、どうしたら。
 大喬を見遣るが、大喬も小喬の肩を抱いたまま、おろおろとと小喬を見回すだけだった。
「えー……」
 は、今の自分に出来ることを考えた。
「……とりあえず、お茶でも、淹れてみましょうか……ね」
 ほてほてと茶の支度にかかる。姜維からもらった干果も幸いまだ残っている。
 歩くと中も擦れて、鈍い痛みが走った。
 あいたた。
 よろめくの後ろ姿を、小喬は涙の間から見つめていた。
 台所に行って湯をもらい、しゅんしゅんと沸き立つ鉄瓶片手に戻ると、小喬はまだぐずぐずと鼻をすすっていた。
 呉って国は、ホントに誰も彼もがパッショネイトだ。
 あの冷静な趙雲まで、感化されたように情熱大陸の人になってしまった。
 農耕民族のアテクシには、ちょっとついていけないわぁ、などと思いながら茶壷に湯を注ぎこむ。その湯を茶海に移し変え、更に茶杯に移し、茶器の全てを温める。
 茶杯を温めている隙に、茶壷に茶葉を入れ、フランスのウェイターが気取ってカフェオレを淹れるように、高い位置から湯を注ぎ込む。緩い螺旋を描いて熱い湯が茶壷の底に流れ落ちていき、満杯になると、は茶壷の蓋で泡と灰汁をさっと取り除いた。蓋をし、小さく円を描きながら少しずつ湯をかける。美味しくなぁれ美味しくなぁれと鼻歌を歌った。別に意味はない。間が持たなかっただけだ。
 茶杯の湯を捨て、茶壷の茶を茶海に移し換える。聞香杯は省いた。泣いた後ではどうせよく分からんと決め付けたのと、そんな優雅なお時間でもなさそうだったからだ。
 茶海から茶杯に注ぎ分け、振り返ると、大喬と小喬がじっとこちらを見ていた。小喬の目元は赤いが、涙は止まっていた。
 何だ、何かしたっけか。
 は動揺しながら、二人に茶杯を差し出した。
「……美味しい」
 大喬がふんわりと笑う。
 小喬は黙っていたが、茶杯をちびちびと啜っている。
 しばらく無言で茶を啜る。
 小喬が、空いた杯をずいっとに押しやってきた。
「……もっかい、やって」
 もう一回。お代わりのことかとは立ち上がり、鉄瓶の湯がまだ熱いのを確認してから、高い位置に掲げて茶壷に湯を注ぎ込む。
 何時の間にか二人がの脇に回りこんで、わぁ、と言いながら螺旋を描く湯を見ている。
 が手首をぴしりと切り返すと、鉄瓶の湯もさっと切れる。
「すごぉい!」
 小喬が目を見張る。
 淹れ方が面白かったのか。
「……美味しくなぁれ、美味しくなぁれ♪」
 が茶壺に蓋をすると、小喬が歌いだした。大喬も釣られて歌いだす。

 夕方から始まる宴の時間までずっと、三人で他愛無いおしゃべりをした。

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