――おお、神よ。
 猛烈反省中のは、牀の上で寝転がりながら懺悔していた。
――……おお、神よっていう言葉と狼よって言葉は似ているんじゃなくって、フランソワ。
 ちなみに、どちらかと言えば無神論者(神がいないというのではなく、いたら便利だと言う不心得者)である。

 馬超としてしまって、しかも自分から誘ってしまって、言い訳もクソもない。
 背中から包み込まれて、馬超の心音と自分の心音が重なっていることにどうしようもなく感じてし
まって(感じたんだか何だか、実は今ではよくわからない衝動だった)、口で言えずに直接行動に出てしまった。
 馬超は、喜んだようだ。
 やっぱり、あの子は私のことが好きなんだろうか。
 本当に今更なのだが、馬超に惚れられているのかーとぼんやり実感していた。
 でも、乱暴なんだもん。
 すぐ怒る。短気なのはわかっていたが、馬岱との遣り取りを見る限り、腹は立てても手を出すことはまずない。
 にだけだ。
 そう考えると、馬超のへの思い入れがいかに特別なものなのかという証のように思えなくもない。
 いや、それってだめんずということなのではないでしょうか。
 しかし更によく考えれば、は馬超のそばにいてやらなければと強迫観念を持ったこともなく、自分がいなければならぬと思ったこともない。その点においてのみならば、馬岱の方がよっぽどだめんずっぽかった。
 自分が傍に居て、馬超にとって何が利点となるのだろうか。
 利点難点などで測っていい話ではないのだが、ついそんな風に考えてしまう。
 蜀から離れれば、多少は落ち着いて考えられると思ったこともあったが、結局は激動の日常生活を送る破目となってしまい、の憂鬱は深かった。
 結局、何処に行っても変わらない気がする。
 蜀に居れば馬超がうるさいし、呉に行けばうるさいのが増えるだけだろう。
 一番うるさい孫策は蜀に着いて来てしまったし……。
 そういや、伯符見ないな。
 あのやかましい男が、の前に姿を見せなくなってからずいぶん経つ。忍び込んででも会いに来そうなものだが、が馬超の屋敷に居るので見つけられずにいるのだろうか。
 と、突然、廊下の方が賑やかになった。
 耳を澄ませば、お待ち下さいとかお留まり下さいとか、静止を求める家人達の必死な声が聞こえる。
 ははぁ。
 噂をすれば影と言う奴だろうか。
 扉が開き、騒音は一層激しくなる。
 傍らで縫い物をしていた春花が、慌てて続きの室に飛び出していった。
 仕方のない奴だ、と身を起こし、珍客が現れるのを待っていると、春花が怪訝そうな顔で戻ってきた。
さま、お客様なんですけれど……お見舞いに来て下さったとかで。お通ししても、よろしいでしょうか?」
 うん? と了承しつつも首を傾げる。
 おずおずと顔を出したのは、星彩だった。
「……あの……突然、お邪魔してしまって」
「いえ、あの、どうぞ」
 が傍らの椅子を勧めると、星彩は後ろを振り返った。
 後ろから関平が顔を覗かせる。
 予想だにしていなかった見舞い客に、は驚きを禁じえなかった。
 隣室から、春花の声が近付いて来る。もう一人居るらしい。
 首を伸ばして見遣ると、物陰から顔を出したのは、趙雲だった。

「……見舞いの許可は戴いていたのですが、なかなかお目通りが叶わず……」
 お目通りって、私ゃ何処の将軍様か。
 関平の言葉にこっそりとツッコミを入れる。
 何度か来ているらしいのだが、はそのことをまったく知らずにいた。何気なく春花を見遣るが、春花も首を横に振る。知らなかったようだ。
「主思いの家人が、気を利かせたのだろうよ。今までも、私が着いて来ていたからな」
「趙雲殿には、私が無理にお願いして着いて来ていただいたんです」
 星彩がフォローを入れる。
「それなのに、何度来ても殿はお休み中だと……あまり何度も趙雲殿に着いて来ていただくわけには行かないし、お休みならばそれでも構わないからって……」
 お騒がせしてすみません、と星彩が頭を下げる。
