案の定、というのもおかしな話だが、翌日からは熱を出して寝込む羽目になった。
 船旅の疲れが抜けきらないところに緊張を余儀なくされる宴会が立て続けに二晩、濡れた服で夜風に当たったのも良くなかっただろう。
 理由ははっきりしているが、同じく船旅や宴会をしれっとこなしている劉備や趙雲がいる。言い訳にはならない。
 は、己の体力のなさが情けなかった。病中の心細さも相まって、人の温もりが欲しくなる。
 医者が疲れから来たものだから、とにかく休ませてやれと言うので誰も来ない。食事が届けられる他は、本当に静かなものだった。
 蜀にいれば屋敷に春花が居て、何くれとなく世話を焼いてくれるはずだ。馬超や姜維も、きっと顔を出してくれるに違いない。
 呉に着いてまだ数日だというのに、もう蜀が恋しかった。
 かたり。
 小さな音がして、が扉の方に目を遣ると、忍ぶ足音が微かに聞こえた。
 誰だ、と身を固くすると、半楕円にくりぬかれた壁の端から、目にも鮮やかな紅白の花が顔を出した。続けて、黒衣の男が顔を見せる。
 周泰だった。
「……起こして…しまったか……」
 寝過ぎで眠れず、起きていただけだ。
 頭を横に振ると、小さく、そうか、と一人ごちた声が聞こえた。
 周泰は、一抱えほどもある黒光りする銅の花瓶を、の横たわる牀の横に静かに下ろした。花瓶から伸びる見事な枝振りの花は、恐らくが落としてしまったあの一枝の花と同じものだろう。大きさも段違いで違うし、花は見事に咲き誇っていたから確信はもてなかったが、白と赤が並ぶ花などそうそうなかろう。
「いいんですか」
 切ってしまっていいんですかといただいていいんですか、が混じってしまったが、周泰には通じたようだ。黙って頷いている。
「……孫策様が……」
 その名を聞いた瞬間、の顔が曇る。花に目を遣って、疲れたように目を伏した。
 周泰は、何か物言いたげにを見つめていたが、病中とあって遠慮したのかそのまま退室した。

 目を開けると、日差しは中天高く上っている。
 少しまどろんでしまったらしい。周泰の持ってきた花から、微かに甘い匂いがしている。バラの花やフリージアなどとは違い、本当に微かな匂いだ。却って心地よい。
 周泰から話を聞き及んで、わざわざ届けさせたのだろうか。孫策と花の可憐さがどうしても結びつかなかったが、周泰がそうだと言うならそうなのだろう。周泰が、主家とは言え人の色恋沙汰に気を回すとは考えられなかった。
 これだけ愛おしんでくれる男を、平気で無下にしてしまう自分が情けない。いや、平気ではなかった。いつも胸が痛んだ。だから、早く諦めてくれないかと思っていた。
 贅沢な。
 あの孫策を、振ろうと必死だ。自分が。
 好きだ、と言ってしまえばいいだろうか。嫌いではないのだから、好きだと言っても構わないのではないだろうか。
 大喬はどうする。
 孫策が自分以外の女に触れ、甘く囁くことに耐えられるだろうか。
 私なら耐えられない。
 やっぱり、駄目だ。
 我侭なのは自分ではなく、孫策の方だ。諦めるべきは、孫策だ。もっと頑張らなくちゃ。心を乱してはいけない。
 はもう何度目かになる堂々巡りの、いつもと同じ答えに辿り着いて再び目を閉じた。
 そばに誰かいて欲しい。
 すぐぐらついて、馬鹿みたいに揺れる心を支えて欲しかった。
「……子龍」
「何だ」
 は。
 息を飲み、慌てて体を起こすと、眩暈がしてぐったりと倒れてしまった。視界が回る。まだ、熱が下がっていないのだ。
 目だけ開けると、趙雲が牀の端に腰掛けるところだった。
「子龍」
 幻かと思った。
「だから、何だ。外から声を掛けたのに、返事をしないから眠っているのかと思った」
 当たり前のように伸びてくる手が、の額に置かれた。やや冷たい皮膚の質感は、目の前の趙雲が幻などではないと饒舌に物語っていた。
 けれど、会いたいと願って口にした名の人が、こうもタイミング良く現れてしまうなんて、
「惚れちゃうじゃないか」
「何を言っているんだ……まだ、少し熱があるようだな」
 牀の横に置かれた台に、水を張った桶と手巾がある。趙雲は立ち上がり、手巾を水に浸した。
ぎゅっと固く絞り上げると、含んだ水がちゃぱちゃぱと桶に滴り落ちる。
「熱がある時にすると、気持ちいいらしいよ」
 ばしゃ。
 趙雲が、桶の中に盛大に手を突っ込んだ。一呼吸置いて、苦い顔がを振り返る。
「やーい、動揺したー」
 力ない声ではあったが、嬉しそうにが笑う。誤魔化しのない、心からの笑顔だ。釣られて趙雲も微笑んだ。
 手巾を絞り直して、の額に乗せてやると、は瞼の上までずり降ろして押し当てる。心地よいのだろう、乾いた口元が緩んだ。
「……子龍、殿の警護は?」
 目は隠したまま、心配そうに尋ねるに、趙雲は優しく微笑みかけた。
「今は交代している。仮眠を取る前に、に会いに来た」
 顔を見られれば良い、と思っていたが、案外元気そうでほっとした。呉でが死ぬようなことがあれば、馬超などは何をしでかすか分からない。呉にやるのにも散々ごねて、諸葛亮に直談判しようとすらしたのだ。
 何より趙雲自身、自分を制御できるか自信がなかった。
「時間あるの?」
 甘えたようなの声に、趙雲は満ちていくのを感じる。
 己に課せられた任務を優先させるのはごく当たり前のことだ。けれども、やはりこうして恋しい女の側で何の気兼ねもなく語らえる時間は、趙雲にとっては芳醇な酒の如く心を開放させられる貴重なものなのだ。
 は、まだ目を隠したままだ。悪戯心を起こして手巾を取り除こうとすると、思いがけず強く抑えているのが分かった。手巾の下の皮膚が紅く染まっている。
 熱が上がってしまったのかと不安になり、医者を呼ぼうと立ち上がる趙雲を、の言葉が縫い止めた。
「……子龍、して」
 震える声が、何とも言えない艶かしさを醸す。
 趙雲が逆らえるはずもなかった。

