代書や竹簡の整理、呉と蜀の文官の面会時間調整、打ち合わせ、食糧の管理や書簡の遣り取り等、文官らしい仕事だけでも暇はない。
 墨すりや竹簡の修繕等、雑用を足せば時間が幾らあっても足りない。
 も、馬良の指示に従って色々な雑用に走り回っていた。とはいえ、同僚の王埜のように表に出されることはあまりない分、はそれなり楽だと言えるかもしれない。
 馬良は物静かな人物だ。穏やかで、にも礼儀正しく接してくる。分からないことがあれば丁寧に応じてくれるし、分かりやすく教えてくれる。
 なんていい人だ。
 手間をかけさせたくない、出来の悪い部下だと思われたくない、とは熱心に仕事に打ち込んだ。
 ここに来るまで上司だった親父との関係が最悪だったので、余計に馬良が良く思えるのかもしれない。
 恋愛感情ではないが、は馬良がかなり好きだった。
「馬良様、お茶ですー」
 手ずから茶汲みなどするのも、好意の表れだ。会社勤めの頃は、飲みたきゃ勝手に飲みやがれというスタンスを崩すことはなかった。新聞読んでひっくり返っている親父の為にお茶を淹れる暇があるなら、アタシャ計算機入れるね、と公言してはばからないものだから、社内でのに対する評価はぱっきり二つに割れていた。
 そんなわけで、が進んでお茶を淹れる相手、というのはが相当敬愛している印なのだ。
 知ってか知らずか、馬良はいつもの穏やかな笑みで、では少し休憩を入れましょうか、とと王埜を誘って円卓に向かう。
 そんなところも、馬良の高ポイント条件だった。決して一人では休まない。休む時は部下にも休憩を入れさせる。
 ラブい!
 が一人で萌え萌えしていると、王埜が呆れたような視線を向けてくる。
「今日は、乾した杏も付きまーす」
 えへへ、と笑いながらお茶を注ぐ。
「豪勢ですね」
 馬良も王埜も少し嬉しそうだ。姜維が、が呉に向かう時に持たせてくれたものだ。蜜漬けとは違ってえらく硬かったが、代わりに口の中に含むとじんわりと甘味が広がる。馬良も、これが好物だった。
「……いやその、昨夜はご迷惑をお掛けしたようなので」
 お詫びに、と言うと、馬良は不思議そうな顔をした。
「いえ、謝っていただくようなことは何もありませんでしたよ……却って、孫堅殿のご機嫌が良くなりましたし……そうそう、今宵も是非、と」
 がしゃん。
 の手が滑り、湯のみが茶托の上で小さく跳ねた。まだ上に上げる前だったのでマシだが、それでもの指に熱い茶が被ってしまい、は指を押さえて身悶えた。
 がこの手のどじを踏むのは日常茶飯事で、もはや馬良も王埜も驚かない。の反応が大袈裟過ぎて、笑いを堪えるのに必死ではあったが。
「……い、行かなきゃ駄目でしょうか……」
 雨に濡れた子犬のようにぶるぶるしているに、馬良も王埜も顔を見合わせた。
 王埜は馬良から話を聞いており、が尻込みする理由がさっぱり分からない。『歌』に対する感覚は、凌統とほぼ一緒だ。本人とのズレが生じるのも無理からぬ話なのだ。
「いや、しかし」
 馬良がを宥めようとした時、声掛けもなく突然扉が開いた。
!」
 飛び込んできたのは孫策だった。
「おう、いたな! なぁ、ちょっと来いよ」
 言うなりの手を引き、連れ出そうとする。
「ちょ、私は仕事が……!」
 足を踏ん張るのだが、まったく抵抗にならない。ずるずると引っ張られ、声を張り上げて止めに入る。
 孫策は、ひょいと振り返り、卓に並んだ茶碗や乾果を一瞥する。
「暇、なんだろ?」
 な、と馬良に問いかける。馬良も何と言っていいか計り兼ねて、申し訳なさそうにを見遣る。あまりに間が悪かった。
「……この後、殿にはやっていただきたい仕事があります故……」
 用が済んだらすぐに返してやる、と言い捨て、未だに抵抗を続けるの体をひょいと抱き上げて孫策は駆け去って行った。の怒号と悲鳴がどんどん遠くなり、終いには聞こえなくなった。
 後に残された二人は、溜息を吐いた。もう、のんびり茶を啜っている気分にもなれない。
 とんでもない人に見込まれたものだ、と馬良は呟き、王埜はの身を案じながら、扉を閉めた。

 蜀の陣営に割り当てられた屋敷を抜けた辺りから、は口を噤んだ。
 お姫様抱っこをして走っているというだけで、それはもう目立つのだ。これ以上人目を引くような真似はしたくない。
