孫堅が目を覚ますと、腕の中にが居た。
 少し寝惚けていたようだったが、孫堅が目を開けるとぱっちりと目を開けた。
「……目が、覚められたようで」
 物凄く不機嫌そうな低い声で、孫堅を睨めつけている。
 何故が、とぼんやり考えて、眠りに落ちる前の遣り取りを思い出した。
 蜀の船……と言うより姜維が来てから数日、初めて見せるの表情に意味もなく苛立たしさを覚えていた。加えて、今この時期に船を寄越した諸葛亮の意図に何か裏があるのではないかと、呉の文官を中心に毎夜毎夜、諸子紛糾していたのだ。
 宴は行っている。疑惑を持っていると知られ、警戒されては困るのだ。非がこちらにあれば、後々の災いになるかもしれない。事は隠密にしなければならなかった。
 理由なき苛立ちと寝不足が重なり、孫堅は遂に被っていた猫の皮まで放り出した。
 そうすることで、が如何反応するか見たかったと言う気持ちもある。
 与えられた結果は、安らかな眠りだった。
 想像外の産物に、孫堅は愉快になった。やはり、欲しい。
 荊州でいいならくれてやる、いつか取り返せばいいだけの話で、今の時点では呉はこの上なく潤っている。
 ただ、はいけない。
 は、荊州のようにいつまでも在るわけではない。
 長男の嫁でも何でもいい、そばにいてくれれば……いや、それは言い訳だ。
 の纏う服に、孫堅の体臭が移っている。
 身も心もこんな風に染め抜いて、初めて俺はこの手を離すことができるのだ。
 胸にそっと添えられた指先に、形のいい爪が見えた。その柔らかな桃の花の色に、内を流れる血肉の柔らかさを感じた。
「……え」
 がぎょっとして体を起こそうとしている。つい、腰にまわした手に力を篭めて、押さえつけてしまった。
 顔を真っ赤にして、何とか逃れようとする様に、ようやく自分のものが変化しているのに気がついた。
「俺も、まだまだ若いな」
 真面目腐って言うと、が何か言いたげに唇を震わせていた。

 は自室に戻る前に、姜維に顔を見せに執務室に寄った。
 服から孫堅の汗の匂いがする。
 気にはなったが、本来なら尚香と二喬相手にお話する時間をぶっ千切ってしまった。孫堅が眠っている間、誰かがを探しに来たのだが、結局見つけられずに立ち去っていった。孫堅の腕に抱かれている姿を見られずに済んだのは幸いだったが、報告は恐らく姜維の元にも届いているはずだ。
 なるべく早めに顔を出し、事の次第を告げなければ。
 姜維の執務室に着くと、声を掛ける前に姜維が扉を開いた。
 驚きの余り声を飲み込んでしまったを、姜維は室の中に引き摺り込んだ。
 扉を閉めるのももどかしく、の体を抱き締め、唇を塞ぐ。
「……んんっ?」
 叫ぼうにも唇は塞がれたままで、腕ごと姜維に戒められているので振り払うことも出来ない。
 いつもであればおずおずと触れるだけの柔らかな唇が、何かに浮かされたように強く押し付けられ、舌がの口内を犯す。
 姜維の腰の辺りに固い感触があるのを感じて、は驚き目を開いた。
 苦悶の表情がそこにあった。
 白い顔に朱が差し、追い詰められたように固く閉じた瞼は少女のように儚げだ。
 けれど、その眉間には苦悩の皺が刻まれ、引き攣れた眉は歪んだ弧を描いて酷く哀しげに見えた。
 伯約。
 口は塞がれていたから、胸の内で姜維の字を呼んだ。
 通じるものがあったのか、姜維はゆるゆると固く閉ざした瞼を開き、その瞳にの姿を映した。
 目が、見る見るうちに潤っていき、涙の雫を作る。
 唇が離れた。
 震える姜維の唇から、目が離せなくなった。
 短く浅い呼吸を繰り返すと、くっと噛み締められる。色を失くして白く浮き上がる唇は、解かれると同時に鮮烈な赤と化した。
「……行かないで、下さい……」
 悲痛と言うに相応しい嘆きの声だった。
「何処にも……お願いですから……行かないで、下さい……」
 嫌なんです、貴女が行ってしまうのが。
 かつて姜維がに向けて贈った言葉だった。詩人の情熱を垣間見ような言葉だった。
 姜維の指が、再びをかき抱く。
 苦しいぐらいに抱き締められて、抱き潰されそうになって、は姜維を寄越した諸葛亮の意図をぼんやりと理解したような気がした。

