甘い囁きに答えてはいけないと言うのだけれど。
 どうしていけないの?
 今、私はとても悲しくて辛いのに。



 槍を振るう。
 だが、到底馬超のように滑らかには動かない。足が絡まったり、槍を持つ手がもたついたり、とにかく自分でも酷いと分かる。
 がらん、と槍を取り落とし、屈んで拾おうとすると、目の前に影が落ちた。
 が拾うよりも早く、馬超がの訓練用の槍を取り上げた。
「酷いものだな……もう、やめておけ」
 いつもの軽口を叩いて、馬超はに嫌味たらしく笑いかける。
 の笑顔が返ってくると思っていた。
 実際、は笑おうとした。
 だが、すぐにぎこちなく強張って、唇を噛んで俯いてしまった。
 馬超の胸に不快な痛みが走る。
「……?」
 内心の動揺を隠して、馬超は努めて気がつかない風を装った。
「……んー、やっぱ、こーゆーの向いてないのかな」
 が顔を上げる。やはりまだぎこちないが、それでも笑っていることに馬超は安堵させられた。
「まぁ、早々すぐにというわけにはいくまいな。お前のように、武の才がないなら尚更だ」
 笑い掛ける。できるだけ明るく、何の秘め事もないように努める。
 なら分かるはずだ、と念じていながら、心臓はむやみやたらと鼓動を早く打つ。
「あー……そうだね、年も年だしねぇ」
 笑っている。そういう顔を作っているとはっきり分かって、馬超は唇を噛んだ。
 何かあったのかと訊きたかったが、趙雲の話は聞きたくなかった。が思い悩むとすれば、まず趙雲に類する問題に違いない。だから余計に訊けなくなった。
「……では、俺は、岱に呼ばれているからな」
 言い訳がましい己の言葉に苛立ちながら、馬超はに背を向けた。
「孟起、さ」
 が自分を呼ぶ声に、一瞬聞こえなかったふりをしようかと思ったが、の声はあまりに小さく力がなくて、却って見逃せなくなってしまった。
「私を、見つけてくれた場所、覚えてるかな」
 背筋に氷を貼り付けられたようにぞっとする。
「……何故、だ」
 馬超は、もたつく己の舌に苛立ちながら、ようやくそれだけ吐き出した。
「ん……とね」
 の唇もまた、麻痺してしまったように微かに震えている。空回りするように声もなく唇が動いた。
「……今でなくてもいいんだけど……連れて行ってくれないかな……」
 の顔は、馬超からはよく見えない。声の震えが痛々しくて、馬超はを抱き締めたくなるのを必死に堪えた。
「だから」
 のか細い声に反して、馬超の声は荒々しくなる。
「何故だ」
 が顔を上げた。泣いているかと思ったのだが、笑っていた。
 こんな笑みは見たくなかった。
「私」
 唇が一瞬引き結ばれ、喉が微かに動くのが見て取れた。
「帰ったら、駄目かな……」
 そう言って再び俯くに、馬超は何も言えずにいた。

 何をどうやって、何処をどうして自室に戻ったのか、馬超は覚えていない。
 ただ、さまざまな酒肴を乗せた卓を挟んだ目の前に、が座っている。
 大虎よろしく手酌で杯を干していくに、唖然としていた。
「お前、女だろう……もう少し何とかしろ……」
 言って酒壺を取り上げようとするのだが、は酔っ払いとは思えぬ素早さで、さっと懐に抱え込んでしまった。
「こっち来てから呑んでないもん。いいじゃん、ちょっとくらい」
 床に酒壺が一つ、空になって転がっている。すべてが飲み干したのだから、とてもちょっとではないと思われた。
「呑んだりしたら、何言われるかわかんないもん。呑んでないんだもん」
 ぶつぶつとしつこく繰り返しながら、杯に酒を注ぐ。
 酔っ払いめ、と詰るが、は気にした風もない。聞こえてないのかもしれない。
「何故、帰りたいなどと言い出した」
 最も訊きたかったことを切り出す。は聞かないふりをしているようだが、表情がむっつりと暗く変化したので何も言わずとも分かる。
 無言の圧力にもめげず、はちびちびと杯に舌を伸ばす。
 いい加減に焦れた馬超の手が伸び、今度はしっかりの杯を取り上げた。
「私の酒ー」
 うにゃうにゃ言いながら、の手が杯を取り返そうとへろへろと伸びてくる。
 馬超の手がの頭を押さえつけ、がっちり『おあずけ』の体勢に入っている。
「だってさー、別にいいじゃん」
 執念深く腕を伸ばすだったが、酒が回っている上に馬超に頭を押さえつけられ、勢いで自らいい感じに脳をシェイクすることになる。
「何が」
「いいんだよ、どうだって」
「だから何がだ」
 白状するまで決して許さないという馬超の意気が通じたのか、の腕がへにょりと落ちた。
