昨日は干果、その前は月餅、今日は蜜漬けだ。
 あれから毎日、周瑜が小喬に茶菓子を持たせるようになった。時には、茶葉が一緒に届けられることもあり、それだけでもそれなりの金がかかるだろうに、とは呆れながらも感心していた。
「周兄は、真面目だから」
 尚香も苦笑しながら、届けられた蜜漬けに舌鼓を打った。
 甘みはややきついものながら、熱い茶と良く合う。
 小喬は、ぶすっと膨れながら、周瑜が如何に反省しているか、如何に気を使っているかを熱弁し始めた。
 遮るように大喬が口を挟む。こちらは先日の一件以来、周瑜に対して何か含むところがあるらしく、普段の優しげな声音の中にも小さな棘を感じる。
 曰く、女性の顔に手を上げるなど何が理由であっても許されない、武人たる周瑜が、文官のに手加減なしで乱暴するなど許されない、等々。
 要するに、大喬としては周瑜の振る舞いを未だ許せずにいる、というわけだ。
「で、でも、でもぉ〜……」
 小喬としては愛する夫のしたことと、何とか姉の気持ちを解きほぐそうと試みるのだが、大喬も今回に限っては可愛い妹の願いを無下にするばかりだ。
 の頬の膏薬も、本来ならもう外してもいいものだ。
 ただ、その下にまだ青黒い痣の跡が残っていた為、隠す意味で貼り続けられている。
 は秘密にしているが、周瑜が手を上げる以前に既に一度張り飛ばされている。周瑜だけが悪いわけでもないのだが、これを話すと大事になる上話がややこしくなる。二喬が忘れている限り、黙っているに越したことはないとは口を閉ざしていた。
 そう言えば、甘寧は未だにの服を返してくれない。
 そろそろ五日六日は経とうというのに、遅過ぎではないだろうか。
 は自分の服を見て、溜息を吐いた。
 日本で着ていた服は、肌には馴染むが周囲からは非常に浮く。
 孫堅は珍しいと喜んでいたが、いい加減何とかしたかった。
「如何したの、
 大したことではないと思ったので、正直に話した。単なる愚痴のつもりだった。
 話し終えて、ふと目を上げた時に目に入った三者三様の笑顔に、単なる愚痴で済ませられないことを覚った。

 廊下を女官が小走りに駆けていく。
 開け放たれた窓から、対面の廊下の様子が目に止まり、劉備は首を傾げた。
「今日は、いやに騒がしいな。何かあるのだろうか」
 趙雲もまた見慣れぬ女官が廊下を行き来する様に首を傾げた。
 殺気はない。不穏な空気も感じられなかった為、今の今まで見過ごしていたのだが、それにしてもやけに数が多い気がする。
「尚香殿の女官では、ないな?」
 趙雲を振り返り同意を求める劉備に、趙雲は黙って頷いた。尚香付きの女官であれば、見覚えがないわけはない。
 よくよく見れば、手に絹やら金の髪飾りやら、女物の衣装や装飾品を携えている。
「……尚香殿が、何か新しい遊びを始めたのだろうか」
 当てずっぽうで口にしてはみたが、確信があってのものではない。
 だが、劉備の言葉を耳にした趙雲は、何か嫌な予感を覚えた。

