ルールというものは、どんなところにでもついて回る。何故なのか。
 諍いを起こさない為の規則が出来れば、二人の絆も深まるかもしれない。
 まずは落ち着いてお茶を。それから、地方ルールを整理したら如何だろう?



 風が強く吹き付けてくる。露出した肌から体温を奪い去られるようで、は身を縮こまらせた。
 それにしても、とは考える。
 何で趙雲はああいうことをするのだろうか。
 子供が出来ないように気を配ってのことかもしれないが、いまいちぴんと来ない。
 今回もまた、前回の繰り返しだった。痛いと言ってもやめないし、やっぱり趙雲の手を汚してしまったし。
 違うと言えば、少しだけ……ほんの少しだけだが、『気持ちいい』と思ってしまったことだろうか。
 前立腺なくても感じるんだなぁ、ははは。
 己を嘲笑ってみたが、虚しくなった。風に押されて、よろりとよろけた。

 玄関に入ると、趙雲が顔を出す。
 珍しく困った顔をしていた。
「……何、どうかした?」
 が尋ねると、趙雲が黙って中に入っていく。
 なんだなんだと着いて行くと、趙雲が黙ってコタツを指差した。触ると冷たい。
「どうも、暖まらなくなってしまったようだ」
 すまなそうに頭を下げる趙雲は、長袖のTシャツ一枚だ。一枚だけあった外出用の上着は、ちょうど昨夜洗濯機にかけてしまって、まだ乾いていないと言う。いらないというので、買わなかったのが仇になった。
 試しにコンセントを入れ直してみたり、スイッチを入れたり切ったりしてみたが、一向に暖まる気配がない。
 だめだ、と投げ出して、念の為コンセントも引っこ抜いておいた。
 暖房の要であるコタツがないと分かると、コートを着ていても冷たい空気を感じる。今夜は特に冷え込むと、朝のニュースで言っていた。
「何、じゃあ何か被ってれば良かったでしょう……布団とか」
 途端に趙雲は苦い顔をする。
 みっともないと、そう言いたいのだろうか。
 案外、見栄っ張りなんだなと思った。マフラーを外し、趙雲の首に巻きつける。
 部屋に引っ込んで着替える傍ら、趙雲に貸し出す上着を漁った。肩にかけるくらいなら何とかなるだろう。はなるべく大き目の上着を手に取り、ついでにハロゲンヒーターの小さいのを持ち出した。パソコンを使う手が冷えるので、そのためにだったが、ないよりはいいだろう。
 マフラーを巻きつけたまま突っ立ている趙雲に上着とヒーターを渡し、コンセントを繋ぐように指示する。
 台所に入って、買って来たものと冷蔵庫の中から取り出したものをテーブルに広げる。
 土鍋を取り出し、ガスコンロに乗せておく。
 野菜を適当に切っていると、趙雲がダンボールの箱を持ってやってきた。
「お届け物だそうだ」
 へ、と間抜けな声を上げ受け取る。
「よく受け取り方分かったね」
 はんこは玄関に出してあったので、宅急便の配達人がやってくれたという。
 は思わずやり取りを想像して、笑ってしまった。
「何だろ……」
 白地の箱に緑の文字で会社名が書いてあるが、見覚えがない。
 とりあえず開けてみると、中から銀色の瓶が出てきた。
「あ」
 あ〜あぁ〜♪と変な節をつけながら、急いで仕舞いにかかる。その手を趙雲が押さえた。
「……何だ」
 趙雲の勘は侮れない。
 が笑って誤魔化そうとすると、趙雲が顔を近付けてきた。
「これは、何だ?」
「……そのうち分かります」
 両手で顔を固定される。ぱっと見た感じと違って、まめが浮いたごつごつした手だ。
「な・ん・だ?」
「えー……ローショ……香油です」
 正直に答えたのに、趙雲は怖い顔をしたままだ。
「……えーと……ご、ごはん作りたいんですが……」
 よもやこのまま握りつぶされないかと、びくびくしながらが申し出ると、趙雲は深い溜息をついてを解放した。
「そんなに後ろがいいのか」
 聞き捨てならない一言に、が止まる。
「……子龍、今、何て言った?」
 だが、趙雲はを一瞥して、コタツの部屋へと去って行った。
 は収まり悪そうに口をむにゃむにゃとさせていたが、小さく溜息をついて野菜切りを再開させた。