 しょんぼりしているのが伝わって、は苦笑した。
「いや、寝ているような起きているようなだから、あまり気になさらずに。子龍もあんまりすねないの」
 趙雲が居るから家人が通してくれなかったなど、有り得まいとは笑った。
 十二分に有り得る、というか、馬岱に躾けられた有能な家人達が、数度の来客を黙っているなど尋常ではない。主の恋敵を会わせまいとしているとしか考えられないのに、は呆れるほど呑気だ。
「星彩殿も、もっと気軽に来て下さればいいのに。遠慮なんか、無用ですよ」
 自分の家のような気楽な言い方に、関平は呆気に取られた。
 だが、星彩は嬉しそうにわずかに頬を染め、こくりと頷いた。
「あの……お怪我の具合は……」
 おずおずとした星彩の口振りに、関平は首を傾げる。
 常日頃から何につけ明晰な星彩が、に対してはどこかおどおどとしている。
 これではまるで……。
 浮かびかけた考えを、関平は途中で切り捨てた。
 は女だ。そんなことが、あるはずもない。
 女二人は気付かずにいたが、趙雲は目敏く関平の変化を見抜き、密かに苦笑を漏らした。
 会話はの治療の話に移り、の他愛無い話を星彩は懸命に耳をそばだてて聞いている。
「そんなに、痛かったのですか」
 顔から血の気が引いた星彩に、の方が慌てた。
「イヤ、痛かったは痛かったけど、何ていうか、お陰で熱っぽかったのは治ったんですよ。後は、この足首のとこ、ここがもう少し良くなれば、歩いていいって言われてるんですけどね」
 なるべく気楽に、症状は軽いのだというように説明するのだが、星彩の顔は浮かない。
 不安げにの足首に巻かれた白布を見詰めている。
「まぁ、あの、病気ってわけじゃないんで、本人としては元気なんですよ?」
 医者から、気晴らしにたまには外に出るといいかもしれないと勧められた、という件になると、星彩の目が俄然輝きだした。
「ならば、私がお供します。私はまだ、馬将軍ほど忙しい身分でもありませんし、殿が行きたい時、すぐに参上できます」
 お供とか参上とか、だから私は何処の将軍様なんだ。
「……わ、私では、お嫌でしょうか……」
 が驚いて口を噤んだのを、星彩は何か勘違いしたらしい。はまたあわあわと焦った。
「い、嫌じゃないです、嫌なわけがねぇ!」
 乱雑な言葉遣いに、関平がたらりと冷や汗をかく。
 呉に行ってから、どうも口が悪いのに磨きが掛かったようだな、と趙雲は密かに危惧していた。
 何時行こうかとか何処に行こうかとか、なし崩しに具体的な話し合いに突入したと星彩に春花が加わり、場は大変賑やかになった。
 しばらく話しこみ、お茶のお代わりも二度ほどした頃、長居するのはなんだから、と関平が切り出し、星彩は眉を曇らせた。
「お疲れになられましたか」
 を気遣う言葉にも、不安が滲んでいる。が楽しかった、と率直に答えると、星彩は嬉しそうにほんのりと笑った。
 書簡で詳しいことを送ります、と言い残し、星彩はに深々と頭を下げて退室した。
 関平も星彩の後を追って退室し、趙雲も無言で立ち上がり背を向ける。
 何か言ってくれるかと思ったのだが、趙雲はをちらりと見ただけで、すぐ出て行ってしまった。
 なんだ。
 星彩の付き添いで来たという話だったから、趙雲には特に用事はなかったのだろう。
 けれど、久し振りなのだから何か一言、例えば元気そうで安心したとか何とか言ってくれてもいいような気がした。
 春花も三人を見送りに行ってしまい、室には一人が残された。
 先程までの賑々しさが嘘のように静まり返って、を陰鬱な気分にさせた。
 この屋敷に来て、初めて寂しいと感じた。
 溜息を吐くと、ふと誰かの気配を感じた気がして慌てて顔を上げる。
 誰もいない。
 期待した分アテが外れて、はがっかりして項垂れた。
 その頭に、ぽふん、と誰かの手が置かれる。
「どうした、元気がないようだな」
 顔を上げようとするが、大きな手はの後頭部をがっしりと掴んでしまっていて、上げるに上げられない。
