孫策に連れられて行ったはいいが、正直孫策の席は苦手だ。
 まず、隣がをよろしく思っていないらしい周瑜、その隣にはまだ苦手意識が薄れたというものの相変わらず何を考えているか読み取り辛い孫権が座していて、いつもこの面子は変わらない。反対側の上座には、当たり前だが君主である孫堅が座しており、呼びつけもしない代わりに何事か含むような視線をずぅっと向けられている気がする(勘違いなら思い上がりも甚だしいが)。
 孫策は、孫堅に対抗意識があるのか何なのか、孫堅側にはを置きたがらないから、如何しても周瑜の隣に座らせられることになる。
 間近で周瑜の顔を見ると、その整った面立ちの美しさに圧倒される。
 いっそアンタが女に生まれてくれば良かったんじゃないかと思うのだが、現実問題、何を如何言っても周瑜が男に生まれついたのは間違いないから、文句を垂れるのも筋違いだ。
 だが、顔の造作に関してのコンプレックスを刺激されるのだけは、自身にも如何にもならない。
「如何した、
 何も知らない孫策が、の顔を覗き込んでくる。
「目、赤くねぇか?」
 心配気に眉を顰める孫策に、慌てて言い訳する。
「さ、さっき井戸で少しって言ったでしょ」
 そうかぁ、と何処か納得していないように孫策が唸り、指でそっと下瞼の辺りを撫でてくる。熱い皮膚が柔らかく撫でていく感触に、背中の辺りがぞくっと震えた。
「だ、大丈夫、ホントに、大丈夫だから!」
 の慌てた様子に、孫策は柔らかく笑う。
 普段はがさつでの都合などお構いなしの癖に、こういう笑みを向けてくるから始末が悪い。決して嫌えないと思わせてしまう。孫策のずるいところだ。
「今日、俺、ちゃんと仕事したぜ?」
 な、周瑜ーと隣席の周瑜に同意を求め、周瑜は面白くなさそうに、ただ『ああ』とだけ返した。
 は、周瑜の機嫌の悪さが自分にあると分かっているから肩身が狭い。仕方ないと思ってはいても、嫌われるのはやはり辛いものだ。
 凌統のように、明け透けにを嫌悪する者もいる。
 仲良くは出来ないのだろうか。三国分立というなら、そのまま三国で仲良く出来たらいいのに、と
思ってしまう。無理に統一することに意義を見出せなかった。
「……如何した?」
 の表情が沈んでいるのを察して、孫策が覗きこんでくる。慌てて誤魔化そうとするものの、孫策はをひょいと膝の上に抱え上げてしまった。
「ちょっ、ちょっ……!」
 驚き、降りようともがくのだが、孫策の手はがっちりとの腰を抱え込んで離そうとしない。
 髪に孫策の吐息が当たる。顔が近い。
 周囲の視線を受け、の頬が赤く染まった。
「こ、こういうことは奥方にしなさい!」
 が小声で怒鳴ると、孫策は背を逸らして大喬を見遣る。心得たもので、大喬はすぐに孫策の元にやってきた。孫策がを乗せた反対側の膝を軽く叩くと、恥ずかしがりながらもそっと乗ってきた。
「これで、文句ねぇな?」
 あるよ。
 が即答し、大喬は楽しげにくすくすと笑った。
 何だかなぁ、と、笑みを浮かべる大喬を見る。の視線に応え、大喬は親しげな笑みを見せた。
「大喬、の『お話』、どうだったよ」
「とっても面白かったです!」
 尋ねられ、大喬は目を輝かせる。が色々な声音を使い分け、まるで目の前で物語が繰り広げられているようだった、西の果ての砂の国が、まるで目の前に広がるようだったとうっとりと語る。
「へえぇ、俺も聞きてえなあぁ」
 さり気なく強請られても、宴の最中に講談ぶるわけにもいかない。第一、大喬達に語ったのを繰り返すのも面倒だ。たぶん、何処かで話をすっ飛ばしたり、忘れていた部分をうっかり話して大喬たちに『それは聞いていない』と咎められるのが目に見えていた。
「大喬殿、ちょっと座る場所変えて下さいませんか」
 の申し出に、大喬はきょとんとするが、大人しくの言うとおりにする。
 まず大喬が降り、は体をずらして孫策の背後に回りこんだ。大喬はそのままが座っていた方の膝に腰掛け、は孫策の背後からそのまま卓の前に逃げた。
「……ってオイ!」
 孫策が唸るが、膝には大喬が居り、卓越しでは手を伸ばしてもの体には届かない。
「イヤ、別に反対側に座らせて下さいなんて言ってませんし、アタクシ」
 周瑜が渋い顔をする。の、こういう小賢しいところが天敵・諸葛亮を思わせ、周瑜のへの好感度を低くさせているのをは知らない。もっとも、一度嫌いになってしまうと、周瑜の性格からしてなかなか補正が効かないということもあるのだが。
 は、そのまま自席に戻ろうとして、ふと注がれる視線に気がつき振り返る。周泰がこちらを見ていた。首を傾げると、小さく頷く。呼んでいるらしい。
 失礼かと思ったが、卓を回り込むとまた孫策に捕まりそうだ。卓越しに近付くと、周泰の手前で卓についていた孫権が、怪訝な顔でを見、背後の周泰を見遣って複雑そうな顔をした。
「……歌を……」
 周泰が、歌?