 寒くしてはいけないから、とは上掛けを掛けたまま趙雲に抱きすくめられた。
 口付けを落とそうとする趙雲を、うつるから、と押し留めると、あからさまに不満げな顔をした。
 でも、いけないものはいけない。趙雲は、劉備の警護という大任を任せられている。
 本当は、休憩を取らせてやりたかった。けれど、どうしても我慢が出来なかった。抱きとめて、支えて欲しかった。孫策の思いに揺れてしまいそうになる、体の内にある空虚を趙雲で満たして欲しかった。
 自分のこの我侭を、趙雲はどう思っているのだろう。
 不安になって閉じた目を開くと、趙雲はの上掛けに何故か下から潜り込んでいるところだった。
 何を、と問いかけた唇が、甘い衝撃に引き結ぶ。
 開かされた足の間に趙雲が潜り込み、舌で愛撫を始めたのだ。
 愛撫はすぐにを熱くし、熱は潤いを伴ってを侵食する。
「子、龍……!」
 恥ずかしくていてもたってもいられない。ただでさえ寝込んだままの体は、汗で汚れている。趙雲にそんな真似をさせたくなかった。
 趙雲は、聞こえないのかの懇願を無視し、ずっとの上掛けに潜り込んだままだった。
「子龍、もういいから、もう……」
 ぱさりと上掛けがまくれ上がり、額に汗した趙雲が顔を出した。暑かったのだろう。
「……何してんの、もう」
 羞恥と悦に頬を染めるを、趙雲は愛しげに見つめた。言葉を発することもなくただを見つめる趙雲に、は視線を逸らして俯いた。
「……し、て」
 おずおずと広げられる膝にそっと手を添えると、趙雲が身を乗り出してくる。二人の顔が近くなると同時に、濡れた秘部に趙雲の猛りが押し当てられ、を侵食した。
「……あ、あぁ……」
 趙雲の肉がの肉を割る。押し退けられるような感触に、は心の底から安堵した。
 良かった、虚ろなんてない。
 体の中にあるような気がしていた空虚は、肉の質感が消し飛ばしてくれた。体の中にはちゃんと『私』が満ちていて、揺れる隙間など何もないと実感できた。
 大丈夫だ、と思った。根拠らしい根拠はない。だから、そのうちまた不安に揺れることになるかもしれない。
 でも、きっとその時も、趙雲が示してくれるだろうと思えた。
「……っ、子龍、……熱い………?」
 すべて納めたと思しき趙雲の、深い吐息には問いを発した。
 途端、動きもしないのに趙雲の肉棒が跳ね上がり、は短い悲鳴を発して仰け反る。浮いた背の隙間に趙雲が腕を回し、の体を支えた。ついでに、ぐいぐいと自分の体を押し込めてくる。
 互いに服は着たままだ。ただ、一箇所のみが深く繋がっている。そのせいか、普段よりもそこに神経が集中して、突き入れられた細かな形まで分かるような気がした。
「……締め付け過ぎだ、……これでは、もたない……」
 趙雲の言葉も切れ切れで、に深く感じているんだと知らしめていた。
 煽られる。
 きゅっと締まる膣の動きが、自分でも分かった。
「……っ、だから……」
 わざとではない。体が趙雲を欲している、勝手に動くのだ。
「……熱い……?」
 如何言っていいか分からず、は問いを繰り返した。恥ずかしい、はしたない、どう思われているだろう、様々な困惑があった。
 趙雲が、やはり困ったように笑う。
「熱い」
 囁くと、趙雲は身を起こした。の膝を僅かに浮かせると、細かに腰を突き入れる。には、それすら耐えられない。尻まで濡らす愛液の滴りに、ぐちゅぐちゅと泡立つような音に、何より趙雲の熱い吐息と膣に押し込まれた質量に乱される。
 惑乱が昂ぶりを呼び、意味のない言葉の羅列が口から溢れる。