「も……ちょっと……子龍っ!」
 快活な笑い声が鼓膜に響き、はようやく解放されて顔を上げた。
「髪が、ぐちゃぐちゃだ」
 みっともないと言いつつ、笑いながら直してくれるのを、は無理矢理顔を顰めて睨めつける。
 けれど、口元からくにゃあ、と緩んでくるのがどうしても止められない。
 趙雲が笑っている。
「ど、どうした、の……」
 もう顔を作るのが面倒になって、趙雲に微笑む。
「忘れ物だ」
 言うなり、に口付けてくる。
 お約束だなぁ、と胸の内で文句を垂れつつ、黙って口付けに応じる。
 唇が離れ、離れても尚残る柔らかな感触が、悦となってじんわりと染み込んでいく。暖かな心地よさに陶然とした。
 趙雲は牀の端に腰掛け、何気なく腕を伸ばした。
 が釣られて、腕を伸ばした先に目をやると、端に追いやった陶の枕が映る。
 愛用の枕は低反撥枕の高さ13cmなには、陶製のこの枕は固すぎる上に冷たくて首が冷える。血行が悪くなると持病の肩こりに大変悪いので、使っていない。
 その陶の枕を、趙雲はひょい、と持ち上げた。
 枕の下には、見慣れない飾りが置いてある。
 何だ、とがきょとんとしていると、趙雲はの手を取り、飾りを握らせた。
「……あまり明け透けだと、いい加減に私も腹立たしくなる。馬超に返しておけ」
 げ、と呻き、趙雲の顔を見上げる。
 にっこり笑っている、笑っているのだがにはわかる。
――怒ってる……。
 通りで話もしないわけだ。沈黙を守ることで、怒っていることをアピールしていたのかもしれない。
 牀に馬超の飾りがあるということは、外すようなことがあったというわけで、そこから連想されるのは一つしかない。
 実際その通りだから文句も言えないのだが、別に趙雲に当てこするつもりで置いていたわけではない。枕はずっと押しやられたままになっていたのだ。こんな飾りがあること自体、は知らずにいたのだから。
 趙雲が唇を寄せてくる。
 両手で顔を固定されてしまっているから、逸らすこともできない。
 ゆっくりとした動きで舌が忍び込んできて、口内をいちいち確認するように這う。
 そのうちの舌に触れ、表面を撫でたり吸い上げられたりした。
 唇は柔らかく蠢き、器用にの唇を食む。
 口付け一つで巧みにを煽る趙雲に、逆らうことも出来ずに貪られる。
 長い口付けから解放される頃には、の息はすっかり上がっていた。
 趙雲の指がするりと足の間に滑り込む。
「あっ」
 思わず声を立てる。
 昨夜、馬超としたばかりだというのに、既に趙雲を受け入れられるように変化している。
 趙雲の指が踊り、の中から更に潤いが引き出された。温い水音が鼓膜を刺激し、重複して煽られる。
 軽く口付けられるのでさえ、にとっては耐え難い刺激と化した。
 ふっと冷たい空気が顔を打つ。
 目を開ければ、趙雲はから身を離し、立ち上がっていた。
「では、な」
 何もなかったように背を向け立ち去っていく趙雲に、は絶句して掛ける言葉すらない。
 煽るだけ煽って、帰っていってしまった。
 趙雲の言葉が耳元で蘇る。
 いい加減、私も腹立たしくなる。
 なるってか、なってんじゃん。
 腹の奥底から、ぞくぞくと波打つ感覚がを襲う。熱い昂ぶりを与えられると待ち構えていた女の器官が、何とかしろと悲鳴を上げているかのようだ。
 とは言え、趙雲は立ち去ってしまった。これは、趙雲なりの腹いせなのだ。自分で何とかするしかない。
「……馬鹿子龍!」
 小声で吐き捨て、恥を忍んで裾を捲くり指を忍ばせる。
 とたとたと小さな足音がして、はぎくりとして指を引いた。
さま、至急のお呼びだと趙雲様から伺いましたが……」
 何か御用ですか、と愛らしく息を弾ませて飛び込んできた春花に、は強張った笑みを向けた。
 春花に言いつける用を必死に考えながら、は心の底から趙雲を呪った。

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