 宴の時間が始まる間際、それぞれがそれぞれの席に着く。
 孫策は相変わらず何処か物憂げだったし、孫権はそんな兄を気にしつつも懸命に虚勢を張る。太史慈は何時もよりも更に末席を好んで座っており、何も知らぬ陸遜や、知っていても何も気遣わない悠長な甘寧などは、いつもどおりの到着を待っていた。
 末席の分際で、というのもおかしな話だが、はいつも到着が遅かった。
 最初は、孫堅が迎えに行かせるまで来なかったので当たり前だが、最近は尚香や二喬に粘られるのでなかなか切り上げられないらしい。
 今宵もその口だろう、と誰も気にしていなかった。
 二喬が、にこにこと機嫌よく入ってくる。ここ数日は周瑜の件で不機嫌そうな顔が多かっただけに、何かいいことでもあったかと自然に視線が集中する。
 その背後から、これもまた機嫌よさげな尚香が続き、後ろに向けて手招きをする。
 誰かいるのか、と更に視線が集まる。
 戸口に張られた布と柱の壁から、薄手の赤い絹と、白い脚が現れた。
 困惑したように顔を伏せる女は、無論というか、だった。
 けれど、何時になく艶やかな姿に化粧をした面は、をまるで他人のように装わせていた。
 凌統などは、呆然と目を見開いている。
 何かごねているの手を取り、尚香は真っ先に劉備の元に引きずり出した。二喬が何か言いたげなのもお構いなしだ。
「どう、玄徳様。良く似合うと思わない?」
 呆気に取られていた劉備も、尚香に重ねて問われて我に返る。
「……驚いた、こうも変わるものなのだな。勿論、良く似合っている、
 にっこりと笑う劉備に、は何故か不貞腐れたように俯き、頬を染めた。
 赤い絹地の服は、甘寧がに贈ったものだ。けれど、帯は濃い臙脂のものに変えられ、中には同色のホルダーネックのキャミソール状のものを着込んでいる。手首には細い金の環を幾つか重ねて飾り、広間の明かりを弾いて輝いていた。
 髪も後ろに高く纏められ、結い上げない部分はわざとそのまま垂らし、金の髪飾りと白い花が飾っている。
 痣が残っているはずの頬は、白粉が薄く刷かれて目立たなくされている。各々のパーツに目立たぬよう、けれど細心の注意を計られて化粧が施されており、紅く染め抜いたような唇が濡れ濡れとして男を煽るかのようだった。
 の目が、ふと趙雲に向けられる。
 縋るような目だった。背筋がぞくぞくとするのを、趙雲はやや焦りながら律した。
 まともに化粧をしたところなど、見たことがなかった。会社に行くといって化粧をした顔を見たことはあるが、塗っただけ、というのがありありと分かるような化粧だったし、趙雲もそんなものかと気にもしていなかった。
 それだけに、趙雲の心境は複雑だった。
 曇る趙雲の表情に、は密かに溜息を吐いた。
 だから、イヤだって言ったのに。
 愚痴ったに、尚香と二喬は悪乗りして女官を呼び寄せ、をおもちゃにして着せ替えごっこを始めてしまったのだ。
 呼びつけられた女官は、普段形を潜めていた対抗心を剥き出しにして、に一番似合う装いはこれであると様々な小道具や化粧道具を引っ張り出してきた。
 服は、サイズの問題もあり、甘寧がに贈ったものを採用ということで落ち着いたが、やれ痣を隠す技は私にお任せをだの、耳飾り、首飾りの組み合わせがどうこう、色の組み合わせがどうこう、髪型がどうこうと話し合いという名の狂乱は留まることを知らなかった。
 下着ですら剥かれてしまい、全裸で呆然とするをいいことに好き勝手に装わせると、三人は尻込みするを無理やり引き摺って広間に突貫をかけたという次第だ。
 は、実は己の姿を見ていない。
 見たところで、普段と違う装いに違和感を覚え、身悶えただけで終わったろうと思ったが。
 尚香と二喬、皆細い体をしているくせに、力だけは物凄い。武将だからだろうかと、民の体力ゲージしか持ち合わせない(と思われる)はほとんど諦めの心境で引き摺ってこられた。
 趙雲が何か反応してくれればとも思ったが、あの様子ではやはり似合っていないのだろう。
「よろしいですか」
 脇から大喬が顔を出し、今度は孫策の前にを引っ張り出す。
 孫策は、呆然としていた。口を開けたまま、固まってしまったかのようだ。
「如何ですか、孫策様」
 大姐、お綺麗でしょう、と嬉しげに笑う大喬に、やや遅れて孫策が頷く。
 嘘臭い。
 眉を顰めるに気付かず、大喬はを孫策の膝に座らせようとする。先日の件を、まだ覚えていたのだろう。
「わ、馬鹿、いいって」
 何故か焦りに焦る孫策に、大喬は不思議そうな顔をし、は内心プライドを傷つけられた。
 顔の美醜に関しては、持てるプライドなんか欠片もない、と思っていたが、やはりこうも態度に出されると傷つくものなのだ。
 黙礼して席に戻ろうとすると、孫堅に呼び止められた。
 何か面白い物を見るような顔をしている。
 はやけになって孫堅の隣に立った。
「どうした」
 如何したもこうしたもないものだが、とりあえず訊かれているのは塗ったくられた顔と珍妙な格好のことだろう。
 尚香様と大喬殿、小喬殿がお手持ちの装飾などを貸して下さったのですと素直に答えた。
「似合うでしょ?」
 尚香が席に着きつつ孫堅に話しかける。
 娘の無作法に笑って答えつつ、孫堅はの解れた後れ毛に指を伸ばす。
 熱を帯びた指の感触に肩を竦めると、薄く笑われた。
には、白の方が似合うのではないか」
 これはこれで悪くないが、と前置きして孫堅はそんなことを言った。
「今度、何か適当に贈ってやろう」
 は困惑して首を傾げた。
「そんなことをしていただくわけには……」
 服、というより布は高価なもののはずだ。孫堅には何ともない物であろうと、一文官のにはもらう理由がない。
 甘寧が贈ってくれた服だとて、本当は洗って返すつもりだったのだ。ただ、細微な金糸の刺繍に、普通に洗濯していいものか悩んでしまった。固く絞った手巾で裏地を拭き、日陰干しにして風を通す……まではしてあったが、そこから先は思いあぐねて仕舞いこんであった。
 甘寧の方を見遣ると、人懐こそうににっと笑いかけてくる。
 苦笑いで応えていると、孫堅がとんでもないことを言い出した。
「では、お前が呉にくれば如何か?」
 そうなれば俺の部下になるわけだし、可愛い部下に俺が何をくれてやっても構うまい?
 ごく自然な物言いに、一瞬頷きかけたは、慌てて首を振った。
「私は、蜀の文官です」
 は即答したが、劉備ら蜀の人間も、一斉にぎょっとして孫堅を見遣る。
「そ、孫堅殿、その義は……」
「あぁ、そう言えば一度、断られておったな」
 忘れていたと笑う孫堅を、は呆然として見つめた。
 自分の知らないところでそんな話があったとは、初耳だ。馬良辺りが気を利かせての耳に入らないよう手を回してくれたに違いない。
 けれど、何故孫堅が自分に執着するのか分からない。
 何か、あるのだろうか。
「……では、こうしたら如何か。を、俺の……」
 孫堅の言葉は、最後まで発せられることはなかった。
 突然、広間に飛び込んできた者がある。
「大変です、揚子江に船が……蜀の船が、来ています!」
 ざわ、と広間がざわめく。
 如何いうことだと詰問調の目を向ける呉の武将達に、訳が分からぬといった蜀の文官達がうろたえてみせる。
 船。
 蜀の船。
 何故か高揚する胸の内が、口元の微笑に現れる。
 麗しげに笑うに、孫堅はその意図を測りかね、その横顔をじっと見つめた。

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