 名を呼ばれるのが、好きだ。
 強く押し込まれ、最奥に向けて放たれる熱い迸りが何処へ行くのか、はふっと考えた。

 の夜着を正し、自らも手早く身だしなみを整えると、趙雲は何事もなかったように再び牀の端に腰掛けた。
 憎ったらしい。
 男は、出すだけだからいいが、女は、出されたものの始末に困る。寝たまま、腿をすり合わせると、ねとねととした感触があって気持ち悪い。
 だが、汗をかいたせいか、不思議と頭の中はすっきりしていた。これならば、明日には起きられるかもしれない。
 趙雲が、絞った布での顔や首筋を拭いてくれる。澄ました涼しい顔を見ていると、埒もなくむらむらと意地悪を言いたくなる。
「……いつもより、悦かった?」
 趙雲は、ちらりと険しい視線をに向けたが、無言のまま手巾を水に泳がせていた。先ほどのように動揺することもない。
 何だ、つまんない。
 趙雲が、再び濡らした手巾をの瞼に乗せた。温くなった水ではひんやりとまではいかないが、それでもまだ熱を帯びている肌には心地よい。
 油断していると、趙雲がふいっと身を乗り出し、の耳元に囁く。
「いつも通り、悦かった」
 赤面してがばっと飛び起きるに、趙雲は薄く笑った。
 文句を言いたそうに口をぱくぱくさせていただったが、分が悪いと思ったのかすごすごと上掛けの中に戻っていく。
「……そう言えば、さ、子龍」
 神妙に切り出すに、趙雲も何事かと目を向ける。
「私、ちゃんとイッてるのか、な?」
 趙雲の体が、突然ぐったりと崩れる。が慌てて起き出し、趙雲の体を揺さぶるが、趙雲は返事もせずに倒れ伏している。
「え、だ、だってね、分かんないじゃない? き、気持ちいいのは気持ちいいと思うんだけど、でも、訳がわかんなくなっちゃうって言うかさ、気絶するとか空飛んじゃうとか聞くしさ、何か、何か気になる
じゃないー!」
 言い訳のつもりらしいが、趙雲にとっては慰めにもならない。
 満足させていると無意識に信じていた物を、『達ってないかも』と無邪気に否定(例え本人にその気がなくとも)されたのだ。趙雲ならずとも倒れ伏す程度に衝撃を受けるのはごく当然であろう。
「男はいいよね、出せば達ったって分かるもんね」
 ね、と同意を求められても、趙雲は頷けない。
「……蜀に戻ったら、いくらでも確認させてやろう」
「……いや、遠慮します」
「遠慮など無用だ、楽しみにしているといい」
「いや、過ぎたるは及ばざるが如しだと思います」
 本気、それでいて他愛のない会話を二人は睦言のように繰り返した。何時の間にか、は自然に趙雲の肩にもたれていた。
 の髪に指を通らせながら、趙雲は今気がついたというように銅の花瓶に目を向けた。
「……これは?」
 気持ち良くて目を閉じていたが、趙雲の問いかけに薄っすらと目を開く。
「……ああ……周泰殿がね、持ってきてくれた」
 本当は、孫策からのものだ。だが、孫策の名を口に出して言いたくなかった。
 空木だな、と趙雲が呟く。
「……そうなんだ……」
 空木といえば真っ白な花が咲くのだと思っていた。こんな風に、白と赤が並ぶ花もあるのか。意外だ。
「見たことがなかったのか」
 不思議そうな趙雲の言葉に、は小さく頷く。
 知識ばかりが先行して、そのものを見たことが、実はない。
「……空木って、幹の中が虚ろになっているんでしょ。だから、空木って言うんだよね」
 花言葉は、秘密。
 実にネタっぽくて、いつか原稿で使ってやろうと思っていたのだが、何時の間にか忘れていた。ネタにしようと思っていた対象とセックスしているのだと思うと、何だかもやっとした。
 選びかねるのも、ここら辺が理由なのかもしれない。何度も考えるが、はっきりとしないのでその場その場で色んな理由を思いついている。だが、答えにはなってくれなかった。
 孫策だけは、諦めなくてはいけない。
 これは理由がはっきりしている。大喬がいるからだ。あの子を泣かせたくない、という御為ごかしはともかく、美しい健気な妻と張り合える自信など、にはなかったのだ。
「あのさぁ、子龍」
 空木の花が、ゆらゆらと揺れた。
「秘密だけど……私、孫策のこと、嫌いじゃないよ」
 趙雲は何も言わない。ただ、を優しく抱き寄せてくれた。
「うん、秘密、ね。……もう、言わないから」
 二度と、言わないから。
 早く蜀に帰りたいと言うと、趙雲は、うん、とだけ答えた。

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