船だ、船だとがはしゃぐ。
 ぴょんぴょんと小さく跳ねる様に、趙雲ですら呆れた目を向けた。
 呉の先触れの話では、やはり物資を運んできたものらしい。
 孫堅への贈呈品も積まれているということで、怪しい仕掛けの類は見られなかったということだ。
 当たり前だとは思った。
 今、蜀から呉との同盟を切る謂れは何処にもない。
 まして、君主たる劉備が呉にいる間に、迂闊な真似などできようはずもなかった。
「ん?」
 跳ねていたが、ぴたりと動きを止めた。
 きょろきょろと辺りを見回す。
「どした、?」
 見物に居合わせた孫策が、の不審気な動きに声を掛けてくる。
「今、誰か呼ばなかった?」
「誰が」
「私が聞いてるの」
 不機嫌そうに孫策を見上げるは、またぴたりと動きを止めた。
「あれ?」
 首を傾げてまたきょろきょろと辺りを見回す。
 孫策が、ひょいと首を伸ばして揚子江の先を指差す。
「あれじゃねぇのか?」
 あれ、と言われても顔をそちらに向ける。
 孫策の指先には、まだ小指の先よりも小さな船の影があるばかりだ。
 まさか、あんなに離れてるのに、とは笑った。
「けどよ」
 じっと目を凝らす様に、孫策には見えているのかとは首を傾げた。どれだけ目がいいと言うのか。
「あいつ、いるぜ」
 あいつ。
 あいつとは誰だ。
「だから、あいつ」
 分からん、とが吠えると同時に、再び声が聞こえてきた。
「……まー……」
 きょとん、として船を見つめる。
 しばらく耳を澄ませていると、また声が聞こえてきた。
「……さ、まー……」
 この声は。
「え」
 は息を飲む。
 また聞こえてきた。
 この声は、間違いない。
「しゅ……春花!?」
ーさぁ、まぁ―――っ!!」
 船が近付くにつれ、声はどんどん鮮明になる。間違いなく、春花の声だ。
 やがて接岸した船の縁から、春花が飛び上がってに手を振っているのが見えた。柵ぎりぎりの背の高さのため、飛び上がらないとの顔が見えないのだ。
 接岸しても、船からすぐに降りられると言うわけではない。
 春花はもどかしそうに、何度も跳ね上がってはの名を叫び続けた。
さま―――っ!」
「春花―――っ!」
さま―――っ!」
「春花―――っ!」
 はっきり言えば、相当うるさい。
 互いに互いの名を呼びながら、手を精一杯差し伸ばしている。
 一見すれば麗しい光景に見えなくもないが、あまりに大きい声が情景を損なわせている。
 やっと船から岸に渡しが取り付けられ、春花は見かけによらぬはしっこさで渡しに駆け寄り、人足の足の間を潜り抜けて岸に飛び降りた。おかげで人足が何人か将棋倒しになっていたが、春花はまったくお構いなしで目掛けて走り抜ける。
さま―――っ!」
「春花―――っ!」
 飛びついてくる春花の体を抱きとめ、勢いでぐるぐると回ると、三回転半後にようやく止まり、互いにぎゅっと抱き合った。
 恋人か何かならともかく、何という大袈裟な再会だと、これもまた野次馬で居合わせた凌統が呆れ返った。
 抱き合いながら、確認するようにずっと名前を呼び合っている。
 傍らに立つ孫策も、存在を完全に無視されたことに怒るよりも先ず毒気を抜かれ、ただ呆然と二人の遣り取りを見つめていた。
「春花、如何したの、びっくりしたよ―――!」
 さわさわと春花の滑らかな頬を撫で上げ、は半泣きで叫ぶ。
 春花はの手の甲に己の甲を重ね、うっとりとを見上げた。
「馬将軍さまが」
 思いもかけぬ名に、は思わず息を飲む。
「孟起が?」
 春花はこくりと頷くと、の背中に手を回し、ぎゅっと抱き締めた。
「馬将軍さまが、さまが一番喜ぶのは美味しいお菓子でも綺麗な装束でもない、私だろうと仰って下さって! 行ってくれるか、と私を送り出して下さったのです……ああ、さま、私、馬将軍さまを誤解しておりました! あの方、本当に良い方です!」
 お会いしたかった、と叫ぶなりおいおいと泣き出す春花に、も釣られて涙を浮かべる。
「そう、孟起が……」
 もう懐かしいとさえ感じる男の、自慢げに笑っている顔が脳裏に浮かぶ。
 有難う、孟起。ホントに、私にとっては一番嬉しい贈り物かも。
 力いっぱい抱きついてくる春花に、も力を篭めて抱き返した。