 孫策は廊下の途中でくるりと身を翻すと、背中からとある室に飛び込んだ。最小限開いた扉は、孫策の器用な足技によって音もなく閉まる。まさに早業、目を凝らして見ていなければ気がつくこともなかったろう。
 扉が閉まり、差し込む光が途切れると、再びくるりと身を翻す。
 見た気がすると思ったら、昨夜の宴会を行った広間だった。卓はそのままに、綺麗に片付けられている。
 孫策はずんずんと進み、昨夜と同じ席に腰掛けた。を抱えたままである。
 片手を抜き取り、を膝に乗せ直すと、力いっぱい抱き締める。あまりに力を入れ過ぎて、の口から『ぐぇ』という色気のない悲鳴が漏れた。孫策は気にしていないようだが。
 抱き締めたまま、孫策は鼻を蠢かす。くんくんと匂いを嗅ぎ、物足りなくなったか舌を出して頬を舐める。ぎゃあ、と仰け反って逃げるのを、追いかけて舐め回す。頬は元より、耳や首筋、髪の生え際、額や眉間、鼻までも、犬のように舐めまわす。
 犬の舌ならくすぐったいで済んだかもしれない。だが、今を舐め回しているのは、犬の薄い舌などではなくねっとりと厚い男の舌なのだ。
「や、いや……!」
 ぞわぞわとする。小さな悲鳴に微かに吐息が混じり、皮膚に薄っすらと汗が浮く。
 孫策の舌がの唇をなぞり、重力に引かれた果実が落ちるように唇を割って侵入する。惑う舌を即座に絡め取り、深く合わせた唇から、自分の方へと引きずり込む。
 孫策が薄く目を開けると、頑なに拒絶するの表情が映る。
 何でだよ。
 抱き締めるだけだった手が、の肌を這い始めた。追い詰めるような動きに、の体がびくびくと震える。
 痺れた舌が唇から覗く。銀の糸がつぅっとつたって、半円を描いた後二人の間に落ちた。
 の瞼が痙攣するように震え、ゆっくりと開いた。涙で黒目が潤んでいる。
「……今日も、宴会やるんだぜ」
 早いもん勝ちだ、だから、今日は、俺のもんだ。
 再びを腕の中に巻き締め、孫策は熱い息を吐き出した。
「会いたかった。凄ぇ、凄ぇ会いたかった……」
 は再び目を閉じた。孫策の声が耳から忍び込み、脳髄を焼くようだった。
「昨夜、お前のとこ行ったら、お前寝ちまってるんだもんな。よっぽど挿れちまおうかって思ったけど。全然目ぇ覚まさねぇから、お前」
 の首筋に噛み付きながら、孫策は拗ねたように呟いた。
 いちいち撥ねる体を御しながら、は必死に抜け出そうともがいた。
「ゆ、昨夜私の服脱がせたのって、じゃあ……」
「俺」
 の体を引き寄せながら、いともあっさりと白状する。思わず眩暈を起こしそうになるが、は詳細を促した。
「ヤッてれば目ぇ覚ますかと思ったんだけどよ……全然目ぇ覚まさねぇし……朝になっちまったから、とりあえず帰った」
 裸のに上着をかけたはかけたと言う。では、蹴り落とすかどうかしてしまったのだろう。
 いや、問題はそこではない。
「ぬ、脱がせないでくれる!?」
 は更にじたばたと暴れる。肘が孫策の顎にクリーンヒットして、は背後の厚布の後ろに飛び込んだ。
 顎を押さえて呻く孫策に一応謝るが、は孫策のところに戻ろうとはしなかった。
「私、蜀の使節として来たんだから……お願いだから、そういうことしないで」
 孫策の顔が、あからさまにむっとする。
 椅子を蹴って立ち上がると、の元に大股で向かう。は、慌てて次なる逃げ場を探すのだが、片側は布を固定するように美しく装飾された柱、片側はすぐ角になっており、一瞬判断が遅れたはすぐに孫策に捕らえられた。
「嫌なのかよ」
 口を尖らせた孫策は、だが悲しげに目を細めた。
 そんな顔をするのはずるい。
 傷つけたくない、と優柔不断が頭をもたげる。
 でも、そんなのはその場しのぎだ。結局、もっともっと傷つける。
 だから。
「……嫌だ、よ」
 押し出すように、溜息を吐くように、決定的な言葉を漏らした。
 声が形成された時、胸がずきんと痛んだ。
「そうか」
 の体を壁に押し付けるように、孫策が体を寄せてきた。
 緩く捕らえられる。耳元に孫策の吐息が触れ、孫策の、人より熱い体温がを包み込む。
 重い沈黙に俯いたの耳に、孫策がぼそりと囁いた。
「じゃあ、しかたねぇな」
 声の後に舌が侵入してくる。急激に突きこまれ、の肩が撥ねた。嬲るようにねっとりと蠢く舌に、細い悲鳴が漏れた。