「……いいんだって」
「何が」
 それでもまだ抵抗を続けるに、馬超は怒鳴りたいのをぐっと我慢した。代わりに卓を回り込み、の顔を覗き込む。
「言え」
 は馬超の視線を嫌ってか、卓に突っ伏してしまった。酔いで赤くなった耳だけが、髪の間から覗いていた。
 しばらく無言だったが、馬超の無言の圧力が今度は効いたようで、がガバッと身を起こした。
「いなくたって、いいんだよ。誰も困らないじゃん、私いなくたって、いいんだよ」
 馬超の眉間に深々と皺が刻まれる。
「ふざけるな」
「ふざけてないよ」
 は再び卓に突っ伏す。
「かえりたい」
 ぽつんと呟いたの言葉に、馬超はキレた。
 辛抱強く付き合ってきた分、そして自分を押さえつけてきた分、火山がどろどろに溶けた石を噴き上げるように、それらは一気に溢れ出した。
「ふざけるな」
 怒りに満ちた囁きはの耳元に吹き込まれ、驚いたがのたのたとしながらも身を起こした瞬間、馬超の舌がの耳朶を犯した。
 が身を捻って逃れようとするのを、椅子の背もたれを両の手できつく握り締めることで防ぎ、自分の体でを背もたれに押し付ける。
「や、やだよ、ちょっ……」
 声に脅えが含まれている。苛立ちを覚えた馬超は、容赦なくの耳を犯し続ける。
 が暴れるのを利用して膝を割り、その奥に膝を押し当てる。布を通してさえ分かる熱気に、馬超はいっそう煽られての体を直接抱き締めた。
 嬲る舌から水気が移り、の耳朶を濡らした。音が大きく高くなり、の体から抵抗を奪う。
 声で抗うのを諦め、唇を噛むことで僅かな力を奮い起こし、は馬超の意図に逆らい続ける。
 馬超の膝が、の腿の奥を突く。馬超は知らないことだったが、夜毎に熱を孕むの秘部は、他愛無い愛撫にでさえあっという間に蜜を零すようになっている。
 耳から、股間から水音が鳴り響く。の体が震え、上気した頬に固く瞑った睫の影が落ちる。
 馬超は、どうしようもなく止められない己の激情の中に、ひんやりと凍り固まった理性が溶けもせずに残っているのを感じていた。
 雄の印は昂ぶっているのに、それすら卑下するような冷酷な理性が、何をしていると馬超に問いかける。
 理由も定かではないが傷つき萎れている女を相手を弄んで、いったい何をしているのかと、とつとつと語りかける。
 何をしているのだろうか。
 舌での耳の奥を突く。
 の喉から堰を切ったように嬌声が溢れた。
「あっ、あぁ、も……孟起……」
 が馬超を呼んだ瞬間、馬超は達してしまいそうな悦を感じた。
 ようやく堪えたものの、脈が倍になったかのような強烈な快感が馬超の魂ごと痺れさせた。
「……っ、……」
 舌での愛撫をやめ、馬超はに訴えかけた。
、抱きたい」
 びく、との肩が撥ねた。吐息も熱く不規則になり、何とかして馬超を押し退けようと五本の指がそれぞれにもがく。
「滅茶苦茶に」
 馬超が膝に力を入れると、の足がからくりのように折れ曲がって跳ね上がる。
「ここに、挿れて」
 掻き回すように動かすと、動きに併せての体が大きく痙攣した。
「お前が、狂うぐらい」
 もがいていた指が、馬超の肩に爪を立て、拒んでいるのか縋っているのか分からないような様になった。
「虜にして」
 の眦に涙が浮き、嬌声は途切れ途切れで引き攣るようなものに変化した。
「俺の」
 俺のものに、と馬超が言いかけた瞬間、の腕が馬超の首にしがみつき、高く細い嬌声が馬超の耳を心地よく打った。
 びくびくと撥ねる体から、不意にすべての力が抜け落ちて、ぐったりと背もたれにもたれかかった。
「…………ちょっと待て、まさか……達ったのか?」
 半ば呆然とした馬超の声に、の顔がみるみる朱に染まる。
「……待て、まさか、本当に」
「うるさぁーいっ!」
 僅かに力を取り戻したのか、の足が馬超の腿の横辺りを蹴るが、痛くも痒くもない。
「ばか、ばか孟起、何すんの……何すんのよー!」
 は突然正気に返って、むせび泣くようにわんわん泣き出した。
 まだ何もしていない。声だけで達してしまったに、馬超は言葉もない。
 泣き喚くの手を退けようとして払うと、は嫌がって今度は馬超の手を弾こうとする。
 達したばかりで力の抜けたなど、馬超の敵ではない。
 あっという間に馬超はの手をはねのけて、その顔を両手で包んでしまう。
 口付けようと身を乗り出す馬超に、慌てて唇を手の平でガードをする。が、馬超はお構いなしにの手の平に口付け、指の股を噛み、爪をしゃぶった。
