何時の間にか寝入ってしまったの寝顔を肴に、甘寧は一人呑み続けていた。
 宴席では歌ったり踊ったりしても滅多に意識を失わない(時折寝惚けていたようだが)女だけに、まさか寝てしまうとは思わなかった。
 目を瞑ると意外に睫が長い。きちんと化粧をすれば、映える顔だろう。
 指を伸ばしてわしゃわしゃと髪を撫で回すと、濡れて乾いた髪が、強くなって指に絡まってくる。
 微かな声が、の唇から漏れた。
 のろのろと手が伸びて、甘寧の手を振り解こうとする。
 被っていた敷布が解かれ、柔らかな胸乳の肉が、の体の重みでたわんでいるのが露になった。
 これもまた、思ったよりも白かった。酒で酔っているせいか充血した肌は、ほんのりと桃色に染まって花びらを連想させた。
 髪を悪戯していた手で、今度は胸乳を突付いてみる。
 ふにゃ、とした感触と共に、指先が柔肉にふわりと沈んだ。
 の肩が、ぴくりと撥ねる。唇から、ふ、と吐息が漏れた。
 反応がいい。
 気を良くした甘寧は、乱した髪を掬い上げ、の耳にかけてやる。
 と、耳殻に指が触れた途端、の体がびくりと撥ね、小さく『ひ』と悲鳴が上がった。
 驚いて目を覚ましたが、寝惚けたままきょろきょろと辺りを伺う。やがて甘寧の膝の辺りに視線を留め、首をくいっと上げた。
「……あれ」
 何か思案するように視線を下に下げると、また上げて甘寧を見る。目を擦り、また甘寧を見上げ、黙りこくって考え込む。
 が百面相しているのを、甘寧はぐい飲みの酒を片手に見守った。
 耳が弱ぇのか、などといらぬことを考えていると、が突然『あああ』、と呻きだした。
「い、今何時ですか、う、宴は」
「今から行っても間にあわねぇよ。まだ、雨降ってっしな」
 甘寧は、ごく当然と言った態で冷静に返答した。あまりの落ち着きように、は内心の焦りを吐き出せなくなり、ごくりと音を立てて生唾を飲み込んだ。
「う、で、でも、遅れて行っても行かないよりは…」
 この雨だぜ、と甘寧は言い含めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もう日が暮れちまって視界は利かねぇし、坂道は泥で滑るだろうし、下手したら城に着く前におっ死ぬな」
 でも、でもとは尚も言い募る。
「心配ねぇって、大殿は俺とお前が一緒にいるって知ってるしよ」
 ぐらり、との体が揺れる。
 俯いたが、子龍に怒られる、と呟いたのが聞こえてきた。
 子龍。誰だ。
 甘寧が眉を顰めると、ががばっと身を起こした。
「やっぱり、帰らないとまずい気が!」
「その格好でか」
 甘寧の言葉に、の動きがぴたりと止まる。首が、かくんと下を向き、己が胸の谷間と僅かに透けて見える淡い茂みの影に色気のない悲鳴を上げて体を丸める。
 甘寧がげらげらと笑い出す。
「ひいぃ、忘れてたあぁ」
 むせび泣くように喚くの頭を、甘寧ががしがしと撫で回す。
「ま、その程度の体じゃぁ俺は勃たねぇからよ、安心しろや」
 安心できねぇ、と呻くに甘寧はまた馬鹿笑いをする。
 外から声がかかった。
 甘寧が扉に向かったのを幸いに、は後ろを向いて解けた敷布をきつく体に巻き直した。
、おら着替えだ」
 扉が閉まるのと同時に、の脇に着替えが放り投げられた。如何にも派手派手しい、赤い服だ。
 呉カラーか、とは唸った。
 しばらく考え込んでいたが、服の色が変わるわけでもない。紫でなかったのがせめてもの幸いだと思うことにした。
 着替えようとして、ふと視線を横に向ける。
「……お頭、何でいるの?」
「何でって、何だよ?」
 沈黙。
「出てってよ」
「俺ぁ、気にしねーよ」
 私が気にするんだよ、とキレると、甘寧は深々と溜息を吐いて立ち上がる。
「終わったら、声掛けろよ」
 扉の外に甘寧の姿が消えると、は用心の為扉の死角に移った。
 しばらく様子を見ていると、扉が開き、『あぁ?』と訝しげな声が聞こえてくる。扉の影から甘寧が