 合わせた襟から指が忍び込み、乳房を直接揉みしだく。孫策の足が器用にの裾を割ると、しゃらりと布が鳴って白い脚が剥き出しになった。
 まさか、こんなところで、と気持ちばかりが焦っていく。
 今夜もここで宴会をやると言っていたではないか。では、これから人が大挙して準備に押しかけるのは目に見えている。
 慌てふためきながらも何とか孫策を留めようとするのだが、力ではまったく敵わない。割った裾の間に指を差し込まれ、乱暴にかき回される。
「……嫌じゃ、ねぇんだろ……?」
 指は水音を伴っていた。
 それでもは首を振る。どうしてこうも気持ちが通じないのか。
 孫策は、苦々しく眉を顰めると手早く自らの滾りを取り出す。既に固く勃ち上がり、青筋を立てて熱り勃つものがの濡れた秘部に沈んでいく。じりじりと亀頭まで埋め込むと、一気に根元まで貫いた。
 浮いた脚を抱え上げられ、バランスを崩したは侵入した孫策の肉棒を締め上げてしまう。
「……ぅ、キツ……」
 孫策の額に汗が浮かぶ。耐え切れずに腰を突き動かす孫策に、は悲鳴じみた嬌声を上げた。眦から涙が飛び散る。嫌だと繰り返し訴えても、孫策は動きを緩めることはなく、逆に煽られてを貪っていく。
 扉が、ぎぃと鈍い音を立てた。
「……誰ぞ、居るのか」
 みしみしと木の床が鳴り、誰かが入ってくる。は、はっとして唇を噛んだ。逃げようもない。孫策の楔に戒められていて、は顔を逸らすのが精一杯だった。
 孫策は、荒い息を数度繰り返し、無理やり呼吸を整えた。の中が、より一層強く孫策を戒めている。抜くことも忘れ、孫策は誰が入ってきたのかを確認すべく背を反らした。その動きがの中を強く抉り、が短い悲鳴を上げた。
 声に気がついたのか、足音が緩やかな歩調から駆けつけてくるものに変わった。
 孫策が、苦笑めいた笑みを口元に浮かべる。
「子義」
「孫策殿、何があ……」
 言いかけた言葉が、絶句して途切れる。は、孫策の影に隠れるように身を縮めた。いたたまれない。
 絶句した太史慈の目が、孫策の抱える白い脚に釘付けになる。ゆらゆらと、微かに揺れる脚が、艶めいていた。孫策がぴったりと腰を押し付けているのでしかとは見えなかったが、二人が繋がっているのは疑いようもない。
 場所と時間が太史慈の良識を大きく裏切っていて、とても目の前の光景が現実のものとして捉えられない。
「悪ぃ、子義」
 孫策の、露出した皮膚はすべて汗で薄く濡れている。高潮した頬は戦場で見るそれと違い、奇妙なほど卑猥にいやらしく見えた。
「……後でな」
 浅い呼吸を繰り返す孫策は、女の中でたった今も責められているのだろう。
 太史慈は、遅まきながら己の頬が熱く焼けるのを知覚して、無言のままさっと身を翻した。
 気のせいか、やや乱れた足音が遠くなり、来た時と同じように扉が鈍い音を立てて閉まった。
 ずっとそちらの方を見ていた孫策が、視線をに戻した。震えている。
「……こんなの、やだ……」
 涙が溢れて、堰を切ったように零れて落ちた。
 孫策は、ただ黙ってを見下ろしていたが、突然腰を揺らめかした。途端にの声が濡れたものに変わる。
……」
 ぐちゃぐちゃと、濡れた秘部をかき回す音が響く。
……!」
 大きくスライドする腰が、の奥に目掛けて突き立てられた。
 どくん、と何かが溢れる。
 の背後の壁に縋り、孫策は快楽が漏れ出す、脳髄が焼かれるような感覚を耐えた。
 精を出しきって、ようやく一息入れた孫策は、改めてを見下ろす。
 怒ったような、傷つけられたのを必死に耐えているような顔をしていた。
「……抜くぜ」
 は答えない。ややあって、孫策が肉棒を抜き出すと、放った精がどろりと溢れ出した。
 身を支える力もなくなったのか、が膝から崩れ落ちる。孫策は手巾で肉棒を拭き取り、手早く仕舞いこんだ。
 の目から涙が零れ落ちる。ぼろぼろと、遠慮もなく流れ落ちる涙を、孫策は屈みこんでじっと見ていた。
「何で?」
 泣きじゃくりながら、は孫策を叩く。孫策の肩の辺りに、の拳が当たる。痛みは殆どない。の力は非力過ぎた。
 それでも、孫策は痛みを堪えるように眉を寄せる。
「何で、嫌だって言ってるのに、するの!」