 姜維がを開放した後、姜維は赤くなった鼻をぐす、と音を立てて啜った。
 子供じみた仕草に、は可笑しくなって微笑む。姜維が頬を染めたので、顔全体が赤くなってしまったように見えた。
 は、そっと手を伸ばすと姜維の目元を舌で拭う。ほんのり塩辛い味が舌を痺れさせるが、は丹念に塩気を拭った。
 次いで、頬を流れ落ちた涙の跡を、やはり舌で拭い去る。
 姜維の唇から、熱い息が漏れ出してきている。心地よさと好きな女にされているという興奮が、姜維の内で悦となって熱を放出させているのだろう。
 最後に、赤くなった唇を舌でなぞる。
 皮の薄い肉を、滑った柔らかな感触が撫でていく感触に、姜維は思わず嬌声を漏らした。
 寒くもないのに体の震えが止まらず、むしろ体の内で奔流する血の疼きに居場所を見失ってしまいそうだった。
「……伯約は、私が好きなんだよね?」
 の問いは、子供が親に問いかけるようなあどけなさを伴っていた。
 訳は分からなかったが、姜維が大きく頷くと、何処か困惑したようには微笑んだ。
「……今夜、伯約のところに行くからね」
 は、と姜維の目が見開かれる。
 呻き声を上げて、姜維は顔を横に振った。
 言葉の意味を何度も推考して、辿り着く一つのごく当たり前の結論に愕然とした。
 抱けない。
 抱けるわけがない。
 今は、無理だ。
 は、困ったように微笑む。
「じゃあ、そんなに自分を責めないで。仕方ないんだから。伯約が悪いわけじゃないでしょう。だから……ね?」
 言葉で、分かる? ちゃんと伝わる?
 は不安そうに姜維を見上げた。
 姜維は、それこそ呼吸を奪われるほどに衝撃を受け、をただ黙って見つめた。
 震える指が伸ばされ、の背中に回る。
「……っ、嫌……です……嫌です……行かないで下さい……」
 強く抱きこまれながら、天からの雨のように涙がの頬を降り濡つ。
「じゃあ、どうして来たの」
 の声は平坦だ。詰る言葉ではなかった。
 だが、姜維は激しく傷つけられたかのように目を見張り、口を閉ざした。
 は敢えて、言葉を続ける。
「命令だったからだよね?」
 姜維は答えない。
「命令だったから、姜維は此処に来たんでしょう? 命令を受けて、了承したから、此処に来たんでしょう?」
 では、命は果たされなければならない。
 姜維は、答えなかった。
 遮二無二抱き締められ、無言で沈黙を催促される。
 は黙らない。
「仕方ないんだよ、伯約。命令なんでしょう? 私、いいよ。ホント言うと、覚悟、してたから。何となく……伯約が来て、私のことすごく……切ない目で見てたでしょう。気になってたんだ……何か、あるのかなって……でも、伯約ってそういうとこあったから……久し振りだからかなって思ってた。ごめんね、孔明様の直属の部下なんだから、もっと気が回らなくちゃ駄目だったよね」
 姜維は、何も言えずに首を振った。涙が周囲に散った。
「こんな、ね、策略なんてレベルのもんじゃないこと、ううん、単純だから余計にいいのかな。気がついて当たり前だよね、ごめんね、気がつかなくて。辛かったね、伯約。ごめんね」
 要するに。