 が首を傾げる。周囲の者もまた、不思議そうな顔をして周泰を見た。
 嫌いとは言わないが、周泰が好んで楽曲の類に興味を示すというのがそぐわない。何処までも無骨で、忠義一筋の無趣味な男、というイメージがあった。
 けれど、だからこそ断り辛い雰囲気がある。
 困って、趙雲を振り返るが、趙雲も周泰の申し出を捉えかねているようだ。周泰とは言葉を交わしたこともないから、無理もなかった。
 迷って、まぁいいかと楽観視した。周泰は、に対してむしろ好意的だと知っていたからだ。
「……ええと、構いませんが……どんな歌を……」
「……お前の……好きな歌で……いい……」
 好きな歌、と口の中で繰り返す。ぱっと思いついた歌があり、他に思いつかなくなってしまった。
 暗めでもいいかな、と考えつつ、前置きなしで歌いだした。
 テンポが遅いわけではない。ただ、歌詞が悲しげで、切ない。想いを寄せる人に最後の願いを請う歌。歌っているうちに、リズムに合わせて自然に体が揺れる。アカペラなので、そうでもしないと調子が取り辛いのだ。後で趙雲に怒られるかもしれない。
 そんなに長い歌ではない。間奏もすっ飛ばすので、すぐに歌は終わる。
 周泰を見遣ると、無言のまま一つ頷いた。が黙礼で返すと、周泰が重い口を開いた。
「……明日も……頼む……」
 はぁ、と生返事して、孫権を見遣る。周泰に歌を歌うとなると、如何しても孫権の前に立たざるを得ない。周泰は、いつも孫権に張り付いているからだ。
 の視線に気がついた孫権が、何故か不貞腐れたように頬杖をつく。頷いてい寄越したので、構わない、ということだろう。
 拱手の礼をして、席に戻ろうとしたところを横合いから小喬のタックルを受けた。
大姐ー! 何か、お話してー!」
 大喬が孫策の膝から滑り降り、ずるい、とと小喬の元に駆ける。尚香まで、酷い、は私のよと恐ろしいことを口走って上座から降りてきた。
 は、広間の真ん中で美女三人に取り囲まれておろおろしている。孫策相手なら強く出られるようだが、何故かこの三人にはからきし弱いらしい。
 孫堅は、苦笑して劉備に話しかける。
「本来ならば目を剥き怒るところなのだろうが……人妻三人が争っているのが、とあってはなぁ」
 怒るに怒れん、と笑う孫堅に、劉備も苦笑して応じる。
「……宴の場でも、俺がに強請りごとをする余裕はないようだな……劉備殿、一つ、昼の間に少しを借り受けることは出来ぬかな」
 孫堅の申し出に、劉備よりも趙雲が目を剥く。ここ数日、を呼び寄せるでなく大人しかったのは、こういう魂胆があってのことか。
「そう長い時間でなくていい……そう、昼餉の時間だけでも良い。俺にも執務があるからな。何であれば、そこな趙雲を同席させても構わんぞ。如何だろうか」
 そんな申し出をされては、却って同席しにくい。趙雲は、苦い思いを無表情で覆い隠すのが精一杯だ。
 劉備としても、無下に断り辛い。ただでさえ『娘の代わりにを得たい』という申し出を蹴っているのだ。義父とは言え父は父、従うのが儒学で言うところの子の本分である以上、もうかばいきれるものではなかった。
「……分かりました……には、私から申し付けておきましょう」
 が、何とか機転を利かせてくれるのを祈るばかりだ。そろそろ蜀に戻ろうとも思っていたし、それほど長い時間労苦を掛けることもなかろう、と劉備は甘い見通しをしていた。趙雲もまた、劉備からその旨申し伝えられていたばかりだったので、何とか早く蜀に戻ろうと決意を新たにする。