 趙雲は、顔付きだけは平静を保って二人の再会を見守っていた。
 してやられた、という苦々しさがある。
 は、物欲の薄い女だ。そのを喜ばせるのは、逆に生半なことではないのだ。
 馬超に知恵をつけたのはどうせ馬岱に違いないが、これほど効果的な策もない。
 未だひしっと抱き合う二人に、趙雲は溜息を吐いた。
「趙将軍」
 苦笑交じりの懐かしい声に振り返れば、そこに拱手の礼をとる姜維の姿があった。
「お久しゅうございます……と言って、それほど間が空いたとも言えませぬが」
 趙雲も礼に応えると、やはり苦笑を浮かべた。
「よく、春花を同乗させる許可が下りたものだ」
 馬将軍が半ば強引に、とそこまで言って、姜維は言葉を切った。
 そこまで聞けば十分だ。どうも、相変わらずらしい。
「しかし、何故また」
 暗に話題を変える。
 姜維も敏く覚り、強いて笑顔を浮かべた。
「渡したくない、ということではありませんか。事情が事情ですし」
 馬超の話をしている風を装い、話を続ける。
 早く劉備を蜀へ引き戻さんという策だということか。
 細かな話は、さすがにここではできない。
 とりあえず荷を降ろし、姜維らを孫堅に引き合わせなくてはならない。言い訳は、早い方が良かろう。
 に目を向けると、まだ春花と抱き合っていた。
 声を掛けようとした時、突然春花が叫び上げた。
「それにしても、さまのその衣装は如何なさったのですか!」
 は、甘寧から送られた服を身に纏っていた。文官の装束は、未だ返してもらえてなかったのだ。
「いや、ちょっと、ね」
 何と言っていいか分からず、誤魔化した。
 春花の目がくわっと吊り上がる。
「なりません、何ですかこのフシダラなお姿は! お色もさまにはまったく似合っておりませんし、飾りもそぐっておりません!」
 なりませんなりませんと大連呼する。
 某ファッションチェックもかくやという指摘の数々に、はただ、はあ、と答えるしかできなかった。
「ちょっとぉ!」
 突然小喬が飛び込んでくる。
 折角仕立てた装いを、頭の先から爪先まで駄目出しされれば腹も立とう。
 だが、事情を知らない強みもあってか、春花はまったく譲らない。
さまの溢れる知性を美しく装うに、このようにはしたなく足を出すなんてもっての他ですわ! お色も、さまには落ち着いた緑が一番お似合いです。このように下卑た赤など、さまの品性を損ないますっ!」
 何せ、春花が一番さまのことを存じ上げておりますもの、とに微笑み掛ける。
 が引き攣りながらも笑みを浮かべて応えると、小喬がぶーっと膨れ上がる。
「大姐、その格好嫌なの!? 嫌いなの!?」
「いや、嫌いというわけでは……」
「嫌に決まっておりますわ、ね、さま」
 小喬と春花に挟まれ、はおろおろとうろたえる。
「いや、あの、二人とも落ち着いて……」
「落ち着いてなんかいられないもん!」
さま、どちらの味方なんですか!」
 どちらの味方と言われても。
 はたらりと汗を流した。
 ちらりと横目で孫策を伺い、助けを求める。孫策は苦笑いして更に横を向く。
 視線の先には趙雲が居り、孫策の視線を受けて眉を顰めた。
 孫策は更に別方向を向く。
 その先には周瑜が居り、孫策の視線を受けて溜息を吐いた。
 二人同時にすたすたと騒ぎの中心に歩み寄り、同時に二人の少女を取り押さえる。
「春花」「小喬」
「「だって!」」
 見事にはもって振り返る二人は、表情から何から本当にそっくりだ。
 ああ、春花って小喬殿に似てるんだ。
 ということは、何はなくとも一騒動はありそうだ。
 頭が痛くなって、額を押さえて俯くの背後から、そっと近付く者があった。

 取り押さえられながらも言い争いを止めない春花と小喬に、周囲の注目が集中する。
 これ以上はなく見事に場を治めた、と得意げな孫策が、に褒めてもらおうと勢い良く振り返った。
 視線の先で、は姜維に抱き締められていた。
「お会いしたかった、殿……!」
 も、突然のことに声もない。姜維の為すがままに抱き締められていた。
 思わず固まってしまった孫策に気が付き、少女達を取り押さえる二人もぎょっとして姜維とを見遣る。
 周囲の注目も春花と小喬の目も、姜維との熱い抱擁(というのも何だが)に釘付けになった。
 誰かに咎められる前に、自らさっとから身を離す。
「申し訳ありません、再会の喜びに、己を律することができませなんだ」
 姜維はに深く頭を下げ、許しを請う。は、はぁ、としか言えなかった。
 次いで姜維は、周囲の人間に向けて爽やかに笑みを向けた。
 返ってくる刺々しい視線にも、満面の笑みで応えている。まったく、いいタマだ。
 一騒動どころではない。
 大波乱の予感に、は眩暈を覚えた。

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