ひょっこりと顔を覗かせ、何でぇ、いるんじゃねぇかと嘯いた。
 は手近にあった椅子を掴むと、扉目掛けて投げつけた。
 甘寧は笑い声と共にさっと扉の影に隠れ、早くしろよと捨て台詞を残して扉を閉めた。
 お約束過ぎる。
 は、すっかり覚めてしまった酔いと眠気を更に振り落とすように首を振り、用心を重ね扉を背にして着替えを始めた。

 着替えたはいいが、どうにも落ち着かない。服の裾をあちこち引っ張って回り、後ろを振り返ったりする。
 上が貂蝉、下が甄姫の衣装に近い。要するに、肩が見えて横スリットから足がびやーっと出ている。しかも薄手の生地のせいか、体にフィットする割にあちこちがすかすかするのだ。
 扉を開けると、甘寧が頭の後ろで手を組んで立っていた。
 顔だけ出しているに、甘寧は中に入ろうと扉を押す。は扉を押さえ、甘寧の侵入を阻んだ。
「何だよ」
 訳が分からないという顔で、甘寧は中を覗き込もうとする。
「あのさ、あの……他に着るものないの? 男物でいいんだけど、私」
 俺が着てるような奴ならあるぜ、と言う甘寧に、上着ねぇじゃねぇかよ、とが応酬する。
「晒しならあるぞ」
 脱力したが、もういいと言って扉から手を離した。
 甘寧は扉を開けると、の姿を嘗め回すように見遣る。
「ん、なかなかいいじゃねぇか」
 赤が似合うといわれても、イマイチぴんと来なかった。
 露出度もさることながら、布地は金糸で刺繍されており、腰を留める布は差し色として白が使われていたが、それにも金糸で刺繍が施されている。黒い靴にも金の刺繍がされており、全身やたらと豪華な作りなのだった。
「……私の服って、どうなってるのかなあ」
「捨てちゃいねぇよ」
 当たり前だ、とは頭を抱えた。諸葛亮からの大事な賜り物だ。捨てられなどしたら、雨の中でも拾いに行く。
 甘寧に指で呼ばれ、は首を傾げて甘寧を追う。
 酒場に向かっていると気が付き、は細い廊下に入る手前で足を止めた。
 この格好で人前に出るのは、どうにも憚られる。スリットが深過ぎて、ショーツの端が見えそうな気がするのだ。
 甘寧は、止まってしまったに気付かず前を行く。如何しようかと思い悩んでいた時、突然暗がりに引き摺り込まれた。
 悲鳴を上げようにも、口を大きな手が塞いでいる。
 太い腕がぐいぐいと胸の辺りを巻き締め、呼吸が出来ない。精一杯暴れるのだが、相手はびくともしなかった。
「へっへ、女だ、女」
 低く、舌なめずりするかのような声が、の耳を打つ。ぞっとして鳥肌が立った。
 スリットから剥き出しになった足に、荒れた皮膚がざらざらと音を立てて這い回った。
「綺麗な肌だ、男を知ってまだ日が浅ぇな。たまんねぇ」
 体が浮いて、嘔吐感を覚える。汗と体臭が染み付いたぼろ布の中に体を落とされ、間髪いれずに圧し掛かられた。
 頭上に腕を引っ張り上げられ、相手が一人ではないことが分かった。腹の底から恐怖がこみ上げて、四肢が狂ったようにもがき暴れる。
「静かにしろ、この」
 ばん、と何かを叩く音がして、の頬の辺りがかっと熱くなった。口の中に甘苦い感触がある。殴られ、口の中を切ってしまったのだと遅れて理解した。痛みがぶわっと膨れ上がり、体が強張って固まってしまった。
 抵抗が止んだの足を割り、男が嬉々として潜り込んできた。の足を肩に担ぎ、下帯を下ろす。
「早くしろ、早く」
「へへ、うるせぇな、ちっと黙ってろよ」
「黙ってろ、だ?」
「そうだよ、うるせ……」
 男の言葉は途中で途切れた。
 暗がりの中、静かに怒りの気を燻らす甘寧が、二人の男を睥睨していた。
 甘寧の肩には、どこから取り出したものか、覇海が薄ら寒い冷気を放っている。その刀身が、ゆらりと揺れる。
「ひっ」
 の手を掴んでいた男が、後ろに飛び退った。
 とん、と甘寧の肩に覇海が戻される。
 また、ゆらり、と刀身が浮き立つ。
「うわ、わ」
 の足を抱えていた男が、その足を放り出してひっくり返った。萎び上がった肉茎が、腹の上でぶるぶると震えている。