 そうしてが手の平を退けた瞬間、馬超はさも当然のようにに口付けた。
 角度を変え、何度も口付けられ、がどれだけ手で突っぱねても馬超の体はびくともしない。
 息が上がり、が眩暈を感じるほど長く口付けて、ようやく馬超は身を離した。
「……も、何してんのよー……」
 べそをかきながら馬超を見るは、睨む気力も尽き果ててしまったらしい。
「仕方ない、無性に抱きたくなった」
 妾のとこにでも行って来い、とは詰るが、生憎馬超には妾どころか本妻もいない。
「犯らせろ」
 ストレートな表現に、の眉間に皺が寄る。
「……正義の武将が、何言ってるかなぁ……」
「正義だろうが何だろうが、男だから仕方ない。犯らせろ」
 の手を取り、熱り勃つ雄の印に導くと、の表情が怯えて竦む。
 あわあわとしているのが面白くて、ぐいぐいと押し付けてやると、はどうかして馬超の手を外そうともがく。だが、の両手でも馬超の片手の力に叶わず、目を白黒させる様を馬超に楽しませるだけだった。
「もういい、抱くぞ」
 そう言ってを横抱きにしようとするのを、は椅子の背もたれにしがみつくことで防ぐ。
「だっ……だめ! だめ、だめったらだめ!」
「趙雲とはしているのだろう」
 馬超は、では、俺としても良かろうなどと理屈に合わないことを平気で言ってのける。
「だっ……し、してないもん! だからだめ!」
 馬超が侮蔑の視線を惜しみなく注ぐ。何をか言わんや、と溜息を吐きつつ、椅子ごとを運ぼうとする。
 浮き上がる椅子に驚愕して、は悲鳴を上げる。
「ホント、ホントにしてないんだってば……孟起、ねえ!」
 あまりに必死な様子に、馬超も少しは同情したらしい。椅子を下ろしてくれた。
 ほっとすると同時に情けなくなって、はまた泣き出した。
「こんなの、こんなの私の孟起じゃない〜!」
「誰が私の孟起か」
 不機嫌そうにを見下ろすが、の言うことが本当なら、は未だ処女と言うことになる。あまり手荒にも出来ず、かと言って限界を迎えた雄は待っていてくれそうもない。趙雲は何をしているかと、馬超は筋違いの怒りまで感じていた。
「趙雲がお前に手を出さないから、帰ると言ったのか」
「……そんなわけない……」
 馬超のとんでもない言い草に、いい加減にも疲れ切っていた。
「ならば、俺が出してやる。帰るな」
「だから、違うって……」
 この単細胞生物をどうしてくれようかとが顔を上げた瞬間、の目の前に馬超の猛りが露になっていた。
「ぎゃあ」
「何がぎゃあ、だ。手を寄越せ」
 があわあわしている内にの手は捕らえられ、馬超の猛りを握らされる。
「ぎゃあ、なに、なに!」
 爪を立てるなと言われて、は手を握り締め拳の形を作る。
「手を広げろ」
 意味がわからん、とは泣き言を連ねるが、馬超はまったく構わず広げられたの手に猛りを擦りつけた。
「わあ、ちょ、ちょっと」
「俺は口でも構わんぞ」
 だから黙っていろ。
 意味がわからん、とは泣き喚く。手の平の中で馬超の猛りが脈打ち、跳ね上がる。
 馬超が奥歯を噛み締め、の手を痛いくらいに強く押し付けた。
 どぴゅ、と音がして、の手に熱く滑る白っぽい粘液が吐き出された。
「……え……」
 何だ、今のエロ漫画の効果音みたいなのは、と、はようやく開放された手の平を繁々と見入る。
 馬超は手早く己の獲物を仕舞い込み、呆然としているを振り返った。
「何だ、男の精がそれほど珍しいか」
 男の精と聞いて、が色気のない悲鳴を上げて仰け反る。
 久方振りに出したせいか、馬超の精は白く濁って粘りつき、の手の甲まで網目の如く濡らしていく。
「ふ、拭くもの……」
 あるかそんなもの、と馬超は一蹴する。
「舐めておけ」
「舐めるか、ばかーっ!」
 喚くを尻目に、馬超は室を出た。背後で何やら罵声が聞こえていたが、馬超は涼しい顔で聞き流した。
 廊下の端に、馬岱の姿を見つけ、大声で叫んだ。
「岱、今日からがこの屋敷に住む! 室を用意させておけ!」
 廊下の端で馬岱が素っ頓狂な声を上げた。馬超は愉快になって、声をたてて笑った。
「それから、桶に水を張って、手ぬぐいと一緒に俺の部屋に持ってきてくれ! 今すぐだ!」
 早くしないと、がそこら辺中に手を擦り付けて回るかもしれない。
 何となく思い浮かんだ下品な想像だったが、本当に当たってしまいそうに思えて、馬超は慌てて室に戻った。

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