 の手が癇癪を起こす子供のように振り回される。顔にも掠ったが、孫策は避けようともしない。甘んじて受け止めている。
 装飾に当たったのか、の指を切り裂いて、小さく血が飛び散った。孫策の頬に、鮮やかな朱色の血飛沫がぴしゃりと音を立てて当たる。
 指を押さえて、は唇を歪めた。
「わ……私……」
 孫策は、何事もなかったようにじっとを見つめる。何時になく真剣な眼差しに気圧されてしまう。
「私、あんたの物にはならないから……!」
「駄目だ、お前は、俺のもんだ」
 搾り出すような声は、至極落ち着いた声にあっさりと打ち消された。
「言っただろ、お前が嫌でも、お前は俺のものにするって」
 だから、お前は俺のもんだ。
 孫策は、呆然と目を見開くを見向きもせずに、すたすたと出口に向かって歩き出す。
 の唇がわなわなと震え、ヒステリックな叫び声を上げさせた。
「ちゃんと、相手いるくせに……!」
 一瞬歩みを止めた孫策が、ふと視線をに向けた。俯いて嗚咽を漏らすには、孫策の視線に気がつくことはできなかった。
 孫策は、しばらくを見ていたが、意を決したように扉を出た。
 扉の外には、太史慈が腕組みをして立っていた。
「…………」
 孫策は、無言で太史慈を見つめ、今気がついたと言うように扉を閉めた。微かに聞こえていた嗚咽の声が、扉の向こうに封じられた。
 ばつ悪く俯く孫策など、太史慈は初めて見る気がした。
「……何という顔をなさっておられるのか」
 半ば呆けたように言うと、孫策は太史慈を促して歩き出した。
 とぼとぼと、顔を下に向けて歩く孫策に合わせ、太史慈も無言のまま孫策の斜め後ろを行く。
 孫策の心境は計りかねた。まだ日の明るい内から、何時誰が入ってくるとも分からぬ広間で女を抱き、泣かせ、傷ついたように歩く主の後姿を見つめる。孫策の中で、どんな嵐が渦巻いているのだろうか。
 自分が、このような朴念仁でさえなかったら。
 太史慈は、己の拙さを恥じ、今、孫策に掛けるべき言葉のないことを恥じた。
「駄目なのか?」
 ようやく口を開いた孫策が漏らしたのは、そんな疑問だった。
 太史慈は何と言って答えたらいいのか分からなかった。何か言わなければと唇を開きかけた時、孫策が振り返った。
「お前も、大喬も、俺は欲しい奴は俺の手で捕ってきた。他に欲しい奴なんかいなかったし……けど、それで良かったじゃねぇか。お前と、大喬と、あいつで三人目だ。三人て、多いか? 多くないよな? 俺があいつ欲しがったら駄目なのか? 俺はあいつが欲しいんだ。何で駄目なんだ。何で泣くんだよ。なぁ、子義、何で駄目なんだ? お前も、ホントはお前も、嫌だったのか? 駄目だったのか? なぁ、子義」
 泣いているのかと思った。だが、涙は出ていなかった。
 涙を流すこともできないほど、傷ついているのか。
 太史慈は、痛ましいものを見るように孫策を見た。
「駄目では、ありませんでした」
 孫策の眉が跳ね上がった。
「駄目などでは……俺は、孫策殿の元に居られることを誇りに思っている。孫策殿が俺を得たいと望んで下さった日から、俺はようやく本当の生を得たのだ……どうか、そのことをご承知いただきたい。この太史子義の生き場所は、孫策殿の元より他にはなかったのだと……これからもないのだと……どうか……」
 下手な言葉だ。
 己の不自由な言質に呆れながら、太史慈は必死に言葉を綴った。
 孫策の口が、にっと吊り上がった。
「……分かった、分かったって子義。もういい、ありがとな」
 一見して空笑いと分かる。太史慈の肩をぽん、と叩き、孫策はその手の甲に額を着けた。
「……分かってんだ、けど、どーしよーもねぇ……俺、頭使うくらいだったら走っちまうから、どうしていいか分かんねーんだよな……周瑜とかなら、上手くやるのかもしんねーけど、俺は」
 チクショウ、と孫策は吐き捨てる。
 太史慈は、ただ立ち尽くして孫策に肩を貸す。
 それだけしかできない自分に、どうしようもなくいらついた。
 孫策の肩が震えている。たかが女のことでここまで傷つく主を、ただ心から慈しみ守ろうと、誓いを新たにした。
 同時に、孫策がこれだけ心を乱すという女を、ぼんやりと憎んだ。

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