 とん、と覇海が戻される。
「お前ぇら」
 甘寧の声は静かだ。だが、威圧に満ちている。
「この女に、指一本触れてみろ。その首、揚子江の魚の餌にしてやる」
 抑えに抑えていた殺気が、一気に開放された。気に当てられた男二人は、甲高い悲鳴を上げて部屋の隅に逃げ込み、まだ足りぬといわんばかりにぐいぐいと壁に体を押し込める。
 甘寧がを覗き込むと、恐怖から目を見開いたまま、無言で浅く早い呼吸を繰り返している。

 甘寧の指が、すいと伸ばされる。弾けるように跳ね上がった皮膚に、甘寧は僅かに目を細めた。
「大丈夫だ、もう、大丈夫だからよ」
 乱れた髪をさらりと払うと、の体を横抱きに抱く。
 の腕が、縋るように甘寧の背に回された。出し得る限りの力を出してしがみ付いているようだったが、その力は哀しいほど非力で、微かに震える体と相まって、憐憫の情がふつふつと湧き上がった。
 騒ぎを聞きつけた他の錦帆賊が、ぼろ布を捲り上げて興味津々と中を伺う。
「お前ぇら」
 甘寧が、くるりと踵を返し、中を覗き込む男達に声を掛ける。
「宴会は、お預けだ。こいつらがに手ぇ出しやがったからな。もうこいつは寝かすから、後は勝手にしろや」
 に襲い掛かった男二人が、金切り声を上げる。
 甘寧の言葉は、男二人を私刑にかけろという断罪の宣言に他ならない。
 を抱えた甘寧が穴倉めいた室を出ると同時に、廊下に溜まっていた錦帆賊が無言のままぞろぞろと中に入っていく。響いていた悲鳴が、途中でぷっつりと途絶えた。恐らく、布か何かを口の中に突きこまれたのだろう。
「……ら、……し、ら」
 引き攣ってたどたどしい声が、必死に甘寧を呼ぶ。
 扉の前で立ち止まった甘寧は、を見遣った。
「……ろ、さな、殺さな、いで」
 殺さないであげて。
 自分を力で犯そうとした相手に、何故そんな情けを掛けるのか甘寧には計りかねた。
 けれど、怯えて竦んだ舌で懸命に言葉を綴るに、甘寧は背後に控えた手下に合図を送る。
 手下が頷いたのを見て、甘寧は扉を開け、閉めた。
「おかし、ら」
 がたがたと震え始めたの額に、甘寧は自分の額を押し当てる。
 の震えが甘寧の体をも震えさせ、哀号するよりも尚痛々しく感じられた。
「大丈夫だ、殺さねぇから」
 の目が、緩んだと同時に涙で濡れる。たった一筋零れ落ちただけで、後はの黒目を潤すだけだった。
「怖かったか」
 こくり、と小さく首が揺れる。
「悪かったな」
 今度は微かに横に振れた。
 頬が腫れ上がっている。殴られたのだとはっきり分かる跡だった。
 甘寧は、誰かに薬を取りに行かせようとして、を寝台に下ろそうと腰を屈めた。
 だが、は甘寧の首から背に手を回したまま、頑として降りようとはしなかった。
「すぐ……すぐだ。ちょっと外に声掛けるだけだからよ」
 甘寧が宥めるように声をかけると、ようやくの手が緩んだ。
 外に控えていた手下に水と薬、酒を言いつけると、を振り返った。
 寝台の上でちんまりと座り込み、甘寧をじっと見つめている。
 その目に、まるで小さな子供が母親の用事を済ますのをじっと待っているような卑屈さを感じ取り、甘寧は面倒なことになったと内心頭が痛かった。
 こんなはずでは、なかったのだが。

 酒を煽るだけ煽って眠り込んでいたは、暗闇を滑り落ちる感覚にびくりと身を震わせた。
 夢か、と辺りを見回すと、同じく酔いつぶれたと思しき甘寧が、上掛けも被らずぐうぐう寝ていた。
 そっと指を伸ばすと、やはりひんやりと冷えている。
 は、自分が被っていた敷布をずるずると手繰り寄せ、甘寧の横に寝そべると、二人纏めてふわりと被せた。
 甘寧の顔が近い。
 眠っている甘寧の顔は、普段の荒々しさが鳴りを潜めて思いがけず可愛らしく見えた。
 お頭なら、大丈夫だ。
 何が、とは深く考えず、は再び眠りについた。

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