 鍋は、インスタントのスープながらなかなか味はいい。
 後は、和やかな会話があれば言うことはなかったが、鍋が煮えるぐつぐつという音とテレビのニュースキャスターの話し声以外、何も聞こえない。
 気まずい。
「……えーと。締めは、うどんと雑炊、どっちがいい?」
「どちらでも」
 普段から元々賑やかな食事というわけではなかったが、こうも空気が重いと、気が滅入ってくる。
「じゃ、うどんね」
 さっさと終えてしまおうと腰を浮かす。
 趙雲が、じっとこちらを見つめているのに気がついた。
「……何?」
 振り返ると、趙雲から目を逸らした。珍しい。
 しばらく様子を見ていたが、趙雲が鍋を突付き始めたので台所に向かう。
 うーん。
 何だかまた趙雲とズレ始めたような気がする。喧嘩にならないといいのだが。
 喧嘩になっても、正直が一人で暴れているだけで何の解決にもならない。
 話し合いをするにしても趙雲は不可解すぎたし、が趙雲を理解するには資料が少な過ぎた。
「やー、困った困った」
 あまり困った風には聞こえなかったが、口に出さずにおられなかったのだ。

 食事を済ませ、空になった土鍋を洗って水切りに乗せる。
 風呂を沸かしている間、二人でテレビを見た。
 いつもなら、何か分からないことがあったり興味を持ったものがあれば趙雲が質問してくるのだが、今日の趙雲は静かだ。
 が手を伸ばすと、趙雲がかわす。
「……何だ」
「ん、いや、風邪でもひいたかと思って」
 熱を計ろうとしたのだが、趙雲は苦笑いして逆にの手を握った。
 温かい。
 熱いというほどでもなく、顔色が悪いわけでもない。唇も奇麗な朱色だし、体調が悪いというわけではなさそうだ。
 ふと、顔が近いな、と思った。
「お風呂、どうする。先、入る?」
 趙雲の顔が渋くなったような気がするのは気のせいだろうか。
が先に入ってくれ。私は客ではないと言っただろう」
「あぁ、まあ……」
 気にするなといっても、趙雲は頑なに固辞する。客ではないというなら、あんなことすんなよと思う。
「じゃ、お先」
 替えの下着とパジャマを取りに行く時も、風呂場に行く時も、何故か背中に趙雲の視線を感じた。だが、が振り返ると、いつもの無表情な趙雲がテレビを見ているだけだった。

 風呂場をシャワーで暖めている間に服を脱ぐ。脱衣所は鍵がかからないので、何となく急いで着替える。
 急ぎ足で風呂場に入り、鍵をかけると安心した。
 趙雲が無理やり入ってくるとは思わなかったが、鍵を掛け忘れた時にこの風呂場で犯された記憶が、ついそうさせた。
 頭からシャワーの湯を被り、シャンプーをつけて泡立てる。シャンプーをしている間も忙しなく後ろを振り返ってしまう。
 いい加減、馬鹿馬鹿しくなって溜息をついた。
 シャンプーを流して、軽く水気を切る。トリートメントを手に取り、頭につけようとすると、背後で戸ががしゃ、と鳴った。
 驚いて振り返ると、摩りガラスを通して人影が見える。他には人がいないのだから、趙雲だろう。
「………」
 目が点になる。
 戸が、がしゃ、がしゃと立て続けに音を立てた。

 やはり趙雲だ。
「開かないんだが」
 そりゃそうだ。
「……鍵、かかってるもん」
 何考えてるんだろう。見えてはいないと思うのだが、タオルで胸元を隠した。
「寒い」
 よくよく見てみると、趙雲は服を脱いでしまっているようだ。ガラス戸にぺったりと手をつけて、が開けてくれるのを待っているようだ。
 開けると思っているのが怖い。
「………」
 タオルで前を隠しつつ、へっぴり腰の体勢で立ち上がり、鍵をあけた。
 逆らえない自分も相当怖い。
 開けた瞬間、当たり前のように趙雲が入ってくる。折角暖まった空気が、蒸気と共に外に逃げていった。胸に当てたタオルが冷たくなる。