 孫堅は、劉備に感謝の言葉を述べると、穏やかに微笑んだ。
 卓についたまま一人杯を煽っていた黄蓋だけが、その微笑を戦々恐々と受け止めていた。

 宴がお開きになり、孫権は周泰を連れて自室に通じる廊下を歩いていた。
 互いに無言なのは何時ものことだが、今宵の孫権は何か言おうとして言えずにいるような、重苦しい沈黙を保っていた。けれど、周泰が主に差し出がましい口を聞くわけではない。
 室に辿り着き、居合わせた衛兵が孫権に拱手の礼を取る。頷きで応じ、孫権は周泰を伴ったまま室に入る。
 扉が閉まり、二人きりになると、孫権は初めて周泰を振り返った。
「何故だ、周泰」
 切羽詰ったような、焦りを含む声だった。
「何故、あそこであの女に歌わせた。何故、次の約定まで取り付けた」
 周泰は答えない。自身の胸の奥底で、答えるべき言葉を探しているようにも見える。
 だが、孫権は焦れていた。性急に答えを求めていた。そうしないと、おかしくなりそうだったのだ。
「私に、聞かせる為だろう」
 差し伸べられる腕を、見つめる眼差しを、伏せられる睫の艶を、勘違いしないようにと戒めていたのに、これでは何にもならない。
「あれは、兄の恋う女なのだぞ…兄上の、女だ」
「……違います、孫権様……」
 初めて周泰が口を開いた。初めて、孫権に逆らった。
 孫権は、忠臣から初めて意見されたことに驚きを禁じえなかった。
「……あの女は……未だ……誰のものでもありません……」
 だからこそ、孫権に。周泰は、重々しくも熱っぽく語った。
「…何故だ、周泰」
 周泰の目が、僅かに細められた。眩しい物を見るような眼差しだった。
「……俺が……最も尊ぶ方に……あの女を……嫁がせて遣りたいと……そう、思ったのです……」
 それは。
 愕然とする孫権は、周泰が口の端を少し上げたように見えた。笑んでいる。
 周泰もまた、あの女を愛しいと想っていたのだろうか。今の言い方ではそうとしか取れない。と言うより、そう取らざるを得ないではないか。
「……周泰、お前は……間違っている。あれは、兄上の……」
 兄、孫策の恋う女。けれど、もし周泰が同じように恋うのなら、与えてやりたいと一瞬揺らいだ。
 理解した。
 周泰もまた、孫権の気持ちを知り、孫権と同じように願ったのだ。孫権とは違い、揺らぎではなく、確固とした意志の元に。
「……孫権様……」
 口元を歪め、その澄んだ青い瞳を曇らす孫権に、周泰は動揺し思わず主の名を呼んだ。
「お前は、馬鹿だ。幼平」
 幼少の頃のように字で呼び捨てる。孫権が、周泰をからかい混じりに呼ぶ時、二人で執務に関係のない、他愛無い話をする時にのみ使うようになった呼び方だ。
 孫権がその呼び方で周泰を呼ぶ時は、必ず深い親愛の情が篭められていた。
「……孫権様……」
 名を呼ぶしか出来ない周泰に、孫権は苦く微笑んで見せた。
「馬鹿だぞ、幼平」
 孫権は、外の衛兵に声を掛け、酒を用意させるように命じた。
「座っていろ、幼平。今宵は、お前が潰れるまで呑むぞ」
 明日からは私も、もう少し素直になるとしよう。
 孫権は、そう続けた。苦い微笑が口元に刷かれている。
「お前が、あの下世話な女の何処が気に入ったのか全て白状させてやる」
 無理をしているのだろうが、それでも笑ってみせる孫権に、周泰もまた微笑を浮かべて応えた。

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