 が呉に残り、見返りに劉備が戻る、ただそれだけのことだ。

 同盟の態を為してはいるが、蜀と呉は所詮他国同士。その他国に君主を引き留めることにより抵抗を許さず、実質その領土を我が物とする、それは極自然の策とも呼べぬ策だ。
 ならば、が孫堅ら呉の君主並びに重臣を誑かし、自らの君主を逃す、これもまた極自然の策とも呼べぬ策だろう。
 にそんな演技はできないと察した諸葛亮は、だからこそ姜維を寄越したに違いない。本来ならば、物資の運搬など誰でも良かったはずで、むしろ文官の重臣を誰か寄越した方が武将たる姜維を寄越すより余程穏便にことが運べたはずだ。
 姜維がここ数日、張り付くようにと共に居たのは、つまらない悋気を焼かせるだけの話だったのだろう。
 恐らく春花が同乗を許されたのも、に蜀への思いを馳せさせることで、更に悋気を煽ろうと言うだけの心持だったに違いない。でなければ、馬超が騒いだ程度で諸葛亮が己を曲げるとは考えられない。
 もったいぶって、宥めすかして、漸う仕方なしという素振りで許可を出し、馬超への恩着せも忘れない。
 諸葛亮らしいと、は自嘲した。
 けれど、不思議に怒りの感情は感じなかった。
 代わりに、仕方ないのだという諦めにも似た感情が、黒い霧となって心を覆っていくような気がした。
 蜀に帰りたい。
 ぽろ、と涙が珠となって零れた。
 蜀に帰りたい。
 あの、美しい山並みをもう一度見るのを楽しみにしていた。
 皆、どうしているだろうか。
 関羽や張飛、ホウ統に黄忠に魏延、関平や星彩が次々と脳裏に浮かび、哀しくなるほど懐かしく思われた。
 馬超。
 満天の星の下で、初めて抱かれた夜を思い出す。如何していいか分からなくて、うろたえているのを笑って見下ろしていた。不意に真顔に戻った顔が、真摯にを見つめ愛しげに囁く。
 俺が、お前を守ってやる。
 確かに聞いた声音が、遠く遠くリフレインする。
 あの時は、本当に守ってくれると思えた。それが無理でも、この言葉がいつも嬉しく思い出されるだろう、そう信じていた。
 今はただ、痛い。
「……っ、も、申し訳ありません!」
 姜維が、から飛び退って土下座した。
 額を床に擦りつけて、掠れた涙声で詫び続ける。
 は、涙を拭くと、苦笑して姜維の背を抱き起こそうとした。姜維は、頑として首を上げようとしない。
 仕方なく、姜維の背を抱き締めるようにして、その肩に頬を寄せた。
「……だからね、伯約。いいんだよ。仕方ないことなんだよ。伯約だって、辛かったでしょう」
 姜維は首を振って否定した。
 辛いのは、当たり前なのだ。一生かけても側に、と誓ったひとを、敬愛する上司の命とは言え他国に売り飛ばすような真似をする。
 当たり前なのだから、耐えるのも当たり前なのだ。
 唯一嘆いていいのは、置き去りにされるだけなのだから。
 それなのに、このひとは。
「はーくやーく?」
 からかうように節をつけて字を呼び、優しく背中を抱き締める。
 頬に手が添えられ、顔を上げさせられてしまった。
 姜維が顔を上げると、先程まで泣いていたのが嘘のように、穏やかに笑っているがいた。
「話したでしょう、良くしてもらってるって。嫌な奴も、そりゃいないじゃないけど、最初に比べれば全然マシ。ね、だからね、私、平気だよ」
 だから私を置いていって。
 如何してそんな惨いことが出来ようか。
 良くしてもらっている、けれど、蜀に帰りたいとあんなに切なげに呟いていたことを忘れてしまったのか。
 姜維は、頑なに拒絶した。
 の手が、するりと姜維の股間に伸びた。
「……硬くなってる」
 くすり、とが笑った。妖艶な笑みだと思った。
 恥ずかしさで頬が焼けると同時に、初めて見るの表情に釘付けになる。
「時間がないから」
 の指が、布越しに姜維のものを撫で上げる。他人の指の感触に、姜維は抗おうと腕を突っぱねるのだが、肝心の手首から先にまったく力が入らず、の動きを留めることは出来なかった。
「……い、いけませ……なりません、殿……!」
 必死に留めようとする姜維の言葉は、切羽詰ってを煽った。
 どうにか、という態で姜維の下帯から凝った肉の芯を取り出すと、は躊躇わず口に含んだ。
「っ、あぁっ……!」
 苦痛に似た悲鳴を上げて、姜維は仰け反った。
 火で炙られているような熱さと、背筋を鋭く太い針が貫いていったような衝撃を感じた。
 涙がこみ上げると、耳の中がきぃんと鳴り出した。
 の舌が、口全体が姜維のものを嬲り、押し包み吸い上げる。
 くちゅくちゅという水音に脳髄を犯され、抵抗しようにも体が言うことを聞いてくれない。
 気がつけばが動きやすいように腰を突き出している始末で、姜維は初めて感じる悦と情動に、溺れた魚のように口をパクパクさせた。
 口の端から、唾液が零れるのも気がつけぬままだ。
「あ、あぁ、殿……!」
 奥底から迫り出してくる熱を感じ、必死にを呼ぶが、は動じる様子もなくひたすらに姜維を嬲る。
「あ、も、もう……なりま、せ……っ……」
 声が切羽詰ったように途切れ途切れになり、びくんと顎が仰け反った。
 の喉奥目掛け、大量の精液が迸る。
「あ、あ、あ……」
 涙を浮かべて呆然と放出をする姜維だったが、は当たり前のようにそれらを全て受け止め、飲み干した。
 肉棒が力を失くして項垂れ、先端から滲み出る最後の残滓を舌先で拭うと、はようやく姜維を解放した。
 羞恥と恥辱で顔を赤くしたまま言葉を失う姜維に、は口元を押さえ、けふん、と軽い咳をした。
「ふっふふ」
 にやぁ、とが笑う。
「奪っちゃった」
 けらけらと笑われて、姜維は何ともいえない心境になった。顔を赤く染めたまま、慌てて一物を仕舞い込む。
 身を乗り出し、姜維の鼻先に口付けると、はそのまま姜維の体を抱きこんだ。
「……いいんだから、ね」
 私は、許している。
 の言葉が聞こえたような気がして、姜維は堪えきれずにまた、すすり泣いた。

←戻る ・ 進む→


Shuffle INDEXへ →
TAROTシリーズ分岐へ →