 びく、として振り返る。趙雲は風呂桶の湯を体に掛けていた。
「寒い」
「……あー」
 戸を閉める。
 冷気が忍び込んだせいで、の肌も冷たくなってしまった。それより何より、趙雲がさっさと湯に浸かってしまった為、が身を隠す場所がなくなってしまった。
 とぼとぼと腰掛に座り、横目で趙雲を伺う。
 不思議そうな顔をしてを見返す趙雲に、は溜息をついた。
「……変なことしないでね……」
「変なこと?」
「……なんでもない」
 はトリートメントを再度手に取ると、髪に馴染ませた。
「あ」
「どうした」
 何でもない、と誤魔化して、は溜息をついた。戸を開けた時、入れ替わりで出れば良かったと気がついたのだ。
 もったいない気もしたが、トリートメントを流す。体も流して、中腰で立ち上がる。器用にもタオルを前にあてたままだ。
「じゃ、ごゆっくり」
 へへ、と下っ端笑いを浮かべつつ戸を開けようとすると、趙雲が立ち上がった。こちらは何も隠していない。
「ぎゃ」
 小さく唸って顔を逸らすを、趙雲は不思議そうに見遣った。
「湯に浸かってないだろう。体を冷やすぞ」
 言うなり、を抱えて風呂桶に沈む。二人分の容積に、相当のお湯が溢れかえった。
 あぁ、もったいない。
 流れるお湯を恨めしく見ながら、は貧乏臭いことを考えていた。
 お湯が肌にぴりぴりと痛い。背中には微妙な固さの板が当たっている。趙雲の胸板だろう。折り曲げた膝の上に、自分のものではない大きな手が置かれている。それが、妙に気恥ずかしい。
「……し、子龍、何か当たってるんだけど」
 尻の下辺りに違和感を感じて、は俯いたまま訴える。
「私の意志ではない」
 軽くいなされた。
 下手に組み敷かれるよりこうして柔らかく抱かれる方が恥ずかしい。落ち着かないの髪に、趙雲が顔を埋める。
「わ」
 濡れているせいで、いつもより敏感になっている肌に趙雲の唇が這う。
「ちょ、変なことしないでって……」
「これは変なことじゃない」
 趙雲の考え方は、さっぱり分からない。じたばたと暴れると、お湯が盛大に跳ねた。
「……の考えていることは分からんな」
 ふぅ、と溜息と共に、趙雲はそんなことを言う。
「わ……わかんないのはそっちでしょうが、だいたいねぇ!」
 勢いで後ろを向くと、顔が近い。腕の中にいたのだから当たり前なのだが。
「だいたい?」
 濡れて額や頬に張り付いている髪を、指で払ってくれる。細かな仕草に、趙雲の指が触れたところが熱くなった。
 はそっぽを向くと、肩に力をこめた。
「だいたい……だいたい、何でああいうことするかなぁ!」
「ああいう?」
 いちいちオウム返しに聞いてくるのが、また神経に障る。
「あ……う……だ、だから……後ろ、に……」
 また溜息が漏れた。
「何」
「……あれは、の趣味に合わせたんだろう」
 はい?
は、ああいうのが好きなんだろう? 私の子を生みたくないからかもしれないが」
 それはこちらの台詞だ。
 勢い良く振り返る。
 目を丸くして趙雲を凝視するに、趙雲も少し驚いたような顔をした。
の部屋にあった本には……」
 ソレは相手が男だからデスヨ。
 ばしゃ、と趙雲の顔にお湯をかけ、逃げ出す。不意を突かれて、趙雲に隙が出来た。

 伸ばされた手を遮って、ガラス戸がぴしゃり、と閉められた。

 趙雲が風呂から上がると、脱衣所から廊下まで水浸しだった。
 濡れた体を拭いて、ゆっくりと服を着る。濡れた床は乾いた雑巾で一通り拭いた。
 コタツの部屋は絨毯敷きだったので、あらかた吸い取られてしまったようだ。
 雑巾をゆすいで干す頃には、趙雲の体はすっかり冷えてしまっていた。
 襖を叩く。相変わらず、ぼすぼすと間抜けな音がした。

 しばらくの間があって、パジャマに着替えたが無言で襖を開けた。
「寒い」
 目付き悪く趙雲を見上げていただったが、諦めたように項垂れた。
「……変なことしないって約束だよ?」
 顔を上げたは、半ば体をずらしながら自棄気味に言った。
「誓おう」
 即答して中に入ろうとする趙雲を、が慌てて引き止めた。
「……待った、何もしないってことにして」
「…………」
 趙雲が無言になるもので、は『おい』とツッコミを入れた。
「……分かった、誓おう」
 はさっさと布団に潜り込んだ。趙雲は紐を引き、電気を消すとの布団に潜り込んだ。
 大きくない布団に二人で入っているものだから、くっつかないわけにはいかない。趙雲がに身を寄せると、は趙雲に背を向けた。
 趙雲は、背中からを抱き込んだ。
 嘘つき、と、は胸の内で呟く。
 を抱きしめる趙雲のほうが、よりずっと温かかったのだ。

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